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【書籍】『致知』2025年4月号(特集「人間における運の研究」)読後感

致知2025年4月号(特集「人間における運の研究」)における自身の読後感を紹介します。なお、すべてを網羅するものでなく、今後の読み返し状況によって、追記・変更する可能性があります。

 今回の特集は、「人間における運の研究」です。「運」とは何なのか、ということを考えるのは普段は多くはありませんが、この機会に深く考えてみたいと思います。



巻頭:民の誇りと国家の姿を取り戻す年に 後藤俊彦さん(高千穂神社宮司)p8

 この記事では、後藤氏が日本の文化的アイデンティティと国家としての使命を深く考察しています。

 後藤氏は令和元年の秋にロサンゼルスで開催されたアジア映画祭に招かれ、自然災害を鎮めるための神事(巫女舞)を披露した経験から語り始めます。その時期、カリフォルニア州では大規模な山火事が発生しており、テレビで見る情景は戦争で空爆を受けた都市のようだったと描写しています。この体験から、人類が「火」の発明により豊かな文明を築き上げた一方で、マッチ一本ほどの小さな火種が山林や人家、人々の平和な暮らしを一瞬にして奪い去る火災の恐ろしさについて考察しています。
 この点については、物理学者の寺田寅彦先生が約100年前に著書「天災と国防」の中で「文明が発達すればするほど自然災害は大きくなる」と指摘していたことを引用し、人類の目指す文明が天地自然の理にかなったものでなければ、自ら災禍を招き自滅の道を歩む恐れがあると警鐘を鳴らしています。

 続いて、平成28年4月の熊本地震の際に被災地を訪れた体験を語ります。現代の土木技術の粋を尽くした橋やトンネルが各所で損壊している一方で、明治・大正・昭和初期に造られた古い道路が、所々に石の塊が落ちている程度で災害時にあっても立派に道路としての役割を果たしていたことに感謝の念を覚えたといいます。

 さらに、『日本書紀』によると、15代応神天皇の5年に諸国に命じて「山守部」を定めたという記述から、既に3世紀の頃から日本では国家事業として山を保全・管理していたことを指摘しています。この伝統は現代の全国植樹祭や育樹祭の行事として継承されていると述べています。

 また、1912年2月に当時の東京市から3,020本の桜の苗木がアメリカのワシントンに贈られた史実に触れ、これが日露戦争終結のポーツマス条約締結で米国の恩義を受けた日本国の感謝の証として贈られたものであること、そしてこの桜並木は第二次世界大戦時も伐採されることなく、今も毎年見事な花を咲かせてアメリカ国民や訪れる人々に美しい感動を与える名所となっていることを紹介しています。

 後藤氏は、2025年(令和7年)という年が、皇紀では2685年にあたり、昭和から100年、第二次世界大戦終戦から80年という大きな節目の年であることを強調します。この年は干支では乙巳(きのとみ)で、「脱皮と再生の年」とも言われ、自国の存亡を懸けて目まぐるしく変化する世界において自国自身を見失わないことの重要性を説いています。

 日米関係についても考察が及び、戦後の両国関係は概ね良好である一方、日米同盟は単に軍事面だけのことを指すのではなく、両国の文化的価値を共有する長期的な展望に立って行われることが望ましいと述べています。そして、カリフォルニアの山火事のお見舞いとして、日本の知恵を尽くして被災現場への植林協力などを提案してもよかったのではないかという考えを示しています。

 また、アメリカと日本の国家としての性質の違いについても言及しています。アメリカは建国以来、太平洋支配の野望を捨てておらず、プロテスタントの精神と理念によって建国された資本主義大国である一方、日本の経済活動の精神には、福沢諭吉が「エコノミー」を「経世済民」(世を治め、民生を安んずる人民のための政治)と訳したように、商売の尊さは売り買いいずれも益し、世の中の不足を埋めることを商人道とした近江商人の儒教的精神に通じるものがあると指摘しています。

 結びとして、聖徳太子が中国の階の国王宛ての書簡で日本を「日出処」(ひいづるところ)と表現したことや、江戸時代の国学者本居宣長が「敷島の大和心を人とはば 朝日に匂ふ山桜花」と詠んだことを引用し、日出る国の民としての誇りと、朝日に気高く匂う国家の姿を取り戻す節目の年になることを願わずにはいられないと締めくくっています。

 企業の人事戦略においても、後藤氏の巻頭言から重要な示唆を得ることができます。特に注目すべきは「古い道路が災害時に役立った」という洞察です。
 組織においても、最新の人事システムや評価制度が導入される一方で、長年培われてきた企業文化や暗黙知、世代を超えて受け継がれてきた価値観が、予期せぬ危機に直面した際に真価を発揮することがあります。
 例えば、デジタル化やグローバル化の波の中で、伝統的な「和を以て貴しとなす」精神や「三方よし」の商人哲学といった日本的経営の根幹を見失わないことが、組織の持続可能性を高める要因となり得ます。
 人事部門としても、新しい制度や技術を導入しながらも、組織の歴史や独自の強みを再評価し、それらを現代に適応させつつ継承していく責任があります。「脱皮と再生」の時代だからこそ、自社のアイデンティティを見つめ直し、社員が誇りを持てる企業文化を育む施策が求められているのではないでしょうか。


リード:藤尾秀昭さん 特集「人間における運の研究」p12

 「人間における運の研究」と題された本誌の特集は、人生における運と人間の関係性について、様々な識者の考えや実体験を通して深く掘り下げています。この記事では、運を引き寄せる心構えや行動、そして人間としての在り方について考察されており、読者に運と人生の関係について新たな視点を提供しています。

