「なぜ?」だけを武器に、15年間ものづくりと戦ってきた。〜複雑にすることは技術でできる。シンプルにすることには、思想が必要である。〜
はじめに
私には、ずっと抱えてきた問いがあります。
「なぜ、ものづくりはこんなに複雑になってしまうのか」
製造現場で15年以上働いてきました。
その間、技術の進化を目の当たりにし続けました。
機械の加工精度は上がり、かつては職人の手でしか達成できなかった厳しい公差も、当たり前のように実現できるようになりました。
便利になったことは間違いありません。
でも、気づけばそこに、別の問題が生まれていました。
複雑さが、当たり前になっていた
機械が高精度になると、設計者はその精度を前提に図面を描くようになります。
かつては「ここは±0.05mmで十分だ」という判断が必要だったところに、「機械が出せるなら±0.01mmにしておこう」という発想が生まれる。
その結果として出来上がるのは、複雑な構成と高いコストを「当然のもの」とする製品です。
複雑にすることは、技術でできます。
部品を増やす、機能を追加する、補正機構をつける、センサーや制御を増やす。
そうすれば、目先の問題は解決できます。
でも、そのたびに何かが増えていきます。
コストが上がる。故障箇所が増える。メンテナンス性が悪化する。組立工数が増える。品質のばらつきが大きくなる。特定の人しか扱えなくなる。
「ちょっとしたことでトラブルが起きる」製品が、こうして生まれます。
私はずっと、問い続けていました。
本当にそれでいいのか。
検査を追加し続けた現場で起きたこと
製造現場でよくある光景があります。
ある工程で問題が発生した時、こんな判断がなされます。
「この問題を後工程に流さないために、検査を追加しよう」
間違っていません。問題を次の工程に渡さないという発想は正しい。
でも、ここに落とし穴があります。
検査を追加することが「解決策」になってしまうのです。
その結果、何が起きるか。
別の問題が起きる。また検査を追加する。
さらに別の問題が起きる。
またまた検査を追加する。
気づけば、工程だらけ、検査だらけ、工数だらけになっています。
本来必要だった工数より、はるかに多くの時間と人が投入されているのに、問題は一向に減らない。
「なぜこんなに複雑になったのか」を誰も説明できない状態になっています。
私がこういう現場に入った時にやることは、シンプルです。
現場のリーダーや責任者と一緒に座って、「最初に何が起きたのか」を遡って考えます。
すると、ほぼ必ず同じことが見えてきます。
最初の一つの問題が、力技で対処されたことで、さらに問題を増やし、どんどん複雑化していた。
工程は、その複雑さを「抑え込む」ために積み上げられてきただけだった。
だから、複雑構造の根元を見つけて対処すると、いきなりいろんなことが解決し始めます。
工程が減る。工数が減る。問題が減る。現場が軽くなる。
「なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだ」という瞬間が訪れます。
これが、シンプルの力です。
足し算では解決しなかった問題が、引き算で一気に解決する。
複雑さの根元を見つけることさえできれば、積み上げてきた工程のほとんどが「いらなかったもの」だったと気づきます。
「なぜやるのか」を問い続けたら、工程が消えた
少し恥ずかしい話をします。
私は超がつくほどめんどくさがりです。
「この測定は必要だからやること」と言われても、素直に従えません。
「そもそも、なぜやらないといけないのか」を考えてしまいます。
これが製造現場では、意外な力を発揮しました。
例えば、図面に記載があるから測定をする、という場面があります。
「設計者が必要としているから」「後工程で必要だから」という理由で、測定項目が積み上がっていきます。
でも私は問わずにはいられない。
「なぜ、この測定が必要なのか」。
すると、こんなことが見えてきます。
「この測定項目、別の測定と重複しています。こちらを測れば、あちらも保証できますよ」
