見出し画像

『美山考』第8章 地名【260503】

南丹市美山町の地域史についての考察
改訂履歴



別表B 美山地域の沿革」で示した通り、現在の美山町内には古くからの地名(旧村名)が多く残る。少なくとも元禄国絵図(1702年頃)にまで遡ることができる地名(旧村名)が多数あり、それ以前から呼称されていたものもあることが推測される。
本項では、社寺の現地確認を進める過程で興味惹かれた地名に関連する事項全般について、「京都府北桑田郡誌(以下郡誌)」などの各種文献を参考にしながら適宜追記していくものとする。

図8-1 元禄国絵図 丹波国 の美山町域

図8-1 国立公文書館デジタルアーカイブ 元禄国絵図 丹波国 より美山町域を抜粋

1. 元禄国絵図の村名

図8-1 の元禄国絵図から美山地域の村名を可能な範囲で読み取り、現在の地区別に書き出した。
別表B. 美山地域の沿革」に表記した現在の地名と見比べてみると、1702年当時の村名の多くが現在に継承されていることが分かる。

近現代以降、市町村合併により古くから使われていた多くの地名が統廃合されたなかで、少なくとも 300年以上に渡り、ほとんどの地名が町域全体で今も使い続けられていることは、美山町を特徴付ける属性のひとつのように思われる。

中世当時の村名と思われる「野々村」の名称が一部の村名に冠されていることや、「知見」については、1500年代に知見氏が知見郷(今の名田庄小倉・久坂・挙野・小倉畑・槇谷・染ヶ谷・堂本)を治めていたことが「わかさ名田庄村誌」に見えることも興味深い。「知見」については名田庄の地域史を含めて今後の考察としたい。

  • 鶴ケ岡地区:
    今宮村、栃原村、砂木村、棚村、河合村、殿村、田土村、船津村、松尾村、神谷村、名嶋村、洞村、上吉田  村、林村、脇村、庄田村、熊壁村、山森村、大及村

  • 大野地区:
    萱野村、野々村ノ大野村、岩江土村、小笹尾村、肱谷村、音海村、向山村、橿原村

  •  宮島地区:
    野々村ノ中村、嶋村、上司村、和泉村、市場村、下吉田村、沢田村、棚田村、宮脇村、板橋村、原村

  • 平屋地区:
    上久保村、大内村、荒倉村、深見村、野添村、安掛村、又林村、長尾村、上平屋村、下平屋村

  • 知井地区:
    佐々里村、白石村、芦生村、田歌村、江和村、知見村、知見 中村、知井ノ下村、知井ノ中村、中村之内 河  内谷村、北村、南村


2. 新字(あざ)名(≒旧小字)

北桑田郡美山町、船井郡園部町、八木町、日吉町が合併し南丹市が発足した際に告示された「京都府公報 号外第一号(平成18年1月1日)」によると、美山町の新字名は、旧小字名がほぼそのまま継承されているようである。(「別表B 美山地域の沿革」参照)

小字名は、特定の場所を示す共通の呼称として、その地域に住む人たちが普段の生活の中で使ってきた名称であることが多く、当地の地形や伝承、歴史背景などの特徴を表す名称として興味深く見ることができる。
例えば、「岼」は「ユリ」と読み、山の中腹の平な部分を意味するらしく、いくつかの地域で「岼」もしくは「ユリ」の文字を含む小字が見られる。「遊里」や「百合」の文字を当てる小字も「ユリ」と読むため、同じ意味で使われているのかもしれない。
その他には、「文字畾地」や「カルノ」など、「第11章 伝承と人物」に登場する地名が小字としていくつか見え、古くまで遡る地名があることも推測できそうである。

なお、小字の所在地についてはできるだけ特定し、「第9章 神社と寺院」に掲載する地形図に順次反映していくこととする。


3. 田歌

図4 元禄国絵図中に「田歌村」の文字が見える。読み方は「たうた」だと思っていたが、美山町に住んでおられる方が「とうた」と呼称されていた。

「知井村史」でも 2つの「とうた」説をあげている。ひとつは郡誌著者の踏歌(とうた)説で、丹波地方で行われていた田楽踊りが神楽堂などで一斉に足を踏み鳴らして踊ったことによるもの、もうひとつは古代氏族の百済系渡来人「答他(とうた)」氏に由来するものである。「続日本紀」天平宝字5(761)年3月15日条に「答他伊那麻呂ら五人には中野造」の姓を与えたとの記述があり、知井に中野氏が多いこととの関連をあげているが、それ以上の判断はできないとのこと。前者の踏歌説が一般的であるとしている。


4. 知見

上記「元禄国絵図の村名」では、「知見 中村」「知井ノ中村」のように、村の中心を示すと思われる「中村」が別に記されていることから、少なくとも元禄国絵図が描かれた1702年当時においては、「知井」と「知見」に従属関係は無い、もしくは希薄であったことが推測される。

さらにそれ以前の 1664年には、「知井」は篠山藩、知井地域内にある「知見」は園部藩が所領していることから、単に両藩の石高を調整すること以外に、両村の間には何らかの異なる属性があったことを示すものかもしれない。

