ところで、あなたは「社会人」ですか?
社会人一年目、おめでとうございます。
そう言われたあの日から、いったい何年が経ったんだろう。
そもそも、あの「一年目」はいつ始まって、
いつ「ちゃんとした大人」になれたんだろう。
たまに分からなくなって、ふと電車の窓に映る自分の顔をのぞき込んでしまう。
「社会人一年目」って、いつからなんだろう
学校を卒業して、どこかの会社に就職すると、
よく「社会人一年目」なんて言われる。
スーツに袖を通して、慣れない革靴やパンプスで足を痛くしながら、
歓迎会で先輩たちに囲まれて。
あの瞬間に、魔法みたいに「社会人」になった気がしていた。
じゃあ、学校を卒業して就職しなかった人は、社会人にはなれないのか。
学生時代からバイトをしている子は、すでに社会人なんだろうか。
家で家事を担っている「家事手伝い」は。
家族を支える専業主婦や専業主夫は、その外側にいる存在なんだろうか。
社会人と、そうでない人の境目。
その線って、本当はどこに引かれているんだろう。
誰かが配る名札に書いてあるものなのか。
それとも、自分の中のどこかに、ひっそり生まれる感覚なのか。

「社会人として教える」学校の授業で
ずいぶん前のこと。
中学や高校の課外授業で、特別講師として生徒たちの前で話をする機会があった。
テーマは「社会人から学ぶ、仕事の現場」。
社会人としてのこころがまえや、仕事の現場のやりがいを伝えてほしい、という依頼だった。
20代の頃に会社を辞めて、占い師として独立してから、
だいぶ時間が経っていた。
自分のペースで仕事をして、決まった出勤時間もない。
社員証も年功序列も福利厚生も、有給もボーナスもない暮らし。
その授業のオファーが来たとき、
最初に浮かんだのは、こんな気持ちだった。
「え、わたしって社会人なんだ……」
会社という集団の外側で、ひとりで働いているうちに、
自分が「社会人」だという感覚は、どこか薄れていた。
むしろ、組織に属していないことに、うっすら引け目さえ感じていた。
名刺交換会で、会社名を名乗れないこと。
福利厚生の話題になったときに、ちょっと笑ってごまかすこと。
有給の残日数とかボーナスの額を聞かれて「ないよー」と軽く言いながら、心のどこかがチクっとすること。
そんな自分が、学校から「社会人の一人」として呼ばれている。
それがなんだか、こそばゆくて、おかしくて、ちょっと怖かった。
「社会人って何?」の堂々巡り
そもそも、「社会人」ってなんなんだろう。
たとえば、とにかく学校を卒業していれば社会人なのか。
大学を出た瞬間に、自動的に社会人一年目スタート、みたいな。
バイトだろうが派遣だろうが、何かしらお金をもらって働いていれば、肩書きは学生でも、すでに社会人なんだろうか。
実家で家事を手伝っている人はどうだろう。
家の中を回している人は、社会の中に含まれているのか、いないのか。
子どもを育て、家を守る専業主婦や専業主夫は。
あの人たちを「社会人じゃない」と言い切れる人なんて、いるんだろうか。
考えれば考えるほど、言葉だけがするっと抜けていく。
社会人とそうでない人の境目なんて、本当はどこにもないんじゃないか。
そんな気さえしてくる。
でも、もし自分の中で定義があいまいなままだと、
生徒たちに「社会人としてのこころがまえ」を語ることなんてできない。
ただのきれいごとを並べて終わってしまう。
数日間、ぐるぐると堂々巡りをしながら、
「社会人」という言葉の正体を追いかけていた。

