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【書籍】危機が組織を強くする—過酸化水素事故から学ぶ企業再生の教訓

 『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』(致知出版社、2020年)のp299「9月18日:悪いが良い、良いが悪い(日比孝吉 名古屋製酪社長)」を取り上げたいと思います。

 日比氏は、会社の歴史において決して忘れることのできない、過酸化水素事故という苦難の時代を振り返ります。昭和62年に発生したこの事故は、一部の商品に過酸化水素が残留するというものでしたが、マスコミはこれを誇張し、あたかも全ての製品に有害物質が混入しているかのような報道を繰り広げました。これにより、めいらくは市場に流通している全ての製品を回収せざるを得なくなり、その返品総額は実に40億円にも達しました。さらに追い打ちをかけるように、関西地方のスーパーマーケット各社からは、相次いで取引停止という厳しい処分が下される事態となりました。

 経営が危機的状況に陥る中、一部の悪質なスーパーマーケットは、この窮状に乗じて不当な利益を得ようと画策しました。ある有名なスーパーは、「3千万円を支払えば、御社の製品を再び店頭に並べても良い」という信じがたい提案を持ちかけてきたのです。藁にもすがる思いで3千万円を用意したところ、今度は「5千万円が必要だ」と要求額が釣り上げられました。泣く泣く増額に応じると、今度は「8千万円でなければ取引は再開しない」と、さらに法外な金額を要求されたのです。最終的には、「1億円を支払え」という要求にまでエスカレートし、最初の3千万円の要求からわずか一ヶ月も経たないうちに、金額は3倍以上に膨れ上がりました。日比氏は、このような非道な要求にさすがに堪忍袋の緒が切れ、「そのようなスーパーとは、もう取引は結構です」と、断固として拒否しました。

 しかし、全てが絶望的な状況だったわけではありません。悪質なスーパーが存在する一方で、イトーヨーカ堂のように温かい手を差し伸べてくれる企業もあったのです。当時の伊藤雅俊社長(現・名誉会長)は、「メーカーが困っている時にこそ、応援するのが我々の立場だ」と述べ、セブン-イレブンやデニーズなど、グループ傘下の企業の社長たちにも、めいらくを積極的に支援するように指示を出しました。このイトーヨーカ堂の支援のおかげで、東京地区の他のスーパーマーケットは取引停止に踏み切らず、東京市場だけは無傷で残ることができました。この支援は、めいらくにとってまさに暗闇の中の一筋の光であり、その後の再建の大きな支えとなりました。

 そして、この過酸化水素事故は、当初は大きなマイナス要因でしたが、結果的にはめいらくにとって非常に大きなプラスの効果をもたらすことになったのです。事故以前は、生産工程において不良品が頻発し、その不良品の割合は15%から20%にも達していました。これらの不良品を廃棄していたため、下水は常に牛乳のように真っ白に濁っていました。品質管理の教育を徹底したり、担当者を交代させたりしても、不良品の発生を抑えることはできませんでした。ところが、過酸化水素事故が発生した後、まるで魔法のように、不良品の発生がピタリと止まったのです。これまでだらしなかった生産部門の従業員たちが、会社の存亡の危機を目の当たりにし、危機感を抱いて業務に真剣に取り組むようになったのです。

 この事故による直接的な損害額は、百数十億円に達しましたが、不良品の発生がなくなったことで、年間で千億円以上の利益を生み出すことに繋がったと日比氏は語ります。このような事故や事件は、他の食品メーカーも経験していますが、それが会社の蘇生に繋がることがあります。皆が必死になり、本気を出すことで、会社は危機を乗り越え、より強くなることができるのです。だからこそ、日比氏は「悪いが良い、良いが悪い」という言葉を大切にしています。この言葉には、一見すると悪い出来事が、結果的には良い方向に導き、良い出来事が逆に悪い結果を招くこともあるという意味が込められています。過酸化水素事故は、めいらくにとってまさに命を救われた出来事だったのです。

