みのりんのことを記事にするnote作家を集めてXのスペースで討論会を開いたんや
壮絶にぐだぐだな討論会です。
前から、noteに茅原実里ちゃんのことを書いてる方がいらっしゃるなと思ってて、ちらっとXで「『後から絶対にnote記事を書く』という縛りのもと一堂に集めて討論会したら面白いんじゃないかな」って投稿したらちょっと反応があってね。
じゃあやってみよか~~~って思って。でも絶対住んでる地域はバラバラだからXのスペース機能使ってみよか~~~~って。
んで反応はあったけど実際に公募して誰も集まらなかったら切なさがパないので2名の作家に声をかけ半強制で招集しました。
招集するということは記事を書けということになり、これは強制です。
我ながら非道なことをしました。
はい、招集された方々です。
経歴お伺いするとお2人とも以前ライター業をされていたそうです。プロでした。もう笑うしかない。
討論会といっても硬いものではなく「皆が語りたいみのりんのこと」「自分が書きたいこと」などを話せたらいいかなあ~~と思ったんです。でもフリートークというのは『討論会』ではない。時はちょうどみのりんの河口湖コンサート前、ではテーマはこの件にいたしましょうと、告知画像を作りました。

思ったより大層な雰囲気になってきました。やはり笑うしかない。
火蓋は切って落とされたがぐだぐだです
PC版のXを開き、まずスペースを開いたのはいいものの、主催の私のイヤホンの調子が悪く自分の声は乗るけど相手の声が聴こえてこない、でもブラウザの機能で音声が自動でテロップのように表示されるというすごい困るけど意思疎通ははかれて絶妙に困らないという状況に陥りました。この音声の不具合はどうにか解消されたのですけど、耳の悪い方の困りポイントと便利になるポイントってこういうことなんだなと勉強になりました。何の話やねん。
この討論会ですが、既にchitoseArkさんが詳細を記事にしてくださっています。全体的にどんな内容を話したかというのをまとめてくださっています。
そして濃厚な話になった、『クラシック』というものについて、Satoh-metalさんがより深く書いてくださいました。
(おふたりともノルマクリアです! ありがとうございます! おめでとうございます!)
河口湖駅のロッカーのサイズから始まったトークでしたが多分三者三様の考え方とポリシーがあったと思います。面白かったです~~! あの話もっと詳しく突っ込んで聞けばよかったなあとか、もっといろんな話題を引き出せたのになあと自分の司会進行力の弱さを痛感した次第でもあります。
私自身の話はそこまでしなかったのですが(進行役なので)、話を聞きたいし自分ももっと話をしたかったポイントはあります。
批評というものについて。
批評って大事だと思ってるんですよ私。作品があって、それをどんなものか分析し、文章で書きつづる、文芸批評。「批判」「批難」ではなく、批評。大切なものだと思っています。ポジティブなレビューだけあればいいという向きもあるかもしれない。作品だけあればいい、理屈をこねる人間は鼻につく、そういうきらいもあるかもしれない。逆に、箔をつけたいから批評論を大風呂敷に展開してほしいという欲望もあると推測します。
名だたる作家や詩人は批評家への殺意を隠そうとしない。ウケる。まあつまりこういうポジションなんですよね批評そして批評家という存在は。
文芸批評は、私元々大学で西洋文芸をやってたんでここらへんもちょっとは知ってるんだけど、歴史が大変古く、どんな枠組みで分析するかもいろいろあります。でもまあ、ここは学校の授業ではないので割愛しますし、私は文芸批評の専門家でもありません。
言いたいことはね、批評の存在意義。批評により作品が長生きする、後世に伝わっていくという現象はあると思うのです。
批評とは、第三者からの視点を知ることができます。作品があって、人の数だけ鑑賞スタイルも感想も自由。どんな角度から見ても良いですが、他人に書かれた批評により、自分の想像したことのない視座からの解釈が《発見》できたりします。彫像の光の当てられ方が変わると、影の落ち方や色味が変化するように。
批評とは、時に隔てられたものを繋ぐ通訳となります。隔たりとは、たとえば時。世相は変わるものです。当たり前だったことは当たり前ではなくなります。昔だと問題ない作品が今見ると眉を顰める内容だったり。発表時の世情がバックボーンにあったからこそ生まれた作品、それらは時が経ち当時の社会を知らないと理解が出来なくなります。たとえば、地域。その地方、その国、その民族だからこそ生み出せる作品というものがあります。たとえば、環境。人は自分の生活環境以外の生き方って想像しにくい。簡単に隔てられる。
批評は、それらを繋いでくれる。「私には分からない、私向けではないわ」と切り捨ててしまいそうな気持ちを踏みとどまらせてくれる。理解できなかったことを教えてくれる。自分と作品との接点を見つけることができる。
批評とは、時にそれ自体が作品となります。美しい文体で批評することは一種の美なのです。批評が美しいゆえに作品が引き立つ、そんなこともあるのです。
それぞれ例を出そうと思ったんですがちょっともう煮詰まってしまうので省略するね。つまり、優れた批評により作品の価値は高まるし、より広く親しまれ、そして作品の寿命も長くなる。時代が変わっても「何がどうすごいのか」を書き記してくれていたら、作品を読解できるのだから。
文章書こうぜ。
もっと文章を書いて残そうぜ。書き散らかしていこうぜ。大仰なことを言ってるけど、マジだぜ。文を書く営為を愛し、文を読む営為を愛そうぜ。それがいつ何の嚆矢となるかも分からないのだから。
ていうかお前みのりんの話をしないのかよ
私オーケストラ大好きなの。昔は割と市民団体のオケコン行ってたし最近よくあるアニメ・ゲームのオケアレンジのコンサートも行きたい。
FGOはチケ取れませんでした。めっちゃ行きたかったのでBlu-ray同梱アルバム買いました。
カービィのオケコンも行きたかったですが行けませんでした。なのでCD買いました。
ちなみに推し指揮者は竹本泰蔵さんです。ちょーーーーーーーーーカッコイイ!! カッコいい!!!!!! 長髪をくくって全身使ってタクトブンブン振ってるの超カッコいい!!!!!!(さとめたさんへ:イングウェイの来日公演で指揮してた猛者です。よろしくご査収ください。)
オケコンというもの自体が大好きで逆に何も書けないのですよ!! スペースでは私「雰囲気はみのりんが昔やったオケコンみたいな感じかな」って言ってるんだけど、曲の雰囲気はあの時よりも重厚感とラスボス感をにじませてる感じがあるのでより一層楽しみですね。
オーケストラって本当に音がふくよかで、贅沢で、幸せな気持ちになれるのです。本当に楽しみ。かつてない程楽しみ。みのりんの新しいチャレンジに乾杯。
ただただ、今年も台風がみのりんのコンサートに来たがってるのが心配です。地震も心配ですが、どうぞ地球さん落ち着いてください。無事開催できますように。そして私、無事、河口湖へ行けますように……!!
