『地獄まで愛してⅡ』第9話|3人の夜─うちに来ませんか?
「おっせえな。なんでこんな時間かかったんだよ!」
二子の駅の改札で、キョロキョロと不審気に周りを見渡す透を見つけ、龍と陽は近づいていった。
透は、新品の黒いナップザックを前に抱えている。黒いTシャツには汗じみから塩が浮き、昼間に会ったときよりも汗の匂いが数段強くなっていた。
――会うたびにやつれていくな、透さん。
まだ数回しか会っていないのに、透の焦燥は目視でもはっきり分かり、陽の胸の奥がチクっと、軽く痛んだ。
「で、持ってきたか? それ?」
龍が顎でリュックを指す。両手をズボンのポケットに突っ込んだまま、楊枝をくわえ、日が落ちても黒いサングラスを外さない龍は、二子の改札前ではひどく目立つ。
通り過ぎるサラリーマンや学生たちが、ちらちらと横目で「訳ありだな」と言いたげな視線を向けてくる。
「はい。これです。ご迷惑おかけしました」
リュックを前に抱えたまま、深く頭を下げ、リュックを龍に差し出そうとする透だったが、「そんなの背負って二子を歩けるか。お前が持ってろ」と一蹴した。どうやら、龍は二子が気に入ったらしい。
「はい、すみません.....」
透は小声で頷き、大人しくリュックを抱え直す。
「まだ色々話もあるし、また川辺に戻るか?」
蚊に刺されるし、どこか涼しい場所に行きたかったが、このメンツで入れる店は限られる。話の内容も内容だろうし…。川辺のベンチに戻るのが妥当だろう。
「そうですね。ところで透さん、夕飯は食べたんですか?」
透の頬の肉は削げ落ちて、昼に会った時より一回り、顔が小さくなったように見えた。
「いや〜、まだ。今日はさ、走り回ってたからさ。そんな時間なくって。ははは。コンビニでおにぎりでも買ってくよ」
三人は、無言でお互いの顔を見ながら、軽く頷きあって、じゃあ行くか、と来た道を戻っていった。
***
川辺に戻ると、さっきのベンチは高校生らしきカップルが占領していた。三人は川辺へ降りていき、結局、草の上に直接、龍・透・陽の順で腰を下ろした。
龍はさっき仕入れた缶ビールを開け、ゴクゴクと一気に飲み干すと、缶を潰して投げ捨てようとしたが、陽の視線を感じてか、ビニール袋に静かに戻した。
「おい、それよこせ」
透からリュックを取り上げ、中を確認すると、おもむろに、バンッと平手で透の頭を叩き、
「舐めんなよ? 分かったか?」
と威嚇するが、その声にはどこか優しさが混じっていた。
不意打ちに殴られた透は、口に含んでいたおにぎりを吹き出しながら、
「ぐふっ、す、すみません……」とむせかえる。
その姿がやけに滑稽で、陽は思わず、フっと笑ってしまった。
「きったねえな。お前、いつ風呂入ったんだ? 臭いしよ。もうホームレスじゃねえか。で、この金持ってどこバックれるつもりだったんだ?」
龍は透のスネを軽く蹴りながら聞く。
胸を叩いて苦しそうな透に、陽は袋からビール缶を取り出し、蓋を開けて差し出した。
透は肩をすくめて軽く頭を下げ、龍に負けない勢いでグビグビと、一気に飲み干す。
「ゲホッ」と1つ大きなゲップをしたあと、透はバカ正直に言った。
「タイに行こうかと…」
そして、しまった、という風に、手を横に振りながら慌てて続ける。
「あ、でも金は後から返すつもりでした。タイから国際郵便とかで送るつもりで。決して盗むつもりとか、そんなんじゃなかったんです!でも、本当にすみませんでした!」
と、地面に土下座になって龍に頭を下げる。
……ヤクザから金盗んでタイって。このおじさん、本当にどこまでも期待を裏切らない人だな。
映画のワンシーンをぼんやり思い出しながら、陽は半ば呆れて透を見ていた。
しかし当の龍は、
「お前、パスポート持ってんの?」
などと間抜けなことを聞いてくる。
「いえ、まだ持ってないです」
龍の前で、土下座していた膝をついたまま、項垂れる透をバカにしたように大声で笑い、
「お前、バカだな〜。まずはパスポートだろう? 俺、フィリピンに行ったことあんだぜ? それも五回。仕事でよ。海外はいいよな〜。おおらかでさ。
また行きて〜な。おい兄ちゃん、お前はどこ行った?」
と期待に満ちた目で聞いてくる。
「オーストラリアとロンドンに三年ずつ」
え、と透は顔を見合わせ、は〜と軽く息をつく。
「ほんと、兄ちゃんは、俺たちとは違うのよ」
またその言葉だ、と軽く苛立ち、陽は少し強い口調になって、続けた。
「いえ、僕が生まれる前に親父が愛人と心中して、母親が病んでた時期があったんです。育児放棄みたいになっちゃって。で、その間、祖父の知り合いがいるオーストラリアとかイギリスに送って、英語でも身につけさせようって話になって……そんな楽しいもんじゃなかったです。小3で帰ってきたから、結構きつかったし。日本語忘れてるし、友達できないし」
あの時期がいちばん地獄だったな、と陽は思い返しながらも、少し得意気になって、一気に捲し立てた。
高校の時に、太郎から聞いた話だと、あの頃、麗華はかなりアルコールに溺れていたらしい。
今は、完全に断ち切ったらしいが、幼少期に6年も離れて過ごしていたせいか、大人になった今も距離はある。甘えたことも、相談したこともない。
大学に行かないと進路で揉めたときも、母親ずらしてあれこれ言ってくる麗華が本当に鬱陶しかった。
俺だって、色々あったんだ。
陽は、龍と透の反応を期待した。
けれど、龍は、陽の期待を見事に裏切って、
「ほ〜」っと感心したように、
「さすが金持ちのぼんぼんは違うな? ロンドンか〜。金持ちは母ちゃんが大変だとロンドンなんかに暮らせんだな。お前は孤児院行きだったのによ! あはははは!」
と、透をどつきながら豪快に笑った。
そのデリカシーのなさに、透は一瞬ムッとしたようだったが、
「え、じゃあ英語ペラペラ?」
と聞いてくる。
ーー言わなきゃよかった。
思惑が外れ、陽は黙って最後の缶ビールをビニール袋から取り上げた。
「お、兄ちゃんも飲むんだ。いいね、イケイケ!」
と両手を叩く。
「でももう無くなっちまったな。まだ飲み足りねえ。ちょっと買いに行ってくるか。にしてもさ、透よ、おめえほんと臭えよ。どうにかしろよ」
龍は立ち上がり、パンツについた土を払う。
「すみません……」
透が自分のTシャツの匂いを嗅ぐのを見て、陽は言った。
「…なら、うちに来ますか? うちでシャワー使ってください」
予想外の招待に、龍と透はしばらく顔を見合わせる。
すると、蚊が龍の頬に吸い付いてきた。その蚊を、パーン、と大きく叩いたあとで、
「よし! 乗った! 行ってみよ〜!」
龍は片手を挙げ、威勢よく声を上げた。
空を見つめたまま、なんとも言い難い表情をする透の心を、陽は一生懸命読み取ろうとしていた。
ーーつづく