生産工程で不良品が続出して困っていたのが、その事故でピタッと出なくなったんです。あのころは乳製品に十五~二十%も不良品が出て、それを流すものですから下水はいつも真っ白でした。品質管理の教育をしたり、担当者を代えたりしても、ロスは減りません。それが事故のあと不良品がピタッと出なくなったのです。だらしがなかった生産部門が、存亡の危機を迎えてしゃきっとしたんですね。あの事故では実質百数十億円の損害でしたが、ロスが出なくなったのを計算すれば一千億円以上の利益になったと思います。こういう事故、事件は他の食品メーカーも洗礼を受けていますが、それが会社の蘇生につながっています。みんなが必死になる、本気を出す。だから「悪いが良い、良いが悪い」。これが大事なんですね、命まで助かっている。

『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』(致知出版社、2020年)p299より引用

人事の視点から考えること

 ここで取り上げられている、名古屋製酪(めいらく)の過酸化水素事故の事例は、人事の立場から考察すると、単なる過去の出来事として片付けることのできない、極めて重要な教訓と深い示唆に満ちています。事故自体は、企業として絶対に回避すべき事態であり、あってはならないことですが、事故発生後の組織がどのように対応し、どのような変化を遂げ、そして最終的にどのように成長を遂げたのか、そのプロセスを詳細に分析することは、人事戦略を立案し、実行していく上で非常に貴重な情報源となります。

1. 危機管理とコミュニケーション:ステークホルダーとの信頼関係をいかに構築し、維持するか

  • 初期対応の圧倒的な重要性:スピード、透明性、そして誠実さ
     事故発生時における迅速かつ正確な情報開示は、企業を取り巻く全てのステークホルダー、すなわち顧客、従業員、株主、取引先、地域社会などからの信頼を維持するために、絶対的に不可欠な要素となります。初期対応の遅延、情報の隠蔽、曖昧な説明は、風評被害を拡大させ、企業のブランドイメージを著しく損なうだけでなく、企業存続そのものを脅かす事態にもなりかねません。
     人事としては、広報部、法務部など関連部署と緊密に連携し、従業員に対しては正確かつタイムリーな情報を伝達し、顧客や取引先に対しては丁寧な説明を行うと共に、メディアからの問い合わせに対しては一貫性のある対応を行うための体制を平時から構築しておく必要があります。緊急時におけるコミュニケーションプランの策定、訓練の実施、責任者の明確化など、組織全体で危機管理意識を高めることが求められます。

  • 従業員の心のケア:組織全体の心理的安全性を確保するために
     事故発生後、従業員は大きな不安や動揺を感じているはずです。企業に対する不信感、将来への不安、同僚への疑念など、様々な感情が渦巻いている可能性があります。
     従業員の精神的なケアを積極的に行うことが不可欠です。具体的には、専門家によるカウンセリングや相談窓口の設置、メンタルヘルスに関する研修の実施、上司や同僚とのコミュニケーションを促進するためのイベントの開催など、様々な施策を講じる必要があります。従業員が安心して働ける環境を整備し、組織全体の心理的安全性を高めることが、その後の復旧・再生に向けた原動力となります。従業員一人ひとりの声に耳を傾け、不安や疑問を解消し、企業への信頼を取り戻すための努力が求められます。

2. 組織文化とリーダーシップ:危機を成長の糧とするための組織変革

  • 危機をバネにする組織文化:再発防止と継続的な改善へのコミット
     
    事故を単なる不幸な出来事として終わらせるのではなく、組織全体でその教訓を共有し、品質管理意識を徹底的に高め、再発防止策を継続的に実施していくことが重要です。
     トップの強力なリーダーシップの下、全従業員が危機感を共有し、改善活動に主体的に参加するような組織文化を醸成していく必要があります。そのためには、従業員が自由に意見を述べられる環境の整備、失敗を責めるのではなく、そこから学び、改善に繋げる文化の醸成、成功事例だけでなく、失敗事例も共有し、組織全体の知見とする仕組み作りが求められます。

  • 成功体験からの脱却:現状維持は衰退への入り口
     事故以前のめいらくにおいては、長年の成功体験から、ある種の慣れや緩みが生じていた可能性があります。過去の成功体験に固執し、現状維持を良しとする姿勢は、組織の硬直化を招き、変化への対応を遅らせる要因となります。
     現状に満足せず、常に新しい知識やスキルを習得し、積極的にチャレンジする人材を育成・評価する制度を整備する必要があります。外部環境の変化に常にアンテナを張り、新しい技術やトレンドを取り入れ、組織全体で学習し続ける姿勢を促進することが重要です。過去の成功体験を否定するのではなく、それを糧とし、更なる成長を目指すための組織文化を醸成していく必要があります。

