『地獄まで愛して』第5話|剥がされた場所から、地獄がこぼれ落ちたなら
こんにちは!ぱるるです。
引きずり込まれた暗闇の底で、俊介は悟ります。自分が手にしたのは「逃げ道」ではなく、この「終わり」であり、そこにはどこにも「逃げ道」などなかったのだと。
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さあ、深淵への扉が開かれます。すべての答えが明かされる、最終章の一歩手前へご案内します。どうぞ!
第5話:地獄の果てまで、ずっと一緒
白い光が瞼の上から差し込み、強引に俊介の網膜を突き抜けた。居心地の悪さに眉間を寄せ、頭を左右に振ったあと、俊介はゆっくりと目を開ける。見慣れたはずの寝室は、一様に白く染まり、現実味を欠いたまま、俊介の瞳の中でいびつに揺れていた。
「……よかった、夢か」
見た夢のあまりの恐ろしさに、心臓が早鐘を打っている。安堵を求めて身体を横に向けると、背中を向けた麗華が静かな寝息を立てていた。俊介は背後から彼女を抱き寄せ、その髪に顔を埋める。甘い匂いを胸いっぱいに吸い込もうとした瞬間、麗華がゆっくりと振り返った。
「おはよう」
陶器のような冷ややかな微笑みで甘い息を吐いたのは、麗華ではない。沙耶だった。
「わっ……! なぜお前がここにいる! 麗華はどこだ!」
俊介は彼女を突き飛ばし、ベッドから転がり落ちるようにして這い出した。そのまま壁際に背を貼り付ける。全裸で立ちすくむ俊介を、沙耶は面白がるように冷たい瞳で見つめると、けだるげに髪をかき上げながら、上半身を起こした。
「寝ぼけているのね。麗華さんなんて、初めからいないわよ」
「嘘だ! お前の目的は何だ! 何をしにここへ来た!麗華!陽!どこにいるんだ!助けてくれ!」
壁に背を預けたまま、俊介の脚から力が抜け、ずるずると床へ崩れ落ちる。沙耶はベッドを降り、一切の音を立てずに彼の目の前まで歩み寄った。純白の長いネグリジェに、下ろしたままの真っ黒な髪。肌は異様なほどに青白く、まるで古い映画の中の亡霊のような、冷ややかな非現実感を漂わせている。
彼女はしゃがみ込み、俊介と同じ高さまで顔を近づけると、氷のような唇で彼に触れた。そのまま彼の胸に耳を押し当て、鼓動の音を確かめる。俊介は全身の力を奪われ、抵抗する術もなかった。
「……まだ、聞こえるわ」
残念そうに呟くと、彼女はすうっと立ち上がり、俊介に向かって両手を差し出した。 「さあ、立って。涼がパパを待っているわよ」
沙耶が微笑む。窓を閉め切っているはずの部屋に、どこからか冷たい風がふうっと吹き込み、ブラインドの隙間から差し込む光が、目に突き刺さるほど白く光った。
抵抗しようとする意思とは裏腹に、身体は操り人形のように沙耶の意のままにされ、リビングへと引きずられていく。そこでは涼が背を向けたまま、黙々とレゴブロックを積み上げていた。真っ黒なブロックを積み上げては崩し、崩してはまた積み上げている。俊介の気配を感じても振り返ろうとはしない。ただ、機械のように抑揚のない声で「パパ、こっちに来て。一緒に遊ぼうよ」と、呪文のように繰り返すばかりでいる。
「携帯は……携帯はどこだ!」
はっと我に返り、俊介はリビングを見渡す。
「麗華に電話しないと!」
全裸でソファのクッションをひっくり返し、一心不乱に携帯を探す俊介の姿を楽しみながら、沙耶は冷酷に言い放った。
「携帯なんてないわよ。あなたは働き過ぎ。もう、何もしなくていいの」
何が何だか分からず、混乱した俊介は、全裸のままソファに座り込み、頭を抱えた。
「沙耶、頼む。悪ふざけはもうやめてくれ! 俺をどうするつもりだ。麗華は? 陽はどこへ行ったんだ!」
俊介が半狂乱になって叫ぶ。しかし、沙耶はそれに応えることもなく、キッチンカウンターでリンゴを剥き始めた。銀色の刃先から、赤い皮が一度も切れることなく、長く、長く螺旋を描きながら床へと落ちていく。
「麗華さん? ……そんな人は、もうどこにもいないわ」
顔を上げもせず、淡々とリンゴを剥きながら、冷たく答える沙耶。そのナイフの鋭利な光が、俊介の瞳を射抜いた。
「俊介さん、いい加減諦めたら? あなたは私といるのよ。これからもずっと。私と涼と、ずっとね」
沙耶はリンゴとナイフを手に、足元まで伸びたリンゴの長い皮を蛇のように引きずりながら、俊介のもとへ歩み寄った。薄い笑みを浮かべたまま、ソファの上の彼を見上げる。裸足の歩音は、この世の音ではないかのように一切響かない。沙耶は俊介の前に音もなく膝をつき、ふたたびその胸に耳を寄せた。
「……随分と、音が小さくなったわね」
その言葉と同時に、部屋の空気が凍りついた。閉まっていたはずのブラインドが、存在しない冷気に煽られ、バタバタと激しく窓を叩く。真っ白な光が全方位から俊介を射抜き、胸に鋭利な痛みが走った。俊介はたまらず胸をかきむしる。「苦しい……。」耳の奥で、あの電子音が「ピッ……ピッ……」と、不穏なリズムを刻みながらどんどん大きくなっていく。
沙耶がナイフで削いだリンゴを、強引に俊介の口元へ押し付ける。無理やり開かれた顎の隙間から、彼が視線を移すと、レゴで遊んでいた涼がこちらを振り返った。その顔は、黒いクレヨンで塗りつぶされた塗り絵のように真っ黒だった。沙耶が「おいで」と誘うように腕を広げる。その合図に応えるように、真っ黒の顔の涼が、無機質な足取りでこちらへ近づいてくる。
「やめろ、やめてくれ!」
追い詰められ、ソファに沈み込む俊介に、沙耶と涼は、示し合わせたかのように同時に飛びかかってきた。その貌(かお)は、かつて夢で見た鬼の形相へと変貌を遂げている。二体の鬼は俊介を四肢をあまねく捕らえ、暗い沼地の底へと、ゆっくりと確実に引きずり込んでいく。俊介の身体と意識は、ソファの奥へ、底なし沼の暗闇の中へと沈んでいった。
意識の遠くで、最後の音が響く。
ピッ……。ピッ……。ピーーーーーー。
「やめろ、やめてくれ……俺は、どこにも行きたく……ないんだ……」
俊介の震える声は、部屋を満たす電子音に飲み込まれていった。
ーーつづく 次話、完結
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