03 マッチング・アベニュー -encounter-[Re:電脳虚構](note創作大賞)

こちらの作品は<やなせなつみ>さんが朗読してくれています。
合わせてお楽しみくださいませ。
マッチング・アベニュー -encounter-
ダイニングテーブルを分かつ、ふたつのカップ。
口も付けず、その熱と珈琲の香りだけが天井へと逃げていく。
長い沈黙を破ったのは、夫の方だった。
「ごめん……」
ふたりを隔てる乾いた空気。その声はポツンと虚しく響いた。
「あやまらないで。実は私も……」
どっちが先、という話ではない。互いが互いを裏切り、別の人を愛した。
ただそれだけだった。
アベニュー
「アベニュー」というマッチングアプリがある。
自分のアバターを作って仮想世界で異性と交流する。
VR機器でその世界に飛び込み、現実さながらに恋愛を体験できる最新のアプリだ。「異性」と言っても性別は自由だ。
容姿も年齢も設定は全て自由。夫と結婚をしたのは、3年前。
あることを隠して……。
私は、同性愛者だ。
結婚前、想いをよせていた女性がいた。
しかしその子はノーマルだった。「叶わぬ恋」なんてもう慣れっこだったが、私にとって彼女に対する想いはホンモノだったらしい。打ちひしがれ、のたうちまわり、混沌の海を彷徨っていた私を救ってくれたのは夫だった。
「この人なら、男性でも愛せるかもしれない……」
と……。普通の人、普通の女性としての平凡な幸せを選んだ。
いや、きっと楽な方へ、「健全」な方へ逃げ込んだのだろう。
結婚生活はうまくいってた。はずだった。
夫の様子が変わったのは、一年前。
いや、夫の目にも私の様子がどこかおかしく見えていたのかもしれない。
「性」というのは言わば「心の鎖」だ。
そのアイデンティティーからは逃れることはできない。本当の自分には嘘はつけなかった。きっと異性を愛するのにはもう限界だったのだろう。
そのとき知ったのがこの「アベニュー」だった。
私は迷わず、男性のアバターを作った。女性同士でマッチングしても、同性愛者がヒットする可能性は極めて少ないことはわかっていた。
それは現実でも、仮想世界でも同じだ。
現実の自分をリビングに置き去りにしたまま、本能のままに何人かの女性と付き合った。
あるとき、知り合った子に一目ぼれをしてしまった。
結婚前に好きだった、あの子の面影を感じてしまった。いや、それ以上に何か共鳴するもの、運命の矢に胸を刺されたような出会いだった。
私はその場で「お付き合いしてください!」と、申し込んだ。向こうも驚いただろう、会ってすぐ告白されたのだから。でも、返事はOKだった。
あとで聞いた話では、お互い「ビビっと」電気が走るような一目ぼれだったらしい。きっとそれは二人を結ぶ運命の合図だったのだと、そう感じた。
アプリに課金をし、仮想世界にふたりで小さな部屋を借りた。そして交際から一か月ほどで同棲をはじめた。
現実と仮想での二重生活。
夫婦の溝が、深くなるのは当然だった。夫も浮気をしていたことは知っていた。だから「互いに好きなようにすればいい」と、きっと互いを諦めていたのだろう。
現実の夫、仮想の彼女
登録者人数が爆発的に増えていく「アベニュー」。
世界的な人気となったこのアプリが、ある種の掟破りとも言えるサービスを打ち出す。
「婚カツ」の機能だ。
仮想世界でも、本当の婚姻関係が結べるというものだった。その業界を震撼させた新機能に、歓喜するもの動揺するもの、物議を醸した。それもそのはず、賛否の的になったのは「婚姻の条件」。婚姻届を出すのはあくまでも現実世界で、だということ。
「アベニュー」はアバターの設定は自由。
相手がどこの誰なのか、年齢、性別、容姿、国籍の全ては非公開。名前だって本名で登録している者など滅多にいない。
もちろん、私だってそうだ。
「相手の本当の姿をきちんと、理解した上でなければならない」
そんな倫理観として、ごく当たり前の条件だった。しかし、もともとはいわゆる婚カツ目的より、「自由な姿で自由に交際をしましょう」というのが、このアプリが人気となったその要因だ。互いの本当の姿なんて基本的に知りたくもないし、知られたくもない。
