見出し画像

『地獄まで愛してⅡ』第2話|差出人不明の吹き出し──お前の秘密を知っている

こめかみを刺すような痛みで目を覚ます。ベッドサイドの携帯で時間を見ると、その白い光に軽い吐き気を覚えた。

まだ朝の五時。三時間しか眠れていない。

麗華はベッドから白くて細い脚を下ろし、頭に響かないように、ゆっくりと洗面所へ向かった。

キャビネットから頭痛薬を二錠取り出し、洗面台の水を手ですくって強引に飲み込む。

顔を洗い、鏡の中の自分を見つめた。

白い肌は、今日はどこか青白い。

くりっとした目、通った鼻筋、小顔ながらもふっくらとした女性らしい輪郭。目元にわずかなシミはあるものの、普段はアラフォーと勘違いされるほど若々しい。

二週間ごとのサロン通いで白髪は完璧に隠れ、手入れの行き届いたマロン色の長く伸ばした髪は、今日も艶めいている。

しかし今朝の麗華は、心労がそのまま顔に出ており、実年齢どおりの“おばさん”に見えた。

『お前の秘密を知っている』

そのメッセージに気づいたのは二週間前。

青山のオフィス近くのカフェで、美白クリームを片手に自撮りをしていたときだった。

見知らぬ番号からのSMS。吹き出しは緑色。iPhone以外からの送信だ。

数分間、その緑の吹き出しを凝視したあと、震える指で「?」とだけ返信した。

しかし、それきり音沙汰はない。忙しさも重なり、悪戯だろうと忘れていた。過去半年は、義父・太郎の死、葬儀、遺産手続き、美白クリ—ムのローンチイベントと、文字どおり目の回る忙しさだった。

だが昨晩、十時すぎ、明日に備えて早めにベッドに入ろうとしていた矢先、再び同じメッセージが届いた。

『お前の秘密を知っている』

――誰なの? あの秘密を知るはずがない。知っているのは私だけ……。きっと、いつもの嫉妬だわ。

鏡の向こうの“おばさん”から視線を逸らすと、薬が効いてきたのか、頭痛がゆっくりと引いていく。

麗華はベッドへ戻り、そのまま浅い眠りに落ちた。

     ***

ズッ、ズッと枕元で携帯が震え続ける。

「……はい」

手探りで携帯を拾い、目を閉じたまま応答すると、捲し立てるような高圧的な声が耳を打った。

「麗華さん、今どこですか? まさか、まだベッドですか? 撮影チームがもう来てますよ! 今日はビデオ撮影が入っているって言ったじゃないですか!」

電話の主は、アシスタント兼“自称プロデューサー”の莉央(二十六)だ。総合病院をいくつも経営する莉央の祖父は太郎の後援会の役員で、経済界にも顔が利く重鎮だ。数年前、NYのビジネススクールから帰国したばかりの彼女が、「麗華の名前で美白クリームをプロデュースしたい」と、太郎を通して接触してきた。

海外帰りの女子にありがちなように、オリエンタル風の装いを全面に押し出した莉央は、前髪を眉の上でぱつんと揃え、モデルのように細身で長身だった。

背中の真ん中まで伸ばした黒髪がよく映えている。

ミニマルだけど、見るからに上質なモノトーンで上下揃えた服装に、ロレックスの高価な時計。

無駄を削ぎ落としたはずの装いなのに、どこか“選ばれた人間”だけが纏う空気がある。そんな莉央に抱いた初対面の印象は、「苦労知らずの生意気な小娘」だったが、確かに莉央の戦略は秀逸で、魅力的であった。

「ごめんなさい。昨晩、頭痛がひどくて眠れなかったの……。今からすぐ向かうわ」

娘ほど歳の離れている莉央と話すとき、やけに腰が低くなる自分が嫌だった。

「タクシーですぐ来てください。メイクもヘアもこちらでやります。陽さんももう来てますよ。レコーディングがあるからお昼までしかいられないんです。麗華さんとのツーショットが撮れないと困ります!」

陽のほうがよっぽど重要だと言わんばかりに、莉央は返事も待たずに電話を切った。

――私を何だと思っているのかしら。

数年前の太郎宅で、莉央はこう言った。

「美魔女の麗華さんを前面に出しましょう。

名門・山内家の嫁にして、いまZ世代にじわじわ来ているバンドマン『陽』の美人ママ。

そして何より、あの“夫の裏切りと心中事件”の悲劇のヒロイン。

これ以上ないストーリーです」

麗華には小馬鹿にしたような態度で早口にまくしたてるくせに、太郎に対しては「おじさま、ごめんなさい」と両手を合わせ、少女のように可愛らしく会釈する。

そのそつのない振る舞いが、麗華の勘に触った。

しかし、最初こそ抵抗はあったものの、日を浴びる場所に立ちたいという欲求と、義父・太郎の「悪い話じゃないだろう」という後押しが、麗華の首を縦に振らせた。

そして実際のところ、メディアに出てチヤホヤされる生活は…悪くなかった。

「陽の母親」という宣伝効果と、あまりにも絶妙なタイミングで訪れた太郎の死を境に、麗華のSNSフォロワーは雪崩を打つように増え、あっという間に十万人を超えた。

一日中、何度でもメイクの上からでも塗布できるという『美白クリーム』の注文は殺到し、いまや沖縄の端から北海道まで、全国から絶え間なく注文が舞い込んでいる。

適当な服に着替え、歯だけ急いで磨き、頭痛薬を今度は四錠、無理やり飲み込む。

リビングのソファに置きっぱなしだったバーキンを掴むと、ちょうどマンション前を走っていたタクシーに飛び乗った。

青山のオフィスまでは車で十五分ほど。窓の外をぼんやり眺めていると、照りつける夏の日差しの中、ギターケースを抱えた若者たちがやけに楽しそうに歩いているのが目に入る。

――陽も、なかなか役に立つわね。

陽が付属の法学部へ進学せずに、「音楽一筋でやっていく」と言い出したときは、あの青年の影がちらつき、麗華はひどく苛立ったが、義父の太郎は、目を細めて「若いんだし、いいじゃないか」と笑っていた。

バンド『Z』の急成長には、太郎の根回しがあったに違いない。

それでも、細身で端正な顔立ちの陽はバンド内でもひときわ人気が高く、太郎は何も知らずに、陽を“俊介の生まれ変わり”だと溺愛していた。

――陽をあの時産んでおいて、本当に良かったわ。

青山のオフィス前でタクシーが停まった。料金を支払おうとバーキンに手を入れた瞬間、携帯が短く震えた。

『お前の秘密を知っている』

麗華の顔が凍りつく。

「麗華さん! おはようございます。さあ、早く早く!」

ビルのロビーで待ち構えていた莉央が飛び出してきて、体を半分タクシーに突っ込むと、初老の運転手に千円札を数枚、乱暴に押しつけた。

「お釣りはいりません! 麗華さん、何ぼうっとしてるんですか。早く降りて!」

四十度近い熱気に包まれる路上で、麗華の全身は、まるで氷の中に閉じ込められたように凍りついていた。


ーーつづく。

前章     →次章


いいなと思ったら応援しよう!