設計の意図を理解すると、一つの測定が複数の項目を保証できることが分かります。後工程が必要としている内容も、「何がどう必要なのか」を深掘りすると、別の方法で代替できることがあります。
「これをやるのは当たり前」を一つひとつ「なぜ必要なのか」という問いで見直していくと、気づけば測定工程がどんどん減っていく。
これは製造業でよく起きることです。
誰も疑わなかった当たり前の積み重ねが、実は「なぜ必要なのか分からないままやってきたこと」だったりします。
めんどくさがりが「なぜ」を問い続けた結果、工程がシンプルになっていく。
これもまた、シンプルの力です。
壁が溶けた時、現場が自分事になった
私がやろうとすることを伝えたとき、正直に言うと、最初は嫌がられます。
「設計が言っているから言われた通りにやっているだけ」
「何でこんなことをやらないといけないのか、それこそ無駄だろ」
辛辣な言葉が飛んできます。
でも私には分かっていました。
この言葉の裏側に、本音が隠れていることを。
「何でこんな無駄なことをしているんだろう」 「何が無駄なのか分からず、悶々としている」
現場の人たちは、誰よりも無駄を感じていました。ただ、それを言っていい場所がなかっただけです。
見直しを始めると、最初はあれほど嫌がっていた人たちが、少しずつ変わっていきます。
「確かに、この測定いらないかもしれない」
「設計にこれを聞いてもいいんですか?」
設計側に見直しをお願いし、それがOKになって工程が一つ減る。
また一つ減る。するとこんな言葉が現場から出てきます。
「ものづくり、めちゃくちゃシンプルで管理が楽じゃん」
この瞬間が、私が一番好きな瞬間です。
設計と製造の間には、見えない壁があります。
設計は現場のことが分からないまま図面を書く。
現場は設計の意図が分からないまま言われた通りに作る。
「設計に問題提起することは、やってはいけないことだ」と思っている現場の人たちと、「現場の意見が欲しいけど聞けない」と思っている設計者たち。
その壁を壊して、流れを作る。
お互いが意見を出し合い始めると、ものづくりはどんどんシンプルになっていきます。
設計は現場を想像しながら「どうすればもっとシンプルに作れるか」を考える。
製造は「なぜこの図面なのか」を理解しながら、より良い方法があれば改善を提案する。
それは責任者やリーダーだけでなく、作業者にまで波及します。
そうすると、今まで他人事だった現場が、一気に自分事の現場に変わります。
これが、究極のシンプルなものづくりの流れです。
シンプルにすることは、効率化ではありません。
人と人の壁を溶かし、それぞれが自分事として関わる場所を作ることです。
シンプルにすることは、思想が必要だと気づいた
あるとき、私は一つの確信に辿り着きました。
複雑にすることは技術でできる。
シンプルにすることには、思想が必要である。
本当に優れた設計は、足し算ではなく引き算で成立します。
「そもそも、この部品は必要か」
「この工程はなくせないか」
「この調整は設計で吸収できないか」
この問いを繰り返し、繰り返し、本質だけを残していく。
複雑さの中から本質だけを抽出すること。
それこそが、設計者や技術者の本当の力量だと思うようになりました。
製造現場では、こんな瞬間があります。
複雑な対策を何枚も積み上げたあとに、誰かが一言、「そもそも、この工程自体いらないのでは?」と言って、問題そのものが消えてしまう。
そのときに感じる、「そうか、これでよかったんだ」という静かな感動。
あの感覚が、私がシンプルを追い求める原点です。
シンプルなものは、優しい
シンプルにすることは、単なる効率化ではありません。
シンプルなものは壊れにくい。 次の人が引き継ぎやすい。 誰でも扱える。 リサイクルや廃棄の時も、次の工程の人が困らない。
つまり、シンプルにすることは、未来の人への優しさです。
「この選択は、次の人、そのまた次の人を疲れさせないだろうか」
その問いを持ち続けることが、シンプルを追い求める動機になっていきました。
