【小説】出口はどこですか? 第19話
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律子からの電話を切った後、沙樹は混乱と動揺で、放心状態になっていた。どのくらいそうして立ち尽くしていたのかわからない。突然我に返り、真尋と会う予定だったことを思い出した。これから真尋に会えば、更なる情報で頭が溢れるのだろう。大丈夫か? 一度整理した方がいいのでは? でも、時間もないし、まずは冷静さを取り戻すべきである。綻び……と無意識に呟きながら、沙樹は着替えて、出かける準備をした。
和食レストラン「おませさん」は、真尋の会社の側にあった。琴の音が流れているような、非常に落ち着いた雰囲気の店で、日曜のランチでも静かで話しやすい場所を、という真尋の配慮を感じる。相変わらず、先に到着するのは沙樹で、予約席の個室に案内され、障子の向こうの明かりを眺めていると、間もなく、店員に案内された真尋が現れた。
「最近、よく会うね」
椅子に腰かけながら、可笑しそうに真尋が言う。いや、ほんとに。仕事が暇になったわけでもないのに、会おうと思えばこんなに会えるものだったのか。うだうだと連絡を待っていた過去の自分がアホらしくなる。
「おませさんのおまかせコース」を噛まずに注文すると、真尋は本題に入った。
「やっぱり、フェリー神話と関係あるみたい」
「出口?」
真尋は得意げに力強く頷いた。
「まだどこの関連資料なのか、詳細はわかってないんだけど、近いうちにそれもわかるはず」
「なんで?」
「出口のデータを所有している研究所に連絡を取ってみた」
「研究所があるの!?」
「あ、研究所って言っても、個人のね。規模は大きくないはず」
「海外って言ってなかったっけ?」
「うん、調べるの苦労したよー」
そう言いながら、とても嬉しそうだった。そもそも、まだあの話をしてから数日も経っていない。仕事も忙しいのに、大変な思いをして調べてくれたのだ。「ありがとう」と言いながら、疑問に思う。
「まだ詳細はわかってないんだよな?」
「うん」
出口がフェリー神話と関係しているらしい、ということだけでランチに誘われるとは。なんとなく、それはわかっていたのに。しかも、近いうちに詳細がわかれば、きっとまた誘ってくれるってことだよな? フェリー神話の力、すげぇな。少し勉強した方がいいかもしれない。
おまかせコースの先付だとか、前菜だとかをちまちま食べながら、真尋の話を聞いていたが、いまいち頭に入ってこない。とりあえず、フェリー神話の始祖はホン・フェリアという神らしいってことはわかった。
「ホン・フェリアが、この星に落ちた時、傷ついた翼を癒した人間がいて……そこからホン・フェリアは人間を愛すようになったとされてるんだ」
「ちょっとまって」
さすがに、箸を持つ手が止まった。
「え? ホン・フェリアって宇宙人てこと?」
「いやいや、なんでそうなるの」
ふふふははは、と真尋は笑い出したが、神のイメージが思っていたものとだいぶ違って、沙樹は困惑していた。この星に落ちた時?
「どう考えたってエイリアンだろ……しかも、翼があるやつ。宇宙で翼、必要なのか?」
「あははは……やめて、ほんと……はは」
おしぼりで涙を拭いている真尋を見ながら、こんな姿、初めて見るなと少し感動してしまう。フェリー神話、すげぇわ。
そんな話をしながら、刺身とか、煮物とか、出てきたものを口に運んだ。正直、味はよくわからなかったし、正体がわからないものも、そのまま飲み込んだ。そんなことはどうでもよかった。なんなら、フェリー神話でさえも、どうでもよかった。目的も忘れかけ、なんだかこの時間が楽しかった。さっきまで、混乱した頭でパニックに陥っていたというのに。ちょろ過ぎる。
「まあ、そういうわけで、今日の本題はね」
「え?」
カットされたメロンを小さなフォークで突き刺した瞬間、真尋が本題なんて言い出すから、沙樹は心底驚いた。本題が、あったのか。まあ、そりゃそうか。ここに来て、本題? トークスキル高ぇな。
「イルハ、で合ってるよね? こないだ沙樹君が言ってた神の名前」
「うん、たぶん」
少し忘れかけていたが、間違いなくイルハだ。
「聞いたことなかったけど、フェリー神話に少し記録残ってた」
「そうなのか」
実際に聞くと、妙な気分である。イルハは、折原の大事な人だと聞いている。折原って何者なんだ? しかし、真尋に折原のことは話していないのだ。こんなことを知ったら、さぞかし驚くことだろう。
