note創作大賞2024『君は死ぬから美しい-2174年の花屋の場合』第2章
この作品は2024年note創作大賞応募作品です。
第2章 嘘と本当のバラ
ヤンセン香莉(かおり)は、車のハンドルを軽く握ってぼんやりと前を見ていた。自動運転が当たり前の世界では、ほとんど意味のないポーズだ。渋滞というやつの頻度が減ったということは、幼い頃よく祖父から聞かされた。祖父が日本に来た頃にはまだ車がよく詰まって、目的地に着くために平常時の3倍くらいの時間が必要だったこともあるらしい。自動運転の普及により、ここ30年くらいでみるみるうちに渋滞は減っていった。祖父が現役を退く頃には渋滞とはほぼ無縁の国になっていたが、いまでもごくたまに道路は混雑する。こういうとき、どうやって時間を潰したらいいのか分からず、香莉はとりあえず運転のポーズをするのだった。もう一度意味もなく、目的地を設定し直す。香莉が農作物を届けに行く先、「タケハラフラワー」まではあと1時間ほどかかると表示される。時刻は朝の9時をすでに回っていて、店に着く頃には開店してしまう。開店前に相談したいことがあったのにな、と思いながら、もう一度目的地を設定し直す。それでもやっぱり、杏の店までは1時間かかるようだ。ハンドルから手を離し、運転席をリクライニングして、今度は車の天井をぼんやりと眺める。その時、渋滞の列はゆっくりと動き始め、自動運転の車たちがのろのろ進みだした。
竹原杏(たけはらきょう)が切り盛りしている生花店「タケハラフラワー」に着いたのは、店がすでに開店している10時30分ごろだった。「遅くなってごめんねえ!」と勢いよく店に入ったことを、香莉は後悔した。カウンターの手前でこちらを振り返ったのは、大手造花メーカーF&Fフラワーの不破明(ふわあきら)だった。香莉にとって不愉快な笑みを含みながら
「あ、香莉さんじゃないすか」
と放つ。今日はこの男と戦う気は全くなかった。ただ、ここで黙ってやりすごすわけにはいかない。
「不破くん、この前の話考えてくれた?」
「だから…言ってるじゃないですか。おたくのバラがうちには必要なんですよ。新しい品種も作ってるんですよね?今度撮影させてくださいよ」
この人とは何度対峙してもうまくかわせない。香莉はいつしか、不破に対して苦手意識を感じていて、話すたびに負けオーラを放ってしまう、と自分に対して思っている。
「あ〜姉さん!すみません、渋滞大丈夫でした?」
杏が店の奥から出てくる。思わず顔がこわばる。そんな香莉を見て、不破は追い打ちをかけてくる。
「我が社は絶対にあなたたちと契約を切らない。わかりますか?」
「わからないよ。私は、次の契約書にサインをするつもりはないからね」
「ずいぶんと自信がおありですねえ。まあいいでしょう。また農園にお邪魔します。こちらも新しい契約内容をお持ちしますから。じゃ、杏ちゃん、今日はもういいや。また来るね。面白い花入ったら教えてよ」
「あ、はい、また連絡ください…」
それじゃ、と不破はわざとらしく、香莉が抱えていたひと束のバラを覗き込みながら去っていった。
「香莉さん、不破くんとなんかあったんですか?」
「まあね…そのことでちょっと話したくて」
香莉が、造花メーカーF&Fフラワーとの契約終了を持ちかけたのはもう半年以上前になる。日本にメキシコから移民としてやってきた祖父から継いだバラ農園は、父親の代からF&Fフラワーと専属契約を結んできた。メキシコから持ち込まれたバラの栽培技術と、当時の日本の気候が見事にマッチし、ヤンセン家のバラは生花の生産量と反比例して市場に多く出回るようになった。生花が廃れていった時、最後まで本物の花のほうが好まれたと言われるほど、バラの人気は根強かった。そのうえ、ヤンセン家のバラは品質が高く、品種改良にも力を入れていたため、生花店や冠婚葬祭業の生花部に多く目を付けられた。そして最後に大型契約を仕掛けてきたのがF&Fフラワーだった。