わたしなりの「社会人」の定義
いろいろ考えた末に「社会人のこころがまえ」という観点から出した、
わたしなりの結論がある。
「とにかく自分さえ良ければオッケー」
そんな状態が、社会人ではない人。
他者との関わりの中で生きている自覚を持っている人が、社会人。
ざっくり言うと、そういう分け方になった。
学生時代って「他人に迷惑をかけなければ、あとは自分が良ければオッケー」という考えが、わりと一般的じゃないだろうか。
自分の成績さえ良ければいい。
バイトでそこそこ稼げればいい。
とにかく自分が楽しければいい。
自分は自分、他人は他人。
友達関係や部活、バイトなど、他者と関わる場面はたくさんある。
だけど、自分がいやなら、わりと簡単に切ることができる。
クラスを変えたり、部活を辞めたり、シフトを減らしたり。
もちろん、それなりにドラマはあるけれど、
「もう無理」と思ったときに、サッと逃げ出す道がまだ用意されている。
誰かとつながって生きていくということ
社会人になると、否応なく他者との関わりに巻き込まれていく。
自分の機嫌が悪くても、決まった時間に出勤しなきゃいけない日がある。
好きじゃないタイプの人とも、仕事で組まなきゃいけないことがある。
自分の担当した仕事が、誰かの仕事の土台になっていたりもする。
この領域では、「自分さえ良ければいい」という考え方は、
ほとんど通用しない。
むしろ、そんなスタンスでいると、周りから反発を食らって、
自分が悪い状況に追い込まれてしまうことが多い。
「あの人、自分のことしか考えてないよね」という評判は、
じわじわ効いてくる。
逆に、周りの人にとって良いことを提供しようとする人には、
不思議といい流れが戻ってきやすい。
誰かが困っているときに、ほんの少し自分の時間や力を差し出す。
小さな気配りを続けているうちに、
「あの人に頼みたい」「あの人と働きたい」という声が増えてくる。
仕事って、給料や評価の前に、人と人との関係でできているんだよなあ、と実感する瞬間が増えていく。
子育てをしている専業主婦、専業主夫は「究極の社会人」と言える。
簡単に子どもとの関係は手放せないし、「自分さえ良ければいい」という価値観と真逆に生きることを求められる現場だから。

自分を幸せにしたいなら、まず人を幸せにする
わたしがたどり着いたのは、シンプルだけど、けっこう勇気がいる考え方だった。
自分を幸せにするためには、まず人を幸せにすること。
この順番を知って、実践しようとしている人が、社会人なんじゃないか。
見返りを計算に入れながら「してあげる」んじゃなくて。
自分の大事にしているものと、人の大事にしているものが、少しずつ重なる場所をさがす。
その重なりを、ちょっとずつ増やしていく。
恋愛だって、同じだと思う。
「自分だけ満たされていれば、それでいい」という恋は、長くは続かない。
相手の時間や気持ちや生活を、都合よく使うだけの関係は、どこかでほころびが出る。
相手を幸せにしたい。
でも、相手だけじゃなくて、自分もちゃんと幸せでいたい。
この両方を大事にしようとするとき、わたしたちはようやく「他者との関わりの中で生きる」ってどういうことか、体感していくのかもしれない。
仕事も、恋も、家族も。
ぜんぶ「自分以外の誰か」との間で、じわじわ育っていくものだ。
あなたにとって「社会人」の定義って、なんだろう。
会社に勤めているかどうかでも、スーツを着ているかどうかでもなくて。
もしかしたら「自分以外の誰かのことを、本気で考えた回数」なのかもしれない。
今日、あなたは誰のことを思い浮かべながら、暮らしてる?
その人の笑顔を、少しでも増やせたなら。
きっとその瞬間、あなたの中の「社会人」は、ひとつ大きくなっている。
あなたにとっての「社会人」の境界線
授業で話をしたとき、生徒たちは真剣な顔で聞いてくれていた。
まだ制服姿の彼らのなかにも、すでにバイトをしている子もいれば、家の事情を抱えている子もいる。
みんな、それぞれの形で、もうとっくに「社会」と関わりながら生きている。
「社会人」という言葉の境界線は、やっぱりきっちり引けなかった。
それでも。
自分さえ良ければいい、という場所から、
他者と一緒に生きていこうとする場所へ。
ちょっとずつでも足を進めている人がいる。
その一歩を踏み出した瞬間から、もうその人は立派な社会人なんだと思う。
肩書きがあろうとなかろうと。
正社員だろうが主婦だろうがフリーランスだろうが。
誰かの幸せを、一度でも真剣に考えたことがある人。
その人は「社会のために生きる人」だ。

ちなみに、占い師の私が中学高校の授業で生徒たちに話した内容はこちら↓

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