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鬼さんの推しごと~ご利益はお夜食で~第三話①


 梅雨が明け、すっかり夏空になった七月。土曜日の朝。あと二週間もすれば、専門学校の夏休みだけど、高校のときとは比べ物にならないくらい、課題が多いらしい。一個上の先輩たちの経験談を聞いて、身体が震えた。

 恐怖とかおぞましさとかじゃなくて、武者震いってやつ。やってやるぜー! と、気合いを入れていたら、朝早くに目が覚めた。今日は午前中からバイトだけど、十時からだ。無駄に六時に起きてしまった。

 布団の中でうだうだごろごろしていても、眠気はやってこない。うー、と唸って、「早起きは三文の徳!」と、飛び出した。

 朝風呂でもしようか、それから駅前の喫茶店のモーニングにチャレンジしようかな。気になってはいるものの、タイミングが合わず、一度も食べたことがないんだよね。見た目にたがわずグルメなシェアハウス住人・辰野たつのさんが、「美味しかったよ。オムレツが絶品!」と言っていたので、興味津々なのだ。

 とりあえずお風呂の準備をして、着替えも持って、部屋の外へ。

 私が住んでいるシェアハウス・鬼百合荘は、みんななにがしか自分の作品を創っている、クリエイターだけが暮らしている。他に仕事をしていたり、学生だったりするので、平日は比較的全員が起床している時間だが、土曜日はみんな、起きてこない。

 休日の前の夜って、やっぱり盛り上がるよね。私もネームが捗って捗って、ノート一冊使い切りそうになった。

 ということで、誰もいないと思っていたんだけど、部屋を出た瞬間、いい匂いがした。醤油と砂糖の、甘辛い匂い。炒め物の音がする。

 現在、シェアハウスの住人の中で、定期的に料理をする人は、ひとりと……一匹、ではないよなあ……なんて言ったらいいんだろう、うーん、ふた、り? しかいない。しかもそのうちのひとりは、いつ作ってるのかもわからないし、実際のキッチンを使っているのかも怪しいので、この時間に台所で調理している気配がするとしたら、ひとりだ。

「おはようございます、雪枝ゆきえさん」
「あら、おはよう。りんちゃん。早いのね」

 きれいな白髪はまだまだ豊かで、それを邪魔にならないようにアップスタイルにして和食を作っているのは、鬼百合荘の最年長・卯川うがわ雪枝さんだ。おばあちゃんと言っていい年齢でなお、趣味として小説を書き、それを精力的にネットにアップしているという、尊敬すべき大先輩である。

「目が覚めちゃったんです。せっかくだから、朝風呂しようかな、と思って」
「いいわね。いってらっしゃい。ああ、凛ちゃん。ちょっと作りすぎちゃったから、朝ごはん食べない? もしよかったら、お弁当も作るわよ」
「えっ」

 上京してきて早四か月目。親の偉大さ……特に母がやってくれていた家事について、痛感するばかりの日々だ。端的に言うと、家庭の味に飢えている。雪枝さんはたまに、自分の作ったおかずを分けてくれる。ひとりを除いて、みんなが狙っているので、早い者勝ち。

 今日は私以外、まだ誰も起きてきていない。ラッキー。

「ちょっぱやで出てきます!」

 ごゆっくりね~、と、朗らかな彼女の声を背に、私はお風呂場に直行した。


 お風呂でリラックスすると、空腹が気になってきた。髪も身体も適当に拭いて、着替える。夏になって、カップ付きのタンクトップに感謝することが増えた。ブラジャーなんてしていられない。私はあまり胸が大きくないからまだマシだけど、巨乳の友達は、ワイヤーが憎い……と、言っていた。

 お風呂場から出ると、先客がいた。

「雪枝さん、マジてんさーい。美味しい、大好き!」

 同じ漫画描きの、猪熊いのくまマリアである。シェアハウス住民の中では、同世代・同性・同じ漫画描きということで、ちょっとライバル視したりしなかったり。彼女の場合は、プロになりたいとまでは思っていないみたいだ。そういえば私、マリアの描いてるもの読んだことないなあ。今度読ませてもらおうかな。

「凛ちゃん、髪の毛はちゃんと乾かさないと」
「大丈夫ですって、この天気ならすぐかわ……ふえっくしゅ!」

 ほらほら、朝ごはんは逃げませんからね、たっくさん作っちゃったから、という雪枝さんに促され、私は一度、自分の部屋に戻ってドライヤーを使うことにした。マリアに「食いすぎるんじゃないよっ」と、睨みをきかせるのを忘れずに。

