見出し画像

自責=自己否定になっていない?真の「自責思考」で人生の主導権を取り戻す方法

前回のあらすじ

前回の記事で「他人のせいにするのをやめて、自分の行動に矢印を向けよう」とお伝えした。

しかし、真面目な人ほど、この言葉を真っ直ぐに受け取りすぎて苦しくなってしまうことがある。

「自責=すべての責任を自分が背負い込み、一人で抱え込んで潰れること」と勘違いしてしまうのだ。

「自責」という言葉を履き違えていませんか?

「私の能力がないから、現場がこんなに回らないんだ」――こうやって自分を必要以上に責め続けるのは、一見すると「自責で生きているカッコいい自分」に見えるかもしれない。

だが、それは本当の意味での自責ではない。ただの「自己否定」、あるいは自分を痛めつける「精神的自傷」にすぎないのだ。

「悪いところ探し」ではなく「次への改善点」を見つける

では、本当の自責とは何なのだろうか。

自己否定は、「自分には価値がない」「自分はダメな人間だ」と過去の自分を責めて思考を停止させるものだ。
そこには、前向きなエネルギーは1ミリも生まれない。

一方で、本当の自責とは「悪いところを見つけて自分を罰する」ことではなく、「次につながる改善点を見つけるための技術」である。

「起きてしまった過去の事実は、もう変えられない。では、次に同じ壁にぶつからないために、自分のアプローチをどう調整すればいいだろうか?」

そう考えるのは、自分を罰することではなく、まるでゲームの攻略法を考えるかのような、未来志向のプログラミングに近い感覚なのだ。

「伝えた」と「伝わった」は別物だと知る

この「前向きな自責」を身につけると、仕事の景色は一変する。

例えば、多くの人が陥るのが「言ったのにできていない」という他責だ。

しかし、本当のプロは「伝えること」と「伝わること」の次元の違いを理解している。

「言った」のは自分の満足であり、相手に「伝わって」いなければ意味がない。
私はこれまで、指示が通らない他人の能力を責めるのではなく、自分自身の伝え方が拙かった過去を振り返り、「どう言えば、この人に伝わるのか」を自問自答し続けてきた。

その積み重ねがあるからこそ、今の自分の伝え方が確立されているのだ。

「やる気」を引き出すのは、相手の目線に立った工夫

「やる気がないからできない」という言い訳も同じである。

やる気を出させるにはどうすればいいか。

言い方は少し悪くなるかもしれないが、相手の目の前に「ニンジン」をぶら下げる際、そのぶら下げ方が相手の目線に合っていなければ、人は走り出してくれない。

「なぜ動かないのか」と相手を責めるのではなく、「今のこの人の目線に合ったニンジンは何か?」を模索し続ける。

過去の失敗からそのアプローチの引き出しを増やし続けてきた経験が、そのまま今の武器になっているのだ。

コントロールできない「他人と過去」は思い切って捨てる。

そして、コントロールできる「自分と未来」だけに矢印を向ける。それこそが、自責の醍醐味である。

人生の主導権を自分の手に取り戻そう

他責で生きる人は、いわば「他人に自分の人生のハンドルを握らせた被害者」だ。
環境や他人の機嫌に振り回され、いつまでも不平不満を言い続けるしかない。

しかし、本当の意味での自責を取り入れた人は違う。

どんなに荒波が来ようとも、「じゃあ、自分はどう舵を切ろうか」と、自分の手でしっかりとハンドルを握り直すことができる。

悪いところを見つけて自分を傷つけるためではない。

起きた現実を面白がり、次の布石として活用しながら、自分の人生を切り拓いていくために。

今日から、前向きな「自責」という技術を味方につけていこう。

すべての始まり

今の冷徹な経営スタイルの裏側にある、あまりに不器用で甘かった私の原点。 会社設立当初の泥臭い日々の記録を、ここから紐解いていきます。

最後に

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

もし今回の記事が、皆さんの組織マネジメントや日々の人との向き合い方のヒントになりましたら、ぜひサポート(チップ)やスキをお願いします。

泥をかぶりながら組織を立て直してきた私の、大きな原動力になります。

いいなと思ったら応援しよう!

T@児童福祉事業所経営のホンネ 『スキ』は共感の印として、『サポート』は連載の応援としていただけると嬉しいです。読者の皆様の反応が、何よりの執筆の原動力になります。