note創作大賞2024『君は死ぬから美しい-2174年の花屋の場合』第3章
この作品は2024年note創作大賞応募作品です。
第3章 キクとマム
「父さん、ただいま」
築山満留(つきやまみつる)は、突然の来訪者に体をこわばらせた。
「俺のことを父さんと呼ぶやつはこの世におらん」
などと強く言えたらよかったのだが、ひたすらまばたきをくりかえすのでせいいっぱいだった。
「ごめんなさい、ここで働かせてください」
ちょうど5年前の秋に家を出ていった一人息子の翔留(かける)が帰ってきた。
200年続く葬儀屋を営む築山は、息子に商売を継がせようと思っていた。かつては東京都でも指折りの葬儀社だったが、それと同時にかたくなに生花を取り扱うことをやめない稀有な存在でもあった。おかげでコストパフォーマンス重視の他社にみるみるうちに抜かされていった。葬儀の縮小化と死亡者数の減少は止まることを知らなかったが、葬儀という仕事がなくなることはなかった。闇営業へ転身していった生花店とも縁を切らなかった築山家はいわば半グレのような状態になり、法律上グレーな団体からの仕事も受けるようになった。そういうところほど羽振りがよく、また生花や宗教儀式を重んじてくれた。食い扶持をつなげるために、結婚式や祝いの席などにも手を出したが、なかなか長く続かなかった。葬儀業界は築山家が知っている200年の間、既得権益に依存することで命を繋いでいる。その利権関係に救われ、同時に足を掬われここまでやってきてしまった。
幼い頃から仕事を見せていれば憧れるだろう、という怠慢が招いたすれ違いだった。築山は業界の関係性や仕事が好きで父親から会社をついだが、息子の翔留はちがった。高校生になったあたりで家に寄り付かなくなり、つい夜遊びを咎めてしまった。はじめはちょっとした喧嘩だったのだが、葬儀の仕事を汚い、前時代的だとののしられ、築山はついに堪忍袋の緒を自分で切りにいってしまった。
「だったらもういい、うちにいなくて」
その言葉に弾かれるように、翔留は家を出ていった。どうやら母親とは連絡をとっていたようで、妻から翔留は一流のゲーム制作会社に就職したと聞いた。なにか熱中できるものがあるのであれば、と安心したのも束の間、翔留は家に帰ってきた。あの時とおなじ、キクがきれいな9月のことだった。
築山の妻はとても喜んで家にあげ、高級品である鶏肉を大量に買い込み、大量の唐揚げを作った。本物の肉を口にするのは久しぶりだったが、翔留と交わすための言葉を頭に浮かべては消してを繰り返すうちに気づいたら唐揚げも目の前からなくなっていた。食後、妻と肩を並べて皿を洗っていると、妻はポツリとつぶやいた。
「葬儀の仕事がしたいらしいよ。連れていってあげてよ」
何を今更、と口から出かけて、それを思い切り飲み込んだ。本当は何よりもそれを望んでいたのに。ごまかすように大きく咳払いをしたら、それと同時に腕に巻かれた端末が震えた。裏稼業の団体からの葬儀の依頼だった。偶然にも、男手が必要になる現場になりそうだ。
まだ日が昇らないうちに屋敷に遺体を搬送し、ドライアイスを当てて、その団体の親分を安置した。また翌朝打ち合わせに来ると約束をして屋敷を出たころにはまだ暗く、少し寒かった。もうすぐ冬が来る。今年は少し寒い冬になるかもしれない。この前生花の市場に赴いた時に、いつもより早く冬の花が出回り始めていた。本物の花に触れる機会がなければ気にすることもなかった季節という存在。そんな築山に本物の花の力を教えてくれた師匠が死んだのも、そういえばキクがきれいな時期だった。いや、そんなことよりキクの花祭壇の注文を、贔屓の花屋であるタケハラフラワーの店主、竹原杏(たけはらきょう)に伝えなければならない。師匠の教えはまっすぐと孫の杏に受け継がれている。