F&Fフラワーは香莉の父が農園を切り盛りしている時代に興った造花メーカーだ。当時は新規参入企業だったが、いまや日本の造花シェアの80%を占めるとも言われている。F&Fフラワーの特筆すべき点は、造花設計に対してかけるコストの比重だ。一般的な造花メーカーは、造花の制作にコストをかける。材料にこだわり、全て手作業でつくる高級造花も人気を博し始めた。ところが、F&Fフラワーは花の種類ごとに農家と契約。新しい品種が出るたびに農家に足を運び、専門の機械で撮影、3D CG化を行って、精密にモデルを作成する。新しい品種が出た時だけでなく、定期的に撮影を行うことで情報を蓄積し、たとえば同じバラでもさまざまな表情の花を作ることに成功している。本物らしさは多様性から生まれる、とは明が香莉に吐き捨てた言葉だったが、たしかに多くの営業マンがその言葉と多額の契約金で農家を説き伏せている。
香莉の父もそう説き伏せられたひとりで、実際のところF&Fフラワーとの契約金で家計は潤ってきた。そのうえ、F&Fフラワー製のバラはすべてヤンセン家で作ったバラのクローンのようなものだ。父親が現役を退く頃にはF&Fフラワーはグローバル進出を始めていて、祖国に自分のバラが届けられる、とたいそう喜んでいた。ところが、香莉はそう喜べるものではない、と思っていた。祖父や父親と共に毎日バラに触れながら育った香莉にとって、触れたら怪我をする、甘い香りを放つ本物の花こそがバラだ。一つ一つが違う表情をしていて、ときに早く腐ってしまうものもある。たった数度撮影した表情違いのバラは「多様性」ではなかったし、香莉は本物らしさなどいらなかった。ただ、本物が欲しい。
30歳の時に農園を引き継いだ香莉は、F&Fフラワーに対してバラの提供をやめようと考え始めていた。父の頃より農家の数は圧倒的に減り、それにともなってヤンセン家のバラの需要は高まっている。生産量をあげるための値上げにも多くの生花店・生花部が応じ、F&Fフラワーとの契約がなくても切り盛りできるだけの農家に成長した。継いだ時からダラダラと契約の打ち切り交渉をしてきたが、結局4年間は契約が続いてしまった。
そんなときに現れたのが不破明だった。不破は以前の営業担当と異なり、本物らしさの追求とか造花の有用性とかは語らなかった。コストパフォーマンスよく、いかに人を騙して造花を量産して販売できるかということに重きを置いた話しぶりだった。香莉はそれが心底気に入らなかった。代々続いてきたヤンセン家へのリスペクトがないどころか、目の前の生産者と命に対する侮辱とも取れる発言を繰り返した。時々それは、何かに対する恐怖からきているのかもしれない、と思うほど攻撃的で恐ろしかった。
それになにより、風の噂で未認可のバラ農園とも契約を始めているらしい。法外なやりかたでバラを栽培し、世界で例を見ない品種をつくろうとしている、ほとんど黒のグレー企業だそうだ。なおさら、香莉が契約している意味がなくなってくる。
ところが不破は一歩も引かなかった。その姿勢も香莉にとってはおそろしい。これではまたダラダラと契約が続きそうだったため、ずっと懇意にしてくれている杏にも相談しようとしていた。竹原家とヤンセン家はお互いの祖父の時代から契約があり、竹原家はよほどのことがない限り、ヤンセン家からバラを購入しつづけている。今や大口顧客のひとつである葬儀屋の築山を香莉の父に紹介したのも、生花に関わる多くの企業から信頼が厚かった杏の祖父だった。
「と、いうわけでね。不破くんってなんか…花に対する愛がないというか」
「そうかな?」
杏は冷蔵庫から出してきたポットで麦茶を注ぐ。杏の店にあるものは、祖父の生きてきた時代よりもっと前に使われていたようなものばかりだ。
冷たい麦茶を口にして、香莉は続ける。
「“本物らしさとかいいんですよ。人をどれだけ上手く、安く騙せるかって話なんですよ“って言われて。私、人を騙すために花作ってるんじゃないんだけど」
「へえ、不破くん、そんなこと言うんだ」
「杏ちゃんに対しては違うの?」
「確かにすごく攻撃的なことをいう人だなあとは思うことはありますけど、なんていうか、基本的に怯えているというか」
「そう、それは感じる」
「実は、あたしも…不破くんから交渉されてて」
「何を?」
「F&Fフラワーに来ないかって」
「はあ?杏ちゃんが?」
「そうなんです」
杏が交渉を受けたのは、雨季がくるよりずっと前の、まだ寒い時期のことだった。いつも通り、不破ががめずらしい生花をもとめて店にやってきたのだと思い、なにか珍しい花はないかとフラワーキーパーの中を眺めていた。ああ、これとかどうですか?見たことあるかもしれないけど、と春の訪れを告げる少し早めのラナンキュラスを差し出した。それと交換するように、不破はF&Fフラワーの社内資料を差し出した。
