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「たゆたえども、沈まず」理不尽を赦し、自分の影響範囲に集中し、自分の人生を生きる

私の知る言葉の中で、特に好きな言葉の一つが「たゆたえども、沈まず」です。

本当に美しい、そして生きていく上でのエッセンスが凝縮された言葉だと思います。そして、私はこの言葉の本質を「自分の影響範囲に集中し」「敗けない状態であり続ける」と理解しました。

私は比較的これが出来ている人間だと思っていて、そしてそれによって楽に人生を生きている気がします。

なので、今回は「この言葉を知らない方に是非知って欲しい」という想いと、「その上で、この思考様式を活用して欲しい」という想いで、僭越ではありますが、書き綴ったnoteになります。

今回は文章主体で図解などもありませんが、良かったら最後まで読んでください。

(私がこの言葉を知った「バーテンダー」第10巻の一コマ)

「たゆたえども、沈まず」とは

原語は「Fluctuat nec mergitur」というラテン語で、パリ市の紋章の帆船に添えられている標語です。

これには、「どんな悪天候にセーヌ川が荒れ、舵が折れ、帆が避けても船は沈まない、沈ませない」という意味が込められています。

セーヌ川の中州に生まれ、川と共に発展してきたパリ市は、その言葉通りの意味もありますが、フランス革命など歴史に翻弄されたパリの「逆境に負けない不屈の精神」を表しています。

冒頭でも書いた通り、私はこの言葉を①自分(たち)の影響範囲に集中し、②敗けない状態であり続ける、ことの宣言・宣誓だと捉え、自分の人生の送り方に活用しています。

父の死で確立された「自分の影響範囲・範囲外」の切り分け

私は仕事でもプライベートでも「自分の影響範囲かそうでないか」の区別が非常に明確な人間で、この思考様式に多くの場面で助けられています。

あまりに明確なので、きっと原体験があるだろうと思い「自分はなぜこの思考様式が確立出来ているのか」を思い返してみたところ、そこには「父の死」がありました。

父は、大腸がんと永きにわたる戦いを繰り広げた末、私が高3の冬に安らかな死に向かってゆっくりと進んでいました。

つまり、「それ」に対して心を準備する時間や考える時間があったのですが、その期間、強烈に「自分は全く何も出来ない」ということを思い知りました。

自分は彼の病状の改善に何も貢献出来ない。出来ることはお見舞いに来て、病院で勉強することだけ。

もちろん、それに「意味がない」ということではありません。ですが、「変化を起こせない」という意味での圧倒的無力感を感じ続ける時間でした。

この時、その無力感から来る虚しさと共に、「生きている貴重な時間において、自分の影響下にあるものだけに集中しよう」という想いが「人生の前提」になりました。

父が亡くなった時のことは今でも鮮明に覚えていますが、心の準備も十分に出来ていたこともあり、涙を流すというよりは、父の死が教えてくれたことに感謝しつつ、自分の人生への覚悟が完全に固まった瞬間だったと思います。

「沈まない」とはどういうことか

多用している「沈まない」という表現ですが、これは具体的にどういう状態を指すのでしょうか。これは「自分の人生に100%集中出来ている状態」と私は考えます。

「沈む・沈まない」と「集中する・しない」は関係が無いように見えますが、それは以下にて解説します。

「自分の人生に100%集中出来ている状態」を要素分解すると、私は以下の4つに分解できると思います。

①「自分・自己」に100%ベクトルが向き、他者など自己以外の要素にエネルギーを割いていない
②自分を100%信じ、自分に期待し、自分を大切に出来ている
③逆境に対して、「だから自分はどうする」と自分を起点にアクションを考えている
④理不尽を「赦す」ことが出来ている

