【後編】【未来人はどこにいる】タイムマシンと「過去へ戻れない」最後の壁
【語り部の部屋】
ようこそ……。
また、いらっしゃいましたね。
前の夜のことを、覚えていますか。
未来へ行く方法はすでに分かっている、という話でした。

光速に近づくこと、
あるいは、強い重力の近くにいること。
けれど、その代金は途方もなく高額でした。
そして、光速を超えるという道は、この宇宙の因果律そのものを壊しかねないという話もいたしました。
今夜は、その続きです。
過去へ通じる、もう一つの道の話。
そして、未来からの旅人がこの時代に姿を見せないのはなぜか、という話です。
さあ、続きのページを捲りましょう。
【第四章:時間を輪にする】
光速を超えるという道が塞がれているのなら、過去へ向かうにはまったく別の道が必要になります。
物理学者たちが、真剣に検討してきた候補の一つに、ワームホールというものがあります。
これは、宇宙の離れた二点を近道でつなぐ、いわばトンネルのようなものです。
理論の上では、こういう考え方ができます。
仮に、このトンネルの片方の出入り口だけを光速に近い速さで動かしたり、強い重力場の近くに置くとします。
すると、先ほどお話しした時間の遅れが、片方の出入り口にだけ生じることになります。
つまり、トンネルの両端で、時間の進み方に差が生まれるのです。
……もし、片方の出入り口から入り、もう片方から出てくるならば、その差の分だけ時間を旅する事になります。
……数式の上では、確かに道が見えます。
……こうして考えると。
机の引き出しから、過去と未来を自由に行き来していた、あの猫型の機械は、実に恐ろしいものを持っていたことになりますね。
子どもの頃には、便利な道具にしか見えませんでしたが……。
あの引き出しの中では、宇宙の因果律そのものが静かに折り畳まれていたのかもしれません。
……もっとも。
現実には、大きな問題が一つ残っています。
このトンネルは、放っておくとあっという間に潰れてしまうと考えられています。
その入り口を開いたまま保つためには、普通の物質だけでは足りません。
必要になるのは、ある観測者から見たとき、
負のエネルギー密度を持つような、私たちが普段目にする物質とはまったく異なる性質のものです。
……このような性質を持つ物を、エキゾチック物質と呼びます。
数式の中には、確かに道があります。
ただし、その道を支えられるだけの負のエネルギーを、必要な形と規模で用意する方法は、まだ見つかっていないのです。
……このほかにも、物理学者たちは、いくつかの可能性を検討してきました。
高速で自転する、
太陽系の大きさレベルに巨大な円筒。
無限に長く伸びた、
宇宙ひもと呼ばれる極端に細くて重い構造。
高速で回転している、
ブラックホールの内部構造。
……これらの多くにも、閉じた時間的曲線と呼ばれる、時間が輪のようにつながる経路が、数学的には存在し得ると考えられています。
……ただ。
これらには、共通して一つの問題があります。
……つまり。
数式の上で道が描けたとしても。
それが、そのまま私たちの通れる道になるわけではありません。
理論の中では、確かにそこにある。
けれど。
私たちの文明はまだ、その道へ足を踏み入れるには、あまりにも遠いところにいるのです。

【第五章:過去を変えたらどうなるのか】
ここで、少し立ち止まって、恐ろしい問いを立ててみましょう。
もし過去へ戻ることができたとして。その過去を変えてしまったらどうなるのでしょうか。
昔から語られる、有名な思考実験があります。
祖父殺しのパラドックスと呼ばれるものです。
あなたが過去へ戻り、まだ若いあなたの祖父を殺してしまったとします。
すると、あなたの父、あるいは母は生まれてきません。
生まれてこなければ、
あなたも生まれてきません。
あなたが生まれてこないなら、過去へ戻ってきて祖父を殺すことも、できないはずです。
……論理が、ぐるりと一周して、自分自身の首を絞めてしまいます。
この矛盾に対して、物理学者たちは、いくつかの答えを用意しています。
一つは、
自己無矛盾原理と呼ばれる考え方です。
これは、過去へ戻って何をしようとしても、その行動の結果は、必ずもともとの歴史と矛盾しない形に収まってしまう、という考え方です。
つまり、あなたが祖父を殺そうとしても、何らかの理由で必ず失敗してしまう。
もう一つは、多世界解釈と結びつけて語られる仮説です。
過去へ戻って歴史を変えた瞬間、あなたのいた世界とは別の、新しい世界が枝分かれして生まれる、という考え方です。
この場合、あなたの元の世界の歴史は、そのまま保たれています。
……この二つは、まったく違う答えです。
一つの世界しかないのなら、あなたが過去で何をしようとも、その行動まで含めて、歴史は最初から矛盾なく出来上がっていたことになります。
あなたが、そこで何をしたとしても。
最初からそれがそこの歴史だったのです。
そして、もし世界が枝分かれするのなら、あなたが変えることのできるのは、あなたがやって来た世界の過去ではありません。
その瞬間から続いていく、別の世界の未来なのです。
……どちらにしても。
自分が出発してきた歴史を、好きなように消して書き直す。
そんなタイムトラベルは、どうやら簡単には許してもらえそうにありません。