「どういうことですか?」
「杏ちゃん、うちで働かないか?」
「正気?」
「本物の花の知識がある人が必要なんだ」
いつになくまっすぐな目でこちらを見つめてくる。
造花メーカーは基本的に認可された生花店や農園と契約を結び、花のモデルを撮影したり造花の監修をしてもらったりしている。一方で未認可の生花店にしか入ってこない珍しい花の情報を仕入れるために、いわゆる闇営業の生花店に足繁く通う営業マンもいるらしい。不破はその熱心な営業マンの一人で、どこからか情報をかぎつけて杏の店に来るようになった。もちろん杏としては造花屋を”敵”だということは簡単だが、インフラとしての花はもはや造花に頼りきっているから、造花のクオリティが上がることを妨げる気にはなれなかった。どういう計上なのかはわからないが、研究対象としてかなりの金額で生花を買ってくれることもある。それを思うと無碍にすることもできず、面白い花があったら教えてあげるのが常だった。香莉にとっては完全な商売敵に見えているようだが、杏から見れば同じ業界を盛り上げる仲間だった。
ところが、造花メーカーで働くとなると話は違う。業界の仲間だとしても、信じているものは全く違った。不破は言葉を重ねる。
「杏ちゃん、もう枯れない花をつくらない?」
「もうってなんですか?」
「もう、死なないもの」
「考えておきます」
そういってひったくった資料は、不破の手汗でしっとりとしていた。そのとき初めて、資料が紙に印刷されていることに気がついた。
「お互い似たような状況だなあ」
「似ているようでだいぶ違うと思いますけど」
「関係を切りたいという意味ではおなじでしょう」
確かに、あれから不破の杏に対するアプローチが激しい。
「まあでも、不破くんにも理由があるんだと思うんですよね。あたしにこだわる理由も、香莉さんにこだわる理由にも」
「そうかなあ」
「不破くんは、何に怯えて生きているんだろう」
「不破くんって、生きてるのかな?」
「確かに、今度、手でも握ってみようかな」
「なんてこと言うんだ」
そう笑って、香莉は立ち上がった。
じゃあまた、と店の出口に向かってから一度立ち止まる。
「杏ちゃん、どこか悪いの?」
「誰がですか?」
「杏ちゃん」
「いいえ」
「そう、ならよかった」
香莉は一度も杏の方を振り返らなかった。
杏と香莉が向かい合っていた机の上には、杏の父の機械体化に関する資料が広げられていた。香莉の祖父は最後まで機械体化を拒んで、結局病気で亡くなったということを今更ながら思い出した。香莉は気高い。本当にバラのように気高く、はっきりとした人だ。小さなバンで去っていく香莉の後ろ姿を、杏はいつもよりくっきりと感じていた。
ヤンセン家からやってくるバラは美しい。何度見ても美しい。杏は運ばれてきたバラを一束ずつ丁寧に店頭に並べた。バラは、入荷した段階ではトゲがついたままだ。一本ずつトゲを削ぎ落とし、ナイフで茎の切り口を斜めに切る。こうすると水を吸い上げやすくなる。花びらが少し元気のないものは避けておいて、あとでたっぷりの水に生けてあげる。今日仕入れたバラは比較的茎が太く、その分トゲもしっかりしている。バラを包んでいる紙をほどくときに何度か指を刺してしまった。ピンク色のバラがふた束に、黄色と白と薄い緑のバラを一束ずつ。全てを店頭のバケツに入れた頃には、店頭がとても明るくなった。バラの力は強い。他の生き物を傷つける分だけ、分け与えてくれる力も大きい。
黒いバンが店の前に停められる。運転席から中年の男性が降りてきた。杏の店を懇意にしてくれている葬儀屋の築山満留(つきやまみつる)だ。香莉の農園から花が届けられる毎週金曜日に、バラの品揃えを確認するために店を訪れる。
「香莉のとこのバラは入ったか!」
「入りましたよ!今日も元気なやつです!」
「そりゃよかった。あと案件入ったんだけど、杏ちゃんいけそうかね」
築山が端末を杏に渡す。35歳、男性、喪主は母親…生花の花祭壇を希望で通夜はナシ、供花の受付もナシ…
「生花祭壇300万ですか?」
思わず大きな声を出してしまう。
「そう、供花は受けないって言ってるけど、どうだろうね、受けないと大変なことになると思ってんだ」