「今年そういう案件多いなあ」
メッセージで先に送っておいた案件の内容を見て、杏が築山に通話をかけた。
「毎年言ってるけど、件数はそんなに変わらないんだよ」
「今年は多いですって。ところで、女性のスタッフ嫌がるでしょう?」
裏家業の人間たちは、なぜか100年くらい前の感覚とセンスで生きている。スタッフとして女性が向かうことを極端に嫌がる。もちろん暴力沙汰に発展することもあるため安全をとってという意味もあるそうだが、女性はあくまでもサポート役という意識がある。それを杏もよくわかっている。
「そうなんだよね。まあ、こっちに一人男が」
「え!新しい子?」
「まあ、お楽しみに。さっきキクが入ってきたから、作業場に置いてあるよ」
「はーい、バイト雇っていきます」
杏はきっと驚くだろう。悪いことではないけれど、息子の存在と軋轢を隠していたことに、築山はひけめを感じてしまった。
大きな葬儀は、逝去から葬儀までに日が空く。そのため花を使う日を調整する必要が出てくるから、開花の調整を行いやすい花が選ばれる。今回は伝統的な和菊で、ほとんどが固く閉じた状態だった。作業場に到着した杏は花の状態を見て、とりあえずもう少し水を吸わせようという判断をした。
キクはハサミを使わずに手で茎をぼきっと折ると、水をよく吸いあげるようになる。花祭壇の本格的な製作の前に花をもう少し咲かせたいから、と全てのキクの茎をぼきぼき折って新しい水が入ったバケツにいれかえる、いわゆる荷つけという作業から始まった。傍には、杏の親友である秋田リンがいた。
3人で黙々とキクの茎を折っていく。手で折ると、ハサミで切った時と違って茎の断面がギザギザになる。そのギザギザが、水を吸いやすくするのだ。指に力を入れて、ぼきっ。また一つ拾い上げてぼきっ。10本たまったら束ねて、新しいバケツに入れる。単純な作業は、人間に思考する時間を与える。この間築山は翔留のことを考えていた。どうやって、葬儀の仕事を教えよう。もう自分に後継などいないつもりでここまでやってきた。そもそも、息子がこんなにも考えを変えて家に帰ってくること自体が不思議で、なんだかよくわからない生物と対峙している気分になった。
「あのね、築山さん」
考え事をしていたら、茎を折ったキクが20本も積み重ねられていた。
「ああ、ごめん、10で束ねるんだったね」
「え?」
咎められたのかと思ったが、見れば杏の目の前には30本ほどのキクが積み重なっている。
「ああ、考え事しすぎちゃって」
「何を考えていた?」
「お父さんのこと」
「親父さんがどうかした?」
「あのね、来週、全身機械体化するんです」
驚いた。まさか杏の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。杏に限っては、そういうこととは反対側に走っていく人だと思っていた。
*
築山は、杏の人生を変えてしまったという自覚があった。それは罪悪感にも似たようなもので、仕事にまっすぐな杏を見ているといたたまれない気持ちになることもあった。
初めて出会ったのは、杏の祖父である柚(ゆう)の葬儀だった。代々花屋として築山家と付き合ってきたタケハラフラワーだったが、柚は自分の代で花屋を畳むことを決意していた。
「もう、時代によう合わん」
柚は、店を継いだばかりの築山に何度もそう言った。
「親から会社継いで、昔からある仕事を続けている俺たちが、時代とかいうのやめましょうよ」
若かった築山は冗談めかしていったが、柚は本気だった。病が体を蝕む間も、柚はもくもくと身辺整理を始めていた。病の原因であった内臓を人工のものに取り替える手術をなんども薦められたそうだが、柚は首を縦に振らなかった。「もう死ぬと思うから、楽しいんじゃないか」という言葉も、築山は何度も聞いた。ところがその気持ちだけでは、柚は病に勝つことができなかった。
