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【36歳からの人生の作り方】#19 親との同居、その甘い見通しの代償

note創作大賞2026 オールカテゴリ部門 応募作品

36歳まで、わたしは「趣味で絵を描いていた専業主婦」に過ぎなかった。

それがイラストレーターになり、46歳で漫画家になり、51歳でインタビューライターになった。気づけば4冊の本を出し、NHKで教え新聞やテレビ媒体でコラムを書くまでになったのだ。

そして、36歳で離婚し、39歳で9歳年下の男性と再婚した。

36歳の自分に20年後の自分の話をしても、おそらく信じないだろう。

今までわたしが心がけてきたこと、やってきたこと、やらなかったことを、少しずつ書いていきたいと思う。

この冒頭から始まる記事も、今回で19本目となる。

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10秒で読める「前回までの話」

20年前、趣味で絵を描いていた専業主婦のわたし。ライター講座が縁で決まった「ひよこ企画」は、離婚と同時に頓挫したが、代わりに『仏像ぬり絵』の著者として華々しくデビュー。

フリーのイラストレーターとなったわたしは9歳年下男子Yと39歳で結婚。3年目、Yは持病のアトピーの悪化で寝込むようになり、震災をきっかけに、名古屋のひよこ母のもとへ身を寄せることになった。

オットの写真の上にわたしが絵を描く「フォトレーション」の作品
(写真はコスタリカ・2008年、画材:アクリルガッシュ・2013年)


軍隊生活と鬼母


久しぶりに住むことになった実家は、まるで軍隊のようだった。

「門限は17時」で「夕食は18時30分」、そして「21時には寝る」と決められた。母だけではなく、わたしたちも同様に21時に消灯せねばならない。病院か。

スーパーに買い出しに行って17時15分に帰宅したら、それだけで「ここに座りなさい!」と2人並んで座らされて叱られた。

それだけではない。外食する際には、1週間前までに母に許可を取らねばならない。

念のため補足すると、食事の支度をするのはわたしである。しかも実家は都心にあり、外食する店にも、スーパーにもコンビニにも事欠かない。

70代後半の母は、21時に就寝し、急な飲み会に対処できなくても問題ないかもしれない。しかし、33歳と42歳の夫婦にはそれでは済まない社会生活があるのだ。

実家といっても、父の定年後に両親2人で住むために買った3LDKのマンションで、わたしも住むのは初めて。そもそも、2世帯で住むには無理のある間取りだった。

最初は、慣れない同居ゆえの「ちょっと極端な認識のズレ」だと思って、わたしもオットも聞き流していた。しかし、これは単なる「ルールの押し付け」では終わらなかった。


わたしと母


母親は、若いころからとても困った人だった。依存心が強く、人に勝手に期待しては裏切られたと怒って大騒ぎばかりしていた。他人との境界線があいまいで、大抵踏み込みすぎてしまうのだ。

また、母は3つ上の姉をわかりやすく贔屓ひいきしてほめちぎり、わたしのことは否定ばかりしていた。

年を重ねると人は丸くなるといわれるが、それはすべての人に訪れる福音ではない。年を取るほど持って生まれた欠点が色濃く濃縮されて、ますますとがってやっかいになる人も少なくない。わたしの母はまさにそのタイプ。

わたし一人なら、絶対に母と一緒に暮らそうとは思わなかっただろう。オットと母はうまくいっていたので、彼がいれば何とかなる。そう考えて踏み切った同居だった。今思えば、オットに過度な期待を抱きすぎていたのだ。

母とは毎日のようにケンカになった。

実はわたしたちと同居する2年ほど前まで、母は姉夫婦と同居していた。気性の激しい姉と母もよくケンカしたが、仲裁したのは穏やかな義兄だった。

そんな風にきっとオットがとりなしてくれるだろうと思っていたのだが、よく考えれば、姉夫婦とだってうまくいかなかったのである。

しかも、母は想定外の行動に出た。


臆病者の処世術


もともと母は、自分より強い相手には何も言えない臆病者である。その分、立場の弱い相手には何をしてもいい、と考えるのが母のようなタイプなのだ。

会社員の義兄とは異なり、オットは無職である。母はそんなオットを「弱者」と見なして、徹底的に痛めつけた。

こちらに越してきたのは闘病のためだと何度言っても、一見元気そうなオットを見ては「いつ就職するんだ」と、毎日のようにグチグチ言う。

21時に寝ろ寝ろとうるさいので「もし就職したら、イマドキ19時までに帰宅するのは難しいし、21時に寝るのは無理だよ」とわたしが言っても、「そんなわけがない」と信じない。

オットは好きで離職したわけではないし、仕事ができないことで誰よりもつらい思いをしているのは彼自身である。そこをまったく理解せず「あんたなんか、ウチの娘の金魚のフンだわ」と罵る母。

彼はずっと母に優しくしてきたし、わたしのことも本当に大切にしてくれていた。その彼がただ病気になっただけで、なぜこのようなことを言われなくてはいけないのか。

そもそも、母は「夫が働けないなんて、ひよ子がかわいそう」だと言っているわけではない。ただ、自分の面倒を見てくれるかどうかが心配なだけである。

早ければ、あと数年もすれば、母には介護が必要になることも想定していた。一人息子の彼は、函館の両親を捨てて母の面倒を看る覚悟で名古屋に来たのに。

母と暮らした5年間に、母が放った暴言は、彼とわたしの心に静かに、でも確実に積もっていった。

そして同居から4年が経った、2015年の大晦日の夜。
わたしたち夫婦の心を完全にポッキリと折る、「あの決定的な事件」が起きるのだ。


おまけ:母モモエのひよこマンガ


母のことを愚痴った相手に勧められて、母親のひよこ漫画を描いたことがある。結構なホラーだが、よかったら読んでみてください。

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陽菜ひよ子 / インタビューライター&イラストレーター もし、この記事を読んで「面白い」「役に立った」と感じたら、ぜひサポートをお願い致します。頂いたご支援は、今後もこのような記事を書くために、大切に使わせていただきます。