「この若さだと、」
「自死だそうだ」
日本の医療はここ100年で大きく進歩し、5年前に死因の第一位が自死となった。死ぬのがかなりむずかしい現代において、人を殺すのは自分自身なのだ。
「ご友人が多かったら、供花受けないってわけにいかないでしょう…」
杏は頭の中で花の本数を数えた。告別式は3日後、闇市は明日開くから店は閉じて市場に行って花を購入、築山の作業場で2日かけて挿せば間に合うか…久々に大きな案件になりそうで、杏の顔がこわばる。
「まあまあ、緊張しなさんな!トラック出したげるからな!何時に行くかね」
「じゃあ…4時で…」
花屋の朝は早い。早起きが苦手な杏にとって、市場にいく必要が出る葬儀の現場は苦手だった。
「オーケー!じゃあここに4時に迎えにくるね。あとこのバラちょーだい」
築山はヤンセン家のバラが好きだ。香莉の父が現役だった頃から、バラが仕入れられるたびに買いに来る。ご所望のバラを3本手に取り、軽く束ねて紙で包む。腕の端末を決済端末と接触させて、決済が済む。ほんじゃ、と振り返ると、そこには不破明が立っていた。
築山はなぜかそこで立ち止まった。
「不破さんとこの…明くんだよな?」
「葬儀屋さん…?」
杏は、そんなに揺れた不破の瞳を見たことがなかった。
「ごめん、打ち合わせに行くんだ、また遊びに来てくれよな」
築山は名残惜しそうにバンに乗って去っていった。不破はそこにしばらく立ち尽くし、
「ごめん、杏ちゃん、出直すわ」
ときびすをかえして去っていった。杏はふたりの関係について考えたが、築山が絡んでいる時点で誰かの命に関わることがらなのだろうなと静かに予想した。不破に対する恐ろしさの形が、以前よりはっきり見えた気がした。
杏はさっそく、3日後の葬儀に向けて花祭壇のデザインを考え始めた。築山からもらった葬儀の情報には、故人の性格やいままでの人生について簡単に記してある。
「スポーツ、頭脳明晰、明るい…」
明るい言葉が並ぶ故人の情報ほど、胸に影を落とすものはない。どうしてこの世を去ることになったのか。数日前に常連の美鈴から送られてきた言葉も同時に蘇ってくる。
「死ぬから、生きている時が美しい」
デザインパースを描いている紙の下には、不破から受け取ったF&Fフラワーの資料と美鈴たちから受け取った父親の機械体に関する資料が積み重なっていた。考えることは文字通り山積みだが、まずは足元の仕事から取り組んでいかなければならない。
けさ香莉が持ってきたバラが杏を呼んでいる気がした。杏は投げ出してあったタブレット型の端末を引き寄せ、香莉の農園に連絡を入れた。
翌朝4時。まだほとんど寝ている状態の杏を築山はトラックで迎えにきた。自動運転とはいえ車の運転には免許が必要で、車両のサイズによって免許の種類も異なる。大型車両の免許を取得していない杏が大きな現場を担当するときは、築山がいつも付き合ってくれる。
「おはよう!」
朝からいつもとおなじテンションの築山を、杏は心底尊敬している。名は体を表すというが、本当にいつもエネルギーに満ち満ちている人だ。
「おはようございます…お迎えありがとう…」
「血圧ひくいねえ!」
「築山さんが元気すぎるんですよ」
「徹夜だよ!昨日の夜お迎え入ってね!」
「え、大丈夫ですか?」
葬儀屋が年中無休な仕事なのは、たぶん未来永劫変わらないのであろう。
「大丈夫よ!お迎えだけだったから、さっきまで寝てたんだ。さて、まずは市場でいいね?」
「はい、そのあと香莉さんとこへ」
「バラね。いいと思うよ。バラは人に力を分け与えてくれる、強い子だから」
葬儀屋が花に詳しい必要はない。どの葬儀社も花を扱う部門を持っている。かつては「生花部」という名前だった部署も、今では「造花部」とか「装花部」と名前を変えていて、生花で葬儀を飾る葬儀社はめっきり減った。そんななか築山はかなり特殊な仕事人だった。杏の祖父を築山の父親が懇意にしていたこともあり、築山家と竹原家は代々一緒に仕事をしている。生花の知識がない人ばかりになっても、築山は本物の花が悲しむ人々に与えてくれる力を信じてやまなかった。築山自身も花について勉強を始め、ついには杏と一緒に花祭壇を作れるまでになった。今回も、仕入れが終わったら一緒に花祭壇を作る予定だ。
