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誰でも書ける時代に、“私が書く理由”を探している。

「文章なんて、誰でも書ける。私である必要はない」
AIが登場する前から、私は思っていました。
そして、今も思っています。


この記事は 「フリーランスの日常」シリーズの ⑫ です。
▼前回は、こちら


“文章は誰でも書ける”と思っている

文章って誰でも書ける。
上手い・下手はちょっと置いておいて。

文章って、本当に誰でも書ける。

たとえるなら……
毎日の家ごはんみたいなもの。

「すっごくおいしい!」って感動するほどじゃないけど、ちゃんと体を満たしてくれる。

納豆、味噌汁、ぬか漬け、ごはん。
そんなシンプルなごはんって、おそらく誰でも作れる。

家ごはんは、高級レストランみたいじゃなくていい。
だからこそ、飽きずに続けられる。

じゃあ、私がプロとして文章を書く意味って何だろう?
「私が書かなければならない絶対の理由」なんて、あるんだろうか。

そんなことを思ったので、今日は少し哲学風に書いてみようと思います。
話がまとまらなくなるかもしれないけど、その時は笑って許してください(笑)

「冷める理由」と“伝えたい”の気持ち

ネットで文章を読んでいると
「これ、AIが書いたよなぁ」
と“冷める”私がいます。

整っている。
わかりやすい。

でも、どうしてか心が動かない。

「うまい文章」なのに、「伝わる文章」になっていない。

そんな違和感を感じることが、最近よくあります。
思えば、AI以前にも同じようなことを感じていました。

きれいにまとまっているのに、なんとなく“心に残らない”文章。

逆に、子どもたちのつたない文章に感動する時もあります。

あの時は「上手だね~」って笑って褒めていたけれど、プロの目からすると、整ってはいない。

でも、感動する。

この差ってなんだろう?

もしかしたら、「伝えたい」という気持ちなのかも。

言葉って、
正解を並べるだけじゃ届かない。

その人がどんな想いで書いているのか、
どんな景色を見ながら綴っているのか。

そんな“伝えたい”があると、言葉が急に生き生きして見える気がします。

だから私は、AIが書けるようになった今こそ、
「だから、あなたに伝えたい」
という気持ちを大切にしたいと思っています。

完璧じゃなくても、
少し揺れてても、
そこに“伝えたい”が感じられる文章を、私は書きたい。

それでも、私が書く理由

AIが上手に文章を書くようになって、
「もう人間が書かなくてもいい」
と言われることもあります。

でも、私は思います。

たとえAIがどんなに進化しても、私が見た景色や、心が動いた瞬間までは、AIには書けない。

誰かを想って選んだ言葉。
悩みながら、それでも書きたかった気持ち。

その全部が、私自身の“生きた証”だから。

たとえば、子どもが書いたつたない作文の中にも、「その子にしか見えない世界」がちゃんとあって、“伝えたい”がある。

私の文章も、誰かの心の片隅に残るような、そんな言葉でありたいと思っています。

私は、あなたに伝えたい。
そして、私の中の想いを、形にして残しておきたい。

文章は、技術だけじゃなく“私の生き方”なのかもしれない。
だから私は、これからも書き続けよう。

AIと一緒に、でもAIには書けない“私の言葉”で。


この記事は「フリーランスの日常」シリーズ ⑫ でした。
▶次回、⑬は こちら
▶①は こちら


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