転ぶのは、利用者だけじゃない ── いま介護現場で「職員の転倒労災」が静かに増えている
「転倒予防」と聞いて、まず誰の顔を思い浮かべるでしょうか。
おそらく多くの人が、利用者さん・患者さんの姿を思い描くはずです。ベッドから立ち上がろうとしてふらつく。夜間にトイレへ向かう途中で転ぶ。私たち医療介護の現場は、その「利用者の転倒」を防ぐことに、長年、膨大なエネルギーを注いできました。
でも、いま静かに増えているのは、別の転倒です。支える側であるはずの職員自身が、転んで労災になっている——。今日は、その話から始めさせてください。
「転倒予防」は、いつの間にか利用者だけの話になっていた
介護や看護の世界で「転倒」というキーワードは、ほぼ自動的に「利用者の安全」と結びつきます。研修も、マニュアルも、ヒヤリハットの記録も、その大半が利用者に向いている。それ自体は、もちろん大切なことです。
ただ、その陰で、職員自身の転倒は「本人の不注意」として片付けられやすい。濡れた床で滑った、コードに足を引っかけた、急いで動いて段差につまずいた——「気をつけてね」で終わってしまう。でも、本当にそれは個人の注意力だけの問題なのでしょうか。私は、腰痛のときとまったく同じ構造がここにもある気がしています。
数字が示す ── 50代から、職員の転倒は跳ね上がる
感覚の話だけではありません。日本のデータが、はっきりとした傾向を示しています。
介護老人保健施設3,547施設を対象にした調査では、職員の転倒労災が50歳未満を1とすると、50代で3.8倍、60代で9.1倍、70代以上で8.8倍に跳ね上がっていました(Rakugi et al., 2025)。そして被災した職員の47%が介護職員、31%が看護師。まさに現場の中核を担う人たちです。
しかも、この転倒労災には、はっきりとした男女差があります。国の労災データ(厚生労働省「令和5年 労働災害発生状況の分析」)では、転倒による労災の発生率(死傷年千人率)は女性のほうが高い。しかも女性は40代後半あたりで男性を追い越し、年齢が上がるほど差が開いていきます(下の図)。国も、転倒対策を**「中高年齢の女性を中心に」**進める方針を明確に打ち出しています。そして介護は、そのいちばんリスクの高い"中高年の女性"が数多く支えている現場です。この問題が介護にとって切実な理由は、まずここにあります。

転倒による労災の発生率(死傷年千人率)。女性は40代後半で男性を追い越し、
60代前半では女性2.03・男性0.83と2倍以上に開く。
(出典:厚生労働省『令和5年 労働災害発生状況の分析』表18)
そして、年齢とともに「転んだあと」も重くなります。55歳以上では、転んだときに骨折を伴うリスクが約1.7倍という報告があり(Hayashi et al., 2023)、女性は骨がもろくなりやすいぶん、その傾向はさらに強く出ます。若い頃なら「いてて」で済んだ転倒が、一回で骨折につながる。そして骨折は、その先へと続きます。国の調査(厚生労働省「2022年 国民生活基礎調査」)では、高齢者が要介護になる原因の第3位が「骨折・転倒」で13.0%——認知症、脳卒中に次ぐ大きな入口です。介護を支えているはずの人が、一度の転倒から、支えられる側に回ってしまう。その現実が、いま現場のすぐ隣にあります。
なお、転倒というと室内を思い浮かべますが、送迎や訪問で外に出ることの多い介護では、冬場に駐車場や通路で滑る屋外での転倒も見落とせません(Matsugaki et al., 2025)。
ここで思い出してほしいのが、介護現場の年齢構成です。人手不足のなか、現場はどんどん高齢化しています。**つまり転倒は、腰痛と並んで「現場の高齢化がそのまま直撃する労災リスク」**なのです。
「転んだら終わり」を、私は身をもって知っている
少し、個人的な話をさせてください。
私は理学療法士ですが、数年前、別の訪問看護ステーションに勤めていた頃、プライベートでアキレス腱を断裂し、3か月の休職を経験しました。理学療法士なのに、自分の体が思うように動かない。復帰の条件を満たせないまま休職期間が満了し、事実上、職を失いました(その後、休職中の私を受け入れてくれたのが、いまの会社です)。
あのとき痛いほど分かったのは、体が資本の仕事をしている人にとって、「一回、動けなくなる」ことの重さです。しかも、これは仕事だけの話ではありませんでした。体が思うように動かないと、家のなかでの役割も、当たり前にできていた日常のひとつひとつも、うまくいかなくなります。動けなくなることは、収入や職場の問題である前に、その人の暮らしそのもの——家族との毎日や、これまで積み重ねてきた生活——を大きく変えてしまう。このことを、私は身をもって知りました。転倒による骨折も、まったく同じです。たった一度足を滑らせただけで、数か月、現場に立てなくなる。だから私は、「職員が転ぶ」という出来事を、どうしても他人事として読み流せません。
これは「足腰の衰え」だけの話では終わらない
経営の目線で見ると、職員の転倒は静かに、しかし確実にコストを生みます。
