note創作大賞2024『君は死ぬから美しい-2174年の花屋の場合』第1章
この作品は2024年note創作大賞応募作品です。
第1章 スズランとカンパニュラ
「こんにちはー」
毎月の給料が支払われたあとの最初の金曜日、小瀧美鈴(こたきみすず)は会社の近くにある生花店、タケハラフラワーに足を運ぶ。不認可の店で生花を買うなんて、月に一回で精一杯だ。だからこそ、美鈴は月に一回のこの日を楽しみにしている。
「ああ、美鈴ちゃん、こんにちは!」
店に一歩足を踏み入れると、店主の竹原杏(たけはらきょう)が明るく迎えてくれる。
「こんにちは、今日も買いに来ました」
「待ってたよー!美鈴ちゃんに見せたい花があってね。ちょっと待っててね」
「はい」
杏がサロンエプロンで手を拭きながら店の奥に入っていくと、入れ違うように見覚えのある人物がバックヤードから出てきた。
「秋田…さん?」
会社の3歳年上の先輩である秋田リンだった。美鈴が入社してからはじめて業務を教わった先輩だったが、すぐに異動になってしまった。憧れの、義眼を扱う部署に異動になったと聞いたが、それ以来顔を合わせていなかった。
「あら小瀧じゃない!なんでこんなところにいるの?」
「それはこっちのセリフですよ。なんでバックヤードから出てきたんですか?」
「ああ、杏ちゃんに野暮用頼まれてね」
「お知り合いだったんですか?」
「そう、高校の同級生。小瀧は?よく来るんだ」
「はい。月に一回くらいしか来られないんですけど」
「うちの会社お給料低いからねー。生きてる花の一本や二本、毎週買えるくらいのお金欲しいよねえ」
「そうですね、それくらいもらえたらうれしいかも…」
「ていうか今もまだ営業いるんだっけ?」
「そうです。機械体の営業、最近後輩が入ってきて。教えちゃったりしてますよ」
「小瀧も先輩かぁ、なんか感慨深いなあ」
「はいはいお待たせね…って、ついに邂逅したか」
比較的背丈の低い花を持ってバックヤードから戻ってきた杏は、すこしバツの悪そうな顔をする。
「杏ちゃん、うちの会社の子って知ってたなら言ってくれればいいのに…」
「えへへ、やっぱりほら、うちみたいな花屋に来てるってこと、公にしたくない人もたくさんいるからね。そうでなくてもお客様の情報は話せませんよ」
度重なる国際紛争に起因する物価高騰、気候変動、人口減少などの影響を大きく受けた日本は、農作物や家畜を含む「いきもの」の栽培や飼育が極端に難しくなってしまった。自然の力でも、人の手によっても、いきものが育ちにくくなってしまったのだ。その結果、2090年に日本政府はありとあらゆる「いきもの」の飼育と栽培を許可制にし、取引・販売・流通に厳しい制限を設けた。その基準をクリアした設備の準備と商売のためには莫大なコストがかかり、みるみるうちに「いきもの」の価格は高騰していった。生鮮食品は加工食品に取って代わり、嗜好品であるペット産業と花卉産業は大きな煽りを受けて、ほとんどが廃業した。生き残った小売店や関連業者のほんの一握りが、富裕層向けに政府公認の商売を行っているが、あとは杏の店のように不認可、つまり闇で営業をしている。
「秋田さん、わたしがここにきてること、会社の人に言わないでくださいね」
「わかったわかった、言わないよ」
「そんなに秘密にしたいこと?」
失礼な、と言わんばかりの杏。
「杏さんの前で言うのはあれだけど…だって…非公認だから」
「べつに私たち公務員じゃあるまいし!大丈夫よ」
「でもほら…」
ぐずぐずと言い争っていると、杏が割り込んでくる。
「まあまあ、ここでのことはここでだけ!ほら、美鈴ちゃんこれ」
丁寧に包んである紙をレジ台の上で開けてみると、鮮やかな緑でしっかりとした葉っぱの間からとても小さな白い花が恥ずかしそうに顔を出しているのが見える。
「これ、なんてお花ですか?」
「これはね、スズラン。ひとつひとつが鈴みたいでしょ。ぜひ美鈴ちゃんにとおもって」
「ほんとだ、かわいい」
「ちょっと値は張るし、あんまり長持ちしないんだけど…どう?」
「1本でもいいですか?」
「もちろん!これ1本で、いつも買ってくれる花束一つくらいの値段するんだ」
驚いたが、美鈴にとっては納得の値段だった。まるで作り物みたいだった。造花でもみたことのないような繊細な見た目が、美鈴の心をくすぐった。本物だからこそ出せる質感と魅力がそこにはあった。
「全然問題ない。これにします」
「ありがとう、じゃあこれ包むね」