 まず、本特集の冒頭では、故・米長邦雄氏と渡部昇一氏の対談が紹介されています。米長氏は五十歳目前に名人位を獲得した際、その稀有な成功体験から「運をよくするには心がけが大事」と述べています。氏によれば、幸運の女神は謙虚さと笑いを好み、そのような人にほほえむのだといいます。逆に「人をうらむ、にくむ、ねたむ、そねむ、ひがむ、やつかむ」といった否定的な感情を持つ人には、運は決してついてこないと断言しています。

 渡部氏は幸田露伴の『努力論』から「幸福三説」を引用し、これこそが運をよくする心得だと説明しています。幸福三説とは「惜福」「分福」「植福」の三つからなり、特に第一の「惜福」が重要とされています。惜福とは、偶然自分に与えられた福を使い尽くさず、大切にすること。分福は自分に来た福を独り占めにせず他者と分かち合うこと。植福は将来の世代のために今から種を蒔いておくことを指します。露伴の考えによれば、これらの工夫があれば運が巡ってくる可能性が高まるというのです。

 記事ではさらに、様々な成功者たちの運に対する考え方や哲学を紹介しています。栗山英樹元監督は「チームの一人ひとりが自分の仕事をやり尽くした時、神さまが応援してくれる」と語り、日々の誠実な努力が運を呼び込むことを示唆しています。また、千玄室大宗匠は子供の頃に母親から教わった「毎朝鏡の中の自分に『おはようございます』、夜も自分に『ご苦労さま』といいなさい」という習慣を今日まで続けており、この小さな心がけが強運の一因になっているとの考察がなされています。

 松下幸之助氏も運について多くの言葉を残しています。松下政経塾の塾頭であった上甲晃氏に「人間、九割は自分ではどうにもならない運命のもとに生きている。その運命を呪ってはいけない。喜んで受け入れる。すると、運命がよくなる」と語ったといいます。また、「経営者にとって一番大事なものは何ですか」との質問に「それは運がよいことです」、「運をよくするにはどうすればいいですか」との問いに「それは徳を積むことです」と答えたといいます。運は徳が呼び寄せるものという考えが松下氏の信念の根幹にあったのでしょう。

 稲盛和夫氏の人生哲学も興味深く紹介されています。氏は「災難や苦難に遭ったら、嘆かず、腐らず、恨まず、愚痴をこぼさず、ひたすら前向きに明るく努力を続けていく」ことが大切だと説き、また成功した際には「驕らず、偉ぶらず、謙虚さを失わず」、自分がこのような機会に恵まれることは当たり前ではなく感謝すべきことだと述べています。こうした姿勢が素晴らしい人生を生きるための絶対条件だと稲盛氏は強調しています。

 記事の締めくくりには、運について忘れてはならない二つの格言が紹介されています。一つ目は大和ハウス工業の樋口武男元会長顧問による「人の道を守らない人間、親を大事にしない人間、恩ある人に砂をかける人間に運はついてこない」という言葉です。二つ目は常岡一郎氏の「自分の立つことばかり考えている人はかえって滅びる。身の立つことを考えないで道の立つことを考える。報恩のよろこびを育て上げていく。そこにのみ伸びる道、拓ける道がある。不思議によい運命に守られる」という深遠な教えです。

 これらの言葉は時代や国を超えた「人と運」の普遍的な法則を示しており、私たちが日々実践していくべき生き方の指針となっています。本特集は、運が単なる偶然ではなく、人の心がけや行動、特に謙虚さや他者への思いやり、そして日々の誠実な努力によって大きく影響されるという重要なメッセージを伝えています。成功した人々の共通点は、自己中心的な考えを持たず、常に他者や社会に貢献する心を失わなかったことにあるのかもしれません。

 企業人事の立場から「人間における運の研究」の知見を活用するならば、採用・育成における「徳を積む人材」の見極めと組織文化の醸成が重要だと考えます。
 採用面接では、候補者が過去の困難をどう乗り越えたか、成功をどう受け止めたかを丁寧に聞き取ることで、「嘆かず、恨まず、驕らず」という姿勢を持つ人材を見出せます。また、「分福」の精神、つまり知識や成功体験を惜しみなく共有できる協調性も重視すべきでしょう。
 組織内では、個人の成果だけでなく、チームへの貢献や後進の育成といった「植福」行動を評価する制度設計が効果的です。短期的な結果よりも、長期的な組織の発展に寄与する姿勢を高く評価することで、社員が自発的に「徳を積む」文化が形成されます。 
 松下幸之助氏の「運命を喜んで受け入れる」という教えを組織に適用すれば、変化や逆境を前向きに捉え、そこから学びを得る組織レジリエンスが高まるでしょう。これは急速に変化するビジネス環境において、極めて価値ある組織能力となります。

 力とリスク対応能力を養う必要があります。従業員が自由に意見を発信できる風通しの良い組織文化を醸成し、常に危機意識を持ちながら、従業員エンゲージメントを高めるための取り組みも重要となります。

 第四に、人事は短期的な成果だけでなく、長期的な視点に立ち、従業員の育成と組織文化の醸成に取り組む必要があります。個々の従業員のキャリアパスを長期的にサポートし、成長を促す人事制度を構築する必要があります。