その需要で成り立っていたサービスなのだから。ごく少数の「婚姻希望」を申し出たカップルが、現実の世界で会い、そして破綻したという話は後を絶たなかった。
……でも私は彼女とは、本気だった。
容姿ではなく、もはや性別でもなく心でつながり、人間の深いところで愛しあっていた。彼女の本当の姿がどんなものであろうと受け入れられる、そう強く思っていた。彼女の方も同じ気持ちで「わたしたちならきっと大丈夫」と言ってくれた。
そして今、目の前に現実の夫がいる。
最初は私から離婚を申し出るつもりで、今日の話し合いの時間をとった。
何かを切り出したくても、それが終わりの合図……、だと言うことはお互いもうわかっていた。
ダイニングテーブルを分かつ、ふたつのカップ。手の中から珈琲のぬくもりがゆっくりと失われていく。
それが、ふたりの熱が冷めていったことと重なり、より言葉を詰まらせた。
長い沈黙を破ったのは、夫の方だった。
そして「ごめん……、好きな人ができたから、僕と別れてくれ」と。
こうしてふたりでテーブルをはさんで向き合うのですら、いつ以来だろう。
もうきっと修復は不可能だったのだ。
「ほんとうはね……、私も離婚を伝えようとおもっていたの。
一緒になりたい人がいるの」
夫はそれほど驚いた様子ではなかった。
「そう……、相手の人。どんな人なの?」
その言葉に一瞬だけ心がたじろいだ。まさか、相手が女性だとは言えない。
だから「とても素敵な人よ」と、濁した。
その言葉は少しの罪悪感が残った。
彼女へ真剣な気持ちを咄嗟に煙に巻いたようで、チクリと。
その痛みが、本当のことは話さなきゃいけないと、そんな心境にさせた。
「……それじゃあ、お互いのパートナー。そう……、4人で食事するっていうのはどう?」
半分の冗談と、でも心の内は少しの好奇心から出た言葉だった。夫は困惑した表情で考え込み、頭を抱えた。
「いや……冗談よ、気にしないで」
そう、言いかけた私を遮るように
「うん、そうしよう。相手にも聞いてみるよ。
別れる前に、僕も君に本当のことを話しておきたいんだ」
最後のデート
そして、当日。金曜の夜。
夫の仕事終りに合わせて、駅前の噴水広場で待ち合わせた。
12月のはじまり。キラキラとせっかちなイルミネーションが輝く街。
冬の凛とした香りが漂いはじめた街の雑踏が、私の気持ちを高ぶらせていた。
私は今日、初めて「本当の彼女に会う」そして、夫の新しいパートナーと4人で会う。こんな大それたイベントをよく決心したものだと、自分が少しおかしかった。
噴水広場の時計の長針が一番上を指し、待ち合わせの時間になった。
夫が珈琲を手に持って、人ごみをかきわけこっちに向かってきた。
「おつかれさま、なんか緊張するね。
キミの相手の方もまだみたいだね、こっちもどうやら遅れているらしい」
こんなキラキラした浮かれた街の中、二人。
まるで付き合い初めのころのようだった。そしてそれがこれから別々の人生を歩む、二人の最後の時間のようにも思えた。
「こっちも遅れているみたいね、少し座りましょ」
街の様相も後押しして、ひとときのデートのようだった。きっと周りからみたら、待ち合わせのカップルに見えるのだろう。
出会ったころの話、結婚してからのこと。思い出話をたくさんした。
別れる前にこういう時間が持てたこと。二人はうまくいかなかったけど、ちゃんと惹かれあって一緒になったのだと実感できた。
そんな穏やかな時間も、気づいたら30分が経っていた。
「それにしても遅いね、キミの相手も僕の相手も……」
私は嫌な予感がしていた。
彼女が直前で、現実の私に会うのが怖くなったのだと。もしくは、遠くからみて私が女だと知って逃げ出した?
きっと、彼女はもう来ない……、そう思い始めていた。いずれにせよ、もう彼女との関係は今日のこの瞬間に終わったのだ。
偽りの仮想空間で、偽りの姿のまま、永遠に二人で愛を育んでいればよかったんだ。
そんな後悔に押しつぶされそうだった。私は涙をこらえることができず、声を出して泣いた。
肩がぐっと引き寄せられる。……夫の右の腕だった。
「泣かないで。こっちもどうやらフラれてしまったらしい。
情けないなぁ、僕も。
すごい決心で今日を迎えたのに」
夫の声は優しかった。そのまま、胸に顔をうずめて泣いた。
「せっかくだ。フラれたもんどうし、デートしようか?