かつては東京に大きな市場が二つあったらしいのだが、いまや小さな認可市場と未認可市場、つまり闇市が一つずつひっそりと開いているだけだ。花は築山の名義で購入するため、この時ばかりは杏も認可市場に足を踏み入れられる。足を運んで現物を見る、なんてことがこの時代にもまだ生きているのだよな、と市場にいくたびにしみじみとしてしまう。
最初に向かう認可市場まで、車で1時間ほどかかる。杏はこの間聞いておきたいことがあった。
「ねえ、築山さん」
「なに?」
「不破くんのこと、なんで知ってるの…?」
「もしかして明くん、杏ちゃんの店に偵察に来てる?」
「偵察どころか…いや、先に築山さんの話聞かせてほしいです」
築山はハンドルから手を離して、片方の手で顎をさする。これは、誰か亡くなった人の話をするときの築山のクセだ。
「うーん…明くんはね、たった1人のお父さんを自死で亡くされてるんだよ」
「そうだったんですね」
「造花メーカーに就職したと聞いたときにはなんだか合点がいったよ。これ以上、もう“なくならないもの”を作りたいんだろうなと思ったね」
もう、なくならないもの。
不破に言われた言葉とそっくりだった。
もう、枯れないものを作りましょうよ。
不破が怯えていたのは死そのものだった。花が枯れることも、香莉との契約が切れることも、命が失われることも、すべて彼にとっては死そのもので、恐るべき対象なのだ。
「杏ちゃんが信じていることはわかる。死ぬということがわかっているから、人は今を一生懸命に生きる。そうだと思う。でも明くんとその話をしても、明くんの周りをツルツルとすべっていくだけだろう」
本当にそうだった。不破に対しては、何を言っても通じないという諦めと、なぜか話を聞いてくれないという不気味さを抱いていた。
「まあ、杏ちゃんと明くんに何があったのかはわからないけどね」
「まあ、色々です…」
説明してもいないのに、不破と杏の間に何かあったことを察した築山の第六感みたいなものを尊敬すると共に、やはり空恐ろしく感じた。人の生き死にに関わって生きている人は、今の時代の人々が持っていない感覚が研ぎ澄まされている。そういう人がまた、杏の周りには多い。
認可市場と闇市場を一通りまわり、トラックの荷台を三分の一ほど残して香莉の農園に向かった。事前に約束していた黄色のバラがすでに駐車場に並べられていた。
「築山さんと一緒ってことは、葬儀ね」
「そうです。あれ、目的いわなかったっけ?」
「メールには書いてなかったけどまあどっちでもいいなと思って。でもちょっと気にしてたの、黄色いバラだから」
「婚礼で黄色のバラをむやみに使うほど無邪気じゃないかも、もう」
杏は肩をすくめる。
花屋は花言葉をたくさん知っている、とよく勘違いされる。古今東西の花屋が店頭に並ぶ花の花言葉を聞かれた経験があるはずだ、と杏は思っている。基本的に花言葉は知らないので、聞かれたり気になったりしたときに調べる。ただ、いくつか暗い花言葉を持っている花があるので、それをむやみに入れないように気をつけている。黄色いバラはその一つで、いくつかあるうちの花言葉に「嫉妬」などがある。お祝いの席では避けることもある。
築山とともにバケツ5つ分のバラを積み込んだ。支払いの話をつけてトラックに乗り込もうとしたとき、香莉が寄ってきてまっすぐ目を見つめてきた。
「来週、ちゃんと不破くんと話そうと思う。アポ取ったんだ。あっちにいって、契約を切ろうと思うの」
「そう…」
「また何かあったら、連絡するね」
杏も不破と話したかった。彼がまとっている恐れの正体がもっとはっきりとわかれば、別の形でよりよく協力できる可能性がある。
「わかりました。あたしの方も何かあれば、連絡しますね」
トラックに乗り込み、築山が持つ作業場を目的地に設定していると、紙のタバコをふかしながら築山は
「明くん、人気者だなあ」
とつぶやいた。相当な高級嗜好品である紙のタバコを吸えるなんて、築山も儲かっているんだな、と杏は頭の中で嫌味を放った。
昼食もそこそこに、杏は築山に手伝ってもらいながら花祭壇の制作に取りかかった。花の下処理をするのに手が足りず、仕事が休みだった幼馴染の秋田リンを呼び寄せた。リンはこうやって杏の仕事を手伝わされているので、花の扱いが上手い。入荷した花の茎を切り、新しい水につけ替える「荷付け」という作業くらいなら任せられるほどになっていた。特にバラはトゲを取り除く作業にかなり時間がかかる。しかしこれを行わないと、花祭壇ができる頃には杏たちの腕は血まみれになってしまう。
