シーボルトの弟子から、薮からスティックの医者が出た
シーボルトが日本に来て、日本人にオランダ語と医学を教えました。
その弟子の中には奇数な運命をたどった者がいます。
高野長英と伊藤玄朴です。
高野長英は、有名です。
本を書いて幕府批判をして獄につながれ、最後は自殺するという運命をたどります。
伊藤玄朴は、あまり知られておりません。
佐賀藩の農民に生まれたました。
漢方医の下僕として修業し、漢方医となりました。
いつかは江戸に出て、将軍の奥医師になる、という野望を持っていました。

長崎で、オランダ語を勉強し、シーボルトの弟子となりオランダ医学を習得しました。
武士の身分も手に入れます。
シーボルト事件では、捜査対象者から逃れて、江戸に出て開業しました。
外科の手術にも優れ、クロロホルム麻酔を初めて使ったのは玄朴だと言われています。
また、種痘を江戸で初めて実施しました。
玄朴が代表となり、江戸の蘭方医83人が金を集めて種痘所をお玉が池に設立しました。
玄朴は、将軍家定の病気の治療で漢方医が匙を投げたので、取り立てられて将軍の治療を行いました。
家定は治らずに亡くなりますが、玄朴は奥医師となり、やがて最高峰の法眼となります。
田舎の藪医者から、籠付きの棒2本を担がれ、供の者が11人もつくような身分となり、「藪から棒」だと噂されました。
薮からスティックのルー大柴さんを思い出しました。

玄朴は幸運の持ち主でしたが、努力も人一倍しています。
なによりも、人を取り立てたり、引き寄せたりしています。
玄朴の活躍により、漢方医によって禁止されていた西洋医学が解禁されました。
そして、江戸に種痘所が開設されます。
この種痘所は医学所となり、玄朴は緒方洪庵を大坂から呼びよせています。
医学所はのちに東京大学医学部となります。
