【独断】英語力が伸び悩む人の特徴5選
(注:本記事は12/26に更新しました。)
こういう話、たぶん僕(Sho Okuda)も含めてみんな好きですよね? 「○○で伸び悩む人の特徴N選」(Nは自然数)みたいなやつ。○○に入るのは数学でも筋肥大でもストリートナンパでもバイオリンでも何でもいいんですが。同時にこれって可燃性の高いトピックだとも思うので、過去日付のnoteにひっそり上げます。と言いつつ各種ソーシャル・メディアでは告知するんですけどね、たぶん。
そんなにいろんな人の英語学習の道程を見てきたわけじゃないんですが、自分の経験を踏まえて「こういう人って英語、伸び悩むんじゃないかな」と思うポイントを5つ挙げていきます。とはいえ、心がけではどうにもならないような厳しいことを言うつもりはないのでご安心を。この記事と同様にあくまで独断ということでご理解ください。では、いっきまーす。
1. 自習室や図書館で勉強する人
いや、僕も数えきれないくらいの時間、自習室で英語を勉強してきたんですよ。浪人生の頃は特に。「だったらいいじゃねぇかよ」とお思いの皆さん、bear with me for a second, let me put y'all on game.
自習室や図書館で勉強すること自体はダメじゃないんですが、それだけじゃなくて、やっぱりどんどん声を出してほしいんですよね。英語を勉強するという目的で英語を聞いたり読んだりしているときはいつも。
ここで書いたように「そのほうが気持ちが上向くから」というのも理由の一つなんですが、そもそも論として、普段日本で生活している皆さん、普通に生きていたら、英語を声に出すという機会が圧倒的に足りないですよね。もう、ここぞとばかりに声を出してほしいです。スピーキングの練習だけでなく、リスニングの勉強をしたら復習で音源に合わせてスクリプトを音読してみる、リーディングの勉強をしたら復習でその文章を音読してみる、といった具合に。話すことに英語学習の主眼を置くとか置かないとかは関係ないです。スピーキングがない大学受験やTOEICの勉強をする方もみんな音読。一億総音読社会。よくないですか? ということで、英語は声の出せる環境で勉強することを強くお奨めします。
2. 几帳面な人
「やるべきことをきちんとこなした先にこそ、輝く未来が待っているのではなかろうか」とお思いの皆様、それ自体はもちろん大正解なんですが、bear with me for a second, let me put y'all on game.
たとえば、です。不定詞の名詞的用法は「…すること」という意味だと習ったあなたが、その直後に以下の文の英文和訳を命じられたとします。
※ あくまで仮の話です。
Why is it so hard to accept the party is over?
「パーティーの終わりって、どうしてこんなに受け入れるのがつらいんだろう?」とあなたは訳しました。しかし、解答を見ると「パーティーが終わったことを受け入れることは、なぜこんなに難しいのだろうか。」とあります。あなたは肩を落とします。「あぁ、ここでのto不定詞は『…こと』と訳さなきゃいけないんだった。『こと』が解答に入ってないから減点だな…」。そんなわけあるかい!
※ あくまで仮の話です。
さすがに上の例は極端かもしれませんが、減点されない答案を書くことに腐心してきた場合、こういうことが起こりえるんですね。じっさい、僕の高校時代の国語の教師陣も、「反語の現代語訳には必ず『…だろうか。いや、けっして…でない』と、『いや』以下を書かないと減点」みたいなことを言ってましたし。それがぜんぜん本質的な指導でないことを知ったのは後になってからでしたが、なぜあんな指導がされていたのかと、今でも疑問です。
話を戻して別の例を挙げると、次のようなことも起こりえますね。「文の構造をきちんと捉えるのに毎回SVOCを振って、名詞節は[]、形容詞節は()、副詞節は<>で括らなきゃいけない」とか(SVOCや括弧類はあくまで構造を捉えやすくするためのツールであって、それなしに読めるのであれば不要です)、「『重要単語は赤丸で囲み、重要熟語には青線を引く』という先生から言われたルールを律儀に守って長文ノートを作っている」とか(長文ノート自体が悪いとは言いませんが、形式に拘ることで肝心の実力を高めることに割く時間やエナジーが減じたら本末転倒です)。大雑把でいいです、大雑把で。
1に絡めて言うと、「目や耳にした英語はぜんぶ声に出さなきゃだから、『ストレンジャー・シングス』シーズン5の台詞をぜんぶ都度止めて声に出すぞ」みたいなのも不要だと思います(もちろん、それを教材として選定し、やりきるのだと決めている場合は別です)。勉強の教材として選定したもの以外、楽しむところは楽しむことだけに集中していいと思います。
3. 暗記が得意な人
「英語も言葉なんだから、暗記してナンボじゃろがい」とお思いの方、それ自体は大正解です。特に学習の初期段階と最終段階はひたすら詰め込むしかないんですが、bear with me for a second, let me put y'all on game.
