『地獄まで愛してⅡ』第3話|ミッドナイト・ブロマンス
「お疲れ。じゃ、お先に」
ひょろりとした腕で黒いギターケースを担ぎ、陽は雑居ビルの地下にあるライブハウスの細い階段を駆け上がった。
「え、お前打ち上げ来ないの? まあいっか。お前が来ると、みんなお前狙いになっちゃうしな」
スピーカーを片付けながら、バンドメンバーの淳が、無邪気に笑った。
今日はモデルが数名来るらしく、メンバー全員、ソワソワと落ち着かない。
陽は振り返らずに手を振り、蒸し暑い夜の道に飛び出した。
――今日のライブも、イマイチだった。
高校の同級生で組んだこのバンドも、結成から四年。
陽以外は全員、付属校からそのまま大学へ進学した。
みんな裕福な家の坊ちゃんで、幼稚園からの幼馴染。卒業後は親の会社を継ぐ未来が確定している。
サークルと呼ぶには高度な音楽を奏でているが、彼らにとっては“クールなステータス”の一つに過ぎない。
作詞作曲は、ほぼ陽の一人だ。そんな陽にとってこのバンドはどこか物足りなく、彼らと組む理由も、最近はぼんやりと霞み始めていた。
それでも、数ヶ月前に急逝した祖父・太郎の手回しのおかげで、メディアの露出は増え、ライブチケットも、いまでは毎回のように完売している。
……また、いたな。
客席の片隅にここ最近、連続で現れるあの男。
今夜で3回目だ。
四十前後のひょろりとした体躯に、黒いTシャツとスキニージーンズ。
全身黒尽くめの、ひと昔前のロッカーのような風貌だ。
そして毎回、足元にはなぜか黒いキャリーケースを置いている。
髪は伸び放題で、顔は暗がりの中ではっきりとは見えない。それでも陽には、なぜか“はっきり”と感じられた。
――俺に似てないか?
客のほとんどが二十前後の若者の中で、その男だけが異様に浮いていた。
他のメンバーは可愛い女の子ばかり見ていて、壁際に立つその男に気づいているのは陽だけだ。
今夜は陽から見て右側の壁際にいて、いつもよりはっきりとその男を観察できた。
ギターを弾く陽の指に合わせて、男も空中で指を動かしている。
――ミュージシャン、なのかな…
男の存在が頭から離れず、顔を思い浮かべていたとき、腹の虫が激しく鳴った。
朝から何も食べていなかったことを思い出し、陽は目についたコンビニに飛び込む。
フライドチキンを買おうとレジへ向かった瞬間だった。
「だから、金はあるって言ってんだろ!」
怒鳴り声が店内に響きわたる終電前のコンビニは、祭り帰りの浴衣の若者でごった返し、興味津々のざわめきが渦を巻いている。
その人だかりの隙間から覗くと、あの男が店長らしき小太りの男性に腕を掴まれていた。
「金があるなら出しなさいよ! このビール、Tシャツの中に隠して出て行こうとしただろう!警察呼ぶぞ!」
男はキャリーケースを足に挟んだまま、支離滅裂なことを喚いている。
「だ・か・ら! 金はあんだけど、崩せる小さいのが今ちょうどないのよ。明日持ってくるから、手ぇ離せったら!」
「兄さん、何やってんだよ!」
気づけば陽は、人混みの中をすり抜け、店長と男の間に立っていた。
「……すみません、兄がご迷惑おかけして。弟です。これで支払わせてください。お釣りはいりません」
と、頭を下げて一万円札を差し出す。
男より随分若い陽が、その身なりに似合わない高価な財布と万札を取り出すと、店長は一瞬だけ目を見張ったが、
「……あんた、こんな歳下の弟さんに恥かかせて平気なのか? 今日は見逃すけど、二度とするなよ」
と吐き捨てるように言うと、渋々レジへ向かった。
「本当にすみません。あと、フライドチキン二つお願いします」
陽がもう一度、頭を下げて言うと、男は間髪入れずに言った。
「あ、アイコスもお願い」
その図々しさに、陽は思わず吹き出した。
***
「わりいな」
公園のベンチで、陽から缶ビールを受け取った男は、プシュッと吹きこぼれた泡をすするように吸い込んだ。
「で、なんで助けてくれたんだ?」
すでに一つ目のチキンをたいらげた陽は、ぶっきらぼうに答えた。
「別に...気まぐれです。
ライブ、見に来てくれてましたよね?」
男は驚いた顔で陽を見た。
「あ、気づいてた?」
「三回も連続で来てれば気づきますよ。……それに、なんか俺に似てるし」
「だよな! やっぱ、お前もそう思う?あ、俺、透、っていうんだ。よろしくな!」
透は嬉しそうに笑い、右手で軽く陽の背中をポンポンと叩くと、そのままビールを飲み干した。
「でも、どうして俺たちのライブに?」
透はあからさまに動揺し、ふいと目をそらした。――嘘つくのは苦手らしい。
「あ—、たまたま新宿いた時、ライブハウスの前、通ってさ。雨も降ってきたから入ったんだよ。見かけ倒しかと思ったら、意外にベン・ハ—パ—を感じさせるしさ。俺も昔、音楽やってたから、つい……で、気づけば今日で三回目だ」
嘘だ。
チケットはここ最近、完売が続いている。当日券はしばらく販売されていない。
――この人、何者なんだろう...
だが陽は深く追及しなかった。
ベン・ハ—パ—の名前をさらっと出すこの男に、お坊ちゃんの遊び仲間とは違う“匂い”を感じたからか。あるいは、説明のつかない“引力”に惹きつけられたからかもしれない。
陽は立ち上がり、財布から一万円札を数枚抜いて透に渡した。
「タクシーで帰ってください。終電、もうないし」
「お!わりぃな。初対面なのにさ。にしても兄ちゃん、金持ってんな」
男は遠慮するフリもせず、にこにこと受け取った。
「池袋の方だからさ。十分すぎるよ。でも、ま、まとめて今度返すわ。金はあんだよ。またライブ行くし」
「二週間後、また新宿でやります。番号教えるんで、前もって連絡くれたら裏口から入れるようにしておきますよ」
陽が携帯を取り出すと、男は「あちゃ〜」とわざとらしく頭を掻いた。
「携帯、家に忘れてきたっぽいんだわ」
携帯すら持っていないのか。それでも不思議と嫌な感じはしなかった。
陽はリュックのポケットからボールペンを取り出し、さっきのコンビニのレシートの裏に番号を殴り書きして渡した。
「それじゃ。また連絡ください」
ギターケースを担ぎ直し、公園を後にする。
男はまだ足を伸ばしきったまま、腰を上げる気配もなく、両手を大きく振っていた。
「おう、連絡するよ! ありがとな!」
その声を背中で受けながら、陽の口元に自然に微笑みが浮かんだ。
理由はわからない。
陽の胸の奥からかすかに温かいものが湧き上がっていた。
ーーつづく
