01 善意の都市 -bad? intentions-[Re:電脳虚構](note創作大賞)

「電脳虚構とは」
この作品は「サイエンス・フィクション」であり「ノンフィクション」でもある。
昨今のテクノロジーの超進化により、既に価値観の超推移が動き始めている。「AIと人間」その定義、境界線などは先の未来では存在しなくなるだろう。
「便利になりすぎる社会」で、人は得るものばかりではない。失っていくもの、その代償は小さなものではない。この「令和」と呼ばれる時代は、誰もがSFに抱いてた「未来のイメージ」、そのちょうど中間地点なのだろう。
いま、これを読んでいる「あなた」。
「あなたは人間ですか?それとも……」
あぁ、やはりそうでしたか。これはこれは無粋な質問でしたね。
実は私も……。

こちらの作品は<水乃しずく>さんが朗読してくれています。
合わせてお楽しみくださいませ。
善意の都市 -bad? intentions-
気配
残業で遅くなり、早足で駅からマンションまで帰る。
今日もまた、背中に視線を感じる。きっと、誰かにつけられているのだ。
家のドアの前。コンビニの袋がぶら下がっている。
まただ……。
袋の中は野菜ジュースとサラダ、解凍されてびしゃびしゃになった冷凍フルーツ、つぶれかけたシュークリーム。
今日は栄養ドリンクまで入っていた。そしていつものように、チラシの端をちぎったような手紙とは到底いえないメモが入っていた。
—— 今日は残業だったんだね お仕事頑張っているね
ちゃんとお野菜も採って栄養つけないとダメだよ
いつも誰よりもキミの近くで応援しているからね ——
と……、かすれた緑のマジックの汚い文字が、不気味に書き殴られていた。
そもそもここはオートロック。かなりセキュリティもしっかりしている。同じマンションの住人なのだろうか……。
考えるだけで気持ちがわるい。この不穏な差し入れは、食べるどころか家の中に持ち込むのさえイヤだ。まわりの状況を注意深く確認しながら、マンションのゴミ捨て場に持っていく。
最近は、こんなことが週に何度もある。ふぅ、と一息。家に入り、鍵とチェーンロックをかける。着替えをして、洗顔、そしてお風呂にお湯をためる。陽気なバラエティ番組を大音量でかけ、大声で笑ってみる。しかし、背中に感じる冷たい汗はひくことはなかった。
……カタン
玄関の方で物音がした。おそるおそるそっちをみると、チラシをちぎった「あの紙」がドアポストへと投げ入れられていた。
—— せっかくキミのためをおもって買ってきたのに
捨てるなんてヒドイじゃないかあああああああ
あああああああああああああああああああああ ——
その夜から、ストーカー行為はひどくなるばかりだった。
実際に目の前にあらわれるわけでないが、確実にその気配は強くなり、行為もエスカレートしていく一方だった。
ある日、家に帰るとドアの前に、大量のコンビニのスイーツやアイスがグチャグチャにぶちまけられていた。
そしていつものメモには
—— 最近ふとった? ダメだねぇ食事には気をつけないと
キミがいつものコンビニであまいもの買わないように
ボクがぜぇぇぇぇぇ〜えんぶ買い占めてあげたからね ——
と、書いてあった。
またある日は、ベランダの柵に犬の死骸がぶら下がっていた。
—— 駅からの帰り道 いつも吠える犬がいるだろう?
キミに何かあったら大変だからボクが退治したよ ——
もう……、頭がおかしくなりそうだった。
さすがに警察に相談をした。
しかしストーカーは姿を現さないし、まだ実害はない。事件として対応することはできないと、まともに相手にしてくれなかった。
実害……? それって、私が実際に襲われたりするまでは動けないってこと?