4人で予約していたが、あのレストラン人気なんだ。
キャンセルするのももったいないだろう?」
「そうね、泣いたらなんかお腹もペコペコだわ。
今日はヤケ食いしてやるわ」
「ヤケ食いは勘弁してくれよ、あのレストラン安くはないんだぞ?」
「あら? どうせ家計は私じゃないの、一応まだ夫婦なんだから」
そしてどちらからともなく手をつなぎ、最後のデートを楽しんだ。
いちょう並木のふたり
家路の途中。いちょう並木の中に小さな公園がある。
移り気な季節の足取りは早い。ポートレートのような黄金の景色も、落ち葉とともに一瞬で冬の表情へと姿を変えていった。
そして、過ぎていった日々を踏みしめるようにゆっくり歩いた。
街灯に照らされ、小雪がちらちらと微かにみえる。
「もう雪だなんて、今年の雪はずいぶんとせっかちなものね」
「少し公園よろっか。
この素敵なデートが終わる前にキミにちゃんと話しておきたいんだ」
私も同じ気持ちだった。
この公園はふたりの「はじまりの公園」。どちらからでもなく、ここに足を運び「さいごを告げる場所」に選んだのかもしれない。
彼女と破たんしたからといって、そんな都合よく離婚を撤回するわけにいかない。
きっとそれはお互いにそう思っていたのだろう。
私が同性愛者であること、「アベニュー」のこと、そして彼女のこと。
全部、夫に話してから別れるべきなんだ。もともと、そう決心して今日を迎えんだじゃないか。
公園のベンチ。夫が自販機で温かいコーヒーを買ってきてくれた。
「あのね、私、本当は……」
そう、言いかけたとき
「いや、僕の方から話させて。
こういうときだけはレディファーストでもないだろう?」
夫は深く呼吸をして、想いを決めたようだった。
直前で聞きたくないと……、そう思った。知ったところで、知られたところで二人の未来なんてもう変わらない。このまま知らずに、永遠に秘密を抱えたままでも。その方がお互い傷つかずに別れられるんじゃないか。
私はその場から逃げだしたい気持ちでいっぱいだった。
そんな私を察して、夫は私の肩を掴んで「こっちを見て」と、身体を引き寄せた。
「実は……実はね……、僕。
本当は同性愛者なんだ。
そして相手とは「アベニュー」で知り合った。
そこで出会った、彼と……。
彼の名前はね……」
その「彼」の名前は、とてもとてもよく知っている名前だった。街灯に照らされた小雪が風に巻き上げられ、蝶のようにひらひらと舞うように見えた。
そんな美しい冬の夜空だった。
私は夫の……いや「彼女」の肩を抱きよせた。
▶︎note創作大賞ノミネート作品 [Re:電脳虚構]
作品リストリンク
01 善意の都市 -bad? intentions-
02 人生テトリス -identity-
03 マッチング・アベニュー -encounter-
04 秘密の花園 -Lady Player One-(書籍未収録作品)
05 リトライ -simulator-
朗読作品リンク
01 善意の都市 -bad? intentions-(朗読:水乃しずく)
02 人生テトリス -identity-(朗読:やなせなつみ)
03 マッチング・アベニュー -encounter-(朗読:やなせなつみ)
04 リトライ -simulator-(朗読:やなせなつみ)
05 夏休みの終わりに -robotics- (朗読:水乃しずく)
「電脳虚構」はKindleでも発売中。
この話を含めた全10話のオムニバスです。

▶︎note創作大賞 [re:pairs]シリーズ(過去作のリペア作品集)
・「ニシンのパイ〜彼女の憂鬱〜」
・モノローグの雨
・主婦の戯れ〜のろけ話、お熱いなれ初め編
・“HONEY-BUNCH” X’masの魔法
・行楽シーズンのバイト
・ペットと飼い主 -pet shop owners-
・注文の多い立ち食い蕎麦屋
・不可解な詐欺