美鈴は、杏が花を包む手つきを愛している。生まれた時から人間以外に生きているものに触れる機会がなかった美鈴にとって、初めてふれる死にゆく、人間以外のいきものが生花だった。その手つきは、一つ間違えば命がなくなってしまうものに最大の敬意を持って接する杏の態度そのもののように映る。
「来週5月1日はね、スズランの日っていうの」
「へえー、なにそれ」
在庫を数える雑用を仰せつかったリンが横から口を出す。
「フランスの風習で、恋人やお世話になっている人にスズランをあげるらしい」
「16世紀くらいからあるみたいですね」
美鈴は、腕時計型端末で調べた情報を二人に見せる。
「だから、美鈴ちゃんへプレゼントね。一つオマケしておいたから」
「え?」
「じゃ、またきてねー!」
その声の勢いに押されながら、美鈴は帰路に着いた。
家に帰って包みを開けると、確かに2本のスズランがこれまた照れくさそうに包まれていた。
仕事を始めてからよくわかるようになった。何かを仕入れて、売るということはたやすいことではない。このたった1本のおまけのスズランは、杏の命と等しいと言っても過言ではないように感じられた。このとき美鈴は、生花に触れるようになって初めて、花が枯れなければいいのにと思った。
*
美鈴が杏の店に通うようになったきっかけは恋人との死別だった。
二年前、大学を卒業してすぐに入社した会社で二年目社員となった美鈴は、毎日業務に明け暮れていた。日本を代表する義肢・機械体を扱う会社で、体ごと機械化するために必要な機械である「機械体」を売り込む営業をしていた。主に個人を相手にしていた業務も、二年目になると医療機関を相手にする。競合メーカーも増え、営業マンたちも知識をつけるために日夜勉強に励んでいて、美鈴もその例に漏れなかった。
人間は美しい。テクノロジーの力を借りて、その力を最大化していく。テクノロジーが前に行けば、人間がもっと前に行く。そうするとテクノロジーには翼が生えてもっと早いスピードで進化していくけれど、やがて人間ももっと大きな翼を手に入れてたくましく進んでいく。美鈴はその技術競争と人類の最大化の一端を担っている自分が何より好きだった。
あの日も、図書館で夜遅くまで勉強をしていた。
区立図書館の勉強スペースで機械体の歴史を取り扱った分厚い図書を読んでいた。電子版で取り寄せようとしたら一時的にデータが壊れていたのだが、明日の商談のためにどうしても目を通しておきたかった。図書館員に案内されたのは巨大な書庫で、嗅いだことのない匂いに溢れていた。書架の地図のようなものを見ながら見つけ出したその本は、300ページを超える分厚い本で、検索機能をつかわずにここから必要な情報を拾い出す自信は美鈴にはなかった。結局、読みたいところまでたどり着くのに2時間かかった。もう帰ろう、と伸びをした瞬間、腕に巻き付いた端末が震える。恋人の携帯からの着信だ。通話をするために、図書館の外に出た。夜風の気持ちいい、5月のことだった。
「 —さんですか?」
「はい?」
「小瀧さんですか?」
「はい」
「xxx病院のタケダと申します。相田さんの携帯からお電話していますが、失礼ですが、相田さんとはどのようなご関係ですか?」
「付き合って、あの、交際しています」
「そうですか、わかりました。いまから位置情報を送りますから、xxx病院までお越しください」
「あの、相田になにかあったのですか?」
世にも珍しい交通事故で、即死だった。
自動運転の車が当たり前で、日本の交通システムは世界でもっとも優れていると言われるようになった22世紀において、人に殺されるより車に轢かれる方がめずらしい、なんていうジョークもあるくらいだ。ジョークだと思っていたことは、現実になってしまった。自動運転システムで稼働していたトラックに轢かれたそうだ。その時、ほんとうに一瞬だけシステムに異常が発生したのだとあとから聞いた。
霊安室に横たわる恋人の体は冷たかった。祖父母も親戚も健在の美鈴にとって、恋人の死去は人生で初めて向き合う圧倒的な喪失。テクノロジーが全てを解決すると心から信じていたこの世界で起きた、信じられないエラーと、向き合い方のわからない「もうもどらない」という事実。美鈴はここが地獄だと思った。美鈴が信じたテクノロジーの翼は、いとも簡単に人間の命なんぞはたき落としてしまうのだ。
恋人の葬儀は小さな規模のものだった。恋人の両親と祖父母と、美鈴と、美鈴の母親も付き添った。そんな小さな葬儀だったが、会場は華やかだった。会場に入ると、美鈴が大好きだった恋人の笑顔が大きく映し出されたモニターが正面の真ん中においてある。そしてその周りは大量の白い花で飾られている。
