鬼さんの推しごと~ご利益はお夜食で~第三話③
「へぇ! この家の鬼って、夢男子だったんだ。おもろ」
朝起きて、誰かに夢解きを手伝ってもらいたくて、たまたま朝食の時間がかち合ったマリアに聞いてもらった。
「夢男子? 何それ」
確かに鬼は、私の夢の中にしか出てこない。こうやって言葉にしてみると、私が痛いやつみたいでいやだな。
マリアは「夢」という概念について説明をしてくれた。
「二次元、まぁひとによってはアイドルみたいな三次元の人物も対象になるんだけど、キャラクターと自分だったり創作ヒロインの間に恋愛感情があることにして、作品を創ったり鑑賞したりする属性のこと」
「……?」
わ、わかったような、わからんような。
「よ、要するに……好きなキャラが自分の方を見てくれてるって考えて、二次創作するってこと?」
まぁそんな感じ~、と、軽く返ってくる。
なるほどねぇ。二次創作は全然やらないから、わかんなかった。あ、でも中学高校のときに、友達に「薔薇の花束を持っている〇〇くん」というアニメキャラのイラストリクエストをもらったことがあるな。あれが夢絵? ってやつなのか。ふーん。BLよりはまだ、理解できなくもない、か?
鬼はお姫様のことが本当に好きだったんだなあ。当たり前か。封印された自分に、唯一優しくしてくれたひと。音楽や絵画、物語で自分の心を慰める術を教えてくれたひとだ。これで好きにならないわけがない。
「まあ、好きだからって、みんながみんな夢思考なわけじゃないけどね。雪枝さんみたいに、好みの男はBL小説で受けにして、徹底的に虐めて泣かすのが好きって人も少なくはないし」
「ひぇ……」
えー。私は好きな人には優しくして、喜んでもらって、笑っていてほしいと思うけどなあ。
人の好みは説明できない。オタク界隈に長く生息していると思ったが、私にはまだまだ知らないことが多そうだと、唸ってしまった。
バイトのアップまであと十分。この時間が一番ドキドキする。面倒くさいお客さんだとか、時間がかかる仕事が降ってわいてきませんように、と祈る。
実際に巻き込まれて残業になったことは、まだないけれど、先輩たちの話によれば、まれによくあるらしい。まれなのかよくあるなのか、どっちなのかわかんない表現なのに、なんとなく納得してしまう。
何もすることがないと、時間が進むのが遅い。レジモニターの時計表示をじっと睨んでも、終業予定時間にはならない。
あと五分。自動ドアのガラス扉の向こうに、新規客の姿が見える。たぶん、これが最後のお客様だ。
「いらっしゃいま……」
隣に立つ先輩バイトと声を合わせた挨拶を、私は途中で止めてしまう。
いや~! 見覚えがあるぅ~! ここに例のギャル社員がいたらたぶん、「ああ、この間、鬼電してきてたお父さんかぁ」って勘違いされるような、過剰反応をしてしまった。
残念ながら目の前のお客様とは血の繋がりは一ミリもないけれど、面識はある。一回しか会っていなくても、忘れるもんか。
向こうもまさかこんなところで私と再会するとは思わなかったのだろう。目を丸くして、それからさっと逸らし、「すまない」と短く言って出て行こうとする。
……いいの?
「ま、待って! ください!」
隣で一緒に働いていた先輩がぎょっとする。彼への言い訳はあとで考えよう。カウンターから出る。漫画を取りにブースから出歩いていたお客さんの注目も集めていて、しかも私が必死でなりふり構わない態度を見せているため、彼は立ち止まった。
まぁ、そうだよね。親子どころか孫ほど年の離れた男女が、なんか修羅場だってなってたら、いろいろ憶測されちゃうだろうしね。ここは逃げるよりも止まってきちんと話を聞き、そして周りにも事実を知らしめておくのがベターってこと。
「あの、雪枝さんの旦那さん……ですよね? 雪枝さん、本気で離婚するって言って届まで用意していたんですけど……大丈夫ですか?」
自分の欄はとっくに記入済みで、あとは旦那を呼び出し、署名捺印させるだけだと息巻いていた。
ずっと別居中だったふたりが、些細なこと(いや、私は自分だけじゃなくて親まで馬鹿にされたんだから、些細だなんて言っちゃだめなんだけど)をきっかけに別れてしまう。別におかしな話じゃないけれど、本当に情が一切なくなったのかと言えば、違う気がするのだ。
「私、どうにかおふたりを仲直りさせられないかって、ずっと考えてたんで……あとちょっとでバイトも終わります。待っててもらえませんか?」