3. 人材育成と評価:変化に対応できる人材をいかに育成し、適正に評価するか

  • 品質管理の徹底:現場力の強化こそが品質を支える
     品質管理に関する研修プログラムを充実させ、全従業員の品質管理意識を向上させることが不可欠です。特に、現場で働く従業員に対しては、OJT(On-the-Job Training)やOFF-JT(Off-the-Job Training)などを通じて、実践的なスキルを習得させる機会を積極的に設ける必要があります。品質管理に関する資格取得を奨励したり、品質管理に関する知識やスキルを評価する制度を導入することも有効です。現場の従業員が品質管理の重要性を理解し、自らの業務において実践することで、品質向上に大きく貢献することができます。

  • 失敗から学ぶ文化:隠蔽体質からの脱却
     事故やミスを隠蔽するのではなく、オープンに議論し、その原因を徹底的に分析し、再発防止に繋げる文化を醸成することが重要です。人事部は、失敗を恐れず、積極的に新しいことにチャレンジする人材を評価し、育成する制度を構築する必要があります。失敗を責めるのではなく、そこから得られた教訓を組織全体で共有し、次なるチャレンジに活かすことが重要です。失敗事例をデータベース化し、組織全体の知見として蓄積することも有効です。

  • 多角的な評価制度:コンピテンシー評価の導入
     事故のような危機的状況においては、従業員の真価が問われます。従来の業績評価だけでなく、リーダーシップ、チームワーク、問題解決能力、コミュニケーション能力など、多角的な視点から従業員を評価するコンピテンシー評価制度を導入することで、組織全体の底上げを図ることができます。コンピテンシー評価は、従業員の行動特性を評価するため、より客観的で公平な評価が可能になります。また、コンピテンシー評価の結果を人材育成に活用することで、従業員の成長を効果的にサポートすることができます。

4. ステークホルダーとの関係構築:信頼回復への道のり

  • 取引先との信頼回復:誠意と透明性こそが信頼回復への鍵
     事故後、取引先からの信頼を回復するためには、経営トップ自らが誠意を持って謝罪すると共に、事故原因の徹底究明、再発防止策の策定、品質管理体制の強化など、具体的な改善策を提示することが不可欠です。伊藤ヨーカ堂のような支援企業との関係を大切にし、感謝の気持ちを伝えると共に、他の取引先との信頼関係も地道に再構築していく必要があります。定期的な情報提供、意見交換会の開催、工場見学の実施など、透明性の高い情報開示を行い、取引先とのコミュニケーションを密にすることが重要です。

  • 地域社会への貢献:社会との共生を目指して
     
    地域社会からの信頼を回復するため、地域貢献活動を積極的に行うことも重要です。人事部は、ボランティア活動の推進、地域イベントへの参加、地域住民への工場見学の実施などを奨励し、従業員の社会貢献意識を高める必要があります。また、地域社会のニーズを把握し、地域社会に貢献できるような事業を展開することも有効です。企業が地域社会の一員として、地域社会の発展に貢献することで、地域社会からの信頼を得ることができます。

5. 人事戦略の再構築:危機に強い組織をいかに作るか

  • 危機に強い組織作り:リスクマネジメントと事業継続計画の策定
     人事戦略を再構築し、危機に強い組織作りを目指す必要があります。リスク管理体制の強化、事業継続計画(BCP)の策定、多様な人材の育成、柔軟な働き方の推進など、様々な対策を講じることで、将来起こりうる危機に備えることができます。
     リスク管理体制の強化においては、リスクアセスメントの実施、リスク管理ルールの策定、リスク管理に関する研修の実施などを行う必要があります。事業継続計画(BCP)の策定においては、緊急時の連絡体制の構築、代替生産拠点の確保、サプライチェーンの多角化などを検討する必要があります。
     多様な人材の育成においては、グローバル人材の育成、IT人材の育成、マネジメント人材の育成など、組織全体の競争力を高めるための人材育成戦略を策定する必要があります。