「すごい、いい香りがするね」
母親も驚く。
「そうね、こんなにたくさんの有香造花はじめて見たわ」
圧倒的なその花祭壇を前に立ち尽くしていると、隣に見知らぬ男性が立っていた。
「お姉さん、これは造花じゃありませんよ」
「え?」
「葬儀を担当してる者です。近くでご覧ください。造花でもこんなに香りが強いものはありませんからね」
近くで見ると、たしかにどうやら作り物ではないらしい。
「まあ、すごいわね。母さん久しぶりに本物の花見たわ」
「私…初めて見るかも」
「触らせてもらえば?」
「どうぞ、そっと触ってみてください」
本物の花は、人間の肌のように繊細で柔らかい。丁寧に触らないと壊れてしまう、いや、死んでしまうのだとわかる質感だ。
「築山(つきやま)さん、供花あと2基…あ、すみません」
「お姉さん、こちらは竹原さん。この花祭壇を作ってくれました」
「竹原です。この度はご愁傷様です」
「すてきなもの、つくってくれてありがとうございます」
「とんでもないです」
「あの、これなんていうお花ですか?」
築山と呼ばれていた男性が目を細めながら説明する。
「これはキクという花です。邪気を払うと言われていて、200年くらい前の日本の葬儀で最もよく使われていた花です。気候に左右されず長持ちするお花だから、竹原さんの花屋さんでも手に入れられますよ」
「お姉さん、あの、竹原さんはお店をやられているんですね」
「はい、まあ、闇ですけど。今度ぜひ遊びに来てください」
こんなところでなんですが、と杏が差し出した紙の名刺に印字されていた住所は、美鈴の会社の目と鼻の先だった。
「端末名刺しかないのですが、」
と美鈴が名刺を出そうとすると、杏はそれを手で制した。
「水仕事だから。端末ダメにしちゃうんです。こんなにテクノロジー発達してんのにね。大丈夫です。ご遺族なのにすみませんでした、ペラペラと話して」
では、と築山とその場を去っていった杏は、すこし経って大きな花の飾りを抱えて戻ってきた。そこには「小瀧美鈴」と大きく印字された立て札がささっていた。
恋人の葬儀が終わり1ヶ月経った頃、美鈴は名刺を頼りに杏の店を訪ねた。杏は美鈴にすぐに気がついた。
「そうです。あのときはありがとうございました」
「こちらこそ。本当に来てくれて嬉しい」
「気になっちゃって」
「名刺、無くさなかったんだね」
「はい。あの場でスキャンしたので」
美鈴が左腕をすこしあげると、杏はちょっと呆れたような顔をした。
「そうか。お名前聞いてもいいですか?」
「小瀧美鈴といいます。美しい鈴とかいて、みれい」
「すてきなお名前。見せたい花があるかも」
その時に杏が見せたのはカンパニュラという花だった。ひとつひとつが釣鐘型をしている花で、英語ではベルフラワーと呼ばれている。ラテン語の「小さな花」を意味する言葉が名前の由来なのだ、と杏は淀みなく説明した。
「もっと鈴みたいな花があるんだけどね。今日あるのだとこれが一番鈴っぽい」
花の部分にそっと手で触れてみると、薄い「素材」でできているのがわかる。持ち上げたら壊れてしまいそうで怖いと思った。
「持ち上げてもいいよ、お花は強いから。ちょっとやそっとじゃ折れたりしません」
そういって杏が持ち上げたのを見習って、美鈴もカンパニュラを持ち上げてみる。
「お花って、結構重いんですね」
「人間と一緒で、水分いっぱい含んでるから確かに重いかもね」
「お水につけるんですよね」
「うん。家にあるコップでいいから、お水に生けてあげてね。カンパニュラはちょっと持ち悪いけど、可愛いし、そんなに高くないよ」
「持ち?」
「花持ち。お花が長持ちするかってこと」
「終わるとどうなるんですか?」
「ああ、えーと、枯れるってわかる?」
「あ、理科の授業でやったかも」
「なんていうか、元気がなくなって、もう戻らなくなる」
もう、戻らなくなる。
人間以外に、戻らなくなるものがこの世にまだあったのか。
「人みたい」
「生き物だからね。まあ人と一緒よ」
当時、美鈴は自分の仕事に疑問を持ち始めていた。完璧になること、死なないこと、傷つかないことを追求していくことは、果たして人間という生き物に与えられたそれらしい姿なのだろうか。確かに恋人が死んだのは悲しかった、自分は地獄に突き落とされたと思った。いくら頑張っても、人間のほうがテクノロジーに操られる未来を作っているだけなのではないかとも思った。
