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森下雨村の「謎の無線電信」について  湯浅篤志 

※次に掲げた文章は、2022年5月に発行された、森下雨村 訳『謎の無線電信』(ヒラヤマ探偵文庫21)に掲載された「解説 森下雨村の『謎の無線電信』について」の転載となります。転載に際して、適宜加筆修正を施しました。ご了承ください。
先日、記事にした森下雨村が『新青年』を創刊した頃(大正10年)に訳されたセクストン・ブレイク探偵物語の紹介になります。加藤朝鳥訳のセクストン・ブレイク探偵物語「柬埔寨(カンボジア)の月」(大正12年)と合わせて読めば、当時のセクストン・ブレイク探偵物語の受容を味わうための一助になります。
※ヒラヤマ探偵文庫のほうでも、平山雄一さんがセクストン・ブレイク探偵物語の新訳『ボンド街の歯科医師事件』を発行しています。そちらも、ぜひ、ご覧ください。

森下雨村 訳『謎の無線電信』(ヒラヤマ探偵文庫21)の表紙

『中学世界』に連載された「謎の無線電信」

 今回、本巻に収録されたセクストン・ブレイク・シリーズは、森下雨村が訳した「謎の無線電信」である。博文館の発行する『中学世界』1921(大正10)年4月号(24巻5号)から11月号(24巻13号)まで掲載された。全八回の物語である。9月号までは本文表題の前に「長篇探偵小説」とあるが、10月号では消えてしまい、連載最後の11月号では「長篇小説」という角書きに変わっていた。
 4月号からの連載であるが、その号で『中学世界』編集主幹の為藤五郎が、同じく博文館発行の総合雑誌『太陽』の編集に異動することになり、代わりに5月号から同館の青年向けオピニオン雑誌『寸鉄』編集主幹の白石実三が移ってきて、『中学世界』の編集主幹になっていることが関係しているのかもしれない。
 当時、白石は雨村が編集主幹を務める『新青年』で小説を書いていたり、また懸賞小説の選者などをしていたりした。その縁で、雑誌の引き継ぎのときに、雨村に面白い探偵小説の翻訳を頼んだのだろう。
 その『新青年』では、1920(大正9)年5月~6月号に「ブレーク探偵譚 謎の信号」という翻訳が掲載されている。「謎の無線電信」と題名が似ているが、しかし、これは「謎の無線電信」とは違う物語である。宝石屋から紛失した価格が一万五千ポンドほどのダイヤモンドの原石を、セキストン・ブレーク探偵が青年団員(スカウト)の腕を動かす信号をきっかけにして探す話である。
 「謎の無線電信」本文には、番号と題のついた章が二三章ある。ただ、10月号においては番号のみで、章題がない。これは冒頭で述べた「長編探偵小説」という言葉がなくなっていることと関係しているのかもしれない。ちなみに、原作は二四章まであった。本文の挿絵は松野一夫。「謎の無線電信」の挿画については、こちらを参照して下さい。

 この雨村訳では、主人公の日本語表記が「セエクストン・ブレエク」になっていた。また助手も「チンカァ」という呼び方であった。原作においては"Sexton Blake" "Tinker" である。
 ヒラヤマ探偵文庫の「セクストン・ブレイク・コレクション1」である加藤朝鳥訳の『柬埔寨(カンボジア)の月』では、両者の表記が「セクストン・ブレーク」「チンカー」であった。
 本巻では両者の呼称を統一しないで、あえて訳者それぞれの表記にしたがった。そこに翻訳者の物語に対する思いがくみ取れると考えたからである。