花を生けるための吸水スポンジに水を吸わせながら、完全食のゼリーを口にする。隙あり、と見込んだリンはいたずらをするような少し悪い顔で杏に問う。
「お父さんと機械体の話はしたの?」
「なんで知ってんの」
「あんたが焦ったときに大きくなった瞳のサイズは、昔から変わらないねえ」
バラの茎の上にナイフの背を滑らせながら、ケタケタと笑う。
「仕事が忙しいのはわかるけど、お父さんだって怖いと思うんだよね。早くちゃんと話をしたほうがいいよ」
美鈴とあおいが資料をもってきてから、かれこれ3週間経つ。それにもうすぐ美鈴が今月分の花を買いにやってくる。
「リンの前で言うのはなかなか心苦しいのだけど」
目の前のスポンジは水を吸い切ってずしんと重くなった。
「命に逆らっているような気がする」
「あたしは目が見えてようやく、命に従って生きられるような気がしているけどね」
リンの右目が一瞬赤く光った。これはリンの意志で起こせる義眼のバグのようなもので、ネガティブな感情が高まったときに発動させるクセだ。
命に従うとか、逆らうとか、なんなんだろう。
水を吸って重くなったスポンジを専用の容器に並べ終わって、花の茎をナイフで斜めに切る。そして花祭壇を作り始める。会ったことはないけれど、確かにこの世にいて、自分で命を終わらせた人を思って仕事をする。この行為は果たして、命に従っているのだろうか。
「杏ちゃん相談がある」
喪主との打ち合わせを終えて、築山が真っ青な顔で作業場へ戻ってきた。
「どうしたんですか?」
「遺族が急に供花を受けると言い始めた」
「種類は?」
「クラシックのカゴ型」
「何基ですか?」
「150基あるそうだ」
「いくらなんでも挿せません」
この規模の葬儀が入る場合は事前に連絡があり、人手や花材をを確保する。2日で、しかも1人で150基挿すのはいくらなんでも無理だった。
「だから俺も悔しかったが、喪主から造花使用の許可を得た」
「はあ?」
「仕方がないだろう、いまから供花挿す人を探すのは無理だ」
花祭壇を金額で指定してきた段階でうっすらと感じていたのだが、遺族の第一目的はプライドの誇示と言ったところか。情報シートの故人の性格も、あれが真実ではないのだろう。黄色のバラじゃなかったかも、と頭の片隅で後悔しながら、これからのことを考える。
「あて、あるんですか?」
「それが相談で」
「あ」
「杏ちゃん、あてあるか?」
「不破くん…」
「オンラインで注文するか。会社の名前わかるか?」
「いや、話したいことあるから、直接連絡します」
花祭壇を半分くらい挿し終わったところで、ちょうどリンの作業も終わった。本当はお礼として酒の一杯でも奢るつもりだったが、供花の件で不破と話さなければならない。またおごるから、とリンの端末にいくばくか送信した。
「ちゃんとお父さんと話すんだよ。あたしはしつこいからね」
杏の顔めがけて向けてきた指は、バラのトゲでボロボロになっていた。
築山に送ってもらった頃には、夜の9時を回っていた。長い1日だ。
端末の中にある電子名刺のアプリを探ると、不破の名刺は比較的浅い場所にしまわれていた。電話番号の部分をタップすると、3コールののち不破の声が聞こえた。
「はい、不破です」
「お世話になってます。タケハラフラワーの竹原です」
「ええ?杏ちゃん?」
夜遅くの電話に、さすがの不破もふぬけた声を出した。
「ちょっと頼み事があって」
「なんだ」
「御社、供花って扱ってる?」
「もちろん」
「筆耕は?」
「モニターかプリントでよければ」
「明後日150基納品、できる?」
「私は“できない”とは言わないからね。ちょっと在庫確認するわ」
不破に対して「御社」なんて言った自分がなんだか面白くて、わらってしまった。
「何がそんなに面白い」
保留音の中で笑ったと思ったが、聞こえていたらしい。
「クラシックっぽい供花が200基まで出せる。買取だと一基…」
「買取となにがあるの」
「え?レンタルに決まってんじゃん」
そうか…
造花を扱ったことのない杏には無縁のビジネスモデルだった。