  • 柔軟な働き方の推進:変化に強い組織を支える基盤
     テレワークやフレックスタイム制度など、柔軟な働き方を推進することで、従業員のワークライフバランスを向上させ、組織全体の生産性を高めることができます。また、育児や介護など、様々な事情を抱える従業員が働きやすい環境を整備することで、多様な人材を確保し、組織のダイバーシティを推進することができます。柔軟な働き方は、従業員のエンゲージメントを高め、離職率を低下させる効果も期待できます。

6. 教訓の継承:経験を未来へ繋ぐ

  • 社内での事例共有:過去の経験を活かす仕組み
     この事例を、社内研修やOJTなどを通じて、全従業員に共有することが重要です。過去の失敗から得られた教訓を組織全体で共有することで、同様の事故の再発を防止し、組織全体の危機管理能力を高めることができます。事例共有の際には、事故発生時の状況、原因、対応、そしてそこから得られた教訓などを詳細に説明し、従業員が具体的にイメージできるようにすることが重要です。

  • 次世代リーダーの育成:危機管理能力の向上
     次世代リーダーに対して、危機管理に関する研修やワークショップなどを実施し、危機発生時の対応能力を向上させることが重要です。シミュレーション形式の研修などを通じて、様々な危機的状況を想定し、その対応策を検討することで、リーダーシップを発揮し、組織を危機から救うことができる人材を育成することができます。また、過去の事例を研究し、成功例だけでなく、失敗例からも学ぶことで、より実践的な危機管理能力を身につけることができます。

7. テクノロジーの活用:リスク管理の高度化

  • AI・IoTの活用:品質管理の自動化・効率化
     AI(人工知能)やIoT(Internet of Things)などの最新テクノロジーを活用することで、品質管理の自動化・効率化を図ることができます。例えば、AIを活用した画像解析技術を用いて、製品の異常を早期に発見したり、IoTセンサーを用いて、生産ラインの温度や湿度などをリアルタイムで監視し、異常が発生した場合に自動的にアラートを発したりすることができます。

  • ビッグデータ分析:潜在的なリスクの発見
     過去の品質データや顧客データなどをビッグデータ分析することで、潜在的なリスクを発見することができます。例えば、特定のロットの製品に異常が発生する傾向がある場合、その原因を特定し、事前に対応することで、大規模なリコールを回避することができます。

8. ESG経営の推進:社会からの信頼獲得

  • 環境への配慮:持続可能な社会への貢献
     ESG(Environment, Social, Governance)経営を推進し、環境への配慮や社会貢献活動を積極的に行うことで、社会からの信頼を獲得することができます。例えば、省エネルギー化や再生可能エネルギーの利用を推進したり、地域社会の課題解決に貢献する事業を展開したりすることで、企業の社会的責任を果たすことができます。

  • 透明性の高い情報開示:ステークホルダーとの対話促進
     ESGに関する情報を積極的に開示することで、ステークホルダーとの対話を促進することができます。例えば、環境報告書やサステナビリティ報告書などを発行し、企業の環境への取り組みや社会貢献活動などを詳細に説明することで、社会からの理解と支持を得ることができます。

まとめ

 この事例は、企業人事の立場から見ると、危機管理、組織文化、人材育成、ステークホルダーとの関係構築、そして人事戦略の再構築など、多岐にわたる教訓を与えてくれます。企業は、過去の失敗から学び、未来に備えることで、より強靭で持続可能な組織へと成長することができます。これらの教訓を活かし、変化に対応できる人材を育成し、危機に強い組織を作り上げるための戦略を策定し、実行していく必要があります。事故は二度と起こしてはならないことですが、その経験を無駄にせず、組織の成長の糧とすることが、企業に求められる姿勢でしょう。

企業の困難と再生を象徴的に表しています。荒れ狂う嵐の海は危機や試練を表し、苦境の中で揺れる船が企業の姿を象徴しています。船の一方は財政的損失やメディアの逆風に沈みかけていますが、もう一方は支援者や組織の結束によって持ちこたえています。上空には暗雲を突き破る太陽が輝き、未来への希望と成長の兆しを示しています。暗闇の中でも努力と支援があれば光が差すことを感じさせます。


1日1話、読めば思わず目頭が熱くなる感動ストーリーが、365篇収録されています。仕事にはもちろんですが、人生にもいろいろな気づきを与えてくれます。素晴らしい書籍です。


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