 人事の役割は、この記事に示されたように、従業員の成長と組織の発展を同時に実現していくことにあります。そのためには、自己陶冶を促す人材育成、謙虚さを備えたリーダーシップ開発、変化に強い組織文化の醸成という三つの柱をバランス良く推進していく必要があるといれるのではないでしょうか。


人間における運の研究 鈴木秀子さん(文学博士)、數土文夫さん(JFEホールディングス名誉顧問)、横田南嶺さん(臨済宗円覚寺派管長)p14

 文学博士の鈴木秀子氏、JFEホールディングス名誉顧問の數土文夫氏、そして臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺氏という、異なる分野で活躍する三名の識者による深い洞察に満ちた座談会でした。この対談では、古来より人間の生き方における大きなテーマとなってきた「運」について、その本質から高め方まで多角的に議論されています。

 運の本質について、三氏は単なる偶然や外部からの贈り物ではなく、人の内面や行動と深く結びついたものであるという見解で一致しています。
 横田氏は「一所懸命にひたむきに取り組んでいると運がやってくる」と述べ、數土氏は運を「志や目標に向かって突き進んだ時の達成確率」と定義しています。興味深いことに、三氏とも自分の周囲で「運がいい」と思われる人々に共通するのは、その人自身が自分を「運がいい人」だと自覚していないことだと指摘しています。鈴木氏は聴覚障碍者が「人工内耳の手術で聞こえるようになったから本当に運がいい」と感じる例を挙げ、逆境さえも感謝で受け止める心の大切さを語っています。

 運を高めるための習慣と考え方については、具体的かつ実践的な知恵が多く語られました。まず感謝の心を持つことの重要性が強調され、どんな小さなことにも喜びと感謝を見出す姿勢が運を引き寄せると三氏は口を揃えます。次に志を立てて前進し続けることの大切さが語られ、數土氏は「人生のどん底でも志を持ち続け、諦めずに前進することで運は開かれる」と力強く述べています。さらに明るく前向きな態度、読書による知識の蓄積、早起きや適度な運動、バランスの取れた食事など、日常の習慣づけの大切さも指摘されました。横田氏は仏教の視点から「施し」と「戒め」の大切さを説き、自らを律しながらも他者に心を開くことの重要性を語っています。

 座談会で特に深く掘り下げられたのは、逆境の捉え方についてでした。鈴木氏は「苦しい時、今は幸せの種を蒔いていると思えばよい。その種はやがて芽を出す」という言葉を紹介し、逆境も長く続かないという希望を持つことの大切さを説きました。横田氏はお釈迦様の教えを引用し、人間には「闇から闇に行く人」「闇から光に行く人」「光から闇に堕ちる人」「光から光に行く人」の四種類があり、どんな環境にあっても自分の行動や思いによって人生は変えられるという希望の教えを共有しました。數土氏は中国の古典『春秋左伝』の「禍福門なし、只人の招く所」という言葉を紹介し、幸不幸は結局のところ自分自身が招くものであり、その意味では人間はいかようにも変わることができるという深い洞察を述べています。

 三氏の対話を通じて浮かび上がってくるのは、運は単に待ち受けるものではなく、日々の小さな行動や心の持ち方、感謝の念や志を持って生きることで自ら切り開いていくものだという共通認識です。特に印象的だったのは、坂村真民の詩「光だ 光だ という人には いつか光が射してくるし 闇だ 闇だ という人には いつまでも闇が続く」を引用した横田氏の言葉で、運は究極的には自分の意識と行動によって大きく変わるという力強いメッセージが座談会全体を貫いていました。

 この対談は、現代社会に生きる私たちに、運命を嘆くのではなく、いかに主体的に自分の運を切り開いていくかという実践的な知恵を与えてくれる、非常に示唆に富んだ内容となっています。三氏それぞれの豊かな人生経験と深い洞察から紡ぎ出された「運の研究」は、読む者に自らの生き方を見つめ直す貴重な機会を提供してくれるでしょう。

 企業人事の観点からこの「運の研究」を捉えると、組織における人材育成と幸福度向上に示唆に富む内容です。
 數土氏が述べる「運とは志と目標の達成確率」という定義は、企業目標設定の本質を表しています。目標に向かって強い意志を持ち続ける社員を育成することが、組織の「運」を高める基盤となるでしょう。
 また、逆境をポジティブに捉え直す姿勢は、ビジネスにおける失敗やキャリア停滞を成長機会と捉える企業文化構築のヒントになります。「順境でも慢心せず、逆境でも希望を持つ」という姿勢は、変化の激しいビジネス環境を生き抜くレジリエンスを高めます。
 人事制度設計においては、鈴木氏の「小さなことへの感謝の習慣」という視点を取り入れ、業績評価だけでなく、日々の小さな貢献や成長を可視化し称える仕組みが有効でしょう。
 さらに、横田氏の「同じ目的を持つことがお互いを結びつける」という洞察は、多様な人材がビジョンを共有し一体感を持って働ける組織づくりの重要性を示唆しています。
 運が「人の招くもの」という考え方は、社員の主体性を重視し、自らのキャリアを切り開く力を養成する人材開発の方向性とも合致します。


勝運を掴む 岡田武史さん(今治.夢スポーツ会長)、小久保裕紀さん(福岡ソフトバンクホークス監督)p24

 サッカー界と野球界という異なる競技分野で活躍してきた二人の名将、岡田武史氏(FC今治オーナー、元日本代表監督)と小久保裕紀氏(福岡ソフトバンクホークス監督、元侍ジャパン監督)による対談です。
 両氏は日本代表監督としての経験を持ち、それぞれの分野で確かな実績を残してきた指導者です。この対談では、リーダーシップ論から人材育成、チーム作り、そして人生における「運」の捉え方まで、幅広いテーマについて語り合っています。