 この間切ったばっかりで、頭は軽い。すぐに乾いたので、再び食堂へ。

 すでに雪枝さんの手によって整えられた朝食は、ザ・和食! だった。

 魚はうちの実家から送ってきた、こっちじゃ滅多にお目にかかれない、でっかいホッケの干物。自分でやるのは面倒だから、こうやって調理してもらると、すごく助かる。

 出し巻き卵はつやつやしてて、大根おろしが添えてある。ホウレンソウの胡麻和えときんぴらごぼうの取り合わせ、最高。

 炊き立ての白いご飯に、お麩とわかめの味噌汁が、完璧な調和を作り上げていた。

「~~~~っ! ありがとうございますっ! いただきます! 洗い物は置いておいてください! 私とマリアがやるんで!」
「ウチも!? まぁいいけど」

 朝はパンやヨーグルトで簡単に済ませてしまうので、一口食べるごとに噛みしめながら、許されるなら悶えながら、喜びと感謝を表現する。雪枝さんは困ったように頬に手を当てて微笑んで、

「大げさねぇ……」

 と、ちょっと嬉しそうにも見える。

「雪枝さん、お料理好きなんですか?」

 ほとんど毎日自炊をしているのを見ているので、聞いてみる。彼女は首を横に振った。

「必要に迫られてるだけよ。この年になると、外食やコンビニのお弁当、スーパーのお惣菜が続くときつくって」

 私とマリアは顔を見合わせた。ほぼ毎日それらで構成されているけれど、「きつい」と思ったことは、一度もない。なんなら食後にスナック菓子とか食べちゃうくらい……いや、さすがにそれはまずいわ。ちゃんと雪枝さんを見習って、節制しなければ!

「でも雪枝さん、今日はさすがに作りすぎじゃない?」

 すっぴん状態のマリアは、きれいに魚を食べ進めている。ギャルなんだけど、ふとしたときの動作が、ドキッとするくらいきれいなことがある。特に食べ方は、お手本みたいだった。

 マリアの問いに、雪枝さんは遠い目をした。

「明日、あの人が来るのよ」
「あの人?」

 新参者の私にはわからなかったが、マリアは「あー」と、納得している。すでに何度か訪れている人だろうか。お友達……なら、もっと喜ぶよな、普通。親族かな。

 気の合わない親族ってのは、誰にでもいるものだ。私もいとこの奥さんだけは、どうも駄目。漫画描いてるのを馬鹿にしてくるから。

「うちの人……夫が、この家に来るの」

 あれ? 私まだ、寝ぼけてるのかな? 二度寝できないくらい覚醒して、さらにお風呂にも入ったっていうのに。

「雪枝さん、そんなにイヤなら別れたらいいのに」
「うーん。そこまでではないんだけどねぇ……どうしても、分かり合えないことっていうのが夫婦の間には存在するのよ」

 女ふたり、私の混乱をよそに話が進んでいる。これ以上、置いていかれるわけにはいかない。

「ストップストップ!」

 身振り手振りつきで、雪枝さんたちの会話の間に割って入る。

「どうかしたの、凛ちゃん」

 どうかしてるのはそっちの方でしょ!? なんで、周知の事実、みたいになっているんですか!

「ゆ、雪枝さん」
「はい」
「け、結婚してるんですかぁ!?」

 こともなげに頷いた彼女に、眠気が覚めたどころの騒ぎではなかった。



 既婚者の雪枝さんが、旦那さんと別居している理由について、聞いてもいいのかどうか、私には判断できなかった。きっと、マリアはすでに知っているんだろうし。

 ご飯を食べ終えて、洗い物を買って出て。ノートパソコンを手にして戻ってきた雪枝さんの動向を窺ってしまう。

 いや、そんなことしてる場合じゃないんだって。私も十時からバイトなんだから。

 ひとまず部屋に戻って、出かける準備。化粧して、髪の毛セットして。ああ、お弁当を持っていくのを忘れたらどうしよう。せっかく準備をしてくれたっていうのに、今の私の精神状況だと、やりかねない。

 リュックを持って、食堂へ。マリアは予定が何もないのか、いまだにぐだぐだしていた。そろそろメイクしないと、男性陣が下りてきても知らないからな。マリアは見せ慣れていても、向こうは毎度、明らかにぎょっとしている。女の子の顔というのは、素顔ではなくメイク後の顔なのだ。ギャルのみにあらず。