もう警察も当てにならない。このままじゃ、すぐに取り返しのつかないことになる。私はこの生活から、あの男から逃れるために、引っ越しを決意した。
未来都市へ
不動産屋さんにストーカー被害のことを相談したら【とあるサイト】を教えてくれた。
「これはね、政府が実験的に建設中の街でね。
そこに住む人、いわゆるモニターを募ってるんですよ」
サイトをみながら、いろいろ説明してくれた。この街の住人は、ある特殊なチップを埋め込まれ、そこに住むことになる。
そのチップとは「生体チップ」と呼ばれるもの。個人の認証、行政のサービス、健康管理、脳波や生体反応、記憶のスキャンなど最先端の技術を用いたものらしい。
世界が注目する「未来都市」のモデルケースを目指しているという。この計画では、そのチップの運用実験だけではなく、ある大きな目的があった。
それは……
「犯罪のない街へ」
このチップは脳波を常にスキャンして、政府のサーバーと連動している。その人間の行動パターンや、精神分析など脳波の状態の解析を24時間行う。解析結果を利用し、ある実験が行われている。
例えば、あるお店で学生が万引きをしようとする。脳波がその「悪意」を検知して、脳に特殊な微弱の電気を送る。そうすることで万引きの衝動、その「悪意」を無効にしてしまう。また、どちらかの浮気がバレて、カップルがケンカをしている。逆上し「殺してやる!」と包丁に手をかけようとしたそのとき、チップが「悪意」を検知する。それで、感情と行動にブレーキがかかるということだ。
このシステムは「あらゆる悪意」、その脳波のパターンを正確に検知する。
それを街全体で運用すれば、まさしく「犯罪のない街」が実現可能ということだ。この実験が成功すれば、いずれこの国から……そして世界から「悪意」が消える。今回はその大規模計画のモニター募集だった。
街の規模は1万人ほどで、生体チップで認証された者のみが出入りを許される。いまストーカー被害にあっている私には、これ以上の好都合な話はなかった。
検討するまでもなく、ふたつ返事で申請を出した。さまざまな規約の承認、身体検査、面会での聞き取り調査があり、手続きはとても厳重だった。それだけに、この街のセキュリティに確証がもてたことが何よりの安心材料だった。懸念していた「生体チップ」の埋め込みや、認証作業はこちらがあっけにとられるほどスムーズに行われた。
それから半月ほどで、引っ越しの日程が決まった。その期間は不思議なほど、ストーカーの気配を感じることはなかった。「安全を約束された新しい生活」が待ち遠しく、気にしてなかっただけなのかもしれない。
街の所在地は、移住者本人ですら非公開。引っ越し当日は行政の車が迎えにきた。窓には厳重にスモークが貼られ、外の景色はわからなかった。
数時間ほど車に揺られ、到着したと声がかかった。
約束された街
車から降りてみると、ごく普通の街の景観に少し拍子抜けをした。
「未来都市計画」というSF的な響きに、期待していた自分がいたらしい。
自宅となる場所に案内されると、見た目は普通のマンションだった。チップによる認証で、オートロックが自動解除。部屋の電気、家電なども全てチップと連動していた。テレビも脳波や過去の生体データの解析により、自分の好みの番組だけが自動で映し出された。
行政の斡旋(あっせん)もあり、前職と変わらない職種に就くことができたし、この街での生活にもすぐ慣れてしまった。当然だが治安はものすごくいい。街のひとみんなが優しく、おだやかに生活している。
この都市はやはり「未来都市」だった。
車や電車、お店も、自販機でさえもすべてこの「生体チップ」の認証が必要だった。全て自動で認証するので忘れてしまいがちだが、チップがないと信号ですら永遠に「青」にならないらしい。都市に存在するあらゆるものすべてが、この生体チップで成り立っているのだ。
「悪意」検知に関しては、自分もたまに感じることがある。駅でお財布が落ちているのを発見し、拾ってみるとけっこうな大金が入っていた。
一瞬、きっと「よくないこと」を考えてしまったのだろう。
脳にほんの少しチクっという感覚があり、そのまま駅員に届けた。
きっとこれが「悪意」の検知なのだろう。
この街にきて3か月。もう自分がモニターであることも「未来都市計画」の一環だということも忘れていた。もちろんあのストーカーに脅かされていた、あの恐怖の日々のことすらも。
悠々自適な暮らし。マンションに併設されたジムに通い、そこで知り合ったインストラクターの男性と付き合うことになった。安全が約束された街での生活。そのおだやかで幸せな日々がゆっくりとながれていく。
彼とはケンカもするし、多少の言い合いもある。だけどエスカレートしそうになったときは「チク」っという感覚がはしり、お互い冷静になる。
「お互いのためをおもってやるケンカ」から、憎しみの「悪意」へと針がふれるほんの一瞬を、きっとチップは正確に検知しているのだろう。
