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「ローマの休日」の向こう側にあった、オードリー・ヘプバーンと"食"の話

久しぶりに「ローマの休日」を見て泣きました🥲

やっぱり、何度見ても名作ですね。

見終わったあとに残るのは、
ときめきだけではなく…

王女アンの自由な一日と、最後の切ない別れ。
その余韻が、静かに心へ残ります。


でも今回は、映画とは少し違うところに目が止まりました。

「オードリー・ヘプバーンは、どんな人生を歩んできた人だったんだろう。」

そう思って調べ始めたんです。

管理栄養士という仕事をしているせいか、あの美しく細い体型も気になりました。


すると、見えてきたのは「美しさ」の話ではありませんでした。

そこにあったのは、戦争。
そして飢え…

食べたくても食べられなかった少女時代の記憶でした。

今回は、オードリーの人生を通して、
食について考えてみました。

最後まで読んでくださると嬉しいです🙂‍↕️




『ローマの休日』の向こう側にあったもの


オーディションで、多くの審査員が驚いたのは彼女の華奢な体型でした。

当時のハリウッドでは珍しいあの細さは、
美容のためではなく…

少女時代に戦争を経験し、極度の食糧不足による栄養失調で、貧血や呼吸器疾患、重いむくみなどを患った影響があったためとされています。

成長期の深刻な栄養不足は、その後の体にも大きな影響を及ぼした一因となりました。

その姿からは、戦争を生き抜いた強さと気品が感じられ、多くの人の心を惹きつけたのかもしれません。



オードリーを変えた戦争と飢餓


オードリーは、第二次世界大戦中、占領下のオランダで深刻な飢餓を経験しました。

これはユダヤ人だったからではなく、「飢餓の冬」と呼ばれるナチスによる兵糧攻めによって、現地に暮らす多くの市民が食糧不足に苦しんだためです。

終戦後に、国連救済復興機関(UNRRA)から届けられたミルクや食料に命を救われた経験が、後にユニセフ親善大使として子どもたちの支援に尽くす原点となりました。



一番衝撃を受けたのは、オードリーが少女時代に食べていたものです。

パンでも、お米でもありません。

彼女が食べていたのは、
チューリップの球根でした…

「えっ?」と思いました。

もちろん、花屋さんで見かけるような球根をそのまま食べたわけではありません。

毒のある部分を取り除き、すりつぶし、水でのばして焼く。

苦くて、砂のようで、とても美味しいとは言えない味だったそうです。

それでも食べるしかなかった。

生きるために。

私は「食べること」と向き合う仕事をしてきたので、この話には胸が締め付けられました…

戦争の中では、「何を食べるか」ではなく、
「食べられるものがあるか」。

その違いの大きさを思うと、言葉を失いました。




終戦後、オランダ解放軍の兵士からコンデンスミルクとチョコレートが配られました。

そのチョコレートを一気に食べたとき、体が急激な摂取(糖分と脂肪分)に耐えられず、その場でショックを起こして気絶してしまったそうです。

空腹だったのだから、たくさん食べられれば幸せだった。

そう思っていました。

でも違いました。

長く飢えた体は、急激な栄養の代謝に追いつかなかった。

「食べられること」が、すぐに幸せにつながるわけではない。

体の状態や、その過程も大切なのだと改めて感じました。

それでも、このとき食べたコンデンスミルクとチョコレートは、「自由と解放の象徴」であり、生涯忘れることのない特別な味となったそうです。



食べることへの思い


世界的なスターになった後も、彼女は戦時中の飢餓の記憶を忘れることはありませんでした。

パンは小さなパンくずまで、ジャガイモは皮に残った身まで丁寧に食べ切り、食べ物を決して粗末にしなかったといわれています。

そして、その思いは子どもたちにも受け継がれ、「食べ物を大切にすること」を何より大事に教えられたそうです。

食べ物を大切にするという習慣は、栄養だけでなく、命への感謝や平和を忘れない心にもつながるのかもしれません。



戦時中の飢餓を経験したオードリーは、極端なダイエットではなく「しっかり食べて健康を保つこと」を大切にしていたそうです。

毎日の朝食や旬の野菜を欠かさず、大好きなパスタも無理な我慢はしませんでした。

食事を楽しみながら、バランスを意識した生活を送っていたことがうかがえます。