ものづくりの問いは、人へ、組織へと広がっていった
ものづくりで複雑さと向き合い続けるうちに、私の問いは少しずつ広がっていきました。
なぜ、仕事はこんなに複雑なのか。
なぜ、コミュニケーションはこんなに複雑なのか。
なぜ、組織は大きくなるほど、何をすべきかが見えにくくなるのか。
人間関係でも、同じことが起きていると気づきました。
会議を増やす。報告書を増やす。ルールを増やす。チェック項目を増やす。人を管理する仕組みを増やす。
そうすることで、一時的には問題を抑え込めます。
でも増やせば増やすほど、誰も全体像が分からなくなる。
責任の所在が曖昧になる。
本質が見えなくなる。人の自主性が失われる。
これは、複雑になりすぎた機械が故障しやすくなるのと、どこか似ています。
一方、本当に優れたリーダーや、成熟した人間は、こう考えます。
「どう管理するか」ではなく、「どうすれば余計な管理が要らなくなるか」を考える。
「どう説明するか」ではなく、「どうすれば一言で伝わるか」を考える。 「どう動かすか」ではなく、「どうすれば自然と動きたくなるか」を考える。
人間関係においても、足し算ではなく引き算をしている。
「構造」という言葉に辿り着いた
様々な「なぜ」にぶつかりながら、私はやがて一つの概念に辿り着きました。
「構造」です。
ものづくりが複雑になるのは、構造の問題。 組織が動かないのも、構造の問題。 改善が続かないのも、構造の問題。 人が育たないのも、構造の問題。
人を変えようとしても、組織は変わりません。 でも構造を変えれば、人は自然に動き出します。
「人は変えられない。でも構造は変えられる。」
これが、私の仕事の根幹にある言葉です。
複雑さを知り尽くした先にある、シンプル
一つだけ、誤解してほしくないことがあります。
「シンプルにしよう」と言う時、それは無知からくる単純さではありません。
若いうちは複雑な説明をしたくなります。
知識が増えるほど、多くを語りたくなる。でも経験を積んだ人ほど、言葉は少なくなる。
やることは少なくなる。ルールは少なくなる。それでも物事はうまく回る。
それは決して手抜きではなく、本質だけが残った状態だからです。
複雑さを知らない人の単純さと、複雑さを十分に知った上で辿り着く単純さは、まったく違う。
後者にこそ、品格や深み、そして美しさが宿る。
シンプルとは、少ないことではありません。
本質以外を削り続けた先に現れる、美しい姿です。
昨今の時代と、シンプルの価値
SNSもAIも出てきて、世の中は加速度的に複雑化しています。
情報も選択肢も圧倒的に増えました。できることが増えたことで、「本当にやるべきこと」が見えにくくなっている面があります。
すると、何を付け加えるか、どう効率化するか、どう目立つか、ばかりに意識が向きやすくなります。
でも、私が大切にしてきたのは逆の問いです。
「その先で何が起きるのか」 「誰にどんな影響を与えるのか」 「本当に必要なのか」
複雑さは短期的な解決をもたらすことがあります。
シンプルさは長期的な持続性を生みます。
誰でも理解できる。引き継ぐことができる。壊れにくい。疲弊しにくい。人が育つ。長く価値を生み続ける。
これは機械でも、人間関係でも、会社でも同じです。
最後に
私がYEES FACTORYを立ち上げたのは、この思想を多くの人に伝えたいからです。
ものづくりで辿り着いた「シンプルへの問い」が、人・組織・構造への問いへと波及した。その旅が今の仕事の出発点です。
シンプルな構造の考え方を伝えること。自分でも実践し、結果を出し続けること。そして、その考えが未来の人たちに引き継がれていくこと。
複雑さを知り尽くした先で、本質だけを残す。
そこに、ものづくりの美があり、人の美があり、組織の美がある。
シンプルが、すべての出発点で、すべてのゴールです。
YEES FACTORY|治部康臣(やすにぃ) 製造組織の構造改革者
製造業の構造的な課題でお悩みの経営者・社長の方、 まずはお気軽にご相談ください。
