【小説】出口はどこですか? 第20話
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沙樹は、震える指先を隠すために、両手に拳を握った。従者、ということは、折原は神ではないんだよな? まあ、神らしいオーラも全然感じられないし、従者というのは納得である。とりあえず、そこは安心した。上手く説明できないが、あれが神だったら、ちょっと嫌だ。
でも……そうか。折原の大事な人イルハは、悪夢の神で、他の神々に抹殺されそうなところを、従者である彼が出口から逃がした。そして、折原も後を追うつもりが、その場でイルハに出口の管理を命じられ、どこにも行けず――今に至る? どれだけの時が流れているのだろうか。
沙樹がじっくり考えるだけの充分な時間を、真尋は与えてくれた。彼女は黙って見守っていたが、沙樹が顔を上げ、目を合わせたので、少し頷いてから、やっとゆっくり話し始めた。
「出口の記録は、不明瞭なんだ。沙樹君が言うように、その先が無だというのが確かなら、イルハの記録は残らないんじゃないかと思うんだけど、沙樹君はどう思う?」
「それは――」
危うく、折原の名前を出しそうになり、一度口をつぐんだ。
「それは、イルハが神だから……存在が消滅しきらなかったのかも……」
なるほど……と呟きながら、真尋は考える。
「そうかぁ、存在が消滅しきらなかったっていう表現は、的確かもしれない。そう考えたら、イルハが抹殺されたという誤った記録が残っていたり、その周辺の記録が不明瞭なのも、納得できる」
真尋の言葉に、沙樹は頷いた。
「今のところ、資料からわかるのは、イルハを出口から逃がした従者がいたっていうことまでで、その後のイルハや、出口のことまではわからないんだ」
「そうか」
おそらく、その後のことは真尋よりも沙樹の方が知っている。出口はそのまま折原に管理され、イルハはそのまま出口の先に……。
真尋は、沙樹が出口を見たことも知っている。現在の出口がどこにあり、どのような状態になっているかなど、気になることはたくさんあるはずだ。それでも、約束通り、沙樹に情報をねだることはしなかった。
「あ、それと……イルハについては、もう少しデータがあるよ」
真尋は資料の紙を捲った。上から下へ、目を通して目的の箇所を探す。
「えっと、ホン・フェリアから悪夢を授かったイルハは、人々に悪夢を届けなければならなかった――」
「どういうこと?」
「悪夢を司る神だから、そういう役目があったんだろうね」
なるほど、神話っぽいな……と沙樹は思った。
「イルハはそのことに酷く心を傷めていて、悪夢を届けるたび、自分の親指を少しずつ齧ったという記録がある」
「なんかこえーな」
「うん、そのため、イルハには右手の親指がない」
なるほど……と言いながら、その情報要るか? と首を捻った。やっぱり、神話のノリはよくわからん。
「まあ、この情報は役に立たないかもしれないけど」
真尋の言葉に、思わず「いやいや」と沙樹は答え、調子のいい自分に少し笑った。
「とりあえず、このくらいかなぁ」
「助かったよ、本当にありがとう」
食後のお茶をゆっくり飲んだ。出口と折原について、だいぶ情報を得ることができた。そして、イルハについても。ここから、どう攻めていこうか。知ってしまうと、折原が可哀想に思えてくる。そして、折原が「可哀想なイルハ」と言っていたのも、少し理解できた。そういう思いでいたからこそ、出口から逃がそうとしたのだろう。切ない神話だ。しかし、その神話が沙樹の目前に存在している。現実と非現実の狭間。さて、どうしよう。
「集められるだけ、データは集めたけど、引き続き調べてみるよ」
帰り際、店の扉をくぐりながら、真尋は約束してくれた。
「ありがとう」
沙樹は心から感謝を込めてそう言ったが、その声は淡白に響く。ちゃんと、伝わっているだろうか。
「沙樹君」
「うん?」
「遠くに行っちゃ、ダメだよ」
「大丈夫」
しかし、結局のところ、出口とは何なのだろうか。記録が不明瞭と言っていたが、折原の説明も不明瞭である。まあ、それは意図的なものかもしれないが。
そんなことを考えながら、沙樹は自宅に向かっていた。車道に面した、広めの歩道。ケーキ屋とか、花屋とか、雑貨屋とか、小さな店が陽気に並んでいる。強い日差しが斜めから照りつける、夏の午後。蝉の声だか、車の音だか、人の笑い声なのか、何かが非常に騒がしい。沙樹は立ち止まり、空を仰いだ。