 まず、リーダーシップと選手育成についての考え方が印象的でした。岡田氏は、日本のサッカー界における長年の課題として、選手が指示を仰ぎすぎる文化があったことを指摘しています。外国人監督から「日本の選手はこんなに指示を仰ぎにくるのか」と言われた経験から、自分で判断できる選手を育てることの重要性に気づき、「岡田メソッド」を構築しました。このメソッドは、型にはめるのではなく、自立した判断ができる選手を育てることを目指したものです。

 一方、小久保氏は権限委譲の重要性を強調しています。自身の監督としての仕事は「コーチを生かすこと」だと考え、全てを自分で決めようとするのではなく、コーチ陣の意見を積極的に取り入れる姿勢を大切にしています。九人のコーチがいれば「九つの脳味噌」を活用したほうが良いという考え方で、コーチに「これを実現するにはどうしたらいいか」と問いかけ、彼らの提案に基づいて行動させることで、チーム全体の力を最大化しているのです。

 次に、両氏はチーム理念の共有について深く語っています。岡田氏はFC今治の代表に就任した際、「次世代のため、物の豊かさより心の豊かさを大切にする社会創りに貢献する」という企業理念を掲げました。この理念に共感する人材が集まり、スポンサーも現れ、組織が動き始めたと振り返っています。理念を掲げるだけでなく、リーダー自身がその理念に基づいて判断し続けることで、組織内に「それって理念に反していない?」という言葉が自然に生まれる文化を醸成しました。

 小久保氏も同様に、福岡ソフトバンクホークスにおける「王イズム」の継承と明文化の重要性を語りました。王貞治氏の野球に対する考え方や姿勢をチーム全体で共有するため、元選手やコーチから話を聞いてメソッド化する取り組みを進めています。また、共通のルールを設定しつつも選手の主体性を大切にする「選手ファースト」の本質的な意味を説明し、ただ選手のわがままを許すことではなく、選手が成長するために必要なことを提供することだと強調しています。

 対談の中で特に印象的だったのは、両氏が経験した重圧との向き合い方です。小久保氏は、初めて監督を務めた開幕戦での緊張感を「一生に一回しかない」ものだったと振り返り、その重圧が最も大きかったと語りました。しかし、過去に日本代表監督を務めた経験があったからこそ乗り越えられたとも語っています。

 岡田氏も日本代表監督時代に極限まで追い詰められ、「もし負けたら日本に帰れない」と思い詰めるほどの圧力を感じていました。しかし、ある瞬間に「どちらに転ぼうと前へ進むしかない」と開き直ることができ、それを境に恐れがなくなったと述べています。両氏とも、極限の状況で自分の中の何かが変わる瞬間を経験し、それが後の指導者人生に大きな影響を与えたことを共有していました。

 運の掴み方についての議論も非常に興味深いものでした。岡田氏は「勝利の女神は細部に宿る」という言葉を大切にしています。コーンの周りを走る練習で「内側を走るか、外側を走るか」という小さな選択や、ミドルシュートに対する反応など、細部へのこだわりが最終的な勝負を分けると強調しています。運は誰にでも平等に流れているが、それを掴むか掴み損ねるかは日頃からの準備次第だというのが岡田氏の考えです。

 小久保氏は、船井幸雄氏の著書から学んだ「人生に起こることはすべて必然で必要」という考え方に影響を受けたと語りました。現役時代のケガや日本代表監督としての苦い経験も、後から振り返ると成長のために必要な出来事だったと捉えています。毎日感謝の気持ちを持ち、仏壇に手を合わせて前日のよかったことに感謝するという習慣も紹介し、感謝の心が運を掴む鍵になると述べています。

 最後に、両氏は主体性を育む教育について意見を交わしました。岡田氏はFC今治高校里山校で学園長を務め、生徒の主体性を重視した教育を実践しています。「命に関わること、法律に違反すること、人の成長を妨げること」以外は全て生徒に決めさせるという方針で、教師は指示するのではなく「どうしたの?」「どうしたい?」「手伝えることはある?」という質問を通じて生徒の主体性を引き出しています。

 小久保氏もこの教育方針に共感を示し、若い選手の指導においても適切な時期に「放ったらかし」にすることの重要性を再認識したと語りました。両氏は、人間の成長には自ら考え、失敗し、そこから学ぶプロセスが欠かせないという点で意見が一致しています。

 この対談全体を通じて、異なる競技分野で活躍してきた二人の名将が、人間の成長や組織づくり、運の掴み方について多くの共通点を持っていることが明らかになりました。自立した個人を育て、明確な理念のもとでチームを団結させ、困難を乗り越える中で自らも成長し続けるという姿勢は、スポーツの枠を超えた普遍的な知恵として私たちに多くの示唆を与えてくれます。