原作との関係

 「謎の無線電信」の署名は「森下雨村」となっており、「森下雨村訳」ではなかった。連載の最後の月号まで「森下雨村」というクレジットである。また、原作名が記されていなかったが、インターネット上における ”BLAKIANA” の ”blakebibliography:1920” によれば、「The Case of the Strange Wireless Message」(The Sexton Blake Library 1st No.125, May 1920)であることが判明している。原作者名もそこには記されており、ウィリアム・ウォルター・セイヤー (William Walter Sayer)ということである。
 原作者のセイヤーは、1892(明治25)年生まれ。ピエール・キールーレ(Pierre Quiroule)というペンネームでも知られていた。セクストン・ブレイク・シリーズにおいては、「謎の無線電信」にも出てくる秘密探偵グラニット・グラントやマドモアゼル・ジュリーを登場させたことで有名であり、ブレイク探偵とともに物語を盛り上げていた。
 セイヤーは、1930(昭和5)年にセクストン・ブレイク・シリーズの執筆をやめていた。しかし彼の創作した物語は、1986(昭和61)年まで再版され続けたということであり、このシリーズで最も再版された作家といえるかもしれない。1982(昭和57)年歿。
 原作の掲載誌についても、述べておきたい。同HPの「THE SEXTON BLAKE PDF LIBRARY」に紹介されている、この掲載誌を見ても、原作者名が記されていなかった。これは加藤朝鳥訳『柬埔寨の月』の原作と同様の状況である。そうしたことから、訳者の署名について、「柬埔寨の月」の掲載誌『週刊朝日』では「加藤朝鳥訳」になり、「謎の無線電信」が掲載された『中学世界』では、「森下雨村」になったのだろうか。「訳」の表記のあるなしの違いは、編集部それぞれの判断によるものだと考えられる。
 原作掲載誌の「The Sexton Blake Library 1st No.125」は、1920年5月の発行であるので、それから一年も経たないうちに、森下雨村によって日本語に訳されたのであった。

無線電信の時代

原作の冒頭ページ

 原作の冒頭のページを見てみると、雨村訳にはない編集者からの言葉があった。物語の導入にあたるもので、ページのちょうど真ん中に、四角い枠があり、その中に目立つように書かれていた。引用してみよう。

THE BIGGEST EAR ON EARTH.
Wireless is undoubtedly the biggest ear on earth , for it can collect a message originated at a point 4,000 miles away. Its effect during the war was tremendous. During Peace, as an agent of help for ships , etc. , in distress, its power is paramount. The story tells of a curious call for help that reached Sexton Blake. THE EDITOR

〔意訳〕地球上の最も大きな耳。無線は、地球上で最も大きな耳であることは間違いない。四千マイル離れた地点で、発信されたメッセージを収集することができるからである。戦争中のその効果は絶大であった。平和時には遭難した船などを助ける代理人として、その力は最も重要である。この物語は、助けを求める、ある不思議な呼びかけが、Sexton Blakeのもとに届いたという話である。編集者。

 この編集者の言葉を読むと、無線電信の役割をモチーフにしたセクストン・ブレイク譚(ものがたり)であることがわかるだろう。以下に掲げた掲載誌の表紙にも、無線電信の役割(救助メッセージのリレー)を強調した絵が巧みに描かれていた。

「謎の無線電信」の原作表紙

 物語のカギとなる海上での無線電信は、明治末のタイタニック号の沈没事件以来、その役割が増してきて、国際的には船舶相互の交信や遭難緊急通信の常時聴取などが義務づけられるに至った。また、日本では1915(大正4)年、無線電信法が公布され、船舶無線局は官営から私設となる。それにより無線通信士の増員が始まり、育成も必要になってきた。1920年には、のちの電気通信大学の前身になる無線電信講習所が東京目黒に校舎を移している。無線通信士という仕事の重要性が広まり、期待される時期であったのだ。
 それを示すかのような場面が、本文75ページ上段にあった。――大西洋を航行してきたブレエク探偵らの乗るナンシイ号が、謎の無線電信を受信した付近に着いた。そこで、ようやく傍受できたフローリン号とスピッツベルゲン号の無線電信の会話から、ブレエクが無線技士のチャーリーに、その電波の方向と距離を聞くシーンである。

「きみ、電波の方向と距離は? 大凡(おおよそ)の見当はつかないかね」
「方向は、西西北です。だが距離は……」
 チャーリーは少時考えていたが、
「百カイリと、ちょっとでしょうね」と答えた。