柚の葬儀の会場に供花を運び込んでいる時、祭壇の目の前に立ち尽くしている人がいた。ごめんなさい、とそばを通った時、一瞬視界に入った横顔が柚そっくりだった。
「もしかして、竹原さんのお孫さん?」
「あ、はい、そうです」
竹原の孫の目は濡れていた。
「おじいさんは、素敵な仕事をされていたと思います。残念です」
「私は今、祖父の仕事をはじめて見ています」
「なんだって?」
「合法的な仕事ではないので、誰も教えてくれませんでした。祖父が花屋をやっていたことを、知らなかったんです」
「そうだったんだね」
「花って、すごいんですね」
「そう、すごいよ」
「この大量の花たちって、ずっとこのままじゃないんですよね?」
「本物のキクだからね。いつか死ぬよ」
「おじいちゃんと一緒だ」
「お孫さん、名前は?」
「キョウです。漢字の木の下に口を書いて、杏」
杏が花祭壇に挿されたキクを一本一本見ていくその眼差しは、築山が見てきた柚のまなざしそのものだった。その目に気圧されて、供花を運び終わった築山は最後にこう言った。
「店がなくなるのは、とても残念なことです」
竹原家の葬儀が終わってしばらく経ってから、杏が義肢制作の専門学校を途中でやめたと聞いた。ついでに優秀な生徒だったということも聞いてしまった。杏が生花に魅入られた瞬間は、いまでも手に取り触るように思い出せる。
*
「ご病気かなにか?」
全身機械体化、という杏の口から出るにふさわしくない言葉に驚きながらも聞いてみる。
「はい、がんなんです。もう全身に転移していて」
「そう…」
「もちろん、といったらあれですが」
と、杏はリンの方をちらりと見る。リンは黙々とキクを折り続けている。
「あたしはすごく抵抗があったんですが、父は一度決めたらテコでも動かない人なので」
「なんだか久しぶりに聞いたな、その表現」
「あたし自身が納得するまでに、すごく時間がかかっちゃいました」
「何があったんだ?」
「付き合ってる彼女に言われたんです、あんたは命を舐めすぎているって」
築山は、杏に恋人がいたことに驚きながら、話の続きを促した。
杏の恋人である九十九薫(つくもかおる)は杏、リンと同じ高校出身で、よく3人で行動を共にしていた。機械を触るのが大好きな杏やリンと違って、薫は生き物が好きだった。裕福な実家には大きな犬が3頭もいて、友人たちが知らない温もりの中で育った。だからこそ、薫は死の悲しみも知っていた。愛犬の一頭が亡くなった時、杏の端末に「虹の橋を渡りました」というメッセージをだけを残して2日も学校を休んだ。杏には何もかもわからなかったが、また登校してきた時のげっそりとした顔が今でも忘れられない。人間に大切にされた動物が天に召されると虹の橋を渡る、という童話のことを杏が知ったのは、花屋として働き始めた後のことだった。そして同時に、薫の文学的で繊細な魅力に気づき始めた。杏が生花に魅入られたその時、薫は医学部への入学を決めていた。
久しぶりに会おう、と入学前に食事に行った時、杏は薫へ一言だけ贈った。
「あなたのことをもっと知りたい」
こうして20歳の時から交際を始め、今年で9年目になる。
医学部を修め、研修期間を終えた薫は、今年から救命救急棟に配属された。科学が進歩し、医学が必死についていき、人がより強く大きな翼を手にしても、毎日のように命の火が消えかかった人々が運ばれてくる。疲れ切って帰宅した薫は、全身機械体化に関する資料を自宅のダイニングの上で発見した。
「これ、杏の?」
「そう」
「だれが?」
「父さん」
「そう、いいと思うよ」