人間はもはや脆い存在ではない、そう心から信じていた美鈴にとって、テクノロジーの”エラー”で人の命が奪われた経験は人生に暗い影を落とした。この世には脆い存在があるということを、人という存在は、生き物は、死んでいくものなのだということを美鈴はもう忘れたくなかった。
「これ、ください」
「え、買ってくれるの!」
「はい、おいくらですか?」
杏が口にした金額は、美鈴の予想を大きく超えていた。この花を一本買うのと、カフェで飲むコーヒー5杯が同じくらいの金額だ。
「無理しなくていいよ」
「いや、でも」
「あ、そろそろ恋人さんの月命日ですよね?じゃあこれ、お悔やみに差し上げます」
「いいんですか?」
「一回きりですよ?今度はぜひ、お金貯めて来てね」
「これ、どうしたらいいですか?」
「恋人さんのことを思って飾るだけで、十分です。まだ花が簡単に手に入った時代には、亡くなった人が安らかに眠れるようにと願いを込めて、お花を飾ったらしいですよ」
「そうなんだ…」
「きっと喜ぶと思う。じゃあ、これ包みますね」
食卓に花を飾ってみて思う。死にゆくもので、死んだ者に思いを伝えるなんて、なんだか皮肉だ。恋人はもういないし、絶対に帰ってこないのに、この花はまだ生きている。そしてもうすぐ死んでいく。
というか、もうすぐ死んでしまうから、生きている。この花は枯れたら私の代わりに、恋人に私の思いを伝えてくれるのかもしれない。
*
それからというもの、美鈴は給料日の後の最初の金曜日に杏の店を訪れている。本当は恋人の月命日に花を購入したいのだが、お財布がそれを許さない。5月のよく晴れた日、美鈴は営業の帰り道に杏の店に寄った。
先月スズランという貴重な花をもらったお礼をしなくては、と駅前の洋菓子店に寄る。100年前から営業をしている店で、昔ながらのクッキーがとても美味しい。きっと、杏はこういうのを気に入るだろう。杏の店の少し手前で、見覚えのある背中を見かけた。あれは部署の後輩の村田あおいだ。営業の帰りだろうか。あおいは会社に戻るかと思いきや、腕の端末とにらめっこしながら杏の店に吸い込まれていった。あおいが花を?美鈴には想像がつかなかった。美鈴を含めた事業部員の多くがあおいの知識に頼るほど優秀な社員だ。テクノロジーという概念に恋をしているという表現がぴったりで、1年目にして医療機関の営業に連れていっている。店の前で少し歩みをゆるめて、あおいと杏の会話を聞く。盗み聞きしているようで居心地が悪いが、顔を合わせるのはなんとなく違和感があった。
「すみませ〜ん」
あおいは、ちょっとだるそうな声で杏に呼びかける。
「はいはい!いらっしゃいませ」
「あの…お花、壊れちゃった?んですけど」
「壊れた…?」
「ほら、これ、折れちゃって。あとこっちはほら、なんか、買った時は上向いてたんですけど、下向いちゃって」
「これ、いつお買い上げですか?」
「うーんと、もっと西の方の街で、4日前に買いました」
「お水には生けましたか?」
「生けるってなんですか?」
しまった。そうだった。
4日前、あおいに花束を購入するように頼んだのは美鈴だった。来週異動してしまう副部長の餞に、本物の花束を買うようにお願いをしたのだ。まさかその日に買いに行くとは思わなかったが、よく考えれば、あおいが生花とはなにかをわかっているわけがなかった。
あおいが杏に見せているのは、少し早めに出回るヒマワリでできた花束で、かなり値が張ったのではないかと思われる。ヒマワリは茎が腐りやすく、お手入れを丁寧にしないと長持ちしない。そもそも、花束のまま1週間も花が持つわけがない。でも、たしかに美鈴が初めて花を触った時も、花が枯れるということを知らなかった。言わなかった自分が悪い、すこしため息をついて、美鈴は店に入っていった。
「杏ちゃん、こんにちは」
「ああ、美鈴ちゃん!いらっしゃい!」
「え、小瀧さん?」
あおいが驚くのも無理はない。
「あらま、美鈴ちゃんの会社の子?」
「そうです、うちの部署の子で。ご迷惑かけてすみません」
「ご迷惑って…花を買っておいてと言ったのは小瀧さんですよね?」
この店で買ったわけでもないのに、あおいはなんだか被害者面だ。
「私がちゃんと説明しないで買ってこいって言ったのがいけないんです。来週、花束を買いに来るので予約してもいいですか?」
「でもうち、闇だよ?会社のお金で買うと足つかない?」
「いや、私の自腹で買うので」
「小瀧さん、やめてくださいよ」
2人のやりとりを見かねて、杏が間に入る。