 この名将対談から企業人事担当者が学べる点は多岐にわたります。まず、人材育成において両氏が強調した「自分で判断できる人材」の重要性は、現代のVUCA時代における企業にも不可欠です。岡田氏の「型を教えつつも自立を促す」アプローチは、新入社員研修から中堅社員育成まで応用できる視点です。
 また、小久保氏の権限委譲の実践は、ミドルマネジメント育成の好例といえます。「九つの脳味噌」を活用するという考え方は、多様な視点を取り入れるダイバーシティ経営にも通じます。
 両氏が重視する「理念の共有」と「行動への落とし込み」は、企業文化構築の要です。抽象的な理念を日々の判断基準として浸透させる手法は、企業のパーパス経営を実現する上で参考になります。
 さらに、「困難を乗り越える経験からの学び」という視点は、人事部門がキャリア形成を支援する際に重要です。適度なストレッチ目標の設定や、失敗からの学びを促す評価制度設計において活かせるでしょう。
 岡田氏の教育実践は、OJTやメンタリングにおける「教えすぎない」指導術として、人材開発担当者に新たな視点を提供してくれるものです。


運を引き寄せる秘訣は人間力にあり 横山信治さん(グッドモーゲージ社長)p34

 運とは一体何なのか。多くの人々は運を偶然やめぐり合わせと考え、自分ではコントロールできないものと諦めがちです。しかし、横山信治氏は25年以上の独自研究を通じて、運は人の手で100%コントロールできるものだと断言します。彼によれば、運とは単なる偶然ではなく、「人間力」の表れなのです。ゴルフのスキルが基礎体力なしには上達しないように、人間力という土台がなければ、どれだけ運を求めても巡ってくることはありません。

 横山氏自身、40歳までは「うだつの上がらないダメサラリーマン」だったと振り返ります。日本信販(現・三菱UFJカード)で住宅ローンの営業をしていた20代後半、全国2,000人の営業マンの中で最下位という不名誉な記録を打ち立てたこともありました。当時の彼は同僚や上司への不満を抱え、「あいつはいい顧客ばかり横取りする」「あんな欠陥商品が売れるはずない」と愚痴ばかりこぼしていました。

 転機となったのは、「誰もが明日から幸せになれる」というセミナー広告との出会いでした。セミナー自体は役に立たなかったものの、そこで聞いた「駄目なやつは駄目なやつ同士で愚痴を言っている。幸せになりたければ、幸せな人の傍にいけ」という言葉が彼の心に突き刺さりました。この言葉をきっかけに、彼は成績上位の同僚と昼食を共にするようになりました。

 そこで彼が気づいたのは、成功している人々の言葉遣いの違いでした。問題に直面した時、彼らは決して愚痴や不満を口にせず、ポジティブな視点から物事を捉えていたのです。例えば、「売れない商品」を「新たな販路を開拓するチャンス」と捉えるような前向きな思考の持ち主でした。横山氏はこの気づきを実践し、大口取引先を毎日2回訪問するという行動パターンに変えました。その結果、半年後には全国1位の成績を記録するに至ったのです。

 しかし、成功体験から天狗になった横山氏は、上司に反抗的な態度を取るようになり、39歳の時に債権回収部へ左遷されてしまいます。高額の借金を返済できない人のもとを訪問する精神的に厳しい仕事に追い込まれ、やがてうつ病を発症するまでに追い込まれました。さらに追い打ちをかけるように、子供が不登校になるという家庭の危機も訪れます。

 絶望の淵にいた横山氏に光明をもたらしたのは、ナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』との出会いでした。「人間は燃えるような熱意さえ持っていれば、何でもできる」という教えに触れた彼は、何度も本書を読み返し、次第に内面から変化していきました。そして2001年、安定した日本信販を退職し、ソフトバンクファイナンス(現・SBIホールディングス)に転職。日本初のモーゲージバンクであるSBIモーゲージの創業メンバーとして参画し、後にSBIマネープラザの社長、そしてグッドモーゲージの創業者となるまでに至りました。

 横山氏が長年の研究から導き出した「運を引き寄せる考え方と行動の法則」には、いくつかの重要なポイントがあります。
 まず第一に、「人の喜ぶことをして、人の嫌がることをしない」こと。運は人が運んでくるものであり、周囲の人を快適にすることで自分にも良い影響が巡ってきます。
 第二に、「ありがとう」という感謝の言葉を日常的に使うこと。京セラ創業者の稲盛和夫氏も「なんまん、なんまん、ありがとう」(南無阿弥陀仏、ありがとう)を口癖としていたように、感謝の気持ちがポジティブなエネルギーを生み出します。

 反対に、運に見放される人は「できません」「でも」「だって」などの否定語を多用し、問題の解決よりも言い訳に終始しています。横山氏は、SBIグループで働いていた頃、どんな難題を押し付けられても「分かりました!」と受け入れ、「できない理由を探すのではなく、どうやったらできるかを模索する」姿勢を貫いたといいます。

 また、運を引き寄せる上で特に重要なのは「誰でもできることを誰にもできないくらいやる」という継続の力です。一流の人々は、人知れず膨大な努力を積み重ねています。例えば、ピカソは生涯で14万8千点もの絵を描き、SBIホールディングスの北尾吉孝氏は多忙を極める現在でも毎朝4時に起床して中国古典を読むという習慣を継続しています。「人は失敗するのではない。努力するのを諦めるのだ」というエリフ・ルートの言葉が示すように、地道な努力の継続こそが運を引き寄せる鍵なのです。

 横山氏は最後に、物質的な豊かさや地位だけでは真の幸福は得られないと強調します。運を掴むための土台となるのは、人間力です。そして人間力を養うには「動機善なりや、私心なかりしか」という稲盛和夫氏の言葉にもあるように、私利私欲ではなく、世のため人のためという崇高な信念を持ち、覚悟を決めて行動することが重要です。横山氏自身、致知の講演会で感銘を受けて以来、多くの先人から学ぶことを心がけてきたといいます。