「あっちーなぁ」
こんなにリアルな世界に生きているのに、頭の中には神話の世界があって、しかもそれが現実に存在していて。もう、現実って言葉に現実味がないよな。
時刻、午後3時半。一回家で休んだら、夜は神話の事件現場に行ってみよう。
気分転換に軽く筋トレをして、シャワーを浴びた。やっと空が黒く染まり始めた頃、星形の月に向かう。緩やかな風が体をすり抜け、べたつきのない肌が心地よい。
「あれ? お前……」
星形の月のドアの横、店の看板の前にしゃがむ人影に見覚えがあり、沙樹は仕方なく声を掛けた。
「うわ、ほんとに来た」
嫌そうな声を出しながら、嬉しそうな顔をしているのは、生意気なあのガキ。両手をポケットの中に突っ込んだまま、立ち上がった。
「なんだそれ。どういうこと?」
「べつに。来そうだなって思って、待ってみたら、ほんとに来たから」
「はあ」
「ね、いこうよ」
「どこに」
晴希が店のドアを勢いよく引こうとしたので、沙樹は慌てて片手で押さえた。
「ちょっと待て。未成年が一人で来る場所じゃないって、言われただろ?」
「だから待ってたんじゃん。僕は沙樹に用があったんだよ」
「なんの用?」
「んー、なんだろうなぁ」
「適当なこと言うなよ。とにかく、俺はお前を連れてく気はないから」
晴希を帰そうと、ドアの反対側に押しやるが、ぐりぐりと沙樹の脇をすり抜けようとする。しばらく押し合いをしていると、すぐ隣で女性の声が聞こえた。
「えー、沙樹君、なにしてんの? 動画撮っていい?」
「は? なんで動画?」
カヨの声に、慌てて振り向く。晴希も気まずそうに、動きを止めた。
「なんか面白そうだから」
スマホを取り出そうとするカヨの手首を思わず掴んだ。
「なんも面白くないから」
沙樹の言葉が聞こえているのか、いないのか、カヨは沙樹を無視して、晴希の方を不思議そうな顔で眺めていた。
「あれー?」
近寄って、晴希の顔を覗き込む。
「あ、やっぱそうじゃん! 晴希でしょ!」
「え? 知ってるんですか?」
沙樹は驚いて、カヨと晴希を交互に見た。晴希はカヨに、ペコっと頭を下げている。沙樹がいない間に店内で出会ったのだろうか。
「知ってるっていうか、あたしの弟みたいなもん」
ねー、と言いながら、カヨは晴希の肩に手を回す。晴希は「はい」と言いつつ、少し居心地が悪そうだ。「弟みたいなもん」には、あまり見えないけれど、カヨはすごく嬉しそうだった。
「えー、ほんと久しぶりじゃん~。元気だった? なんでここいんの?」
返事をあまり求めていない質問で攻めてから、答えも聞かずにカヨは「とりあえず中入ろ」と言って、勢いよく店のドアを開ける。
「いらっしゃい」
結局、不本意ながら、沙樹はカヨと晴希の後から店に入る形になってしまった。席に着く前から、もう帰りたくなっている。にしても、晴希がカヨと繋がっていたのは意外だった。
「え? 晴希なんでそっち座んの? こっちおいでよ」
沙樹がいつもの一番端の席に座ろうとすると、その隣の椅子に晴希が手を掛ける。少し離れた席に既に座っていたカヨは、不満そうな声を上げた。
「今日は沙樹と話がしたくて」
「えぇ? ていうか沙樹君とどういう関係なの?」
めんどくさいなぁ、と沙樹が困っていると、折原が「カヨさんも彼と知り合いだったんだね」と話を振ったおかげで、カヨの話題はそっちに向かった。
「そう! 地元の後輩なの! うちらみんなの弟って感じ。ね? 晴希」
席が離れていてもグイグイ来るカヨに、晴希は再び、ペコ、と頭を下げた。なんなの? こいつの態度。弟と言っている人に対してこんなよそよそしいのに、なぜ自分には図々しい態度で寄ってくるのか。沙樹が隣に座る晴希を呆れた目で眺めていると、それに気づき晴希は軽く微笑む。
「沙樹。どうかした?」
「べつに」
ゆっくり地元の話でもしていくのかと思ったのに、レモンサワーを一杯飲んだだけで、カヨは「お会計」と折原に声を掛けた。
「もう行くのかい?」
「うん、まだ仕事の途中なんだよね」
夜の仕事っぽいけれど、カヨが何の仕事をしているのか、沙樹は知らない。夜っぽい割に、仕事の途中と言いながらよく星形の月で飲んでいるし、謎である。
