『地獄まで愛してⅡ』第6話|灼熱の午後、汗と嘘の匂い
「お、ここ、ここ!」
陽がカフェに入り店内を見渡すと、黒いサングラスをかけた透が半腰になって手を振っている。陽も軽く頷きながら右手を挙げ、レジでアイスコーヒーを買うと、透の向かいに腰を下ろした。
近づいてまじまじと透の顔を見ると、サングラスのレンズの上からも横からも下からも、青いあざが隠しきれずに広がっている。
その痛々しさに、陽は一瞬だけ目を細めたが、何も言わずにストローを刺してコーヒーを啜った。
「わりぃな、急に呼び出してよ」
透が罰が悪そうに言う。
「いえ、別に」
何も聞いてこない陽に、逆に居心地が悪くなったのか、透は早口で続けた。
「あ、これ?」
誰も聞いていないのに自分の顔を指し、
「この前酔っ払ってさ、アパートの階段からザーッて落ちちゃってよ。
こう、ザーッてな。バカだろ? ははは」
と、わざとらしくスライディングの真似をしてみせる。
陽は作り笑いをひとつ返しただけで、透の視線を外し、ただ黙々とアイスコーヒーを啜った。
「それで、どうしたんですか? いや、連絡くれたのはいいんですけど」
陽はあざには興味がなさそうに淡々と尋ねた。
「あ、わりぃ。ちょっとここじゃ話しにくくてよ。近くに公園、角曲がったとこにあるからさ」
透は外を指した。
外はガラスドア越しにも感じられる茹だるような暑さだ。
透は、いつもの色褪せた黒いTシャツに、よれた細身のジーンズ。
今日は珍しくキャリーケースを持っていない。
透が腕を動かすたびに、汗の匂いが陽の鼻をついた。
一方、陽は白いTシャツにベージュのチノパンという、透とは正反対の清涼感を放っている。
汗とは無縁の風貌の陽でも、四十度を超す暑さの中を歩くのはしんどい。
だが、泥くさい話なのは、昨晩、公衆電話から「携帯なくしちゃってさ」と下手な言い訳をしながらかけてきた時点で分かっていた。
昼を少し回ったカフェは満席で、隣の席とは数十センチしか離れていない。
パスタを食べているOLが、携帯をいじりながらもチラチラとこちらを意識しているのが分かった。
「そうですね」
陽は同意すると、グラスの氷を口に含み、噛み砕いた。
***
昼下がりの公園では、この暑さの中でも数人のサラリーマンが喫煙所に溜まっていた。
空いているベンチに腰を下ろすと、透はアイコスを萎びたパンツのポケットから取り出して吸い始める。
陽もリュックを下ろし、透との間に置くと、細くて長い足を組んだ。
数回吸って吐き出すと、ようやく口を開く。
「あのさ、わりぃんだけど……ちょっと金、貸してくれないかな」
陽は空を見たまま、声のトーンも変えずに応じた。
「……いくら必要なんです?」
その平静な受け答えに驚いたのか、透はアイコスを地面に落とし、
「あッ!」と大声を上げて慌てて拾うと、一息ついてから、罰が悪そうに聞き返す。
「兄ちゃん、やけに冷静だな。理由とか聞かないの?」
「なんとなく、そんな話じゃないかと思ってたから。で、いくらです?」
陽は顔を横に向け、透の横顔をまっすぐ見つめた。
レンズとあざの広がった頬骨の隙間から、透の目が見える。
——悲しそうな目だな。
柄にもなく、陽の胸がチクっと痛んだ。
そんな陽の心など露ほども知らず、透は予定外の反応にどきまぎし、昨晩、鏡の前で何度も練習したセリフを、一気に吐き出した。
「ちっとばかし大金なんだけどよ。五百万。絶対にすぐ返すからさ」
と、言った直後で、頭を抱える。
「あー、ほんと俺、情けねえー。
この前会ったばかりのお前にこんなこと頼むなんて。
……いや、やっぱ忘れてくれ」
髪をぐしゃぐしゃに掻き乱して、立ち上がった。
「ほんと悪かった。すまねえ。忘れてくれ。
兄ちゃん、これからどこ行くんだ?
俺、あっちの方に用事あるからよ」
と、陽の顔を見ずに適当な方向を指す。
腕を上げた拍子にめくれたTシャツの下から、
脇腹にも青と緑のあざが広がっているのが見えた。
「……いいですよ。五百万。明後日の夜八時にここに持ってきます。
おじさんの都合は?」
透は腕を伸ばしたまま固まった。
「え?あ、まじで? いいの? 大丈夫?」
満面の笑顔が戻り、そのまま両手を合わせ、早口でまくしたてた。
「ほんと、わりぃな。会ってまだ2回目なのに、いつも頼んじまってよ。
もうこれで最後だからさ。緊急で金が必要になっちまって。
いや、実家の弟がさ——あ、俺、旭川出身なんだけど——入院して手術だかなんだとかでよ。
俺、兄貴だから断れなくてさ。でも絶対返すからよ。
ほんと助かったわ」
ふうっと息を吐き、透は再び隣に腰を下ろした。
——急に五百万なんて、このおじさん、何やってる人なんだろう。
太郎から遺産を受け取ったばかりの陽にとって——いや、遺産の有無に関わらず、五百万程度ならいつでも簡単に動かせる。
「でもさ、兄ちゃん、ほんと金持ってんだな。若いのに。
俺がその歳の頃なんて、一銭もなくてよ。
いろんなこと、したよなぁ。食ってくだけで精一杯でさ。
……ま、今も大して変わんねえけど」
笑うと肋骨が響くのか、一瞬苦い顔をしたあと、ふうと背もたれに体を預けた。
「……おじさん、危ないこと、やってんですか?」
陽は透の顔を見ずに尋ねた。
「あー……いや、ちょっと昔はそういう感じだったけど、今はクリーンよ。全然クリーン」
透は両手を軽く振って No、No とでも言うようにしながら、
また痛そうに顔をしかめた。
「いろいろ大変そうですね。じゃ、また明後日」
陽はそれだけ言うと、真夏の日差しの中を小走りに、公園の出口へ向かった。
「おう! ありがとな!」
その声を聞こえたのか聞こえてないのか、陽が軽く右肩を上げて応える。
その細い後ろ姿を、透はじっと見つめていた。
「ほんと、いいやつだよな……」
透の胸がチクっと痛んだ。
あざの痛みではないようだった。
喫煙所では、サラリーマンに混じって、一人、スキンヘッドの男が一部始終を傍観していた。
ーーつづく