弊チャンネルの動画でもこのnoteでも何度か言っているように、前提として、英語と日本語は1対1で対応しないんですね。そうしたなか、常に卍暗記上等卍マインドで英語学習に向かっていると、スピーキングやライティングで「○○って何て言うんだろう?」と疑問に思ったとき、すぐさま和英辞典に手が伸びてしまう。そして新しい単語を覚え、ストックを増やしていくということになる。暗記という行為が超絶得意かつ大好きであれば、その調子でストックを増やし続けていけばいいですが、ちょっと暗記が得意なくらいでは頭打ちになってしまいます。暗記よりも発想の転換が有効な場面というのが、じつはけっこう多くあるんですね。
たとえば「…は〜次第だ」という意味の"… is up to ~"というフレーズを知らなかったとする。でも、これを「…は〜に決めさせてあげる」といった具合に捉え直すことができ、かつletやdecideやenoughといった基本単語の語法、「…かどうか」という意味の名詞節を導くifの用法を知ってさえいれば、
I'll let your body decide if this is good enough for you
みたいな英文が作れるわけなんです。
※ ツッコミどころがあるのは承知してます。この文を素人が作るの、"up to …"を覚えるより難しいですよね。あくまで発想の転換の一例として。
単語を覚える際にも似たようなことがいえますね。たとえばstunとstunningとstunnedをそれぞれバラバラに覚えるとなると大変ですが、他動詞に-ingが付けば「…する性質を持つ」、-edが付けば「…された状態の」という意味の形容詞になることを知っていれば、この3単語を覚えるのに必要な労力はグッと減る。
英文解釈も同様で、「無生物主語の英文はこう和訳する」じゃないんですね。その英文の中で主体と客体がそれぞれどれで、主体が客体にどう作用していて…と絵を描ければ、意味は自然と取れます。
4. 計画性のある人
「英語学習という長い道のり、計画的に歩んでいかなければ…」と意気込む君へ。その決意を否定する気は毛頭ないのですが、bear with me for a second, let me put y'all on game.
皆さん、計画ってどう立てます? 勉強でも仕某でもダイエットでも何でもいいですが。多くの場合、ゴールのイメージを持って、そこから「いつまでにあれをやらなきゃいけない、その前にこの状態になっていなければならない…」と逆算していきますよね? この逆算志向、英語学習においてはネガティブに働くこともあるかもしれません。
※ この4つ目は僕が8年前くらいから持っているトンデモ理論なので、話半分で読んでください。
ここではリーディングの勉強を想定しましょう。「英文はできるだけ訳さず理解しましょう」というのは弊チャンネルの動画やこのnoteでも繰り返し伝えていることですが、そうは言ってもやはり、和訳が有効な場面や必要な場面は、どうしても出てくると思います。そうすると、計画性のある人はどういう行動に出るか? 「後ろから順に見て訳していけば日本語として自然な文になるはずだ」という発想になりませんか?
※ 僕は計画性がない人間なので分かりませんが、計画性のある方々、どうですか?
これじゃあダメなんですね。そういう返り読みのクセがつくことの弊害は何度か述べてきたとおりで、それこそが音読を推奨する理由でもあるわけですが、英語は前から順に反応していく。「この文の構造をまずは把握して…」などという理知的な態度ではなくて、前から順に目を動かしていき、目に入ったものから順に解釈していくという、動物的な姿勢のほうがずっといいです。だって、そっちのほうがずっと人間らしくて素敵じゃないですか(黙)。
5. ジャッジメンタルな人
これはけっこう真面目な話です。そして少しpreachyになってしまうかもしれませんが、bear with me for a second, let me put y'all on game.
皆さん、他人の英語をジャッジしてしまっていませんか? これって精神論じゃなくて実利的な意味でも、英語学習において弊害です。他人をジャッジすれば、そのジャッジメンタルな態度は自分にも適用されます。そして、それは自らの成長の機会を奪うことにもつながりかねません。なぜこんなことを言うのかというと、自分自身がそれを実感しているからです。さすがに、頼まれてもいないのに他人の間違った英語をあげつらって添削するほど趣味は悪くないですが、内なる態度としてそういう部分を持っているがゆえに、自分自身にも必要以上に厳しくなってしまっているなと感じることがあります。その結果、目の前にある英語の文章や音声よりも、過去を反芻することに時間を割いてしまう。自分の過去(それが7年2ヶ月前でも、0.8秒前でも)をジャッジすることで、それを現在(0.1秒前さえも含まない、まさに現在)の自分に影響させてしまっては、肝心の〈今〉に100%注力できなくなります。受験や資格試験のリスニングにおいても、聞き取れなかった問題を気にするより、いま流れている音声に集中するほうがずっといいのは、周知のとおりですよね。
僕はなにも、世間で一般的に言われがちな「間違いを恐れずに英語を話そう」みたいなことが言いたいわけではありません(もちろんそれも大事ですが。でも、昔から思ってるんですが、英語が話せないのって、多くの場合、間違いを恐れているからじゃなくて、何と言えばいいか浮かばないからじゃありません? すみません、話が逸れました)。ジャッジメントというものに自分を縛らせないこと。これは英語学習に限った話じゃないし、一生のテーマなのかもしれません。
I ain't 'bout to judge you, don't judge me
他にも「自分はこういう性格なんで英語が伸び悩んでます」とか、逆に「こういう人は英語に向いてると思う」とか、何かあればコメントください。
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