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銀の弾丸などない 前編 (就職のきっかけ)

妻とは一度もセックスをしたことない男

大学4年のころ。
今でいうところの「マッチングアプリ」のようなネットサービスで、ある男性と出会った。
顔写真はなかったけれど、やりとりのテンポが心地よくて、メッセージは1ヶ月ほど続いた。

リアルで会うのは、これがはじめて。
指定されたのは、渋谷のバーだった。

緊張と期待が入り混じった気持ちで、店に着いて彼の名前を告げると、奥のテーブル席へと案内された。
ちょうどいい感じにザワザワしていて、他のお客さんの話し声に自分たちの声が紛れていく。
こんなふうに、声が漏れない空間を選んでくれるあたりも、なんだかスマートだった。

やがて、彼が現れた。

日焼けした肌にツーブロック、そして太めのネックレス。
パッと見は、ちょっとゴリラっぽいというか、強そうな雰囲気にびっくりしたけれど、
話してみたら、メッセージでやり取りしていたときと同じく、とても穏やかで、物腰のやさしい人だった。

彼は、恵比寿でIT企業を経営している40代の男性だった。
奥さんがいることは、その日、初めて聞いた。

「妻とはね、一度もセックスしたことないんだ」

瓶のコロナビールにライムをぎゅっと押し込んで、彼はさらりとそう言った。

「えっ?」って顔をしてしまったと思う。
そんな結婚があることに驚いたし、奥さんはどんな気持ちでそれを受け入れてるんだろうって、聞きたいことはたくさんあったけど、その場ではなんとなく、口には出さなかった。

それでも彼らは、子どもを望んでいたらしい。
だから不妊治療をしているのだと。

身体的な理由での不妊治療は知っていたけれど、セックスレスが原因での治療というのは、初めて聞いた。

「一度だけね、妻と試してみたんだよ。子どもをつくるために。でも……お互いに服を脱ぐこともできなくて、“あ、これ無理だね”って」

それが夫婦の結論だったそうだ。

「で、結局、精子だけ取ることになって。あのね、採精室って言うんだけどあの部屋、すごいんだよ。個室でオナニーさせられるんだけど、用意されてるおかずが全部ストレート向けなの」

彼は少し笑いながら言ったけど、その笑顔の奥に、なんともいえない寂しさがにじんでいた。

「女子校生から熟女、SMに放尿……なんでもあるのに、ゲイ向けはひとつもないんだぜ」

――それが、渋谷のバーで交わした会話の終わりだった。

店を出て、彼は何の迷いもなくホテルへ向かう。
たぶん、彼はこれまでにも何度も歩いてきたであろうそのルートを、私は黙ってついていった。

3分ほどでたどり着いたそのホテルは、きらびやかでもなんでもなかったけれど、
その夜は、忘れられないほどやさしくて、静かな夜だった。


やさしさに「身をゆだねる」こと

彼は、とても優しいセックスをする人だった。

大学4年の私は、男性経験がまだ2人しかなくて、
しかもその2人はどちらも同い年の、同じように未熟な学生だった。

若さゆえのがさつさ、ぶつかりあいのようなセックス。

今思えば、自分本位で互いに相手のことなんてちゃんと見ていなかった気がする。

けれど、彼は違った。

まるで、美術品を両手でそっとなでるように、私の肌をたどって、
ゆっくりと、でも迷いなく、私のカラダをひらいていった。

こんなふうに誰かに「身をゆだねる」という感覚は、私にとって初めてのことだった。

力を入れる必要なんてまったくなくて、ただ相手に任せればいい。
そう思った瞬間、身体がふわっと、勝手に呼吸をするみたいに自然に動いた。

どこをどう触れば、どんなふうに私が応えるのか。
彼はまるで、前から全部知っていたかのようだった。

――なんで知ってるの?

それは、知ってほしいけど知られたくない。
触れてほしいけど見透かされたくない、

心のなかで何度も問いながら、そのたびに少しずつ、恥ずかしくなった。


2回目に会った日、行為のあと、彼がぽつりと言った。

「こないだ、不妊治療で精子を採る日があってね。あの個室で、君のこと思い出しながら出したんだよ」

枕の横で、ちょっと照れくさそうに笑っていた。

それを聞いた瞬間、なぜか心がぐらっと揺れた。

自分の記憶のなかのセックスが、誰かの“命のはじまり”のきっかけになるかもしれない――

そう思ったら、不思議と胸がざわついて、生まれてくるかもしれない命に対して、罪悪感のような気持ちが湧いてきた。

あとになって「今回は妊娠に至らなかった」と聞いたとき、
本当に申し訳ないのだけれど、ほっとしてしまった自分がいたことも、たぶん一生忘れられないと思う。


“夜の教育”の成果

彼と会う回数を重ねていくうちに、
ふたりの関係も、少しずつ、でも確実に変わっていった。

最初は、彼がタチ(凸)で、私がウケ(凹)。
それが自然だったし、特に違和感もなかった。
でも、ある時から彼は「やってみる?」と提案してくれて、
手ほどきを受けながら、少しずつ私がタチ(凸)になることが増えていった。

無理やりでも、急かすでもなく、
ただ「このペースでいいよ」と、やさしく背中を押してくれるような教え方だった。

「力任せじゃなくてね。まず、相手の呼吸を聴いて。
触れる場所も、リズムも、ぜんぶ相手と呼応してるかを感じながら」

まるで茶道の稽古みたいに、静かで、細やかな教え方だった。
ふたりで息を合わせるように、少しずつ一つになっていく感覚。

それはカラダの気持ちよさだけじゃなく、
奥のほうで、ココロがふわっとほどけて満たされていく幸福感だった。

私は当時、性的にとても未熟で、知識も乏しかった。
そんな私が上達していく様子を、彼は楽しそうに見ていた。

「君は手がキレイだね、その手で触られるのが幸せだよ」

前戯の時にそう言ってくれたことがあった。
彼は私を導くのが上手かった。
指で導く・・・まさに文字通りの「性の指導」である。

おかげで私は、そのあと、男性だけでなく女性と交わるときにも
「こんなふうに気持ちが満たされたのは初めて」と言ってもらえるようになった。

特に多いのが、「前戯でやさしく開かれる感覚を、初めて味わった」と言われること。

性別がなんであれ、
誰かにそっとふれて、気持ちを受けとめて、
大切に重なっていくやり方を、私は彼から教わったんだと思う。

それから何年も後の話だけれど、
バイセクシャルの女性と交わったときに「なんか、女性としているみたい」と言われたことがある。
たぶん、彼の“教育”の成果なんだと思う。

どんなかたちであれ、
誰かに「うれしい」と思ってもらえる術を持てたのは、ありがたいことだ。

私には、性の手ほどきをしてくれた“師匠”が3人いる。
その最初のひとりが、彼だった。

そして彼は、カラダのことだけじゃなく、
生き方そのものについても、大切なことを教えてくれた。


銀の弾丸などない

彼から教わったのは、セックスのことだけじゃなかった。

ある日、ふと気づいた。

彼はいつも、銀色の弾丸がついたネックレスを身につけていた。
けれど、服を脱ぐときは、必ず一番はじめにそれを外す。

「なんで、いつもこれなんですか?」

彼は少し目を細めて、こんなふうに教えてくれた。

「“銀の弾丸などない”って言葉、聞いたことある?」

ない、と首をふると、彼はゆっくりと話しはじめた。


(「後編」につづきます ↓ )


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