 パソコンで作業を始めた雪枝さんに、マリアはスマホを弄りながら、話しかけた。

「そういや、雪枝さんと旦那さんの喧嘩って、どうなってるの?」

 マリアー! あんたって子は! 聞きづらいことについて、いともあっさりと! これがギャルとただのオタクとのコミュ力の違いってやつかと痛感する。

「別にどうもしないわよぉ。あの人が勝手に怒ってるだけだもの」

 何をして怒らせたんだろう。いつもおっとりしっとりしている雪枝さんが、別居も辞さないほどこじれる夫婦喧嘩なんて、信じられない。うちの両親ですら、別々の部屋に寝るとか、そのくらいまでだったんだけど。

「人が書いてるものを勝手に見ておいて、それが自分を題材にしていると気づいたら怒り狂うって、おかしいでしょう?」

 ……ん? 風向き変わったな?

 旦那さんもそりゃあ、「見ないで」って奥さんが言ってるものを勝手に見るのはよくないけど、「自分を題材にした」ってあたり、雪枝さんの方が悪くないか、これ。

 そういえばこの間も、ワタナベに対して似たようなことをしたって言ってなかったっけ……?

「そういえば聞いたことなかったけど、旦那さんってどっちのつもりで書いてたんですかぁ?」

 マリアはBLも守備範囲らしい。嬉々として尋ねている。カラコンをしているときと同じくらい、瞳に光が入っていてちょっとウケる。

 私もオタクだから、友達には腐女子っていうか、BL好きもいる。週刊連載の少年漫画の発売日当日、コンビニで最新号を買ってはみんなで回し読みをして、放課後に感想を言い合っていたら、いつの間にかライバル関係のふたりが恋人であるという前提のもとに妄想が進み、「いや~。今回も熱いセックスだったね!」みたいなことを平気で言う同級生がいた。

 もちろん、健全な少年漫画なので、多少のお色気シーンはあっても、直接的な性描写はキスどまりだ。なんならその号では、主人公とライバルが拳と拳で戦う何度目かの因縁の対決が始まったばかりだった。彼女たちの考えることは今に至っても理解できないし、

「旦那は受けよ、受け。あの人の親友が、まぁこれがイケメンだったのよね~」

 と、頬を染めて夢見るように語る雪枝さんもわからない。

「わかりみ~。超絶イケメンは攻めだよね~」

 そういうもん……なのか?

「だからウチ、猫目ねこめ×辰野派だもん。年下イケメン×ぽっちゃり平凡萌え」

 うわっ、鬼百合荘の住人たちにまで飛び火した。

 確かに猫目たつきは、顔だけは王子様だけど、一度口を開くと辛辣というかデリカシーがないというか、あいつ人の心ないからそもそも恋愛とか無理そうでは?

 というか、妄想だけでも辰野さんがかわいそうだからやめたげてほしい。

「うふふ。わかるわ。口が悪くて孤高のイケメンが、受けの愛情によって心を溶かされていくのよね。そして湧き上がる執着心! 独占欲! 監禁!」

 雪枝さんの書いている小説の一端が見えてきた。めちゃくちゃエロいに飽き足らず、「この作品は当該の犯罪行為を容認・助長するものではありません」という注意書きが必要なやつだ。

 そんなことをされている自分を見た旦那さん、かわいそう……。

 盛り上がっているふたりから、私は距離を取る。「凛はどっち派? ネコタツ? タツネコ?」と、話を振られても困る。それに、もうそろそろ出なきゃならない時間だった。

「あ~、私、そろそろ出ますね。雪枝さん、お弁当ありがとうございます」 

 じゃ! と、片手を挙げて脱兎のごとく逃げ出そうとした私の目には、階段の途中で、下りるに下りられなくなっている、話題のふたり。辰野さんは困っているし、樹は目に見えてイライラしている。そんな彼でも、年長者である雪枝さんには礼を尽くさなければならないと思っているようで、ぶつけるあてがない。

 本当に、かわいそう。

 実在人物が関わるBL妄想は、隠れてやれって私は友達に習ったけれど、ここはどうも、無法地帯のようだった。

 心の中で合掌して、私は家を出て、バイトへ向かった。



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葉咲透織(はざきとおる)@いろ葉書房 いただいたサポートで自分の知識や感性を磨くべく、他の方のnoteを購入したり、本を読んだりいろんな体験をしたいです。食べ物には使わないことをここに宣言します。