命が消える時は壮絶だ。想像を絶する血液を身体中から出す者、考えたこともない方向に曲がる四肢、目玉がこぼれるほど大きな目を開き苦しみながら息絶える姿、どれも、見なくてもよかったものだった。薫は自分が幼い頃にもらった温かさに恩返しがしたかった、ただその一心で医師を目指したが、現実はそうわかりやすくはできていない。手にするのはたしかな温かさではなく、どんどん遠くなっていく温かさ。機械に頼っていれば、人はより長く温かくいられる。病院の中で穏やかに過ごす義肢や義内臓を持つ患者たちを見て、薫はそう思っていた。
「機械体って、命に逆らっていると思わない?」
「どうして?」
「自然に死んでいかないから」
「あんたは…」
「病気になるってことは、その体はもう限界ってことなんじゃないの?」
「人は花とは違う」
「同じだよ、壊れやすくて、手をかけたら元気になって、水分に溢れて、そしていつか死んでいく、死ぬまでの命を」
「あんたは、命を舐めすぎなんだよ」
薫の言葉を聞いて杏がぐっと喉を鳴らす。
「花は枯れるときに血を流したり、苦しんだりしない。物を食べられなくなるぐらい悲しむ家族もいない。あんたが相手にしているものが生きていないとは言わないけれど、人と花は違う。見たことがあるのか?血だらけのご遺体を、苦しくて目も閉じられないまま硬直していった遺体を、死ぬなと叫んで死体にしがみつく生きている者を、あんたは」
握った手に、遠ざかる体温の残りを感じる。自分は、生きている。ここで、大切な人に当たって、このぬくもりを逃していくのが、一番ばかばかしい。
「ごめん」
薫は握った拳を開いて、そっとテーブルにおく。
「頭冷やしてくる」
「いい、」
さえぎるように杏が立ち上がる。
「頭を冷やすのは、あたし」
力強く閉められた扉に向かって、薫は「気をつけて」とつぶやいたが、その声は杏には届かなかった。
家を飛び出した杏は自分の店の電気をつけた。花たちはきっともう寝ているのに申し訳ないと思ったが、生きていることを確かめたかった。自分と、花たちが。
「命に逆らってるのは、どっちなんだろう」
自分だけが、命というものを知ったような気になって、自分なりの命を押し付けて生きてきたのではないか?
「杏ちゃん?」
溺れそうな視界に映ったのは、造花メーカーの営業マン、不破明(ふわあきら)だった。
「なるほどなあ」
営業の帰りに偶然店の前を通りかかったら電気がついていたんだ、と嘘みたいに本当の話を言いながら、一緒にカフェへ向かった。不破は杏の涙を笑わなかった。不破だけには見られたくない、と咄嗟に思った気持ちはいつのまにかどこかへ消えていた。
「それだけ悩めるってことは、杏ちゃんはお父さんと向き合ってるってことだよね」
「そうかも」
「まあ、私から言えるのは、すごく羨ましいってことだな」
「そうだよね」
「命があるってことだから。それって」
「うん」
「それに、どんなに技術が進歩しても、いまのところ人間は死んでいっている。どれだけ人間らしいものを作っても、それじゃ足りなくて、人間そのものをつくらなければならない。人が生きるためにはね。その点造花はいい。それらしいもので、絶対に死なないものを作れるからね」
不破はそういって、かばんから大きな西洋ギクを出した。
「マム、アナスタシアだ」
杏の瞳が水面のように輝く。
「そう、きれいでしょう」
「あたし、アナスタシア大好き」
「こいつがきれいだという“真実”は枯れないから」
「花言葉知ってるんだからね」
いつもは冷ややかに笑う不破のキザな仕草も、今日ばかりは笑う気になれなかった。
不破は営業車で杏を家まで送った。見上げると、ベランダで缶ビールを空けている薫の姿が見えた。腕の端末が震える。
「誰、その男」
薫の心にはすでに嫉妬する隙間が生まれていた。
その夜一晩かけて杏は資料をもう一度読み込み、朝日が昇ると同時に父親にメッセージを送った。