「そうだよね…とりあえず、200基分仮押さえして、レンタルと買取、札も木札と紙札、モニターの見積もり、全部出して送ってほしい」
「何時だと思ってんの」
「明日の朝でいいから」
「はいはい、今からやるから。ちょっと待ってて」
「ありがとうございます」
「捨てたもんじゃないでしょ、造花も」
反射的に通話を切りそうになる。
「こういうときもあるんですよ」
「考えてくれた?あの話」
「見積書見たら、また電話します」
今度こそ相手の返答を待たずに、通話終了のボタンを押した。タブレットの下からF&Fフラワー社の資料が顔を出している。
数分後、タブレット端末に見積書が送られてきた。見積書の内容を流し読みし、見積書に書いてある番号をタップする。今度は2コールで出た。
「もしもし」
「見積もりどうもありがとうございます」
「いかがしましょうか」
「とりあえず明日供花200基、指定の葬儀場に納品してほしい。レンタルかどうかは、明日葬儀屋と話してから決めます。札はモニタータイプでいい」
それからいくつかの事柄を確認し、電話を切ろうとしてやめた。
「それから、明日納品おわったらちょっと話したいから、時間空けてほしい」
「わかったよ。じゃあ明日ね」
今度は不破が通話を切る音がした。通話が切れる音は、相手が誰であろうとちょっと不快になる。
翌日、花祭壇がほとんどできあがったタイミングで納品物を受け取るために築山とともに葬儀場に向かった。築山は悔しそうに、だけど少し嬉しそうに、造花のクオリティの高さをベタ褒めした。不破も、杏が今まで見たことないほどに頬を緩めて照れくさそうに笑った。
杏も造花の供花は久しぶりに見た。数年見ない間にかなり技術が進歩している。不破は、花祭壇に合わせて黄色が強い華やかな供花を用意してくれた。バラも使われている。
「このバラは?香莉さんのところの?」
「いや…」
噂には聞いていた。不破が異動してきてから、ヤンセン家以外のバラをモデルとして使用しはじめたらしいが、本当だったとは。
「なんかこう、最悪だよね、そういうところ」
「200基かき集めてきた相手にそれはないんじゃない?」
タイミングは最悪だが、リクルートの話に今日こそけりをつける。そう思っていたから言動もとげとげしくなる。
「明くん、レンタルで200基で請求してくれ」
空気を察したのか、築山が割り込んでくる。
「築山さん宛でいいですか?」
「ああ、花屋さんには関係ないからね」
「わかりました、レンタルの場合、たとえ出なくても200基分お支払いいただく必要があって…」
不破がタブレットを叩いて請求書を作る間、築山はこちらを向いて驚くほど不器用なウインクをしてきた。杏は軽く息を吐いて、葬儀場の裏手に回った。
きっと築山が不破をここへ案内するだろうと踏んで、杏は建物の裏口で待った。杏は葬儀場が好きだ。昔は火葬場の煙突から黒い煙が出たそうだが、山奥にある古い火葬場以外はもう煙は見えない。無骨な四角形だけが並ぶ建物だが、その冷たさと無機質さが命の終焉を語っているようで安心した。あたたかさも冷たさも、どちらも命の存在を教えてくれる。
「何の用だ」
予想通り不破がやってきた。
「例の話」
「こんなところで油を売っていていいのか?」
「大丈夫。あたしから言えることは一つだけ」
「断るんだろう」
「そう。あたしは、やっぱり生きている花が生きている人に与える力を信じたいんです」
「また、きれいごとだな」
「いいですよ、それでも。だって事実だし」
「強いよ、杏ちゃんは」
「まあ、知らないだけかも」
「なにを?」
「物事を」
世の中のことを知っていれば知っているほど、自分の無知に気づくから強く生きるのは難しくなることに杏はうすうす気づき始めた。多分、不破は杏の知らないことをたくさん知っている。
「私は、弱いよ」
「そんなことない、と思います」
「怖いんだ。失うのが」
築山の言葉を思い出す。
「きっと聞いただろう、築山さんから」
「まあ…」
「そういうことだ。造花はいい。あるだけでその空間が明るくなる。その色や形、香りが人々を元気づける。そしてなくならない。決して死なない。技術さえあれば、同じように美しいものを作り続けることができる。どうせこの世には人間以外に生きているものが少ない。どうせ全部作り物なんだ。だから無理してなくなっちゃうものを作る必要はない。もう、私はなにも失いたくないんだ。ただそれだけ」