お願いします、と頭を下げた。期待していたような痴情のもつれではなさそう。店内のお客さんたちは興味を失い、自分のすべきこと、やりたいことに再び没頭し始める。焦っているのはカウンターの中の先輩バイトだけだ。
「……向かいの、ファミレスにいる」
低い呟きに顔を上げると、苦々しい顔をした旦那さんがいた。わかりました! と、元気よく返事をして見送る。
そんなことをしていたら、すでに終業時間になっていた。
「それじゃ、お先でーす」
「おいおいおい……」
先輩に引き留められる。
「なんですか?」
「なんですか、じゃなくって! お客さんとトラブルなんて起こさないでくれよ?」
「えぇ~?」
トラブってるのは私じゃないし、彼とその奥様だ。私は巻き込まれただけです。
それに、お金払ってないんだからうちの「客」ですらないでしょ。
ぶすくれると、「と、とにかく今日のことは報告しておくからな!」と、彼は言った。フリーターで、この店での勤務も長いらしい。社員登用の話も出ているのにならないのは、責任ある立場になるのが嫌だとか言っていた。
そりゃあ、やってきたお客さんと私がなんかごちゃごちゃやり始めても、間に入ろうともしないわけだよねえ。
「そーですか。お疲れ様でーす」
先にギャル社員に私から連絡しとこ。
ロッカールームで着替える間に、LINEを飛ばして、今日あったことを正確に、話せる範囲で報告した。
ファミレスで待ち合わせだと告げると、すぐに案内された。
四人掛けの席に、腕を組んで居心地が悪そうに座っている。彼の前には水だけ置かれていて、注文はまだだということが知れた。
「お待たせいたしました」
ぺこりと頭を下げ、向かいの席に。無言でメニューを手渡され、お腹がぐう、と鳴る。夕飯にはちょっと早い午後五時過ぎだが、今日はおやつを食べていないので、すごく空腹を感じている。でも、こういう話し合いのときってたいてい、飲み物だけだよなあ、とちらり見上げると、彼は「好きなものを食べるといい」と、許可を出した。
わーい、と和食御膳を頼む。パスタやカレーなんかは、自分でもシェアハウスの台所を使って作れる。ま、ほとんどレトルトなんだけどね。それに雪枝さんのおかげで、最近の私は大の和食党だ。
注文を終え、ドリンクバーからお互いに飲み物を持ってきたところで、話をする。まずは自己紹介であった。
雪枝さんの旦那さんは、卯川克彦さんという。お仕事は、今は清掃のアルバイトに出ているらしいが、定年までは大手の食品メーカーに勤めていたそうだ。彼が三十、雪枝さんが二十四歳のときにお見合い結婚をして、別居し始めたのは、約十年前。
十年も別居してて、今までよくも離婚話が具体的に上がらなかったなあ、と感心した。
目を瞬かせた私の心の内は読みやすかったのだろう。克彦さんは咳払いをして、「離婚なぞ、するわけがないだろう」と言った。
私は運ばれてきた夕食をありがたくいただきながら、「でも雪枝さん、今回は本気でしたよ? まずは私に謝った方がいいんじゃないですかね?」と、わざと生意気なことを言った。
卯川夫妻の間を取り持ちたい気持ちは本心だが、そもそものきっかけは、私を馬鹿にしたことなのだから。ここでもしも、克彦さんがさらに激高して私に説教をしてくるのなら、私は協力するのをやめて、雪枝さんに弁護士に相談してでもなんでも、離婚することをお勧めする。
克彦さんは顔を歪めた。あ、これは駄目かな? と一瞬思ったけれど、彼はちゃんと、小娘相手でも深く頭を下げた。
「本当に、その節はすまなかった。妻との話が埒が明かずに苛立っていて、八つ当たりをした。だが、言ってはならないことだったのは確かだ。申し訳ない」
ふむ。
小鉢のきんぴらごぼうは、この間雪枝さんがおすそ分けしてくれた奴の方が断然美味しい。この人は、十年間も彼女の手料理を食べられてないんだな、と思うとやっぱり可哀想だった。
「わかりました。謝罪は受け取りますし、雪枝さんにも言っておきますね」
「よろしく頼む……」
もう一度深々と下げられた頭を眺め、そもそもどうして長期別居することになったのか、私は雪枝さんサイドの話しか聞いていないため、ここは克彦さんの主張も聞いておくべきだと思い、質問をした。
「雪枝さんからは、別居のきっかけになったのが、その……克彦さんをモデルにした小説を読まれたことだと聞いたんですが」
彼は頷いた。そこは一致しているんだね、よかった。
「やっぱり、自分の奥さんが自分を使ってBL小説書いてるのが気持ち悪くて怒った、ってことですか?」
「違う!」
えっ、違うの?