 運は決して気まぐれな偶然ではなく、日々の考え方と行動、言葉遣い、そして継続的な自己啓発によって引き寄せるものです。真摯に自己を磨き、人間力を高め続けること。これこそが良運を招く秘訣なのです。横山氏の経験と研究から導き出された「運の法則」は、私たちの人生をより豊かに、より幸福に導く羅針盤となることと思います。

 企業人事の観点から見ると、横山氏の「運は人間力」という考え方は人材育成と組織開発に重要な示唆を与えます。採用や評価において、単なるスキルや経験だけでなく、「ポジティブな言葉遣い」や「感謝の表現」といった人間力を重視することで、組織全体の運気を高められるでしょう。
 特に注目すべきは「誰でもできることを誰にもできないくらい継続する」姿勢です。この特性を持つ人材は、目先の成果だけでなく長期的な価値創造に貢献します。また、「できない理由ではなく、どうやったらできるかを模索する」思考は、イノベーションの源泉となります。
 人事施策としては、単なる技術研修だけでなく、マインドセットや言葉遣い、感謝の習慣化などの「人間力」強化プログラムを導入することが効果的でしょう。また、評価制度においても、業績だけでなく、周囲への貢献や前向きな姿勢といった定性的な要素を取り入れることで、横山氏の言う「運を引き寄せる組織文化」を醸成できるのではないでしょうか。
 組織全体の運気を高めるのは、結局のところ一人ひとりの人間力の総和といえるのでしょう。


運は勉強する者に味方する 先崎 学さん(将棋棋士九段)p50

 この記事は、先崎氏の波乱に富んだ人生と将棋界での長いキャリア、そして師匠である米長邦雄永世棋聖から学んだ人生哲学について詳細に語られています。「運は勉強する者にする」という言葉に集約される彼の人生観は、単なる運任せではなく、日々の研鑽が運を引き寄せるという深い洞察に基づいています。

 先崎九段は、父親の仕事の関係で頻繁に引っ越しを経験する「転勤族」の家庭に生まれました。青森で生まれた後、東京、札幌、そして小学2年生の頃に水戸へと引っ越しました。新しい環境への適応を繰り返す中で、地元での友人関係を築くことが難しかった彼は、小学4年生の頃に近所の将棋センターを訪れるようになります。そこで出会った将棋は、彼に新たなコミュニティと居場所を提供しました。大人たちが親切に対応してくれる将棋センターは、幼い先崎少年にとって心の拠り所となりました。将棋の勉強をした記憶はないものの、漫画を読みながら対局したり、大人を相手に勝って悔しがる姿を見ることが楽しかったと振り返っています。

 小学3年生の時、「よい子日本一決定戦」小学校低学年の部で、同い年の羽生善治を押さえて優勝した経験から、先崎少年は米長邦雄のもとへと導かれることになります。ある日、母親に連れられて訪れた米長家で、「君は将棋が好きかい?」と問いかけられた先崎少年は、「はい!」と即答。さらに「よかったら、ずっとここにいてもいいんだよ」という冗談めいた言葉に対して「いたいです」と答え、突然、師匠・米長邦雄の内弟子になることが決まりました。小学校を東京に転校し、3年間、米長家で寝起きを共にしながら将棋の道を歩み始めました。

 先崎九段は内弟子時代の生活について詳しく語っています。朝は7時頃に起床し、女流トップ棋士・林葉直子さんと分担して家の掃除をし、食事の後片付けや犬の散歩なども担当したそうです。米長師匠からは将棋の技術だけでなく、人間としての礼節や生き方についても多くを学びました。特に印象に残っているのは、米長師匠が将棋における「勢い」を重視していたことです。体が健康で締まっていて気合いが乗っていれば勝負に勝てる、という独特の勝負勘を持っていました。また、「苦しい時ほど笑え」という人生観も、先崎九段の心に深く刻まれています。

 小学5年生で奨励会に入会した先崎少年は、17歳で四段となりプロ入りを果たします。将棋のプロ世界は非常に狭き門で、昇段できるのは半年に2人、1年で4人という厳しい世界です。また、満26歳までに四段に上がれなければ退会となる規則もあり、多くの若者が夢を諦めざるを得ない現実がありました。

 そんな厳しい環境の中で支えとなったのが、同い年の羽生善治の存在です。羽生は先崎の内弟子になる前からの幼馴染であり、一緒に研究会を開いて勉強していました。先崎九段は「彼と勉強しているんだから棋士になれないわけがない」という単純な思い込みが、自分を支えていたと振り返ります。結果として羽生善治は将棋界の頂点に立ち、先崎自身も九段まで上り詰めることになります。

 プロ入りしてからも先崎九段の道のりは平坦ではありませんでした。平成3年、20歳の時にNHK杯で羽生善治を破って優勝するなど活躍しますが、A級昇級までには長い時間がかかりました。平成12年、順位戦でようやくA級に昇級するも、その後降級。再びA級に戻るために苦闘した時期もありました。

 しかし、最大の試練は47歳の時に訪れます。超多忙な日々が続く中、うつ病を発症。長年監修を務めていた人気漫画「3月のライオン」の映画公開も控え、連盟の日常業務と映画のイベント、取材対応をすべて一人で管理する状況に追い込まれていました。そして順位戦の対局中、全く集中できない状態に陥り、思考がまとまらないまま指すという事態に。精神科医である兄の診断を受け、うつ病と認定されます。プロとして1000局以上指してきた自分に不戦敗をつけることだけは避けたいという思いから、最後の一局を指し切った後、平成29年7月末に自ら休場届を提出しました。