ユニセフの活動に込めた願い


オードリーが少女時代、戦争を経験したとき、駅で、ユダヤ人の家族が強制収容所へ送られていく姿を何度も目にしたといいます。

なかでも、大きすぎるコートを着た一人の男の子が列車の中に呑み込まれていく姿は、生涯忘れられない記憶として心に残り続けたそうです。

飢えや恐怖、そして助けることのできなかった無力感。

この経験が、後にユニセフ親善大使として世界中の子どもたちのために活動する大きな原動力になりました。




彼女は晩年の5年間を、ユニセフ親善大使として飢餓や紛争に苦しむ国々を自ら訪れました。

現地では子どもたちを抱きしめ、支援活動に参加し、現状を世界へ伝え続けました。

なかでも最後の訪問地となったソマリアでは、すでに重い病を抱えながらも現地へ向かい、飢えに苦しむ子どもたちの姿を目の当たりにします。

帰国後に病状が悪化したといわれていますが、それでも彼女は「世界に現状を伝えることができてよかった」と語ったそうです。

少女時代に飢えを経験した一人だからこそ、苦しむ子どもたちを放っておくことができなかったのかもしれません。



オードリーが遺したもの


オードリーは日本を愛し、京都の庭園などに触れながら、日本文化の「引き算の美学」に深く魅了されたそうです。

飾り立てるのではなく、本当に大切なものだけを残す、そんな考え方は、コンプレックスを隠さず、シンプルな装いで自分らしい美しさを表現した彼女の生き方にも重なります。

1993年に亡くなった際、日本でも大きな衝撃が広がり、女優としてだけでなく、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした活動にも改めて注目が集まりました。

この思いは、ご家族にも受け継がれ、慈善基金を通して医療や教育、食料支援など、世界中の子どもたちを支える活動が続けられています。


彼女の美しさは、外見だけではなく、生き方そのものから生まれていたのだと感じました。

戦争による飢えや苦しみを経験しながらも、その傷を憎しみではなく、人を思いやる力へと変えていったオードリー。

救われた命への感謝を忘れず、
「今度は自分が誰かを救いたい」という思いを行動に移し続けました。

オードリーの人生には、食べることへの感謝や、人を思いやる心など、今を生きる私たちが学べることがたくさんあるように思いました。



管理栄養士として感じたこと


管理栄養士として改めて感じたのは、栄養は、ただお腹を満たすためのものではないということです。

食べることは、体をつくるだけではありません。


子どもの成長を支え、未来を育み、ときには人生そのものを大きく変える力を持っています。

戦争で飢えを経験した彼女にとって、
「食」は命そのものでした。

だからこそ、食べ物を粗末にせず、救われた命への感謝を忘れず、世界中の子どもたちのために行動し続けたのでしょう。

『ローマの休日』は、一人の王女が束の間の自由を楽しむ物語だと思っていました。

でも今の私には、戦争を生き抜き、「食べること」の尊さを誰より知っていた一人の女性の物語にも見えます。

何気なく囲む今日の食卓も、決して当たり前ではありません。

食べられることに感謝し、命を次の誰かへつないでいく。

オードリー・ヘプバーンの人生は、そんな大切なことを静かに教えてくれているように感じました。

世界中で愛され、今も世代を超えて愛されている理由が、少しわかった気がしました。



久しぶりに『ローマの休日』を見たことがきっかけで、一人の女優の人生に触れることができました。


次は『ティファニーで朝食を』も見てみようと思います。

そこには、どんな「食」と「人生」が描かれているのでしょう。

人の人生を知ると、「食」の見え方まで変わる。

そんなことを、オードリーが教えてくれたような気がします😊




食が教えてくれた人生の物語|シリーズ


私は管理栄養士として、栄養だけではなく、人の人生と「食」との関わりにも心を動かされてきました。

食べることは、栄養を摂るだけではありません。

そこには、人の生き方や時代、喜びや悲しみが映し出されています。

このシリーズでは、さまざまな人の人生を通して、「食べること」の意味を考えています。

よろしければ、こちらも読んでいただけるとうれしいです😌


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