杏は、いま河口に立っている、と思った。不破の考えの色が変わってゆく。淡水が海水になっていくように。でもそれは本質が変わっているわけでは決してなく、色が変わって見えているだけだということに、すぐに気づいた。
「香莉さんも?」
「ん?」
「香莉さんも失いたくないの?」
「ああ。それに、バラは親父が好きだった花なんだ。バラだけは誰にも抜かされたくない。その気持ちは香莉さんと同じだと思うから」
「そのまま言えばいいのに」
「私はもう、私のことを信頼できていないんだと思う。こんなことば、空虚でからっぽだよ」
「そんなことはない。バラみたいに、くっきりとした考え方だと思う」
「香莉さんのことはいいんだ。杏ちゃんは、うちには来ないんだね?」
「考え方が違うことと、協力できることは、同じ人の心に同居できる」
不破の瞳がまた揺れた。同時に火葬場から大きな音がした。午後3時の火葬がスタートしたのだ。
黄色いバラの花祭壇の葬儀は、規模が大きく故人は若かったが特に問題なく終了した。遺族は造花の供花をひどくよろこんでいた、ということを少し残念そうな築山から聞いた。わざわざ杏に仕事を振るということは、生花の花祭壇に興味を示したと感じたからであって、造花でこうも喜ばれると少し複雑な心境にもなる。古い文献で読んだ、本物とにせものの差が最も小さいと言えるのが花だ、という言葉を思い出す。あれは150年前の書籍だった気がする。150年間、じっくりと時間をかけてその差はもうゼロと言えるようになってしまったのかもしれない。
葬儀が終了した次の金曜日、いつも通り不破が店を訪れた。
「この前はどうも」
「ご遺族、喜んでくれたと築山さんから聞いたよ」
「こちとら複雑です」
「私にも別に関係ないからね。あれ、他の部署の人に協力してもらったんだから」
たしかにそうだ。造花のクリエイティブチームにいる不破には関係のない仕事だった。文句ひとつ言わず深夜の見積もりに対応してくれたのか、と古くさい働き方に感心すらする。
「ところで、香莉さんとはあれから話した?」
「ああ、あのあと少しだけ」
「してやられたよ」
「なにを?」
「香莉さんはそっちがお好みかなって思って、紙の契約書を持っていったんだ」
「うん」
「目の前で破られちゃって」
「やるなあ」
「何を恐れているのかはわかりませんし、あなたには愛があるのかもしれませんが、リスペクトを感じられない人とは仕事できません、って」
「かっこいいね」
「サラリーマン生活、やり直しだよ」
「それがいいよ」
成績がよく、昇進の階段も3段飛ばしで登り続けてきた不破だったが、今はクリエイティブチームの営業とともに、葬儀社への営業も始めているらしい。
「この前の葬儀で驚いた。いまでもあんなに、花があることをステータスとする人がいるのだ、って」
それは杏も同じだった。花もスタイルも古典的な供花と、金額で指定してきた花祭壇。築山が信じている、人の心を癒す力はまだ信じていいのかもしれない、と一瞬自分の仕事に酔いそうになった。
「でも、あたしたちにとって花は人生の真ん中にあるけど、他の大勢にとっては花は脇役か、もしくは人生に一度も登場しないものだから」
「めずらしく弱気だね、杏ちゃん」
「この狭い店で生き物ばかり触っていると、視野が狭くなるなっておもってね」
杏の目線の先には、機械体の資料がポツリと置いてある。
「まあとりあえず、このバラもらえますか?」
「はいはい、何本?」
「1本で」
いつもの手つきでバラを包む。ピンクの、茎が細めの華奢なバラはヤンセン家が古くから作っているスタンダードな品種だ。
端末で支払いが終わると、不破はカバンの中から筒を出した。その中には、いま購入したものよりも濃いピンク色の造花のバラが入っていた。
「これ、うちが最後にモデリングさせてもらった、香莉さんのところのバラ。杏ちゃんにもあげる」
「ありがとう、参考にするね」
葉の部分を、いつものクセでそっと触ってしまう。すこしも痛みを感じなくて、その時ようやくもらったものが造花だったことを心でわかった。
つづき
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたサポートでココアを飲みながら、また新しい文章を書きたいと思います。