壺底で浮遊する記憶のかけら
デジャヴという言葉を聞いて、蛇口からジャバジャバ流れる出る水の絵を思い浮かべるのは私ぐらいだろう。どしたってまず出てくるのだ。
端的に言うと、これどうやら「既視感」という事らしい。奈良にいる私の親戚に、岸辺シロー氏に似てる方がいるのだが、その人に向かって
「いやぁ、なんか岸感すごいっすね」
とは言わない。そういう事ではない。
よくある「初めてのはずなのに、前にも全く同じ場面を体験、見た様な気がする」というやつだろう。
そのデジャヴ、既視感の話とは少し違うかもしれないし似てるかもしれない。
40代の頃、バカでかい津波が押し寄せる光景、もしくは遠く向こうに山々が連なっている何もない大地に尋常じゃ無い量の大雨が降り注いでいるといった、そんな非現実的な光景を夢でよく見ていた、そんな覚えがある。
これって思うところがひとつだけあって、あれは、自分の古き祖先が目にした光景が長い時を経て我々の脳に残ってんじゃね?と思ったりするのだけど、そんな考察ってまったくの見当違いなのかしら。急に女子言葉になる。
鰻屋さんなどでよく聞く50年継ぎ足して使っているという秘伝のタレ、タレを仕込み始めた当時の成分原料が50年経ったいまでも微細に残り含まれている事を考えれば、明治大正を生きたご先祖達が目の当たりにした光景を、いまの自分の脳?DNA?が引き継いでいてもおかしくない気がするのよねん。
記憶って遺伝しないのかしらん。
ろまんちっくじゃない、なんか…
だからなんで女子
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またお会いしましたね 今週ももう少しがんばろ