【第六章:では、未来人はどこにいる】
さて、いよいよ、今夜の本題です。
もし、人類の科学が何万年も先に、これらの壁をすべて乗り越えたとしたら。
未来から、過去であるこの時代へ、旅人がやってきてもおかしくはありません。
それならば。
何万年も先の未来からやってきた旅行者が、この現代に一人も確認されていないのはなぜでしょうか。
もちろん、都市伝説としてはいくつもの噂が語られてきました。
古い時代の写真に写り込んだ、
時代不相応な服装の人物。
古い映像に、
携帯電話のようなものを持って映る人物。
未来からの来訪者だと名乗り出た人物の話。
……けれど、そのどれもが確かな証拠を持ってはいません。
これは、「フェルミのパラドックス」と呼ばれる有名な問いに、少し似ています。
宇宙は広く、そして古い。
知的な文明が、どこかに存在していてもおかしくないはずなのに、なぜ私たちは彼らの痕跡を一つも見つけられていないのか。
……今夜の問いは、これを時間の軸に置き換えたものです。
もし人類に、途方もなく長い未来が残されているのなら。
その長い未来のどこかで、人類が一度でもタイムマシンを完成させればよいはずです。
それなのに、なぜ私たちはその証拠を一つも掴めていないのでしょうか。
科学の側から考えるなら、まず、もっとも単純な答えがあります。
タイムマシンが完成するよりも前の時代には、戻れないのかもしれません。
先ほどお話ししたワームホール型の理論では、時間のずれが生まれるのは、二つの出入り口に時間差を与えた、そのときからです。
例えば人類が、西暦五万年に初めてワームホールを作り、その二つの入り口に時間のずれを生み出したのなら。
戻れる過去の限界もまた、西暦五万年です。
……二〇二六年には、届きません。
駅が建つ前の時代に、
列車は到着できないのです。
あるいは。
そもそも、その駅自体が完成しないのかもしれません。
物理学者スティーヴン・ホーキングは、
「時間順序保護仮説」と呼ばれる考えを示しました。
因果律が破られるような状況が生まれようとすると、宇宙は、何らかの仕組みでそれを許さないのではないか、と。
……タイムマシンは、難しいのではなく。
完成そのものが、宇宙の摂理によって禁止されているのかもしれません。
もっと単純に。
人類がそこへ到達するより先に、文明そのものが終わってしまう可能性もあります。
そしてもちろん。
「未来人は、すでに来ている。ただ名乗っていないだけだ」
そう考えることもできます。
……ですが、
それは確かめる方法のない話です。
科学の答えというより、都市伝説の側に置いておくべきでしょう。
……宇宙は、未来からの来訪者を隠しているのではありません。
私たちが彼らを見つけられない理由は、未来人の側ではなく、この時代の側にあるのかもしれないのです。

【語り部の部屋:最後に】
さあ……。
今夜の話は、ここまでにいたしましょう。
未来へ行く道は、確かにあります。
けれど、そこから今日へ帰ってくる道はまだありません。
過去へ行くための数式も、確かにあります。
ただし、それを現実にするための材料も、方法も、私たちはまだ持っていません。
そして、もし遠い未来の誰かが、本当にタイムマシンを完成させたとしても。
その旅人が戻れるのは、その最初の機械が作られた日までなのかもしれません。
駅が建つ前の時代へは。
列車は、到着できないのです。
……ですから。
今夜、もしどこかで扉を叩く音がしても。
未来からの訪問者だと考える必要は……
ありません。
私たちの時代にはまだ、彼らがたどり着くための入口が作られてはいないのですから。
……もっとも。
もし、その音が。
扉ではなく、
机の引き出しから聞こえてきたのなら。
そのときは、少しだけ話が別ですが……。

どうぞ、お気をつけてお帰りください。
それでは……
良い……夢を。
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