彼と結婚が決まった。
この街にきて半年ほどのことだった。婚約指輪はふたりで選んだ、南国のジュエリーでホヌのデザインだ。ホヌ、つまりウミガメのモチーフのこの指輪は、幸運を運んでくれるのだと彼は言った。
そんな幸せの絶頂なはずなのに……。
その頃からなぜか、あのストーカーをされていた日々を思い出すようになった。拭いきれない、背中にはしる冷たい汗。ぬるっと空気がよどむ、得体のしれない視線。なぜだろう、忘れていたはずなのに。その記憶の残像のせいなのか、このおだやかな生活に黒い影が潜み、背中に常に視線を感じるようになった。
彼にも相談はしたが「この街でストーカーなんてもってのほかだ、あんなのは悪意そのものだからね」と軽く流されてしまった。
でもその違和感が、気のせいじゃなかったことを知る。
足音
残業で遅くなり、早足で駅からマンションまで帰る。
今日もまた背中に不穏な視線を感じる。
この街で、誰かにつけられるなんてありはしないはずなのに。家のドアの前。
コンビニの袋がぶら下がっている。
中には野菜ジュースらしきもの、そして萎れた茶色い紙袋が入っているのが見えた。ゾクっと、背中にイヤな汗を感じた。
あの日のデジャブだ。
「この街にアイツがいるはずなんかない!」と、自分に言い聞かせた。精一杯の強がりで平静をよそおって、袋を手にとろうとした……。
着替えをして、洗顔、自動でお風呂にお湯がたまっていく。陽気なバラエティ番組が大音量でかかった。
チップが不安定になっている私の脳波を検知して、そうしてくれたのだろう。
……結局、あの袋をそのままにして家に逃げ込んでしまった。気になって、気になってしかたがないのに、あの緑のかすれた文字がフラッシュバックする。
いまもドアの向こうに、その何かがぶら下がっている。最近、毎日のように感じていた背中の視線の元凶がそこにあるのだと、直感的に感じていた。
助けて……助けて…………。
彼に連絡をして、すがるように状況を伝えた。
「気にしすぎじゃないかな?
この都市では、悪意を持って他者にかかわることはできないし。
いずれにしても、その袋の中身は好意的な何かだよ」
彼だけじゃない。この都市で生きる人々は「悪意のない社会」にすっかり順応してしまっている。
他者を疑うことも、己の身の危険を察知することも希薄になっているのだ。
それでも私の普通じゃない空気を察したのか、彼が家に来てくれることになった。
あの袋の中身……彼に確認してもらおう。
それなら安心だ。電話を切って、数分。家中の窓、扉、カーテンを全てシャットアウトして、ベッドにもぐり彼の到着を待った。
早くきて…………早く。リビングでは相変わらず、陽気なバラエティ番組の笑い声が響いている。その音にまぎれて、遠くからかすかに
カツン……カツン……
なにやら足音が聴こえてきた。耳を澄まそうとすると、テレビの音量が自動でミュートになった。静まり返った部屋。
カツン……、カツン……、カツン……、
足音が大きくなってくる。彼の家からは車で20分は優にかかる。彼であるはずがない。いや、他の住人の可能性だってある。きっと、私が敏感になっているだけだ。
カツン……、カツン……、
カツン……、カツン…………、カ……。
足音は扉の前でとまった。そしてガサガサと妙な音を立て……。
息をころして、耳を澄ます。ボソボソとなにか低い声で呟いている声がする。そして、物音と声が静かになるとまた。
カツン……、カツン……
と、足音が通り過ぎて行った。放心状態のまま、しばらく動けないでいたが「お風呂のお湯が沸きました」という音で我に返った。
平静を装いたくてキッチンに水を取りに行く、すると自動で冷蔵庫の扉が開いた。ゴクリと、冷たい水が喉を通ると緊張が一気に緩み、その場で腰が抜けたように座り込んだ。
数分の後、彼がやってきた。周囲にはあやしい人影もなく、ドアにあったはずの「あの袋」はもうなかったという。
「やっぱり気のせいだったんじゃない?
あ、そんなことより結婚式場の話なんだけど」
彼の態度が冷たいわけでも、おかしいわけでもない。この街では、誰もが悪意に対する恐怖心が麻痺しているだけだった。彼はもろもろの話が終わると、すぐに帰ってしまった。
気のせいだと思いたくて、気分を変えるためにお風呂に入った。お風呂から上がると少し気持ちを持ち直していた。きっと最近、気にしすぎていて疲れていたんだろう。本当に気のせいだったんじゃないかと思い始めていた。疲れ果て、その日はそのまま眠りについた。
……カタン
朝、玄関の方で物音がした。
とてもイヤな予感に目が覚めた。
聞き覚えのある音、悍(おぞ)ましい記憶の音。目を細め、おそるおそる視線を投げる。そこには見覚えのある「あの紙」がドアポストへと投げ入れられていた。
ホヌの指輪
—— 遅くなってごめん やっとみつけた 結婚するんだって?
きっとボクがいなかったからさ さみしかったんだよね?