「機械体化のコンサル、いつ受けますか?」
そして力尽きてダイニングで眠ってしまった。仮眠から覚めた時にはブランケットがかけられていて、酒の空き瓶にアナスタシアの造花が生けられている。それは不破から譲り受けたものだった。
「明くん、いいこと言うじゃないか」
「そこですか?」
その言葉は築山の複雑な気持ちをカモフラージュするために吐き出された。
「まあ、不破くんに借りがイチかな」
「うちの機械体ですよ。クオリティには自信ありますから」
「そうか、秋田さんはそういう会社にいるんだったね」
「築山さんって…あんまり人間に興味なさそうですよね」
あまりにも失礼なリンの発言に焦っているのは杏だけだった。
「まあ、そうかもしれんな…」
自分の子供のことすらわからなかった。出ていくのを見ているだけで、帰ってくるのをまた見ているだけだった。
「ていうか築山さん、今日なんか変じゃないですか?」
杏は今までにないほど丸い目で築山を見つめた。自分は話すべきことを話したと言わんばかりに、築山の心の奥にあるものを引き出そうとしている。
「次の現場なんだがな、新人を連れていくよ」
「え?だれ?」
「築山翔留という若い男だ」
「築山?」
「息子だ」
ここから先は質問攻めだった。何歳なのか、今まで何をしていたのか、どんな息子なのか、なぜ隠していたのか、杏とリンの2人からいくつも質問を受けた。しかし、築山は答えることができない。年齢すらまともに答えられない父親としての築山に、杏はもっと踏み込んだ。
「築山さん、なんでそんな息子さんに対して怯えてるんですか?」
「怯えている?」
「知らないというより…知りたくないというか…」
築山にとっては、こんなふうに鋭い質問をしてくる杏の方がよっぽど恐ろしい存在だった。杏はときおり、理論と計算では決して引き出せない答えや問いを目の前に叩きつける。
「わからないな」
「わからないのはいいし、わからないってことをわかってるのはいいんですけど…」
杏は持っていたキクの花を持って築山に向ける。
「わかろうとすることが大事じゃないですか」
キクの花言葉の一つに「信頼」がある。いくつかしか知らないのに、ここで知ってるやつか…まるで自分の人生のチャプターに名前をつけるみたいだな、と苦笑いしたが、杏にはその表情の意味はわからなかった。
翌日に葬儀の日取りが決まり、その2日後が告別式ということになった。念のため警察にも連絡を入れ、屋敷の周りは厳戒態勢が敷かれだした。
杏はその知らせを聞いてすぐに作業場にやってきた。前日に手入れをしたキクはきれいに咲いた。「こういうところがいいのよ」と満足そうにバケツの大群を眺め、吸水スポンジに花を一本一本挿し始める。まずは波のような、雲のようなラインをキクで描いていく。どれも同じような咲き具合だが、表情が若干違う。しかし、杏の手にかかれば、美しいラインができあがるのはあっという間だ。曲線が完成すると、空いたスペースを別のキクで埋めていく。キクは香りが強い。この香りのつよさゆえに、古来中国では邪気をはらう花として親しまれていた、と教えてくれたのは杏の祖父、柚だった。柚は花図鑑のように色々なことを知っていて、現場に持ってくる花のことをことこまかにおしえてくれた。その知識や、歴史と文化と共にいる姿勢は杏にももちろん受け継がれている。
「あれ、今日、重陽の節句じゃん」
キクを小気味いいテンポで挿しながら、思い出したようにつぶやく。
「なんかかっこいいキクもってくればよかったなあ」
「今何かお店にはあるのかい?」
「マムでもよければ」
「マムってなんだっけ?」
「西洋菊のこと。ぜーんぶおんなじキクなんだけど、あたしたちは呼びわけてるんです」
「なんで?」