 この時代に、電波の方向や発信地点までの距離がわかるのか、という疑問を持つ人も多いかもしれない。しかし、当時の日本郵船株式会社海務部長の武田良太郎によれば、「ラデイオコンパス」により、ある程度把握できたようである。だが、それは日本においてではなく、欧州方面、北米西海岸、東海岸などであった。
 アメリカにおいては「地勢沿岸に濃霧の発生多く、ためにラデイオコンパスに就きては熱心に研究せられ、既に船舶に於いてすらこの方向測知器を備へて航海し、非常なる好成績を得てゐるものもある」と述べられていた(「新らしい航海器具 音響測深器とラヂオコムパス」『科学知識』大正12年9月増大号による)。無線通信士の技能を見せられる、とっておきの場面であろう。
 このような背景を、雨村が知っていたかどうかは定かではない。ただ、雨村は博文館に入社する前まで、やまと新聞社会部の記者だったので、そのような情報を多少は目にしていたことが考えられる。雨村がセクストン・ブレイク・シリーズの「謎の無線電信」を選び、『中学世界』に翻訳したというのは、未来のある若者たちに無線通信士の役割を伝えたかったからかもしれない。そういう教育的配慮のような意味もこめて作品を選んだと考えることができるだろう。

世界を股にかけるセエクストン・ブレエク探偵

 「謎の無線電信」の物語は、最初、秘密探偵グラニット・グラントの紹介で始まっている。彼とセエクストン・ブレエクとのつながりがそこで描かれているのであるが、大西洋航行中のワイルドフライ号に傍受されたブレエク宛ての無線電信により、グラントの秘密の仕事を思い出し、彼の行方を探るため、ブレエクは助手にチンカアとともに捜索に動き出している。
 ヒラヤマ探偵文庫19で紹介した「柬埔寨の月」もそうだったのであるが、ブレエクは英国だけでなく、他の国、海外に出かけて活躍をしている。もちろん、森下雨村や加藤朝鳥はそういう物語を選んで訳して、紹介しているのだ。読者に対して、日本以外の世界にも目をむけてほしいという啓蒙の意味もあるのだろう。
 「柬埔寨の月」が飛行機を使っての冒険であったのに対して、今回は快速汽船に乗っての大仕事であった。交通メディアの進歩がそれを可能にさせているのだ。「謎の無線電信」ではそこに無線という科学技術が加わっていた。異国情緒たっぷりの海外で大活躍をするだけでなく、新技術も使いこなしてしまうブレエク探偵なのである。

 このような物語を、大正10(1921)年に『中学世界』の若い読者に紹介することは、探偵というキャラクターは何でもできるヒーローであることを広めるものになっているのかもしれない。世界を股にかける国際人としての姿である。若い助手のチンカァの活躍もしかり。世代の近い読者の共感を呼ぶことも考えられる。愛犬ペドロの勇姿も、犬好きにはたまらないものだろう。また「柬埔寨の月」でも見られたが、今回もブレエクの友人に対する情熱的な思いも伝わってくる物語になっている。こうしてみてくると、セクストン・ブレイク・シリーズは、典型的な冒険探偵活劇のスタイルにそって描かれたものといえるのである。
 そのとき『中学世界』の読者の反応は、どうだったのであろうか。大正10年6月号には「中学世界五月号は僕等の教室で評判です。僕等は『謎の無線電信』の様な科学利用の探偵小説を歓迎します」(「雨の窓――読者の領分」より)とか、同年12月号には「謎の無線電信ももう終りましたね――次に又痛快なのを鶴首して待つて居ます」(「読者の領分」より)とかであった。「科学利用の探偵小説」そして「痛快」であること。これが、セクストン・ブレイク・シリーズ「謎の無線電信」の醍醐味だといっても、差し支えないかもしれない。
 

【参考文献】
 BLAKIANA : The Sexton Blake Resource

※Web上で、森下雨村訳『謎の無線電信』を読まれての感想がありました。
ありがとうございます。気がついた記事を以下に貼っておきます。

※『謎の無線電信』は、以下の書店でお求めくださるとありがたいです。よろしくお願いします。

※高知県立文学館の現地ショップでも扱っています。通販はないです。

※東海大学の堀啓子先生が、大正期のセクストン・ブレイク探偵の受容について論考を出されております。「大正期の名探偵セクストン・ブレイク探偵について 英語テクストにおける登場から」という研究ノートになります。ぜひ、参考になさってください。
https://www.utokai.ac.jp/uploads/sites/8/2023/03/09dd2f76f0e11ed44274a7ad680d9fb0.pdf


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