「ホン・フェリアの息子たちから抹殺されたって記録くらいしか、まだ見つけられてないんだけど……引き続き、調べておくよ」
「え? 抹殺?」
出口の先にいるはずでは? それとも、別のイルハ? いや、どういうことだろう。
「んー、そう。でもイルハの詳細がよくわからないんだ。他の神々とはちょっと系譜が違うっぽいんだよね」
真尋は、なぜ沙樹がイルハの名前を出したのかも、聞いてこない。本来なら、フェリー神話を研究している真尋ですら知らない神の名を、沙樹が知っているはずがないのに。当然、真尋だって、気になっているはずなのに。
「真尋」
「ん?」
ナプキンで口を拭いながら、真尋は首を傾げた。
「イルハって神は、たぶん出口と関係がある」
「そうなの?」
真尋は思わず体ごと前のめりになってから、我に返って、座り直した。
「そうかぁ。じゃあ、出口のデータが揃ったら、またわかることが、あるかもしれないね」
なんとか抑えようとしているが、隠しきれない興奮で、真尋は何度も唇を噛んで頷いていた。
臨時収入が入ったから、ここは御馳走させてくれと言われ、沙樹は真尋に甘えることにした。正直、最近贅沢をし過ぎていたので、助かった。妙に高級そうな店だったし。こんなことも、以前の沙樹なら引け目を感じていただろう。
「じゃあ、また進展があったら連絡するね!」
手を振って元気に去っていく真尋の後ろ姿を眺めながら、別れたのは正解だったと、沙樹は改めてしみじみ思うのだった。
真尋と解散したのが午後2時半。なかなかいい気分で、このまま家に帰るのも勿体ない気がした。かといって、無自覚寂しがり体質な沙樹は、ひとりでぶらぶらする気にもなれず、駅前の広場で、スマホを取り出した。LINEのトーク画面をスクロールする。「誰か」……と探しつつも、心は決まっているのだ。時間も惜しいので、滉大に直接電話をかけた。
「あい」
「今暇?」
「まあまあ暇」
「出てきて」
「わかった」
10分くらいで家を出ると言うので、沙樹はいつもの安いファミレスで待つことにした。とりあえずドリンクバーでメロンソーダを注いでいると、背後から滉大がやってきた。
「早すぎ」
「道が空いてた」
「徒歩なのに?」
滉大はドリンクバーと山盛りポテトを注文し、ジンジャーエールを手に戻ってくる。席に着くなり、滉大が口を開いた。
「どうした?」
「え? なにが?」
「なんかあったんじゃないの?」
あったと言えばあったが、それを話すために滉大を呼び出したわけではなかった。ああ、そういえば――。
「俺さぁ、母さんに会うのに花束を持ってったらしい」
「らしいってどういうこと。酔ってたのか?」
「いや、素面。ありえる?」
「ありえねーけど、話の意味がわからん」
「だよなぁ」
「はあ?」
半端なところで話が終わり、沙樹が続けないから、滉大は「意味わかんねー」と言いつつも、それ以上聞かなかった。どう考えてもありえないのだ。わかっている。いくら友達から母へのプレゼントだって、沙樹が素直に受け取ることはないだろう。そしてその友達は滉大ではない。頭を打ったわけでもないのに、先週のこんな大事件を覚えていないことが異常なのだ。わかっている。
「お前、最近おかしいよな」
大丈夫か? と滉大は、沙樹の顔を控えめに覗いてきた。
「やっぱ、おかしいよな、俺」
「だいぶね」
はは、と笑いながら、沙樹はポテトを摘まみ、口に運ぶ。そんな沙樹を滉大は少し眉をひそめて眺めていたが、そういえば、と口を開いた。
「先週だっけ。お前、俺が消えたら気づくか、みたいなこと、言ってたじゃん」
「言ったな」
「あれ、あの後考えたんだけどな」
「考えたのか」
「やっぱ、気づくかも」
沙樹は黙って、滉大の顔を見る。
「なんかわかんねーけど、たぶん、気づくわ」
なんと言えばいいかわからず、やっぱり沙樹は黙ったままだった。
「違和感みたいなの、あるんじゃね? なんか調子わりーなぁみたいな、そんな感じの」
たぶんな、と言いながら、ほとんど残っていないジンジャーエールをずずっと吸う滉大を横目に眺めながら、沙樹は「ふーん」と呟いた。
滉大が会計をして、沙樹は自分の分の金を彼に手渡ししながら、「そういえば、真尋と別れた」とついでのように伝えておいた。別に言わなくてもよかったが、黙っていたら騙しているような感覚がどこかにあったのだ。滉大は金を受け取る手が一瞬止まり、「え?」と沙樹の顔を見上げたが、すぐに元の動作に戻り、「そうか」とだけ、言った。それだけだった。
