湯河原の226事件の襲撃で命を落としていたら、のちの麻生太郎総理大臣は生まれていなかった
牧野伸顕という伯爵が書いた回想録(中公文庫・上下)があります。
牧野伯爵は、明治の元勲である大久保利通の次男です。
牧野家の養子となり、11歳のときに岩倉使節団に加わって米国の中学校に留学しました。
外務省に入り、後に福井県知事、黒田清隆首相秘書官、イタリア公使、文部大臣、外務大臣などを務めます。
昭和10年まで10年間勤務した内大臣では、若き昭和天皇の相談役的な役割を果たしました。
牧野伯爵は、第一次世界大戦後のパリ講和会議に、日本の全権代表として参加します。
このとき、世界中から労働者の団体が集合し、労働条件等について話し合おうという動きがありました。
牧野伯爵は、パリに出張していた農商務省の監督課長と相談して、対応を決めたと回想録に書いています。
これが、国際労働機関(ILO)の創設につながります。
国際協調派で自由主義者の牧野伯爵は、軍部から睨まれました。
昭和11年に起きた226事件の際に湯河原の旅館に滞在中に機関銃で襲撃を受け、放火されます。
護衛の警官や地元の消防団のおかげで、奇跡的に助かりました
牧野伯爵と付き添いの人々を守るためにピストルで応酬した、護衛の警官は亡くなっています。
牧野伯爵が襲われた旅館(光風荘)を見学してきました。

そこには、麻生太郎元総理大臣の書による石碑がありました。
牧野伯爵の孫で、麻生議員の母である和子さんが一緒に宿泊していたそうです。
このときの襲撃で命を落としていたら、自分は生まれていなかったということで、石碑の文を書かれたそうです。
湯河原は箱根と違って、それほど有名ではありませんが、歴史の宝庫です。

2019年は、ILOが創設されて百年目の年でした。
参議院では、ILO創設百周年に当たり、我が国の一層の貢献に関する決議が出されました。
昭和22年に成立した労働基準法は、それまでのILO条約の労働条件に合わせようとしたものです。
つまり、我が国の労働条件をグローバルスタンダードに引き上げたのです。
当時の国会における法案審議の際に策定された想定問答には、
「これらの決定事項は、1919年以来の国際会議で決定されたもので、今日、相当の歳月を経過しており、
かつまた、今敗戦後、労働条件を全く一変している我が国において、かつての国際労働会議の決定事項に準じて、法案の内容を決定することは無理ではないと信ずる」
とあります。
つまり、ILOがなければ、今の労働基準法、労働安全衛生法はなかった!
マスコミは報じませんでしたが、歴史的な決議だったと思います。
提案者と賛同者の議員の先生方に敬意を表したいと思います。
参議院は、さすが「良識の府」だと思いました。
恐縮です。昨日のハベレオ通信で、牧野伯爵の話をしましたが、本当は今日のことでした。
改めて、牧野伯爵の紹介をさせていただきます。
牧野伯爵といえば、neigeさんです!