「わかったわかった、まずはこのヒマワリの様子を見ようね」
杏はいつもの手つきで花束を解いていく。茎をきつく束ねたひもをほどいて、一本一本をカウンターの上に几帳面に並べていく。
「杏ちゃん、これなんの花ですか?」
「これはね、レースフラワーって花だね」
「確かに、レースみたい」
「美鈴ちゃんこれみて、ほら、茎の下の方が茶色くなっちゃってるけど、上の方はまだ緑色でしょ?」
「はい」
「だからこの緑のところまで切ってあげれば、まだ元気になれる、かも」
「え、花って生き返るんですか?」
少ししょんぼりした様子のあおいが顔をあげる。
「まだ死んだわけじゃないからね」
認可されている店で購入した花を触っても、杏に得はない。なのに、杏が花を見つめるその目は慈しみそのものだった。
「この枝はヒメリョウブってやつだね。この季節に人気の枝なんだけど、闇では流通していなくてね。認可店でしか手に入らないやつだ。いいなあ」
「お姉さんは、本当にお花が好きなんですね」
「好きだよ。そうじゃなきゃ仕事にはしないよね」
「お花って、だって、壊れちゃうじゃないですか」
「あおい、壊れる、じゃなくて”枯れる”だから」
「美鈴ちゃんはもう立派なお花の愛好家だね」
100年くらい前の人が書き残したものに、”家に花がないとなんだかむずむずする”とあったのが印象的で、いつか自分もそうなるのだろうか、と思った。気がついたら、もうそういう考え方になっていたのかもしれない。
杏は、ヒマワリとレースフラワーを束ね、薄い紙ですこしきつく巻いた。そしてたっぷりと水が入ったバケツに、紙ごと生けた。あおいは紙をあまりみたことがないらしく、興味津々だった。
「杏ちゃん、ヒマワリは水すくなめって聞いたけど?」
「これはね、水揚げって言って、水が下がっちゃったお花に元気をあげるためにやることなの。元気になったら出すからね」
「へえ、そういうのがあるんだ」
「生き物だからね、元気がなくなるってことは、元気が出るってことだから」
「お姉さん、本当にありがとうございます」
さすがのあおいもばつが悪そうな表情をしている。
「いいよ。このお花、少し面倒を見ておくね。来週に渡すんだっけ?来週まではきついかもしれないけど」
「いいんですか?」
「うん、責任は取れないけどね」
「お支払いします」
「いや、お金はいらない。そのかわり…ちょっと二人に相談に乗ってほしいことがあるの」
二人に時間があるかどうかを確認し、杏は美鈴とあおいの二人を事務所スペースに招き入れた。
「他でもなく、機械体についてちょっと聞きたいことがあってね」
美鈴は目を見開いた。まさか、杏から機械体という言葉を聞くとは思わなかったからだ。先月この店で杏の同級生だと判明した、会社の先輩であるリンから聞いた話によると、高校時代の杏はあおいのように機械を愛していて、機械体や義肢をつくる仕事に就くだろうと目されていたそうだ。ところが、何があったかはわからないが突然不認可の花屋を経営することになったという。義眼を使用しているリンの手前、体の一部を機械化して人体の機能の拡張や生命の延長を行うことに対して反対こそしない。しかし、高校時代に比べるとうっすらと否定的な感情が垣間見えると、リンは不安そうにこぼしていた。
そんな杏がなぜ、全身を機械化する技術に興味を示しているのか。
美鈴がおどろいたことが伝わったようで、杏は肩をすくめて笑った。
「そうだよね、びっくりするよね」
「はい、ていうか、秋田さんに聞けばいいのにと思って…」
「いや、リンは…あたしが機械化に対してネガティブに思ってるのが伝わってるんじゃないかなと思ってね」
伝わっているのだ。リンの不安はあっていて、たしかに杏は技術に対して否定的で、それをリンが感じているというところまでわかっている。数値化できない、人間の心のわずかなゆらめきをとらえられるのが杏なのだ。
「そうですか。では、私たちでよければ、お話聞かせてください」
「助かるよ」
「待ってください、秋田さんって、義眼のチームにいる秋田リンさんですか?」
「そう。同級生なんだ。他の部署の人も知ってるんだもんね。偉いんだね、リンは」
「秋田さんは、みんなの憧れの先輩ですもの」
「じゃあその憧れの先輩の友人ってことで、ちょっと話聞いてほしいな」
杏の父親は長くがんを患っており、全身への転移が進んでいるそうだ。頑固でプライドの高い父親で、自分が病気であることを長い間家族に知らせていなかった。杏と、妻である杏の母親がその事実を聞いたのはほんの数日前で、機械体化したい旨と共に事実を知らされた。一度決めたらテコでも動かない父親だが、さすがに大きな決断に怖気付いているらしい。
