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常識って、誰のもの?――小さな先生との暮らし

私が当たり前だと思っていることは、
誰かにとっての“なんで?”かもしれない。
子どもと暮らしていると、それを毎日思い知らされる。


子どもは、予測不能

子どもって、本当に想定外の行動をする。

それは、経験が少ないからでもあるし、
何より、「やってみたい」という気持ちが先にくるからだと思う。

まだ不器用で、効率なんて考えない。
でも、だからこそ、大人がハッとするような行動を見せてくれる。

小さな背中に教わることが、日々、いくつもある。

なんで、そこで腹筋?


先日、お店の隣にあった背もたれのない長椅子に、息子が急に座った。

と思った次の瞬間、後ろにひっくり返って、後頭部をセメントにぶつけた。
たんこぶをつくって、大泣き。

落ち着いてから「何がしたかったの?」と聞くと、息子はこう答えた。

「椅子に座って、こうやって(腹筋)しようと思ったのー」

……なんで、そこで、今、腹筋?
しかも4歳で?

笑っていいのか、心配すべきか。とにかく、よく分からない。

ソース事件と、こぼれた“期待”


最近、息子は料理のお手伝いをしたがる。

ある日、ソースを混ぜてもらったあと、こう頼んだ。

「じゃあ、そのソースをフライパンに入れてくれる?」

息子は、混ぜていたティースプーンで、ソースをすくい、少量ずつフライパンへ。
しかも「ここ、熱いから触っちゃダメよ」と私が言ったもんだから、
本体から距離をとって、より慎重に、そ〜っと入れていた。

結果、ソースはポタポタこぼれ、私は無言になる。

私の中では、“ソースは注ぐもの”が常識だった。
でも、4歳の辞書にはまだそのページはなかったらしい。

「そっか、“注ぐ”ってまだ教わってないもんね」
「スプーンじゃ難しいって、伝えてなかったな」

心の中では「全然怒ってないよ」と思っていたのに、きっと私の眉間には、シワが寄っていたんだと思う。
息子はそっと「ごめんなさい」と言って、静かに隣の部屋へ行ってしまった。

そんなことすら、事前に予測できなかった私が悪いのに。

“まだ子どもだから”は、どこまで許される?


小さな子が予測不能な行動をするのは、当たり前だ。

「人見知りかな?」で済まされるし、
包丁で上手に切れなくても、「練習中なんだね」と笑える。

でも、それが大人になると、話は変わる。

挨拶をしない人には「失礼な人だ」と感じるし、
自分のやり方と違うと、「非常識」と決めつけてしまう。

もしかしたら、相手はただ、知らなかっただけかもしれないのに。

私たち大人は、いつから“失敗できない人”になってしまったんだろう。

やる気はある。でも、すぐ離脱。


「お手伝いする!」と息子が言うので、
一緒に草抜きをすることにした。

長袖長ズボンに着替えさせて、帽子をかぶせ、軍手をつけて、
準備万端で庭へ。

やる気満々だったはずの息子は、
草を2、3本抜いたところで、こう言った。

「僕、先にお家戻ってるね。あとはママお願い〜」

え、……はやない?

でも結局、私は一度家に戻って、
息子の服を着替えさせ、冷房を入れて、お茶を出す。

草抜きに戻る頃には、すでに一仕事終えた気分だった。

小さな先生に、常識をぶっ壊される日々


「大人なのに、知らなかったの?」
「そんなことも分からないの?」

大人は、いつから“間違えられない存在”になったんだろう。

子どもは何かをこぼしても、笑われるだけで許される。
でも、大人が同じことをすると、「非常識」と言われてしまう。

もしかすると、誰かに貼った“非常識”というラベルは、
本当は、自分が勝手に決めた“常識”だったのかもしれない。

小さな先生は、毎日その「当たり前」を壊してくる。
ときにスプーンで。ときに草抜き1分でリタイアして。

そして私はまた、
今日も一つ、“自分だけの常識”を手放していく。


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ポッチャリ夫と島暮らし|家庭と社会のはざまを綴る人 ギブ&テイクの「ギブ」をそっと差し出せるあなた✨その生き方、すごくかっこいいです。きっと、心の余白作りが上手なんでしょうね。その秘訣、ぜひ、教えてください!☺️