私だったらかなり嫌なんだけど。一回目は「キモイからやめて」って言うけど、それが二回、三回と続いたら疎遠になろうかな、って程度には嫌だ。もちろん私にはそんな友達もいなかったし、鬼百合荘の人たちは、私が嫌だと言えば聞き入れてくれるだろう。
……聞き入れて、くれるかなぁ……いつぞやの辰野さんと樹が餌食になっているのを思い出すと、ちょっと不安になってきた。
「じゃあ、なんで別居するほど仲がこじれたんですか?」
「それは……あいつが」
言葉をそこで切ったので、「あいつが?」と、復唱して促す。一度アイスコーヒーで喉を潤し、十年前のことを鮮明に思い出したみたいに、彼は少々強めにコップをテーブルに置いた。
「あいつが、俺よりも俺の親友のことをイケメンだの美形だの格好いいだのと、小説の中で書いてたから……!」
は、はぁ?
って言いかけて、口を噤んだ。ほっぺたに力を入れないと、間抜けな声が出そうになる。
どうにか話を整理すると、こういうことらしい。
雪枝さんが書いているのは、BL小説。つまりは男が最低でもふたり出てきて、キスしたりエッチしたりしないと、話が成り立たない。いや、この間雪枝さん、「触手攻め」とか恐ろしいこと言ってたような気がするけど、まぁとにかく、男ふたりの恋愛物語がBLである。
克彦さんがモデルとはいえ、彼だけでは物語は成立しない。お相手役が必要なのだが、それを彼の親友・最上敦さんという方に設定した。
その親友さんとやら、雪枝さんも言っていたが、どうやらたいそうな男前だったようで。
「スマホに写真とかないんですか?」
「そんなもん、あるわけないだろう!」
まあ、そうね。男同士、しかもこの年になったら自撮りとかしないか。でもたぶん、奥様の方は写真を持っているんだろうな、と直感したので、今度見せてもらおうと決める。
照れ隠しに咳払いをした克彦さんは、「とにかく」と、話を続けた。
「俺についてはほとんど容姿やなんやに言及がないのに、敦のことは何行にも、何パターンにも渡って褒めていた。これは明らかに、雪枝は敦に気があるのではないか、と思って」
追及していったら大喧嘩となって、別居生活が始まってしまった、とのこと。
話を聞いていて、うーん、と考えた。
本当に、BL小説を書いていたこと自体には、怒っていないんだ。自分と親友との関係を妄想・捏造されたことについても、寛容だ。唯一の引っかかりは、雪枝さんは最上さんみたいな人の方が好きなのでは? と、小説を読んで思ってしまった、ということか。
なんか、それって。
「克彦さん、雪枝さんのこと、大好きなんですねえ……」
「なっ」
「いや、だって普通、自分をネタにした人のこと好きでなんていられないですよ? 私、彼氏なんてできたことないけど、友達であっても、そんなことされたら縁切りもんですよ」
勝手に萌えキャラにされて、自分が絶対言わないしやらないセリフやポーズのイラストを描かれるのも無理だ。ましてBL小説などという性描写必須!
なジャンルの登場人物にされるなんて、普通の人は看過できない。
「それに」
私はマリアの言っていたことを思い出しつつ、尋ねた。
「ちなみに克彦さん、小説の中では受け……女役でした?」
タイミング悪く、ドリンクを口にしているときだったので、あわや大惨事になるところだった。かろうじて噴き出すことは免れたが、代わりに盛大にむせている。慌てて紙ナプキンを渡して、落ち着くのを待った。
「……そうだ」
うん、やっぱり私にはBL趣味が全然わからない!
若いときどんな感じだったのか知らないけれど、この年ごろの男の人にしては長身で、脂肪その他ではなくて体格がいい。若い頃には何かスポーツをやっていた気配を感じるが、そこは関係ないので置いておいて。
こんなゴツい見た目の男の人を、受け側にするなんて信じられない。特に、攻め役に配置された親友の人の方がわかりやすく「美形」ならば、たぶん普通、克彦さん×最上さんというカップリングにするはずだ。
「じゃあ、雪枝さんも克彦さんのことが好きですよ」
確信を持った私の言葉に、彼は目を丸くする。あ、そうするとちょっとかわいいおじいちゃんって感じになるね。微笑ましい気持ちになりながら、私はオレンジジュースをストローで吸った。
「雪枝さん、好きな人は受けにして、虐めたくなっちゃうタイプなんですって。鬼百合荘の仲間――私なんかよりもBLに造詣の深い子だから、雪枝さんとそういう話をいろいろしていると思います。その子から聞きました」
完全に固まってしまった克彦さんに、今がチャンスとばかりに「あ、パフェも頼んで大丈夫ですか?」 と聞くと、無意識なのか、うん、と頷いた。やったぁ。
ちなみに奢ってもらうことに罪悪感がないのは、暴言の謝罪も兼ねているため、いろいろ食べさせてもらった方が、彼の気持ちの負担としても、軽くなるからである。
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