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私の守護霊がキツネや狼や犬の姿を借りて、人生が変わることをお告げに来たのかもしれない


昨日、全体ビューが10万を超えたのを記念して、私の赤裸々な体験を告白させていただきます。

まずは、松下幸之助さんの「道をひらく」からです。

病を味わう

病気になってそれがなおって、なおって息災を喜ぶうちにまた病気になって、ともかくも一切病気なしの人生というものは、なかなか望みえない。

軽重のちがいはあれ、人はその一生に何回か病の床に臥するのである。

五回の人もあろう。十回の人もあろう。あるいは二十回、三十回の人もあるかもしれない。

親の心配に包まれた幼い時の病から、不安と焦燥に悶々とする明け暮れに至るまで、人はいくたびか病の峠を越えていく。

だがしかし、人間にとって所詮死は一回。あとにも先にも一回きり。とすれば、何回病気をしようとも、死につながる病というのも一回きり。

あとの何回かは、これもまた人生の一つの試練と観じられようか。

いつの時の病が死につながるのか。それは寿命にまかすとして、こんどの病もまた人生の一つの試練なりと観ずれば、
そこにまたおのずから心もひらけ、医薬の効果も、さらにこれが生かされて、回復への道も早まるであろう。

病を味わう心を養いたいのである。

そして病を大切に大切に養いたいのである。


松下幸之助さんは、パナソニックを創業した経営者ですが、哲学者でもあったような気がします。

哲学の高段者でも、さすがに、この境地まで到達するのは、かなり高齢にならないと難しいのではないかと思います。

今年92歳になる父は、椎葉村で一人で暮らしております。

一人息子の私が62歳で、最近は椎葉村にときおり帰って、父からいろいろ昔の話を聞いています。

父は、小学生の頃に結核にかかって学校を1年間休学したことがありました。

治療法はなく、栄養をつけさせるために、鶏の卵を特別に与えられたと言っておりました。

休学したことで、一つ下の学年と同じになりました。

しかし、この病気休業のおかげで、得をしたと言っておりました。

椎葉村では普通の家なら小学校を卒業したら高等小学校しか行けなかったが、戦後の学制が変わったおかげで、中学校に行くことができたと言っておりました。

そのときの椎葉中学校の先生は、戦後の混乱期で、海軍兵学校の出身者など多様な先生がおられたそうです。

制度の変わり目に、いろんなバックグランドを持って理想の教育を実現しようとした若い先生たちから、様々なことを学ぶことができた、と言っておりました。

人生を振り返って、病気に感謝しておりました。

家が火事になり旅費が出せなくて、修学旅行には行けませんでした。

経済的な理由で修学旅行にいけない生徒を先生が引率して、宮崎県と熊本県の県境にある市房山に登ったと言っていました。

先生は若く、道中にいろいろと教えてもらったと懐かしそうでした。

畑の父

ちなみに、私は大きな病気をしたことはありません。

ですので、病気のエピソードはもっていないのですが、一つだけ不思議なことを体験しています。

医学部の5年生の夏休み、西日本医学生体育大会を控えて、体育館でバレーの練習をしていました。

終わった後にアパートの部屋に帰りました。

相当疲れたのでしょう。横になったら眠っておりました。

夕方の6時過ぎくらいだったと思います。

目が覚めると身体が金縛り状態になっていて、起きられなくなっておりました。

目玉だけが動く状態でした。

右上を見ると、白衣が2枚掛かっていました。

私はギクリとしました。

白衣は1枚しかかけていなかったのです。

二枚の白衣を見ると、襟の上にキツネのような茶色の顔があるのです。その隣は狼の顔。

さらに布団の右には、四本足の犬がいるのです。

なんじゃーこりゃー。

叫ぼうとしましたが、声は出ません。

指先しか動きません。

少し冷静になると、顔の表情筋と舌を動かすことができました。

なるほど脳神経は麻痺しないのかと感心しました。

私が舌を出したら、なんと白衣のキツネが舌を出しました。

しばらくして、犬が消えました。

その後に白衣を着たキツネと狼も消えました。

もとからあった白衣1枚が残っていました。

はっとしたところ、金縛りが解けて、身体を動かすことができました。

突然、電話が鳴りました。

ハンドボール部の同級生で、飯を食いに行こうというお誘いでした。

私は同級生に幽霊(らしきもの)を見たと、状況を説明しましたが、信じてくれませんでした。

翌日の練習試合中にフライングレシーブをしたところ、隣の選手とぶつかって、右肩を痛めてしまいました。

スパイクを打つと、ガクンと肩が外れてしまうのです。

肩関節造影検査の結果、右肩の亜脱臼という診断でした。

私はバレー部を引退して、練習に行くことがなくなりました。

この怪我がなければ、たぶん6年生の夏までレギュラーとして試合に出たと思います。

公衆衛生学の教授の世話で、上京して厚生省の視察に行ったのは、6年生の7月の半ば頃でした。

バレーをやっていたら、西医体前の練習で行けなかったはずです。

その後、私は厚生省に入省し、医系技官として34年間勤務することになりました。

今にして思うと、私の守護霊が、キツネや狼や犬の姿を借りて、人生が変わることをお告げに来たのかも。

「我が家は犬やキツネや狼となんかつながりがある?」
と父に聞いたところ、
「何もない」と否定されました。

あれは幻だったのか。

その後、二度と私の前には現れておりません。

しかし、いまでも鮮明に覚えております。

金縛りの神経麻痺の状況も、生々しい記憶が……。

その後、キツネや狼や犬の霊(?)とは遭っておりません。

犬と関係があるといえば、
保健所勤務が、
青森と宮崎を合わせると5年になります。

動物の慰霊碑にも、花を捧げて手を合わせたことがあります。

あれは何だったのか。

この記事を読んで、いい悪魔払い師がいると紹介されても困ります。

私は、あの不思議な体験をこれからも大切に大切に養いたいと思っていますので。

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