「ほら、キクっていい印象ないでしょう、葬式とか、墓とかでつかわれるからね。悪いもんじゃないよって人々に知らしめるために、結構前の人らが呼び分け始めたらしいですよ」
「へえ、そうなんだ」
「結局意識はそんなに変わってないけど、あたしたちはずっと抗ってるかも。キクもマムもかわいいって思うために、マムのことをマムって言ってる気がする」
忌み嫌われるものを、そうでないと言い続けてきている人々がここにいる。その証拠が「マム」という名前なのかもしれない。
「なあ、祭壇にその、マムって使えないか?」
「え?そんなことして築山さんの命ある?」
「だって、キクなんだろう?」
その悪そうな築山の顔を見て、杏はすべてを察した。
「このへん、マムだらけにできるよ」
2日間キクの花を触り続けて黒くなった指で、祭壇の右下あたりを指さした。
「かっけーやつ、作ろうかな」
マムを取りに一度店に帰ると言った杏に作業場の鍵を預け、築山は翔留を連れて喪主の家へ向かった。円滑に葬儀を進めるために、翔留には屋敷の構造を覚えておいてほしかった。いきなり特殊な現場か、と少しだけためらったが、今さら築山のもとに特殊でない葬儀の依頼はあまり舞い込んでこない。
「黙って俺の後をついてこい」
「それだけ?」
「それだけだ」
「マニュアルとかないの?」
「あるわけないだろう」
自分たちは、抗い続けなければならない。いつかその考えは変わるのかもしれない。杏や翔留が思ってもみない方向に走りはじめたように、自分も走る方向を変えるかもしれない。でも今は、自分がいいと思ったものを貫き続けるときなのだと自分に言い聞かせた。
間違っていても、背中を見ていてくれ。
団体の幹部たちに案内されながら、当日の会場設計について考えた。動線を考え、想定人数を計算し、必要になりそうな幕の数を考えた。白と黒が交互に織られている鯨幕。もう何十年も前に生産が終了したものだが、こういう現場で役に立つ。幹部の男はデジタル幕を提案してきたが、故人の妻が横から口を出し、本物の布でできた幕に決まった。
翔留はその会話を黙って聞いていた。聞いているのだ、ということはわかった。
団体幹部に用意してもらう備品についてまとめ、翌日打ち合わせに訪れる時間を決めて二人は屋敷を後にした。
二人で作業場に戻ると、杏はまだ祭壇を作っていたが、ほとんど完成していた。築山が思いつきで言ったことが正しく再現されていた。花祭壇の一部には、華やかな洋菊であるアナスタシアが使われている。見た目は、中心が緑でピンク色の花弁が大きく広がっている。古くから栽培されている伝統的でありながらずっと人気を誇っている品種だ。
「やったな、杏ちゃん」
「築山さんが主犯ですからね?」
杏の悪そうな顔を見て、築山の頬もゆるむ。
「そしてもしかして…」
隣に立っていたリンが築山の後ろを覗き込んだ。
「息子の翔留だ」
翔留は「ちっす」と小さく挨拶をする。
「今回の現場は杏ちゃんには通夜前日の飾りだけ来てもらって、その後のメンテナンスとかは俺たちに任せてもらうよ」
屋敷での打ち合わせで、やはり安全面の関係で女性に来ていただくことはおすすめできない、と釘を刺されたのだった。
「仕方ないけどお任せするしかなさそうですね」
築山と杏の打ち合わせを尻目に、翔留は花祭壇をじっと見ていた。
アナスタシア。存在感があって魅力的な花だ。
「翔留くん?気になる?」
仕事はおわった、といわんばかりのリンが話しかける。
「気になります」
「これはね、アナスタシアというマム」
「マム?キクじゃないんですか?」
「キクの仲間なんだけど、キクっていうとダッサく聞こえるから、西洋出身のキクは”マム”って呼んでるらしいよ。おもしろいよね」
「へえ…」
「リン!帰ろ!」
「はーい。じゃあね、翔留くん、現場頑張って!」
「はい、また…」
翔留は、リンのことをアナスタシアのような人だなと思った。