「カヨさん」
財布を持って立ち上がったカヨを見上げて、晴希が声を掛けた。
「色々と……本当に、ありがとうございました」
「なになに? なんのこと言ってんの? 急にぃ」
かわいいやつ、と言いながらカヨは晴希の顔を覗き込む。晴希は気まずそうに顔を逸らした。
「ねぇ、晴希。怖い夢はもう大丈夫?」
「大丈夫」
「そっか」
満足そうに頷いたカヨは会計を済ませると、「またね」と手を振りながら去ろうとして、晴希の方を二度見した。
「え? それ、ぽれった君じゃん」
椅子の背にかけてあった晴希のカバンに、例のマスコットの缶バッジだか何かが付いているらしい。
「あはは、ウケる。地元愛強いね、晴希」
愉快に笑いながら、カヨは店を出て行った。
……こいつ、人気があるのか? 他で見たこともないが。沙樹はふと思い出し、まだボディバッグに入ったままの、ぽれった君の缶バッジを取り出した。
「そんなに好きなら、これもやるよ」
晴希は沙樹の手のひらの上のぽれった君をじっと眺めた。
「なんで、沙樹が持ってるの?」
「え? なんでだろ」
そういえば、なんでだっけ。折原に「約束だから」とか言われて渡されたような。なんの約束だ? 沙樹が折原を見上げると、目を逸らされた。聞くなって? マジで意味わかんねぇ。
「これ、地元のマスコット」
「お前の?」
「そう」
「え、マジでなんで持ってんの俺」
「いや、ほんとに」
もう一度折原を見るが、今度は背を向けてグラスを並べ始める。余りにもあからさまな拒絶に、部外者に知られたらまずい内容なのだと悟り、沙樹は黙った。絶対、後で問い詰めてやる。晴希とカヨの地元のマスコット。折原にも沙樹にも接点が見つからない。それに……面倒だから言わないけど、キーホルダーまで持ってるんだよなぁ……。
そんな沙樹を晴希はちらっと見た。
「僕はいいから、沙樹が持ってなよ」
「んー、まあ、そうだな」
沙樹はしばらく、手のひらの上で不気味な存在感を放つ、ぽれった君を眺めていた。
「ていうか、なんか話があったんだろ?」
沙樹は、ストローでコーラを吸い上げる晴希に一応、尋ねる。
「いや……その方が都合がいいかなと思って」
「はあ? お前さぁ、他の人と俺と、態度違い過ぎじゃね?」
「その方が、都合がいいから……?」
「あのなぁ――」
「あ、桧山さん、いらっしゃい」
折原の声に、沙樹はジントニックを右手に握ったまま、店の入口を振り返った。少しくたびれたイケオジが現れ、沙樹たちの斜め前の角に席を取る。
「子連れってのは珍しいな」
桧山の言葉に晴希がどんな反応をするのか、沙樹は横目で眺めたが、全くの無反応で少し興ざめした。
「人捜しでも、してんのか?」
「え? なぜそれを……」
驚いて桧山を振り向く晴希。すっかり忘れていたが、そういえばこいつ、兄貴を捜してたっけ、と沙樹も驚いたが、それと同時に疑問に思った。先程晴希はなぜ、カヨの前で兄貴の話をしなかったのか。それに、カヨの会話からも晴希に兄弟がいそうな雰囲気は感じられなかった。本当に兄がいるのか? そして本当に、捜しているのか?
「俺も色々と探してるからな。探してるやつの目はわかる」
「ふーん……」
「桧山さん、お待たせしました」
折原が桧山の前にボトルのセットを並べる。タグのかかったジャックダニエル、トングが添えられているアイスペール、大きな氷が収まっているロックグラス……。
「桧山さんは、何を探しているんですか?」
最後にチェイサーの水を桧山の前に置きながら、折原が尋ねた。沙樹、晴希、そして折原が桧山に注目する。異様な空気が漂う。
「どこかに隠れているものを探してるんだ。ロマンがあるだろ? 折原」
前にこんな会話をしたような気がする。沙樹は思い出そうとしたが、どうしても思い出せなかった。それにしても、この張り詰めた緊張感はなんなのだろう。沙樹は、喉を何かに絞められているような息苦しさを感じていた。
「すみませーん、2名なんですけど……」
入口のドアから聞こえた声にハッと我に返り、折原は「いらっしゃいませ」と言いながら、メニューを片手に去っていった。
「さてと、少年。無事で何よりだ。随分、雰囲気変わったな?」
「貴方……誰ですか?」
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