ぶらり、ゆったり進むあぜ道|おうちで「東海道五十三次」旅 #8 平塚
日本橋を出発して3日目。
昼前に藤沢を出たものの、次の平塚までは3里半、約14㎞と、これまでの最長区間です。
平塚の手前で渡った馬入川(現在の相模川)は、馬入の渡しのもう少し南で海へと繋がっています。
そこはかつて江戸と伊豆下田を結ぶ海路の中間地点で、「須賀湊」と呼ばれ、物資の集散地として繁栄していました。
さて、馬入川を渡って、さらに西へと街道を進み、現在は平塚駅を中心に商店街になっているあたりを越えると、平塚宿が見えてきました。
ちなみに平塚の地名の由来は、桓武天皇のひ孫が東国に向かう途中で亡くなったので、この辺りにお墓となる塚を築いたところ、塚の上が平坦だったからと言われています。
夕方になって、なんとか平塚にたどり着くことができました。
今日はこの宿場で泊まることにします。

さて、広重が描いた「平塚」には、宿場の家屋などが見当たりません。
この絵は、平塚宿周辺のどこを描いているのでしょうか。
後方右手に雪をかぶった富士山が見えることから、これまでのほとんどの絵同様、画面手前が江戸、奥に向かって京都です。
画面手前の右手を見ると、文字が書かれた杭が立っています。
これは「品川」にも登場した、宿場の境を示す傍示杭です。書かれている文字は判読できませんが、平塚宿の代官の名が記されているはずです。
この傍示杭の先に家屋がないことから、これが平塚宿の西(京都側)の境を示したものであることが分かります。
平塚宿の西境の正確な場所は、空襲やその後の区画整理により定かではありませんが、現在の古花水橋交差点の辺りだったようなので、広重の「平塚」は、この辺りから京都方面を眺めた構図となっています。
ところで、この絵は物によっては、街道の両側が青く?描かれているようにもみえます。
しかしこの絵には「縄手道」という副題が付いており、縄手道とは田と田の間を通るあぜ道のことです。
同じ絵を色々と見比べたり、調べてみた結果、少々分かりづらい絵もありますが、街道の両側には田んぼが広がっており、街道の先、お椀をひっくり返したような山の手前、短い橋が描かれているところの両側には、花水川が描かれているものと思われます。
江戸を出発して4日目。
3日目の戸塚~平塚の歩行距離は20㎞超。
今朝も相変わらず体中が痛いですが、何とか早朝に旅籠を出ることができました。
平塚は東西に全長1㎞ほどと、比較的短い宿場です。
前日宿泊した戸塚と比べると、あまり宿泊する旅人はいないようで、少し賑わいに欠けます。
さて、街道が現在の国道1号と合流するあたりに、宿場の西境を示す傍示杭があります。
平塚宿はここまでです。

傍示杭の横には、だいぶ背の低い高札の様なものが2本立っています。
これは「関札」というもので、この宿場に宿泊している大名の名が記されていました。昨晩は2つの大名家が平塚に泊まっていたのでしょうか。
その少し先には右手、つまり北の方へ延びる道との分岐があり、石の道しるべが立っています。
分岐するこの道は中原街道で、江戸時代に東海道が整備される以前より、江戸方面と相模の国を結んでいた道が元になっています。
中原という名は、平塚近くにあった、徳川家康が鷹狩などをした際に宿泊した「中原御殿」から来ているそうで、中原街道はここから中原を通って江戸までを結ぶ東海道の脇道、「脇街道」でした。
目の前には、街道脇の所々に松が植わり、両側には田んぼが広がる、なんとものどかな風景が広がっています。
なお私の想像旅では、今は初夏の早朝ですが、この絵は富士山が真っ白で、空の上の方が茜色なので、冬の、日が沈む前を描いているようです。
さて、分岐の手前で、私の少し前方を歩いていた、何やら荷物を担いだふんどし姿の2人組の男性が、前方から走ってくる上半身裸にねじり鉢巻きで、先の方に荷物を括りつけた棒を左肩に担いだ男性と、今まさにすれ違おうとしています。
前方から走ってくる男性は、佐川急便の以前のロゴとよく似た姿です。
この男性は飛脚で、電話もなかったこの時代、手紙や荷物をリレーしながら運んでいました。肩に担いだ棒の先にあるのが荷物です。
江戸時代、街道が整備された目的の1つが、幕府の重要な手紙などを運ぶためで、宿場も飛脚などの交代を行うことが、その存在意義の1つでした。
東海道の江戸~京都の場合、普通に歩くと2週間ほどかかりましたが、飛脚はわずか3~4日で走ったそうです。
富士山が真っ白な冬でも、飛脚は上半身裸で走っています。
私も飛脚とすれ違いましたが、かなりのスピードで走っているようで、すれ違いざまに風を感じました。

さて、私の前方のふんどし姿の2人組は、手ぬぐいをかぶった1人が、先端に2つの笠をぶら下げた長い棒を、もう1人が竹製のなにやら台座と大きな編み籠のようなものをまとめて担いでいます。
彼らは駕籠かきです。どこかへ人を運んで行った帰りでしょうか、それともお客を見つけられなかったのでしょうか。
駕籠は竹製で軽く、人が乗っていないときにはこんな風にばらして、簡単に担ぐことが出来たんですね。
すれ違った飛脚とは違い、しゃべりながら、暢気に歩いています。

前方にはお椀をひっくり返したような、丸い山が見えます。
これは高麗山で、その昔の朝鮮、高句麗の王族・高麗若光(こまのじゃっこう)らが移り住んだ所と言われ、そこからこの名がつけられました。
高麗山の右手には、隠れるように富士山も見えます。
そして富士山の右手には、丸い高麗山とは対照的に、角ばった山が見えます。こちらがあの大山詣りの大山です。
印象の異なる山々のコントラストがおもしろいですね。

さて、曲がりくねった道の先にある花水川には、短い花水橋が架かっています。
私の前方で、今まさにこの橋を渡ろうとしている、笠をかぶった男性は、武士のようにも見えます。
さらにその前方から、橋に向かって歩いてくる人は、笠と、植物で作られたと思しき合羽のようなものを着ています。旅人でしょうか、それともこの辺りのお百姓さんでしょうか。
さて、平塚から次の宿場、大磯まではわずか27町、約2.9㎞と、これまでで最短区間です。
田んぼを眺めつつ、私ものんびりと歩くことにします。
つづく