「父さん」
「なんだ」
家へ帰る車の中で、翔留は窓の外を見つめたまま、ゆっくりと話し出した。
「俺が家を出た日のこと、覚えてる?」
「覚えてるよ」
本当は、忘れたことなど一度もない。
「俺はあの時、葬儀の仕事なんて汚くて古くて、やってられないって言ったんだ」
「ああ」
「あの日、机の上に本物のキクの花が飾ってあってさ」
「そうだったか?」
「うん、それがなんかこう、いかにも葬儀って感じがして嫌だったんだ。心底。匂いを嗅ぐと葬式を思い出すんだよ。なんか悲しい気持ちになるし」
「ああ」
「でもあの花、マムだったんだな」
築山は驚き、意味もないのに自動運転車のハンドルをぎゅっと握ってしまう。
「お前それ…」
「今日の花祭壇を見て気づいたんだ。アナスタシアという名前も聞いた」
「そうか」
忘れもしない、翔留が家を出ていった9月9日は、重陽の節句だ。
またの名を菊の節句という。
そのマムは、築山が家族の無病息災を心から願って飾ったものだった。
翌日、大きな花祭壇は二十を超えるパーツに分解され、ひとつひとつ丁寧にトラックに積み込まれた。これをこのあと会場でもう一度組み立てる。花が大量に挿されているので、一つのパーツがとても重い。いつもは生身で搬出する杏だったが、さすがにこの量はこたえる、と負荷軽減スーツを着用していた。デスクワークを中心としていた翔留もこの重さに耐えられず、終わる頃には腕を揉んでいた。
トラックは杏と築山を乗せて屋敷へ向かう。タブレット型の端末で屋敷の図面を確認し、予備の花材や手入れの仕方についても話し合った。自分が手出しのできない現場は何度も経験のあることだったが、何度繰り返しても杏にとっては不安な気持ちが大きい。お客さんや参列者が誰であろうと、平等に同じ顔で美しくいられるのが花だ。こういう現場でこそ、その真価を発揮してほしい。
「不安かい?」
「築山さんには、絶対嘘つかないです。すぐバレるから」
「聞いただけじゃないか」
「いじわるだなあ」
不安なのは築山の方だった。それに、杏はもちろんその気持ちに気づいていた。
「大丈夫です」
「なにが?」
「この世のたいていなことは、大丈夫なので」
そうだろうか。不安な気持ちが築山にハンドルを握らせる。
「築山さんは、仕事を通して”大丈夫じゃないこと”を見すぎなんだと思います。この世って、たいてい”大丈夫”でできてます」
「大丈夫じゃない人は、実際にいるから」
「そうだとしても、築山さんに限っては”大丈夫”であふれています」
「なあ、翔留にネクタイを買ってやりたいんだ、仕事用のやつ」
「話聞いてました?緑かな、濃いやつ」
「なんで?」
「あたしが初めて築山さんと話した時にしてたネクタイの色だからです」
「よく憶えているもんだ」
「まあね、花屋だから。色にはうるさいっすよ」
トラックが目的地に一番近い角を曲がった時、警察車両が何台もふたりの目に入った。その向こうにすこし嬉しそうにこちらに手を振っている団体幹部が見えた。築山は味方を作るのが上手い。やっぱり大丈夫じゃんという言葉を、杏は飴のように口の中で転がした。
二人で花祭壇を組み立てるのに、二時間近くかかってしまった。団体幹部たちや子分たちも手伝うと言ってきかなかったが、杏は毅然とした態度で断った。築山はそれをヒヤヒヤしながら見ていたが、途中で故人の妻が登場し、花屋さんのいうことを聞きましょう、の一言で場が収まった。水をこぼしかけ、屋敷の壁に傷をつけそうになりながら花祭壇を完成させた時には、築山の心は汗でびっしょりになっていた。顔にこそでないものの、どんな時でもこの手の現場は気疲れする。そんなことを少しも見せない杏に今回も感心させられた。では、また後ほど打ち合わせに参ります、とトラックに戻ろうとしたとき、幹部の一人に声をかけられた。