全身の機械体化、いわゆるサイボーグ化は30年ほど前に合法化され、近年は前向きに取り入れる民間人も増えてきた。とはいえ、まだ要人や著名人、セレブリティが中心となって利用しているサービスだ。
「わたしと母が納得するために、とりあえず資料をみせてほしいんだ」
杏は、あおいと美鈴の顔を交互に見ながら、いつもの淀みない話し方とは違ってゆっくりと、ひとつひとつ言葉を拾い上げていった。
「そういうことなら、おまかせください!」
あおいはここぞとばかりに張り切ったが、美鈴はそうではなかった。枯れゆく生き物を愛する杏が、親の機械による延命を認めるのは簡単なことではないはずだ。
「よろしくね、美鈴ちゃんと、えーと」
「村田です。村田あおいといいます。あ、名刺…」
「あ〜いいのいいの。わたし、端末もってないから」
あおいは、何も巻かれていない杏の腕を不思議そうに見つめた。
店を出て、あおいと美鈴は会社へ向かった。道すがら、あおいは純粋な目で美鈴を見つめて問いただす。
「小瀧さん、なんでそんなにパッとしない顔してるんですか?」
「うーん。杏ちゃんをどうやったら、説得というか、前向きな気持ちにさせてあげられるだろうって」
「前向き?何に対してですか?」
「機械体だよ」
「でも、お父様は機械体にされたがっていて、杏さんもそれについて勉強したいってことですよね?それって十分前向きなんじゃないですか?」
「あおい、見てた?杏ちゃんが花を触ってる時の手」
「手?」
「あの手は、こう…」
なんというか、簡単に壊れて戻らないものだけを触る手なんだよ。
「こう?」
「ううん、なんでもない。そうだね。どういう営業がいいか考えてみようね」
デスクで資料を検索しながら、美鈴は考える。
ヒマワリを一本一本カウンターに並べながらも、杏はきっと全身機械体化のことについて考えていた。美鈴たちを傷つけないように、機械体化について話すための言葉を紡いでいたのかもしれない。それとも、もしかしたら美鈴が考えているより全身機械体化に対して明るい気持ちを抱いているのかもしれない。悶々としていたら、秋田リンが美鈴の後ろを通りかかった。
「どうした小瀧、なんだか冴えない顔をしてるな」
「わかります?」
「背中に”悶々”って書いてあったけど。コーヒー奢るから屋上においで」
美鈴は目の前のタブレット端末をスリープモードに切り替え、リンに小走りでついていった。
「杏ちゃん、さんって、高校時代は、機械体を作る人になりたかったんですよね?」
「そう。まさに今あたしがやってるみたいな、義肢をつくるような人になりたかったみたい。あたしもしょっちゅう義眼のチューニングしてもらってたよ」
「そうなんですね。そうかあ」
「今じゃ想像つかないよね」
「はい」
「なんで杏のこと?気になってんの?」
「いや、そういうことじゃなくて、まあ気になってると言ってもいいか」
「ええ?」
色めき立つリンをさえぎるように、缶コーヒーをかかげる。
「そうじゃなくて。お父様の全身機械体化を考えていると伺って」
「あ〜」
リンは急に黙って下を見てしまった。
「あんた、すごいクライアント引いたね。医者よりずっと大変だよ」
「え?」
「ヒントはあんまりない。あたしは杏じゃないし、小瀧でもない。ただなんていうか…杏はずっと戦っている人だから。杏と一緒に戦いから一歩先に進んでほしいかもしれない」
「何と戦ってるんですか?」
「命と」
「いのち」
「うん。この2174年って時代に、いのちという存在と。でも、小瀧なら杏にいいパスを出せると思うな」
「そんな、楽にするっていうか、助けるみたいなこと、できないです」
「人を助けようと思ってこの仕事してるの?傲慢なんじゃない?」
リンが美鈴の目の奥をぐっと見つめてくる。
美鈴が恋人を亡くした時もそうだった。リンは
「あんたなら、あんたにしかできない仕事ができる。言葉を届けられる」
と、目を見て言った。リンに見つめられると、脳を掴まれたような気持ちになるのだ。
違う。美鈴も、リンも、あおいも、みんな命の重さと美しさを知っているから機械体を売る仕事をしているのだ。命を最大化したい、その思いはきっと杏だっておなじだ。そうでなかったら、一度下を向いてしまった花を蘇らせようとしない。
その日の帰り道、美鈴は渡し損ねてしまったクッキーを持ってもう一度杏の店を訪れた。