 うつ病との闘いは孤独との闘いでもありました。先崎九段は「棋士は元来孤独なものですが、うつ病の孤独は島流しに遭ったような、隔絶された場所に追いやられる感覚だった」と表現しています。最初は「本当に治るのかね」と思うほど辛い日々が続きましたが、妻の存在や兄からの日々の励まし、そして何より仲間の棋士たちが「先崎さん、みんな待っていますよ」と言ってくれたことが大きな支えとなりました。

 回復への道のりは、小さな一歩からでした。入院中から、兄のアドバイスで日光を浴びて緑の多い場所を歩くことから始め、「右、左」と声に出しながら歩くことで、少しずつ気分が改善していきました。退院後は詰将棋を解くことから将棋に向き合い始めます。かつて小学3-4年生で解けるようになっていた7手詰が解けなくなっていましたが、5手詰から少しずつ挑戦するうちに、徐々に解けるようになっていく自分を発見し、希望を見出しました。

 先崎九段は中村太地八段をはじめとする棋士たちの協力を得て、休業中も対局を重ね、徐々に感覚を取り戻していきました。そして平成30年4月、約1年の休養を経て公式戦への復帰を果たします。復帰後すぐに勝てるはずもない中、7月の叡王戦での勝利は自信を取り戻す大きな一歩となりました。

 先崎九段が語る「運」についての考え方は、米長師匠の教えを受け継ぎながらも、自身の経験を通じて深化したものです。彼は「運というのは、自分が『運がいい』と思っていればいいんです」と語ります。人間は本来、皆運がいいから生まれてきたのであり、指がちゃんと動く、ご飯が食べられる、お酒が飲めるといった当たり前のことが実は奇跡なのだということを強調します。

 特に将棋において、脳がちょっと考えただけですぐに指が動くという行為自体が、実は計り知れない幸運の賜物です。しかし人間はこうした幸運をすぐに忘れてしまう性質があるため、常に謙虚であることの重要性を説きます。これは米長永世棋聖も生前、常々説いていたことであり、先崎九段はその教えを若い世代に伝える役割も担っています。

 先崎九段が若い棋士たちに贈る言葉「勉強が仕事、対局は集金」は、準備こそが本業であるという深い洞察を表しています。彼は多くの棋士を見てきた経験から、伸びる若者の共通点は「素直さ」だと言います。素直であるとは、自分に言い訳をせず、負けても謙虚に学び、常に勉強を怠らないという姿勢です。

 うつ病から復帰した経験を通じて、先崎九段は人生の浮き沈みに処する心得をより深く理解するようになりました。将棋と共に生きる道を選んだ者として、この世界に少しでも長く貢献したいという思いを持ち続けています。先崎九段のインタビューからは、単なる将棋の技術だけでなく、人間としての深い洞察と謙虚さ、そして困難に立ち向かう勇気を学ぶことができます。

 彼の歩みは、「運は勉強する者にする」という言葉に集約されるように、日々の研鑽と前向きな姿勢が、最終的には幸運を引き寄せるという普遍的な真理を教えてくれているといえるでしょう。

 企業人事として考慮すべき重要な洞察が浮かび上がります。
 まず、「運は勉強する者にする」という哲学は人材育成の核心を捉えています。組織において真の成功は偶然ではなく、継続的な学習と準備から生まれるものです。人事部門としては、社員の自己研鑽を奨励し、学習機会を積極的に提供する文化の醸成が不可欠です。
 次に、先崎九段のうつ病経験と回復プロセスは、メンタルヘルスケアの重要性を示唆しています。現代企業では、過労やストレスによる心の健康問題が増加しており、早期発見・支援体制の整備が急務です。同時に、「仲間が待っている」という言葉が回復の支えになったように、職場のコミュニティ感覚が従業員の困難からの回復を助ける点も見逃せません。
 また、米長師匠から学んだ「勢い」の大切さは、組織のエネルギーマネジメントにも通じます。社員の健康状態と意欲が業績に直結することを理解し、活力ある職場環境の構築に注力すべきでしょう。
 最後に、「素直さ」を重視する姿勢は人材採用・評価の重要な指標になります。自己反省ができ、失敗から学び、常に向上心を持つ人材こそが、長期的に組織の成長に貢献するでしょう。
 人事戦略において、先崎九段の教えは単なる技術向上だけでなく、人間性の育成と組織文化の醸成の重要性を示唆しているのではないでしょうか。


運を高める生き方 野本弘文さん(東急会長)、熊谷正寿さん(GMOインターネットグループ代表)p58

 GMOインターネットグループ代表の熊谷正寿氏と東急会長の野本弘文氏による対談です。両氏は各々の経験から得た知恵や、企業経営における哲学、そして運を引き寄せるための考え方について率直に語り合っています。

 熊谷氏はまず、「運を高める生き方」というテーマに対して「素晴らしい人との出会いが全ての始まり」だと述べています。彼にとって野本会長との出会いは非常に貴重なものであり、2001年にセルリアンタワーがオープンした際に初めて挨拶をしたことがきっかけだったと振り返ります。
 熊谷氏は野本会長の第一印象について「笑顔と腰の低さ」が印象的だったと語り、多くのIT企業経営者が事業売却後に姿を消していく中で、野本会長は新しいことに次々とチャレンジし、社員を大切にし、後進の起業家を育てる姿勢に感銘を受けたと話しています。

