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ヤギを飼っていた小学校②〜テストも通知表もなかった

私が卒業した小学校は、国立大学教育学部の附属校で、「教育の研究対象」として存在する学校だったので、いま思えば面白い教育を受けた。

それを紐解く記事②。

前回の記事①はこちら。

環境も面白かったけれど、授業も独特だったのではないだろうか。

私はこの学校しか知らないので、ほかと学校の比較はできないのだけど、時代が異なるとはいえ、子どもの学校との違いはなんとなく分かる。


テストなし、通知表なし

「ゲゲゲの鬼太郎」ではないけれど、「試験も何にもない」学校だった。

完全にテストがないわけではない。
担任の先生がガリ版※で作る漢字の小テストなどはあって、点が低いと居残りがあった。

※ガリ版は、コピー機などなかった当時の印刷。すべての印刷物は先生の手書きで、先生は毎日、あらゆる配布物をガリガリ書いていた。

ガリ版(謄写版)とは、明治時代に生まれ小・中規模印刷に大活躍した簡易印刷機のこと。鉄製のヤスリ板を下敷きにロウ原紙を載せ、その表面に鉄筆で文字を書き、鉄筆により開いた微細な孔からインクが押し出され文字が印刷される。文字を書く際の「ガリガリ」という音からその名が付いたとされる。

ミカド印刷HP ガリ版印刷について

私も居残り組だった。
でも「要領が悪く覚えが悪いけれど、回数や時間をかければ身につく」タイプだったので、おかげで漢字も国語も、将来的には誰よりも得意になったので悪いことばかりではなかった。

それに、居残り組の常連はみな仲が良くて楽しい時間だった。

宿題もそんなに多くなかった記憶があるけれど、割り算の筆算で手こずって、母親から「なんでわからないの!」とイライラをぶつけられた記憶があるので、ドリルなどは持ち帰ったのだろう。

もう1つの特徴は、通知表がないことだった。

どうしてなかったのかはわからない。
母校のHPを見てみると現在も通知表がないようだ。
教育理念などに「教師もまた子どもと共に学び合う探究者でありたい」(概要)と書かれていて、それが答えかなと感じた。

子どもを主体とし、教師と子どもで共に探究する。母校ながらすばらしい理念だ。

いまはどうかわからないけれど、先生方は子どもたちに敬語で話しかけた。

私の子どもたちを含む生徒たちは先生との距離が近く、ときに先生が子どもをニックネームで呼ぶ。

どちらが私の好みかといえば、先生と子どもに明確な線が引かれていた当時だ。

でも時代とともに変化しているのだろうし、いまの、子どもが疑問を気軽に口にできる空気は悪くはないだろうと思う。


地域性もあった教科

ヤギを飼いながら算数を取り入れたり、釘打ちなどの実技を取り入れることはあったけれど、机に向かって学ぶ主要4教科は、さほど独特でもなかった気がする。

一方、いまも内容を鮮明に覚えている教科もある。

道徳

道徳の授業に関しては、深いものを受け取ることができた。

たぶん出身校に限らず同じ市内の学校は道徳の時間にみな受けたであろう「同和教育」。
少し調べてみると、いまも行われているようだ。

いわゆる被差別部落について扱ったもの。

小1から小6までしばしばあった部落問題の授業は、体の芯まで染み込んで、差別という問題そのものにも少しは敏感になったのだと思う。

大学時代、明治文学のゼミで島崎藤村の「破戒」を扱った。
被差別部落出身の瀬川丑松が、父の戒めを守って出自を隠して教壇に立ち、やがて慕っていた解放運動(被差別部落の解放を目指す運動)活動家との出会いと別れの中で逡巡し、ついに出自を明かすという「破戒」をする。

ゼミで扱った評論のなかに、これを書いた藤村自身に差別意識があった、という指摘があって、とても考えさせられた。

私自身にも無意識下に差別意識は絶えずあって、社会人になって、母親になって、差別反対と言えば言うほどに、その意識が顔を出すような気持ちになったことがあった。

こればかりは一生向き合うべきものだと思っているけれど、その根本はこの小学校での「同和教育」だったと思っている。

同和教育に限らず、道徳の授業は先生が題材を持ってきたり、みなで話し合いをしたりして、学校も熱心だった。
なんとなく心に残っている。

2019年から道徳に教科書が使用されて、通知表で評価されるようになったのはいまだに違和感がある。
理想的な答えに持っていきがちな授業には、子どもと共に首を傾げることも多々ある。


図工・音楽

図工については、教科書はもらったけれど使ったことはなかった。

子どもが教科書通りに図工の勉強をしているのを見て、とても新鮮に感じた。
袋にセットされた図工の教材を使うのにも驚いた。

いまだに覚えている図工は、紙版画で紙をちぎって木を表現したり、友達と向き合って顔を描き合ったり。画板をもって写生にでかけたり。
多色刷版画、糸ノコを使った木のパズル。

やっている内容はいまの子どもたちと同じだけれど、ちょっとずつ違う。たぶん、教科書やあてがわれた教材を使っていなかったからだろう。

音楽は、教科書は使ったけれど、ほかの教科と同じくテストがなかった。

同じく附属の中学でも、音楽はテストはなかったように記憶している。
学習指導要領が変わったのか、学校の特徴なのかは分からない。


③(長い最終回)に続く。


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