「あのマム、とてもきれいですね。親父も喜ぶと思います。ありがとう、と花屋さんにお伝えください」
心の瞳孔が開く音がした。知っているのだ。
「もちろんです、ありがたいお言葉どうもありがとうございます」
この仕事をしていると、仲間たちを褒める言葉を聞くことができる。もちろん本人に直接伝わった方がいいのだが、仲間が嬉しい言葉を受け取っていると知ることができるのもまたいい。花祭壇の周りを掃除したほうきとちりとりを持って、築山はトラックへ戻っていった。
杏をタケハラフラワーまで送り届けると、店の扉に貼られていた休業のチラシが目に入った。
「お休みするのかい?」
「父の手術があるので」
「そうか」
「いっぱい、父のことを触っておこうと思って」
「それがいいよ」
「大きな案件入ったらすみません」
「どうにかしておくよ、明くんもいるし」
「そうですね」
二人の間には、柔らかな空気が流れた。人は生きている。だから変化をする。考え方も、体も、性格や言動も変化していく。そして、変わらないものを守り続けるしなやかさも、同時に持っている。
作業場では翔留が供花の札の表示をチェックしていた。この団体では代々、札にプリンターで名前を印字するタイプが好まれていたのだが、こだわっていたのは故人だったようだ。故人の妻は「ミスが見つかった時にすぐ直せない方が困ります、お名前ですから」と液晶タイプの札を選んだ。翔留は、すぐ直せるとはいえ間違えたくはないんだ、と表示を確認していた。
「お前、なんでそんなに慎重なんだよ」
不思議に思った築山は単刀直入に尋ねた。
「名前を間違えられて怒ってる人を見たことがあるから」
「どこで」
「先輩の葬式で」
翔留が家に帰ろうとおもったきっかけは職場の先輩の死だった。レベルの高い業務についていけず、困り果てていたときに何度も助け舟を出してくれた先輩は、難病によって亡くなった。機械体の使用も検討している矢先の死で、病のスピードに人間がついていけなかったことに仲間たちは絶望した。テクノロジーを駆使して人を楽しませようとしていたクリエイターたちにとって、テクノロジーが速度で敗北することは受け入れがたかった。葬儀はホログラムによって彩られ、鮮やかで艶やかなその美しさは幼い頃見た古いビー玉のようだった、と翔留は嬉しそうに語った。俺たちはこういうものを作っている。そういう矜持を思い出すと同時に、仲間たちに慕われていた人間の死は翔留の考えをすこしずつ変えていった。テクノロジーと一緒にいては、追い越したり追い越されたりすることばかり考えてしまう。だから共に変わっていけるもの、共にそのままでいられるものを相棒にしたい、そう思った時に頭に浮かんだのが父の職業だったそうだ。仕事にもこのままではついていけない、と思った翔留は家に帰ることを決意した。
「先輩の葬儀の時の祭壇ホログラム、自分たちで作ったのに、供花の表示の名前を間違えたんだよ。自分で。おかしいだろ。それでキレてたんだよ」
かつて仲間だった者たちの話をするときの翔留の目尻が、やわらかく下がっているのを築山は見逃さなかった。この子は、こんなにやわらかい顔をしていたのか。自分の目尻も寸分の狂いなく同じ角度で垂れ下がっていることにはいつまでも気づきそうにない。
「父さんもチェックしよう、あと何枚だ?」
「えっとね、ここからだから、あと300くらい?」
「なるほど、メガネ持ってくる」
「義眼にしてないの?」
「そうか…」
息子は、ある意味で他人だ。だんだんと老眼になっている事実に気づかせてくれたのは、他人となって立派に帰ってきた息子のひとつめの仕事だった。
つづき
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