「今日はごめんなさい、うちの社員が迷惑をかけてしまって」
「大丈夫だよ。ああいうお客さんはいっぱいいるから。生き物のことなんて知らないよ」
「それとは別で、先月のスズランのお礼を渡そうと思ってたの。わすれちゃって」
「いいのに。あ!これ、駅前のおいしいやつ!」
「そう。お口に合うといいんですけど…」
「大好き。ありがとうね」
「あと、花をください」
店内を見渡すと、懐かしい花を見かけた。
「そう、カンパニュラ入ってるよ」
杏も、美鈴と同じものを見ていた。美鈴が初めて持って帰った本物の花だった。
「ひさしぶりに、これにする。あとは…」
いつもどおり、小さな花束を作ってもらう。やっぱり杏が花を扱う手は何度見ても美しい。壊れてしまうという脆さと、その美しさを知っている手。この手が、全身が機械体となった父親のことを撫でているところはどうしても想像がつかなかった。
「ではこれで、いつもありがとね」
「いえ、こちらこそ。じゃあ、資料、近々もってきますね」
めずらしく杏は店先まで出て、美鈴のことを見送った。
翌日、美鈴は会社のデスクにカンパニュラを飾った。お気に入りのガラス製の一輪挿しにいけられたカンパニュラは、プラスチックとホログラムでできた会社には異質で、社員の中には「倒さないでね」と嫌味を言って去っていく人もいた。
「おはようございます〜」
いつもどおり気のない挨拶でオフィスに入ってきたあおいは、目を見開いた。
「花だ。本物ですか?」
「生きてるやつだよ。カンパニュラという花」
「あてつけですか?」
「違うよ。私たち以外にも生きているものがここにあるってどう?」
あおいは美鈴の質問を無視して、美鈴の端末に資料を送った。
「これ、花屋さんのお父さんの提案資料作ってみました」
提案された資料には一般的な個人向けの全身機械体化サービスと、内臓の一部を人工物にする義内蔵の機能、型番が掲載されているあっさりとしたものだった。
「シンプルでわかりやすいと思う。それでどうやって営業する?」
「特別なことをするつもりはないです。普通に。いつもどおり。最初からていねいに」
「一個だけ私のお願いというか、やりたいこと、やらせて?」
「なんですか?」
「この資料、紙に印刷しようよ」
「紙?!」
あおいの大きな声に、フロアにいた人間の視線が集まる。
「なんでそんなめんどうなことするんですか?紙なんて高いし」
「紙は壊れるから」
美鈴はあおいに紙切れを見せた。
「紙の名刺ですか。花屋さんの?」
「杏ちゃんは端末をあんまり使わない。それから、私たちも杏ちゃんと同じように命をリスペクトしている。壊れるものを、リスペクトしている」
「小瀧さんはなんで、なんでそんなに花屋さんのことを特別扱いするんですか?時代遅れで、ぼろくて、ダサくて、環境のためになんてならなくて、無駄ばっかりで、あたしには全然わからないです」
机の上のカンパニュラをさすあおいの指先は震えている。
「ぼろくてダサい、ねぇ」
美鈴はあおいの震える指をじっと見つめた。そのまま折れちゃえばいいのに、と思った気持ちが伝わったかのように、あおいは反対の手で震える手を握った。
「あとあの人にも名前あるから。花屋さんじゃなくて、竹原さん、でしょ」
あおいはまた美鈴のことを無視して、折れちゃえばいいのに、と言わんばかりに机上のカンパニュラを見つめた。
そのあと1週間、あおいと美鈴は突然入った仕事に忙殺された。本当に忙しさに殺されたのか、それとも自ら忙しさに殺されにいったのかはわからない。美鈴の端末に杏からメッセージが入ったとき、背筋がクッと伸びる音だけがはっきりと聞こえた。忙しさが最高潮に達した日、眠い目をこすりながらあおいと二人で紙の資料を印刷した。あおいにも紙の良さを知ってほしい、なんて高尚な思いはみじんもなく、二人はただ使ったことのない”コピー機”に怯えていただけだ。印刷が終わった資料をとめるための機材もうまく見つけることができず、コピー機がおいてあるフロアにあったクリアファイルと呼ばれるものに資料をしまった。明日はこれを持って、杏の店を二人で訪れる。資料を印刷している間、二人は必要最低限の会話以外ではついに言葉を交わすことはなかった。机の上に飾っておいたカンパニュラはいつのまにか枯れていて、しなりと下を向いている姿は本当の釣鐘のように見えた。