①「ベクトルを自分に向ける」

ヒトが生きていく中で、どうしようもないことは沢山起こります。

天候や天災、ヒトの生死は分かりやすい例ですが、他者の価値観や感情の変化なども我々の「影響下」にはありません。

そういったコントロール不能なものによって、想定外の便益(Benefit)を受けることもあれば、損害(Damage)を受けることもあります。

そのDamageを受けた時に大事なのは「何かと比較する」とか「何かを恨む」といった「外」に対してベクトルを向けるのではなく、「内=自分」に対してベクトルを向けることだと思います。

パリ市・セーヌ川で敢えて例えると、「セーヌ川が大氾濫したのに、自分の船だけがDamageを受けて、他の船は全て無事」だったとします。

その時に「なんで大氾濫したんだ」とか「なんで他の船は無事で、俺だけが被害を受けてるんだ」とかは一切考えない。自分の船だけに集中する。

「他の船(他者)がどうこう」を気にする人がとても多い気がします。ですが、他者のことなんて、一番コントロール出来ないことであり、且つ、情報の非対称性もある。

もしかすると、他の船はみんな錨を下ろしていて、自分だけが下ろしていないだけかもしれない。「分からないこと・コントロール出来ないことにエネルギーや労力を使う」のは、全く以て無駄と言えるであり、自分の船に集中しましょう。

②自分を信じ、自分に期待し、自分を大切に

③逆境に対して、「だから自分はどうする」と自分を起点にアクションを考えている

この二つはある程度共通項があります。

理不尽が起きた時に、自分にベクトルを向けられていたら、その時に「だから、どうする(So, what now?)」と考えられるはず。

理不尽を恨むのではなく、自分を起点に「次」を考えられる。

そのためには、理不尽が起こる前に「自分を信じ、自分に期待が出来ている」必要があります。そうしないと、理不尽を恨まなかったとしても、そこで停止してしまう。

心理学の言葉で言えば「自己効力感」

「自己効力感の上げ方」については、また別のnoteで綴りたいと思いますが、是非「自分に期待出来ているか」「自分を起点としたアクションを考えられるか」という点、自分に問うてみてください。

④理不尽を「赦す」ことが出来ている

僕はこの「赦す」という行為が、人間にとって最もハードルの高い行為だと思っています。

「恨まない」と「赦す」は違います。「恨まない」は、その理不尽を視界から外すことでも実現出来ますが、「赦す」は完全に自分で消化し切る必要があります。

勿論、理不尽は「罪」を犯しているわけではありません。なので、厳密には「赦す」という言葉は適切ではないのでしょう。

ですが、私はどうしてもこの言葉を使いたい。それは、天災などの自然現象も、「神」のような何かしらの「主体」があると思った方が物事の捉え方が楽になるからです。

そして、その「主体」を赦す。

私の父が亡くなった時も、「癌を赦す」よりも「父を黄泉の世界へ連れて行った神を赦す」方が、捉え方として楽でした

理不尽を赦し、「期待出来ている自分」にベクトルを向け、「だから、どうする」を考えて次に進む。

これが出来るようになると、本当に人生楽になると思います。

おわりに

問題の切り分けが得意と言っても、時には「外」に向かってのネガティブエネルギーが高まり、夜も眠れない日々もあります。

そういう時は大概、「まあ、時間が経てば気持ちが落ち着くだろう」と思っていても、一向に落ち着かないどころか増幅していきます。

これは、「外に向かうエネルギーには終わり=ゴールが無いから、消えるどこかドンドン広がっていく」ことに気が付きました。

逆に、「内に向かうエネルギーは、常に自分がゴールなので、収束させることが出来る」ことにも気が付きました(飛影の炎殺黒龍波みたいなものですね)

それ以降は自分にベクトルを向け、「自分の人生において、どうあるべきか」を徹底的考えた時、自分のストレスは消え去り、よく眠れるようになりました。

社会に生きる以上、どうしても「理不尽」や「他人」が気になりますが、あくまで自分の人生です。是非なにか自分の人生に100%集中できなくなったとき、「たゆたえども、沈まず」という言葉を思い出してみてください。

ではまた、次回お会いしましょう。

細田 薫


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