また、地名由来は、その土地が位置する地形の特徴や、その土地に存在する特徴的なモノを表すことが多い傾向にあると思われるが、「チミ」の呼称は美山町域内のなかでも独特な発音を持つ地名のひとつであり、その呼称だけでは由来の推測は難しいように思われる。

地名由来には、当地に限らず、古来の外来語から派生したものや、先史以来の呼称(例えば縄文語)に基づく可能性も考えられる。縄文語についてはアイヌ語との類似性も検討対象にする必要がありそうである。

さらに、古代半ばまでの日本は文字を持たない口承の国であり、奈良時代に編纂された万葉集でさえ、一字一音で発音が同じ漢字を当て、当てた漢字そのものには意味を持たないものが多くあった。古くから継承されている地名もそれに類するものがあることも考えられ、「知見」に当てられている漢字そのものには当初意味がなかったことも充分にあり得る。

郡誌によると「知見」の由来を「血見」としている。丹波と若狭の国境の坂で戦闘があったとき、流血が坂道を覆ったため知坂と称し、血河が流下した所が血見谷、射矢集中の地を矢原(今の八原)、兵士が泊った所が大泊、知坂の中腹で大将が駿馬を留めて指揮をとった所が駒立としている。更に、若狭に知三村があり、血見村の遺跡であるとしている。知井坂や五波峠の山並みを越えた名田庄側にも「知見」の地名があったらしく、美山側の「知見」と何らかの共通する地名由来があったのかもしれない。

「知三村誌」では、715~745年に、北陸道若狭国遠敷郡に、富田郷(三重、中名田)、知見郷(知見(久坂、挙野、小倉畑)、堂本、染ヶ谷、槇谷、小倉)、虫野郷(虫鹿野)と称する郷があったとする。(但し、930年頃に編纂された「倭名類聚抄」には「知見」に関する地名は見えず、1835年に編纂された若狭国郷帳には「知見久坂村」「知見挙野村」「知見小倉畑村」が見える)

「小浜市史通史上巻」によれば、荘園成立期の1200年頃に、遠敷郡の名田荘は上荘と下荘に分かれ、知見村は下荘にあったとする。その後、鎌倉、室町時代には時の権力者間で複雑に伝領されていくものの、知見村は近世まで存続したとされている。

さらに、明治維新の廃藩置県時には、知見村が所属する県や地域区割りが目まぐるしく再編され、明治22年の町村制実施で、久坂、挙野、小倉畑、虫鹿野、染ヶ谷、三重、小倉、槇谷は、南名田村と称されることになったが、大部分が元知見郷であることから村民の不満が起こり、知見村に改称されることになった。
だが、三重は元富田郷であったことから反対意見があり、最終的には明治24年に「知三村」とする妥協案で設立されたようである。

名田庄小倉地区には、式内社の苅田彦神社がある。創祀年代は不詳だが、大同元年(806年)や宝亀年間(770~781年)を創祀とする伝承や、「知見七村氏神」「知見之宮」と記録された古文書が残るらしい。さらに同区内には知見出雲守屋敷跡があり、「わかさ名田庄村誌」には知見氏についての記述も見える。

2025.04.29 に知見を訪問し、八幡宮、正法寺、本妙寺跡の現地を確認することができた。
正法寺、本妙寺の縁起については「第9章 神社と寺院」に記すが、両寺の関係を概観すると、知見には元々知見寺(天台宗、のち真言宗)と本妙寺(日蓮宗)があり、知見寺はのちに法華宗に改宗し本像寺と改名された。村内に日蓮宗の寺が2つあることから、本妙寺を廃し、本像寺焼失後の跡地に正法寺を新築し現在に至っている。知見寺は、郡誌では「知美寺」と表記しており、上述のように「チミ」の発音に対して「知見」や「知美」の漢字が当てられただけなのかもしれない。

八幡宮については縁起未詳である。「知三村誌」に、名田庄槙谷の八幡神は知井村八幡神社から奪い祀ったものとする伝承が記されているが、「知井村史」著者は、知井村八幡神社ではなく山ひとつ越えた所にある知見八幡宮のことではないかとしている。この伝承(槙谷の住民が知井村八幡神社の秋祭りに参加していたとするストーリー)の真偽は不明だが、名田庄槙谷を含む地域が、知見(もしくは知井)地域と一体的なつながりを持っていた時期があることを示唆するものかもしれない。

名田庄関連の資料では桑田郡知見村と遠敷郡知見村の関係性の有無や、「知見」の地名由来にまで遡ることはできていないが、山ひとつ挟んだ所にある両「知見」には、やはり何らかの接点(共通の由来)があるのではないかという推測は捨て切れない。
「知井村史」著者も、荘園の支配体制の違いから「知井」と「知見」は同じ支配体制下にあった時期はほとんどないこと、知見寺(知美寺)は若狭と丹波の両知見村を含めた知見郷の中心的寺院で、その知見郷は当初若狭国に属していたものと推測している。
上記のことを踏まえ、「知見」についてはもうしばらく考察を継続することにしたい。


今後の考察課題 【260503】

  • 名田庄小倉 知見出雲守と美山町知見の関係


第9章 神社と寺院】に進む

第7章 境界】に戻る

『美山考』マガジン を表示


いいなと思ったら応援しよう!