 一方、野本会長は熊谷氏について、GMOがセルリアンタワーに入居するきっかけとなった渋谷の再開発と光ファイバー網の整備について触れ、熊谷氏の先見性を評価しています。野本会長は「東急さんあってのGMOなんです」という熊谷氏の言葉に対し、「いえいえ、とんでもない」と謙遜し、むしろGMOをはじめとするベンチャー企業が入居したことで渋谷の価値が上がったと感謝の意を表しています。

 対談は東急グループの経営理念へと移ります。野本会長は1922年に設立された東急グループが、「美しい時代へ」というスローガンのもと、鉄道事業を基盤としたまちづくりを根幹に、交通事業、不動産事業、生活サービス事業、ホテル・リゾート事業に取り組んでいることを説明します。現在では216社7法人で構成され、グループの中核企業である東急株式会社の前期連結営業収益は1兆378億円に達しています。特に渋谷を中心とした再開発や、タイやベトナムでの海外事業展開についても詳しく語られています。

 次に話題は時代の変化と適応に移ります。熊谷氏はAIの進化が最大の課題であるとし、「AIを使える人や会社と使えない人や会社の間に、人間とサルほどの差がつく」と表現しています。また、インターネットが当初は情報格差を縮めるツールだったものの、現在は悪用されるケースも増えていることから、「ネットのセキュリティもGMO」というプロジェクトを立ち上げ、グループを挙げてセキュリティ対策に取り組んでいることも紹介しています。

 両氏は企業文化や創業者の精神を継承することの重要性についても意見を交わします。野本会長は五島慶太翁の創業精神を後進に伝えるための「東急グループ慶太塾」の取り組みについて語り、熊谷氏は「GMOイズム」という企業理念を全社員(パートナー)に浸透させる取り組みについて説明します。特に注目すべきは「AIくん」というチャットボットを開発し、社内の質問に対してGMOイズムに基づいた回答ができるようにしているという革新的な取り組みです。

 熊谷氏の創業と成長の物語も印象的でした。彼は27歳で電話会議装置を自作して創業し、その後インターネット事業に進出、困難を乗り越えて成長してきました。彼は自身の哲学として「夢・人生ピラミッド」を作り、「健康/精神/教養」という基礎レベル、「社会/家庭」という実現レベル、そして「経済(モノ・お金)」という結果レベルに人生を体系化して取り組んできたと説明します。

 また、コロナ禍での困難や、過去の大きな経営危機についても両氏は率直に語っています。野本会長は鉄道事業が大打撃を受けた際に、終電の繰り上げや運賃値上げなどの決断を行ったこと、熊谷氏は400億円の赤字を出した危機や、破産寸前まで追い込まれた経験について触れています。しかし、両氏とも逆境こそが成長の機会であり、ポジティブな姿勢と行動力が重要だという点で一致しています。特に熊谷氏は「幹部のパートナーさんが誰一人として抜けなかった」ことが危機を乗り越える支えになったと感謝の気持ちを表しています。

 対談の締めくくりとして、熊谷氏は「努力なくして運は掴めず、感謝なくして運は続かず」という自身の信条を述べます。彼は運とは結果であり、振り返った時に「運がよかった」と感謝できることが重要だと強調します。また、運のいい人の特徴として「いつも明るくポジティブで前向き」「何があっても揺らぐことのない信念を持っている」「失敗を恐れずにチャレンジする」といった点を挙げています。

 野本会長もこれに同意し、自分の責任として物事を捉え、利他の精神で行動することの大切さを付け加えています。最後に両氏は、互いへの感謝と尊敬の意を表し、「人生は絶えず努力、感謝、謙虚」であることが一番大事だという共通認識で対談を締めくくりました。

 この対談は、単なる成功法則を超えて、二人の成功した経営者が長年の経験から得た深い洞察と哲学を共有する貴重な機会となりました。彼らの語る「運を高める生き方」は、ビジネスの成功だけでなく、人間としての在り方や人生観にも通じる普遍的な智恵を含んでいます。

 企業人事の視点からこの対談を捉えると、人材育成と組織文化の醸成に関する重要な示唆が含まれています。
 特に注目すべきは「GMOイズム」や「慶太塾」に表れる企業理念の継承方法です。熊谷氏がAIを活用して企業文化を浸透させる革新的アプローチは、人事部門が検討すべき新たな研修・教育手法を示唆しています。社員を「パートナー」と呼ぶ姿勢からも、組織内の関係性構築への考え方が伺えます。
 また、野本会長の「課長に三つの大事な仕事がある」という言葉は、ミドルマネジメント育成の本質を捉えています。目標達成、新規事業の創出、後継者育成という三要素は、人事評価制度や昇進要件の設計に直接応用できる視点です。
 さらに、「逆境の中でも一人の幹部も辞めなかった」というGMOの事例は、危機時の人材つなぎ止めには日頃からの企業文化と信頼関係の構築が不可欠であることを示しています。これは従業員エンゲージメント向上の本質とも言えるでしょう。
 「人との出会い」を重視する両氏の姿勢は、採用活動においても質の高い人材との接点をいかに増やし、縁を大切にするかという人事戦略にも通じています。
 理念浸透の仕組み化、中間管理職の育成、危機における信頼構築の重要性という普遍的かつ実践的な知恵であり、人事としての学びも大きかったかったところです。



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