ずっと昔は「梅雨」と言われていたらしい季節で、どしゃぶりの雨が降っていた。美鈴たちは、会社を出るときに、紙の資料を濡らさないで持ち歩く方法を知らないことに気がついた。杏と関わろうとする時、美鈴はいつも自分の無力さとおろかさと、そして知らなさを知る。人の命を最大化しているとか、杏が聞いたら笑うだろうな。何枚ものクリアファイルに資料を詰め込み、自動運転のタクシーを腕の端末で呼び出して杏の店、タケハラフラワーへ向かった。
「雨の中ごめんねえ!こっちが行けばよかったね!」
杏は、花を買いにきた時と同じ声の明るさで出迎える。
「いいんです、私たちが説明に伺うのが、筋ですから」
「なんだか堅いなあ。ま、奥入って!」
杏の店の奥には何度か踏み入れたことがある。色々なものが雑然と並んでいて、道具箱をひっくり返したような内装をしている。紙に触れたからか、紙でできたものに目がいく。包装紙、昔の新聞紙、メモ用に作った紙の束。裏には何か模様が書いてある。使い古した紙のようだ。
「ああ、それ?ご近所さんに配ろうと思ったチラシの裏紙。わかる?そもそも紙なんて使わないもんね」
「でも、杏さんは紙を使うかな、と思って」
そう切り込んできたのはあおいだった。若手の営業力ナンバーワンを争うあおいらしい始め方だった。
そこまでは予想通りでもはやすがすがしかったが、予想通りで思い通りに物事が進むことはあり得ない。美鈴は、いつこの予想が崩れるのか、少しだけ楽しみに見ていた。あおいはそんな美鈴を横目に、いつもどおりの営業を進めた。機械体化のメリット、リスク、家族に考えておいてほしいこと。話を一通り聞いた杏は
「わかりました、考えます。あの、前向きに」
とポツリとつぶやいた。
あおいが思った通りに商談が進んでしまった。杏がここまですぐに家族の機械体化に対して前向きになるのが意外で、美鈴は納得できなかった。杏ちゃん、何か言い返したいことないの?と口から出かけたとき、美鈴の目線は杏の手元に引っ張られた。
美鈴とあおいがなれない手つきで印刷した紙の資料は、杏の手汗と握力で両端がしなしなとしていた。これがすべてだった。美鈴は杏があんなにものをぎゅっと握ったところを見たことがなかったし、こんなふうに簡単に壊れてしまうものを扱っているのだ、ということがむしろ鮮明に見えてきた。
「二人とも、ありがとう。紙の資料まで用意してくれて。紙は濡れて困るでしょう」
「はい、どうやったら濡れないのかがわからなくて、大変でした」
「おかげで一つも滲んでいない資料を拝見できました」
杏はそう言っているが、紙の資料は杏の手汗と混乱を吸い込んでしっとりしていることを、あおいも美鈴も知っている。
美鈴は杏の端末に腕時計型端末専用の資料を追加で転送した。そうして杏との商談は思ったより早く終了し、二人は会社に戻ることにした。雨はいつのまにか上がっていて、じっとりと重い空気だけがそこに残っていた。
忙しさにかまけていて二人とも気づいていなかったのだが、デスクの上のカンパニュラが完全に枯れている。
「ここまで枯れたら、竹原さんにも復活できないでしょうか」
「さすがの杏ちゃんでも無理かも」
「紙と一緒です」
「え?」
「一度汚れてしまったり、死んでしまったり、終わってしまったら、終わりなんですよ。戻らないんです。私、竹原さんのこと少しわかりました。見ました?私たちが持っていった資料、ぐちゃぐちゃになってて。紙ってあんなに綺麗なものなんですね。私知らなかった。でも、竹原さんに渡したら、はしっこぐちゃぐちゃになっちゃって。戻らないんです」
「私がね、杏ちゃんと初めて会ったときね」
「はい」
「あれは彼の葬儀のときだったんだけど」
「はい」
「杏ちゃん、私に花を買うことを勧めてきたの」
「なんでですか?」
「花は死ぬからです、って」
「どういうことですか?」
「私たちは死ぬのが怖くて、だから生きるのが美しいんですって。それをどうやったって、覚えていられます。花が身近にあると」
美鈴はデスクの上で枯れ果てたカンパニュラを摘んだ。
ここにはもう、命がない。水分を失ってぐったりしたカンパニュラのそらおそろしさは、あのとき冷たくなった恋人を触った時のそれにそっくりだった。
「杏ちゃん言ったの。こいつらはね、死ぬから美しいんです、って」
でも多分、それでは少しだけ足りていない。美鈴は、杏の端末にメッセージを送った。
「杏ちゃん、花は死ぬから“生きている時が”美しいんだと思います」
メッセージを送った瞬間に、杏が読んだという印がついた。ついに返事は来なかったが、それが返事のような気もした。
つづき
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