🔳ep.7 消滅した年末年始
私は一年で一番クリスマスが好き、ということを以前の記事に書いたことがある。実はそう思えるようになったのは大人になってからのことで、子どもの頃は12月が好きではなかった。
クリスマス〜年末年始。世間の人たちがおいしいものを食べて、心躍るイベントの数々にウキウキしている中、私たちバレエガチ勢はぐーぐー鳴るお腹を抱え、浮き足立ったキラキラ輝く街を足早に通り過ぎるだけだった。
バレエのコンクールは一年を通してたくさんあるのだが、中でも全国規模の大きなコンクールは、春休み・夏休み・冬休みに行われていた。つまり、みんなが遊びに出かける時期は、いつも以上にバレエ漬けになっていたのである。特に中学生以降は、1月の頭に行われていたコンクールに毎年出ていたため、クリスマスも年末年始も関係なく、元日も休まずレッスンしていた。
私なんかはまだマシなほうで、地方から参加してくる子たちは、年明け早々、飛行機や新幹線でやってくるのだ。本人だけでなく、その家族もお正月をのんびり過ごすことなんて何年もなかっただろうと思うと、バレエとか音楽というのは、お金以上に家族の理解が何よりも重要な習い事だと改めて思う。
小5の終わりの春休みに出た初めてのコンクール。初めてということもあり、練習は通常より早く始まった。年齢や経験にもよりけりだが、通常は2〜3ヶ月くらい前から始めることが多いコンクール練習を、私たち初出場者は5ヶ月近く前からスタートした。つまり、年末年始をまたいだのである。
年末の近づいたある日、大先生がおっしゃった。
「お正月はレッスン室を好きに使っていいわよ。鍵は◯◯先生に預けとくから」。
お正月も休まず自習しろということだ。
12月29日〜1月3日は、通常のクラスはもちろん、選抜クラスでさえ、レッスンはお休みになる。しかし、クラスが休みであってもレッスンは休めないという暗黙の了解があったのである。
私たち生徒も大変だが、鍵を預かる助手の先生も大変だ。
元旦、届いた年賀状の確認もそこそこに私が教室に行くと、すでに鍵は開いていて、助手の先生がいつも通りの笑顔で、「あけましておめでとうございま〜す!」と出迎えてくれた。助手の中でも一番若い先生だ。あの頃の私には素敵な大人の女性に見えたが、実はまだ高校を卒業したばかりの10代の女の子だった。友達や彼氏と初詣とか行きたい年頃のはずなのに、元旦から「出勤」し、レッスンを見てくださっていたのである。
(一応、自習という名目だったが、先生としては完全に無視もできなかったのだろう。)
私の思い出の中の、「こたつでゴロゴロするお正月」は小4までで、その後は大人になるまで毎年レッスン室で過ごしていた。そんな話をすると、「可哀想…」とよく言われる。たしかに可哀想。しかし、親はもっと可哀想だったと思う。娘とのんびり過ごすお正月を、親もずーっと経験できなかったのだから。
コンクールには、バレエシューズ部門というのもあり、まだトウシューズを履いていない年齢の子でも出られる部門があった。当時のことは覚えていないが、現在のをちょっと調べてみたところ、出場者の最小年齢は小1となっている。
(日本のバレエ界は相変わらず狂っている…。)
さすがに小1の子を元日からレッスンさせたりしないと思いたいが、でもきっとレッスンしているのだろうな、とも思う。コンクールの日程は当時も今も変わらない。先生が強制しなくとも、「お正月だからって本番前に休みたくない!」という子どもは必ずいるものだ。小4までこたつでのんきにお正月を過ごせていた私は、ある意味とても恵まれていたほうだともいえる。
大人になってバレエ教師をしていたとき、久しぶりに自宅でゆっくりお正月を過ごした。私が教えていたお教室はそこまでガチなお教室ではなかったため、年末年始は普通の会社員と同じようにお休みだったのだ。
母は、「葉月にバレエをやめてほしいって思うことはなかったけどね、お正月ばかりはやめてほしいと毎年思ってた。笑」と言っていた。たぶんそう思ってるだろうなと子ども心にも感じていたが、やはりそうだった。親として子どもの夢を応援したいという気持ちより、日本人としてお正月を大切にしたいという気持ちのほうが強くなるのも無理はない。日本人にとって、お正月というのはそれくらい大切なものなのだから。
子どもの頃には考えられなかった「バレエのない生活」、やってみると案外いいもんだなぁと今は思っている。
つづく。
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