真尋から続報があったのは、翌週の週末、金曜の夜だった。平日、久しぶりに比較的平常心で仕事をこなすことができた沙樹は、週末をどう過ごすか迷っていた。とりあえず今夜、どこかに寄りたい気持ちはあるが、最近金を使ってばかりだし……と、仕事終わり、会社の自販機の前でスマホをいじっていたら、真尋からLINEが入ったのだ。
【進展あり。明日のお昼とかどうかな?】
ぜひ、とその場で返信し、今夜はまっすぐ帰ることにした。
翌日土曜、真尋との待ち合わせ場所に向かう途中、情報の整理など、考えごとをしながら歩いていたら、左脇からクラクションを鳴らされた。あっぶね、と飛び退きながら、頭を下げる。不機嫌そうに去っていく黄緑色のトールワゴンを眺めながら、沙樹は「ルーミーだっけ」とぼんやり考えた。車の名前など、まったく詳しくないのに、なぜ馴染みのない「ルーミー」なんていう車種が頭に浮かぶのか。似たような車は街中に溢れているし、知り合いの車にも特に思い当たるものはない。まあ、こんなことって、よくあるかもしれない。無意識な日常の中で、記憶のどこかにすれ違うことがあったのだろう。
「生粋庵」という居酒屋でのランチは、真尋が個室を予約してくれていた。沙樹は案内された小綺麗な個室で、なんとなくメニューを眺める。生意気コロッケ? もしかして「生粋庵」は「きっすい」ではなく「なまいき」と読むのだろうか。相変わらず、妙な店のチョイス。それでいて、どこも味は確かなのが、流石真尋である。ほんと、どこでこんな店を……いったい誰と……なんて、考えるのももうやめた。心が軽い。
「今日は資料をまとめてきたよ。この成果、期待していい」
「真尋、忙しいのにこんな……ありがとう」
すげぇ……と呟きながら、資料を手に取る。真尋は満足げに沙樹の様子を眺めながら、「詳しくは食後にね」と言った。そうは言われても、資料に並ぶ「イルハ」や「出口」の文字から、目が離せない。神話だけあって、そこには物語が記されている。
「ランチとか言わず、喫茶店にすればよかったね。とりあえず、食後までお預け」
そう言われ、手にしていた資料を取り上げられた。たしかに喫茶店なら、コーヒーでも啜りながら、すぐに本題に入れたのに。今は食事どころではない。そわそわする沙樹を見て、真尋は申し訳なさそうな顔をした。
「なんとなく、喫茶店で話したら用件を伝えるだけで終わりそうな気がしたんだ。せっかくだから食事でもと思ったんだけど、今回は失敗だったね」
「え?」
真尋がそんなことを考えるなんて、微塵も思わなかったから、沙樹は少し動揺した。そしてすぐに、反省した。自分としたことが。真尋を相手に、それより出口の情報で頭がいっぱいになってしまっていた。しかし、言葉とは裏腹に、真尋はとても嬉しそうである。やはりそこは、研究者の性なのか。
沙樹は生意気コロッケなどをつまみながら、真尋がデータを手に入れた経緯などを聞いていた。えらい苦労したという話なのに、誇らしげで、満足げで、とても可愛い。先程までの、真尋の資料に前のめりになっていた気持ちも落ち着き、食事を楽しんでから、やっと本題に入った。
「お預けしちゃってごめんね。お待たせしました!」
そう言いながら、例の資料を広げる。改めて、手に取り、沙樹は食い入るように読み始めた。これは物語だ。フェリー神話とかいう、謎の資料。でも、よく行くバーのマスター、折原の大事な人、イルハは――
「悪夢の神?」
一通り読んだ資料から目を上げ、真尋を見た。深く頷く真尋。
「ホン・フェリアは、かわいそうな人間の子どもを救うために、その子を神にした。それがイルハ。他の神々からその子を守るため、『悪夢』を与え、イルハは悪夢を司る神になったんだ。それでも結局、ホン・フェリアの息子たちに追われ、資料には抹殺されたと書いてある」
「うん」
沙樹は、手元の資料を再び眺めた。
「でも、出口のデータを併せて調べた結果、抹殺されそうになったイルハを、出口から逃がした人物がいたことがわかった。イルハの従者、名前は資料にないけど」
「そいつだ……」
全身の毛が逆立つ感覚。
間違いない。そいつが折原だ。
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