魚と人間の境界線のあるところ
笑う犬もいれば、泣く象もいる。
動画のコメント欄には「うちの猫も拗ねます」なんて報告が流れてくる。
じゃあ、人間とそれ以外の違いってどこだろう。
私たちが人間であることの証明って、どこに置いておけば迷子にならないんだろう。
その問いが、ずっと胸ポケットの中でカサカサ鳴っていた。
12時間、宮崎駿監督の背中を追いかける
先日noteでも取り上げたけれど、最近こんなDVDを見た。
『ポニョはこうして生まれた。〜宮崎駿の思考過程〜』。
5枚組、全編で12時間ある。
NHKのカメラが、映画「崖の上のポニョ」の制作現場を、
宮崎駿監督の背中越しに淡々と追い続ける。
最初はソファーにもたれてぼーっと観始めたのだけれど、
途中から前のめりになって、気づけばメモ帳を片手に観続けていた。
話したいことは山ほどあるけれど、
全部しゃべるとネタバレの大洪水になってしまうから、今日はひとつだけ。私が「このために見てたのか」と思った瞬間の話。
ポンポン舟で起きた、やわらかな革命
映画「崖の上のポニョ」の中盤。
世界が大洪水で水浸しになってしまい、
ポニョと宗介が、ポンポン舟で進んでいく。
そこで、赤ちゃん連れの親子に出会うシーンがある。
ポニョは自分のサンドイッチをお母さんに差し出し、
泣いている赤ちゃんをあやす。
たった数分。
まったく派手じゃない一場面。
でも宮崎監督は、この場面を何度も描いては消し、
描いては消し、数日を費やす。
バケツの中で金魚だったポニョは半魚人になり、
やがて人間の女の子になっていく。
でも、それは見た目のこと。
監督は、外側だけじゃ足りないと考えていた。
中身――心――が、人間になる瞬間を描きたかったのだ。
「心が魚から人へ」
それって、どういうことだろう。
答えは簡単そうで、描くのはむずかしい。
心が魚から人間になる証明
思案の末、宮崎監督がたどり着いたのは、この二つだった。
・与えること。
・喜ばせること。
それまでポニョは、欲しいものをもらい、
やりたいことをやってきた存在だった。
けれど、この場面で初めて、自分から差し出す。
自分から近づき、泣き顔を笑顔に変えようとする。
その一連の動きが、ポニョの「心が人間になる」証明として、そっと置かれる。
大袈裟な音楽も、ド派手な魔法もいらない。
小さな手でサンドイッチを手渡す。
その温度だけで、世界は一段階、やさしくなる。
私は画面を見ながら、胸の奥がシューッと温まるのを感じた。
ああ、これだ、と。
出されたチキンラーメンを食べるだけのポニョが
自分のサンドイッチを人にあげようとするまでに成長したのだ。
「自分が満たされたい」から始まる気持ちは、悪くない。
誰だってお腹がすけば、まず自分のパンを数える。
でも、ある日そっと相手の皿に、
半分ちぎったサンドイッチを置けたら、
その心は少しだけ人間らしく育つ。
与えるって、犠牲じゃない。
「あなたが笑うと、私もうれしい」という回路を、自分の中に増設することだ。
相手の赤ちゃんみたいな不機嫌(理由がわからない泣き)に付き合える夜があるなら、その愛は案外、長持ちする。
もちろん与えすぎて空っぽになったら意味がない。
自分の分も残しとく。
半分ずつ。
ちょうどいい真ん中を、何度でも探す。
人間の証明は、難しい論文の中じゃなくて、
台所の手、舟の上の手、あの小さな手の温度に宿っている。
与えること。喜ばせること。
それができた日は、私たちもちゃんと人間だ。
ドキュメンタリーを見終えて、私は本編をまた観た。
同じシーンなのに、ぜんぜん違って見える。
舟の上のあの瞬間は、物語に挟まれた小休止なんかじゃなかった。
心が人間になるための、静かなクライマックスだった。
もしあなたも「崖の上のポニョ」を観たことがあるなら、
もう一度あの場面に会いに行ってみて。

『ポニョはこうして生まれた。〜宮崎駿の思考過程〜』
について取り上げた、もうひとつのnote記事はこちら↓
こちらも読んでみませんか☘️
バイセクシャルとしての私の生い立ちです ↓
私が占い師になったきっかけに興味がある方はこちら ↓
占い師ひなたの自己紹介はこちら ↓
【血液型占い】好きになったあの人が〇〇型だったら・・・ ↓
占い鑑定を受けてみたいという方はこちら ↓
ちょっとした「しあわせに過ごすコツ」をまとめました ↓

いいなと思ったら応援しよう!
このページに出会ってくれて、ありがとう✨️
あなたの手のひらから受け取るチップが、言葉たちの旅のつづきを照らしてくれます
ご縁に、そっと感謝をこめて☘️