フィクションのドラマとはいえ総合戦研究所の所長を無能な小役人的に描いたことは、本流と本質を見る習慣を養っていないことを証明している
元東京都知事の猪瀬直樹氏の「昭和十六年の敗戦」は、戦前に内閣に設置された総合戦研究所を描いています。
一九四〇(昭和十五)年に、国家総力戦に関する基本的調査研究及び官吏その他の国家総力戦に関する教育研究を掌るために、総理大臣直轄の機関として設けられました。
モデルとなったのは英国です。
英国には国家総力戦を研究する王立戦争研究所があり、軍人や官僚や民間人で将来のリーダーとなるような若手が集められて合宿形式で研究を行っていました。
この研究機関の存在は秘密とされていましたが、英国の駐在武官の辰巳栄一陸軍大佐が関心を持ち、帰国後に陸軍省軍事課高級課員の西浦進大佐に相談して設置にこぎつけました。
西浦大佐もまたフランスの国防大臣が作った陸海軍と民間が入った総力戦の研究機関と同じようなものを作りたいと考えていたのです。
西浦大佐は、陸軍内をとりまとめ、海軍や大蔵省、企画院などと調整して設立にこぎつけます。
昭和十六年一月に関東軍参謀長だった飯村穣陸軍中将が、総力戦研究所の所長に着任しました。
飯村所長は、陸海軍軍人や新進気鋭の若手官僚、民間人からも研究所に人材を集めました。
各省の次官には、将来大臣や次官になれる優秀者を出すように依頼しました。
各省等から推薦された研究員全員を直接面接し、健康診断にも立ち会って裸の身体まで見ました。
「カラダの悪い者を採用したならば研究所も当人も迷惑し、ひいては国家の損出になる」と健康を重視しました。
飯村所長は「人は裸を見られると親しくなる」と語っています。
法務省から推薦された検事は結核を隠していました。
こうして集められた研究生たちは、各省から出された国家機密の書類から吉川英治の最新小説まで読みこなし、総力戦に関する研究や、関係する施設の視察などを行いました。

我が国を取り巻く内外の情勢について十分に理解できるようなレベルに達した七月中旬に、飯村所長は研究生に題材を出しました。
「青国が南方に油を取りに行ったらどうなるか」という想定で、演習を行わせました。
研究生たちは「青国」政府を組織します。
各研究生は、総理大臣以下の模擬内閣の閣僚及び政府要職を演じ、各省庁から提供を受けた現実の生情報を使って八月のほとんどをかけて机上演習を行いました。
南方に石油を求める戦いは長期総力戦になるのは必至で、
外務大臣は講和の時期をつかむ自信もなく、独伊の援助も期待できないといい、
大蔵大臣は青国は財政的に破綻するといい、
農林大臣は四年後の食糧の確保が不可能といい、
商工大臣は軍需生産のアメリカとの格差をいい、
鉄道大臣は敵潜水艦の攻撃による船舶の急速な不足と補充の不備を訴え、
戦争になっても青国が絶対に勝つことはできないという結論を出しました。
模擬内閣の総理は、開戦反対の旨を、飯田所長ら演習を司る「統監部」に申し入れをしました。
八月末、二日間に渡って、総合戦研究所の机上演習の講評が、近衛首相以下政府統帥部関係者多数列席のもとに、首相官邸の大広間で行われました。
後に総理となる東條英機陸軍大臣も出席していました。
最後に、研究所員の堀場一雄陸軍大佐が、二時間にわたって演習の経過及び要点の解説を行いました。
机上演習における研究の結果は、
南方作戦の推移は長期戦必至となること、
あわせて北方問題の危険性を説き、
結局青国(日本)の国力はその負担に耐えられず、
したがって敗北すると想定し、
青国の国力充実を未だしとして、
戦争の不可能となることを結論としました。
熱心にメモ取っていた東條英機陸軍大臣は、
「これはあくまでも演習と研究であって、実際の作戦とは全く異なるものであることを銘記するように」
と発言しました。
この机上演習の結果は極秘とされ、政府、軍部の一部要人のみが知り得ることとなりました。
実際の歴史は、当初の真珠湾攻撃と最後の原子爆弾以外は、この研究の結果のとおりに進行していきました。
日米開戦の直前に、日本必敗の研究結果を取りまとめた飯村所長の胆力に敬服します。
総合戦研究所に各省から来た官僚らは、後に各省の次官クラスとなります。
研究所で非常に仲良くなったこととから敗戦後の処理に役に立ったと言われています。
逆説的ですが「総合敗戦研究所」として機能したのでしょう。

飯村中将は、戦後いくつかの著書を残しています。
兵術を極めるためには、戦術の勉強だけではだめで、実際の戦史の研究が大事で、戦史を読むことが道楽となるようにしなければならないと言っています。
また軍事研究のみならず軍事以外の事項も勉強して智能を養うことを勧めています。
「本流」と「本質」を見る習慣を養うことが大事だとしています。
ここでいう本流は歴史を究めること、本質は科学精神を発揮して納得いくまで深く研究することです。
驚いたことに、飯村中将は、「自己防衛は生物自然の生理」だとして防衛力を医学に例えています。
神は人体に防衛力を与えた。
病菌の侵入に対しては、皮膚が第一線の防衛線であり、これを突破して体内に侵入したものに対しては、白血球が猛烈にこれと戦う。
(中略)
もし病菌が、この戦闘に勝って、さらに体内に侵入しようとすれば、(中略)淋巴腺という第二防衛線に衝突する。
この関門が突破されて、病毒が全身に侵入すれば、人は死ぬのである。
死を免れようとして医者にかかり、外国軍の増援にあたる医者が、戦闘に加わる。
やむなくして、手足を切断するのは、領地の割譲のようなものである。
これを免れんとして、スルホン剤(サルファ剤)やペニシリンを使用し、白血球に加勢して病毒の殲滅を期する。
患部を冷やす冷罨法は敵の糧道を断つためであり、患部を温める温罨法はわが糧道の兵力輸送を強化せんがためのものである。
一個の体内の、戦闘組織もまた巧妙である。
私は軍事力を理解するために、医学に置き換えて考えたことが邪道かもしれないと不安に思っていましたが、軍事のプロフェッショナルの文章を読んで大変勇気が出ました。
ちなみに、飯村所長の総合戦研究所の研究生となった陸軍の稲垣克彦軍医少佐は、九か月間在籍した研究所から強い影響を受けています。
その後、陸軍軍医学校研究部に配属された稲垣少佐は、総合戦研究所にいたときの各省との人脈を利用して、大学や産業界から人を集め国産ペニシリンの開発に成功したのです。
軍を前面に出さずに、各界から集めた研究者の自主性に任せたフレキシブルな姿勢は、頭が固いと言われることの多い陸軍の人間とは思えません。
総合戦研究所における教育のたまもののように思えます。

以上の文章は、拙文「ミリタリー・メディスン」からの抜粋です。
NHKのドラマで総合戦研究所を舞台にしたドラマが放映され、史実と違うと、総合戦研究所の所長の子孫の方からクレームがあったと聞きました。
フィクションのドラマとはいえ、総合戦研究所の所長を無能な小役人的に描いたことは、本流と本質を見る習慣を養っていないことを証明しているように思えてなりません。