ごめん ずっとあいにいけなかったボクがいけないんだよ ——
チラシを無造作にちぎった紙に、かすれた緑のマジックの汚い文字で書き殴られていた。
ガサガサ……、ガサガサ
ドアの向こうの歪んだ気配。
まちがいない、アイツはこのドア一枚を挟んだその先にいる。
部屋の外、通路に面しているキッチンの窓にゆらめく影が動くのが見えた。
上昇する心拍数を検知してか、リビングの照明がスーっと暗くなり穏やかな間接照明へ。
スピーカーからヒーリングミュージックが鳴り出した。
玄関からなるべく距離を取るため、ベランダの方へ。ここは3階だが、いざとなればここから逃げるしかない。
ふるえる手で彼に電話をかけた、この時間ならまだ自宅にいるはずだ。叫びたい気持ちを抑え、声を殺しながら彼の名前を呼んだ。
お願い、はやく……、はやく電話にでて…………。
彼は電話にでなかった。なんどかけても応答しない。そのとき、ドアポストに「あの紙」が投げ入れられた。これまでより少し乱暴に。
—— 彼 婚約者の彼かい? 大丈夫 それなら心配いらないよ
ボクから謝っておいたから キミのことはボクが守る!
ってね ほら見て指輪も彼がボクにたくしてくれたんだ ——
ガシャン!
キッチンの窓が割れ、コンビニの袋が投げ込まれた。
それがさっきドアにぶら下がっていたものだとすぐにわかった。
グチャグチャに潰された野菜ジュースのパック、そこから散乱したオレンジ色の汁が床にじわっと広がった。その床に一緒に飛び出した茶色い紙袋は、オレンジと赤が混ざったような液体でグショグショに染まっていた。
ビリビリに破れた紙袋。
そこから半分だけ顔を出した「それ」は、キッチンの床に這いつくばっているように見えた。血で赤く染まった手。薬指にはホヌの指輪が光っていた。
部屋の中で警報機が鳴った。生体反応や、脳波が著しくみだれると、都市の管理センターから連絡が入る。
「どうしました? 体調の急変ですか?どうしました?」
パニックになりながらも、できるだけ小声で状況を話した。ドアの向こうのアイツにきこえないように。玄関ではドアをなにか強い力で、ドゴンドゴンと叩く音が響いた。
「ストーカー? そんな事例は一度もきいたことはない。
ましてや人間の手だなんて、そんな犯罪は起きないんですよ。この街では。
イタズラならもう切りますよ?」
救援をお願いするためにどうにか食い下がったが、警報は誤報だったと処理されてしまった。
ドアをたたく音はさらに強くなる。きっと扉をたたき破るつもりだ。彼ももうきっといない、誰も助けてくれない……。私は意を決して、ベランダから隣の家に飛び移った。
窓を叩き、隣人に助けを呼ぶ。ぐしゃぐしゃの顔で、状況を説明し助けをもとめた。しかし、
「そんなこと言われてもねぇ。いまいちピンと来ないわ。
きっとその人、いい人なのよ。あなたのためを思ってなんじゃない?
きちんと話し合ったら、わかりあえるんじゃないかしら」
やはり、この状況でもまるで危機を感じ取ってはくれない。
そのとき、私の部屋でドアを蹴破る音がした。耳を澄ますと、私の部屋に確実に侵入している気配があった。その隙をねらって隣人の家からとびだし、マンションの階段をかけ下りた。
善意の都市
マンションの前の公園、休日の朝は人でにぎわっていた。目についた人を見つけては、助けを求めた。
が、しかし……。
「そうなんだ、大変ね。でも大丈夫。この街には悪い人はいないわ」
「ストーカー? そんなはずはない、きっとあなたのこと心配しているんだよ」
誰にきいても、そんなノンキな答えしか返ってこなかった。悪意のない街。
人の心はこんなにも変わってしまうのかと愕然とした。
「……ダ、ダイジョウ、ブ?」
背中で声がした。得体のしれない不穏な汗……。
ゆっくり振り返ると、黒いパーカーのフードを深くかぶった大きな男が立っていた。
そして男の手には「彼の手」が握られていた。
「彼もうっかりさんだよね。
この指輪、ボクに託してくれたのにチップで認証されていて外れないんだ。
ボクのチップじゃ、認証が解除できなくてね。
死んじゃう前にちゃんと外してもらえばよかったよ」
もう片方の手にはナイフが握られていた、その手は真っ赤に染まっていた。
「急にいなくなっちゃってさ、半年もさがしたんだよ。
せっかく会えたのになんで逃げるの? キミが心配なんだ。
ごめんね、ボクがいけないんだよね、ひとりにさせちゃったから」
私は大声で助けを求めた。
この血まみれの殺人鬼から守ってほしいと。
晴れた日の穏やかな公園。人々はにこやかにほほ笑み、こちらをみている。そして、ちょうど通りかかったご婦人は私にこう言った。
「あらあら大丈夫、彼には悪意はないわ。
話し合ったらきっと誤解もとけるんじゃないか……し、ら…………」
その瞬間に血まみれのナイフはご婦人の喉を刺した。
「ごめんね、いまちょっと彼女と大事なお話してるんだ。
ごめんね、ちょっと待っててね」
白昼の惨劇。
血しぶきが、青い空に向かって高くふき出した。
真新しい公園の白いタイルがみるみる赤く染まった。
それをみても、街の人々は「あらあら」「うふふ」と笑っていた。
きっとこの街で誰も私を助けてはくれない。
私は無心で男を突き飛ばし、公園を抜け全力で走った。
「なんで逃げるの? ボクがキミを守るから
キミのしあわせしか願ってないんだよ、ボクは」
そう叫びながら、私を追いかける間にも。
「ごめんね、いま急いでるんだ。ちょっとどいててね。ごめんね」
そう言って、通りにいる人々を次々とナイフで斬りつけた。誰も逃げないし、声もあげない、人々にはこの惨劇はどう見えているの?
私とあの男以外、まるで街の時間が止まっているかのようだった。
公園を抜けた先、噴水の前。待ち合わせの人々であふれかえっていた。
私は走る力も尽きて、噴水の前についに倒れ込んだ。
見上げると「彼の手」があった。薬指は引きちぎられていた。
「ほらみて、指輪。外れたんだよ。これで一緒になれるね」
私は反射的に男の手の中の指輪を払い除けた。
「なにをするんだよ、怒っているんだね。それとも悲しいのかな?
キミにはつらい思いをさせてしまったね。ほんとうにごめんね」
男はナイフを私に突きつけた。
「一緒に死んじゃえば、もう悲しくはないよね?
一緒に死んじゃえば、仲よくできるんだよね?」
周囲にいる人々、街は、この街はそれを見向きもしない。
悪意のない社会、それは人の感情を壊していたのだと知った。
私はとっさにナイフをうばい、男に突きつけた。
そして無我夢中で、ナイフを振りかぶった……。
しかしその瞬間、脳にチクっと痛みがはしった。
「悪意」の検知だった。その途端、全身の力が入らなくなり、ナイフを地面に落としてしまった。
「いけない子だな。大丈夫。こわがらなくていいから。
キミのしあわせだけが、大事なんだボクは」
抵抗しようとなんどもこころみた。でもそのたびに「悪意」が検知され、抵抗がキャンセルされてしまう。
……じゃあなんで? なんで? この男の「悪意」はキャンセルされないの?
ダメだ……、力が入らない。
抵抗もできず、私の左胸に冷たい金属が入っていくのがスローモーションで見えた。そのとき、男のフードの中の目を初めて間近でみた。
「ごめんね、キミのこと。必ずしあわせにするからね」
男の目は、純粋な一点のくもりもない……、善意の目をしていた。
▶︎note創作大賞ノミネート作品 [Re:電脳虚構]
作品リストリンク
01 善意の都市 -bad? intentions-
02 人生テトリス -identity-
03 マッチング・アベニュー -encounter-
04 秘密の花園 -Lady Player One-(書籍未収録作品)
05 リトライ -simulator-
朗読作品リンク
01 善意の都市 -bad? intentions-(朗読:水乃しずく)
02 人生テトリス -identity-(朗読:やなせなつみ)
03 マッチング・アベニュー -encounter-(朗読:やなせなつみ)
04 リトライ -simulator-(朗読:やなせなつみ)
05 夏休みの終わりに -robotics- (朗読:水乃しずく)
「電脳虚構」はKindleでも発売中。
この話を含めた全10話のオムニバスです。

▶︎note創作大賞 [re:pairs]シリーズ(過去作のリペア作品集)
・「ニシンのパイ〜彼女の憂鬱〜」
・モノローグの雨
・主婦の戯れ〜のろけ話、お熱いなれ初め編
・“HONEY-BUNCH” X’masの魔法
・行楽シーズンのバイト
・ペットと飼い主 -pet shop owners-
・注文の多い立ち食い蕎麦屋
・不可解な詐欺


こちらのチームにも参加しています。
他の作家さんのノミネート作品はこちら