転倒は骨折につながり、骨折は数か月の休業につながる。ただでさえ人手が足りない現場から、経験を積んだベテランが、長期間まるごと抜ける。これは労災保険の数字に表れるコスト以上に、現場にとって痛いはずです。それでも「本人の不注意」で片付けてしまえば、対策は打たれず、また次の誰かが転ぶ。
しかも、転倒は「足腰が弱ったから」だけで説明できる現象でもありません。ここに、私がハッとさせられた研究があります。
家電製造業の労働者436名を1年間追跡した日本の研究では、「過去1年に転んだ経験」(オッズ比5.0)と「最近つまずきやすいと自分で感じる」という自覚(オッズ比4.0)が、転倒の強い予測因子になっていました。ところが興味深いことに、筋力・バランス・敏捷性といった客観的な身体機能の測定値では、転んだ人と転ばなかった人のあいだに差がなかったのです(Tsukada & Sakakibara, 2016)。
つまり、立派な機器で測った「足腰の数値」よりも、「最近ヒヤッとすることが増えた」という本人の実感のほうが、転倒をよく言い当てる可能性がある。生活習慣との関連を調べた日本の縦断研究でも、喫煙・短時間睡眠・高血圧が転倒リスクを高め、適度な運動はむしろ転倒を防ぐ方向に働くことが示されています(Watanabe et al., 2026)。転倒は、足腰だけでなく、疲労や眠り、働き方そのものとつながっている——このあたりは、次の記事でさらに掘り下げたいと思っています。
去年、ある介護の現場で "測って" みた
去年、ある介護の現場で、その"見える化"の入口として、一部の高齢の職員に、転倒のリスク評価を実際にやってみました。使ったのは、私自身が申請の段階から関わってきた国のエイジフレンドリー補助金の枠組み。厚生労働省が示している「転倒等リスク評価」のセルフチェック——2ステップテスト、座位ステッピング、ファンクショナルリーチ、開眼・閉眼の片足立ちといったバランス・敏捷性・下肢筋力の評価に、握力やTUG(立ち上がって歩いて戻る時間)も加えて。あわせて、介護予防テキストの「転倒リスクチェックシート」で、生活面や自覚症状も拾いました。
やってみて、まず思ったことがあります。じつは、働く人の転倒リスクを測るしくみは、ちゃんと用意されているのです。私たちが使った評価も、国がエイジフレンドリーの取り組みの一環として示しているもので、補助金の後押しまである。にもかかわらず——これを実際に現場で回している介護事業所は、まだ驚くほど少ないのが、私の実感です。道具も、お金の後押しもあるのに、「まず測ってみる」の手前で止まっている。それが、職員の転倒をめぐる現状なのだと思います。
実際、やってみて印象に残ったことがあります。去年、10名ほどに行ったのですが、目を開けた片足立ちはみなさん30秒以上できていて、一見すると「問題なし」に見えました。ところが、目を閉じた片足立ちに変えたとたん、全員が10秒未満——半数以上は5秒も持ちませんでした。じつは、目を閉じたときの静的なバランスは加齢の影響を受けやすく、日々の歩行習慣がその低下をやわらげることも、日本の製造業労働者を3年間追った縦断研究で示されています(Watanabe et al., 2025)。そして、これはその現場だけの偶然ではないようです。年代別のデータでも、閉眼の片足立ちは加齢とともに大きく落ちていくのに、開眼のほうはそれほど下がりません(下の図・川越 2020)。開眼という条件では見えなかった衰えが、閉眼にすると顔を出す。数値は「測り方」ひとつで見え方が変わるのだと、あらためて感じた場面でした。

20代を100%とすると、開眼の片足立ちは60代前半でも72%を保つのに対し、閉眼は50代前半で46%、60代前半で28%まで急落する。バランスの衰えは"測り方"で見え方が大きく変わる。
(出典:川越 隆 2020『転倒災害の現状と対策』日本転倒予防学会誌)
さらに問診票のほうでは、10名のうち1名が「この1年で転んだ」、1名が「家の中でよくつまずいたり、すべったりする」、2名が「以前より歩くのが遅くなった気がする」と答えていて——きれいな数値よりも、こうした本人の実感のほうに、先に小さなサインが出ているのかもしれない、と感じました。さきほどの研究の話が、そのまま自分の現場でも起きているようでした。
そして、これは次の記事の打ち手にもつながる話なのですが——測ってみていちばん難しいと感じたのは、きれいな数値が出ること自体ではなく、そこで見えた一人ひとりのリスクを、では明日からの現場の対応にどうつなげるか、でした。測って終わりにしないこと。じつはここが、いちばんの正念場なのだと思います。
まず「職員が転んでいる」を、見えるようにする
打ち手の話に入る前に、私がいちばん大事だと思っているのは、「自分たちの職員が、どれくらい転んでいるのか」を、まず見えるようにすることです。
職員の転倒・ヒヤリハットを、利用者のそれと同じくらい記録できているか
退職した職員の理由のなかに、骨折や身体的な負担が紛れていなかったか
50代以降のスタッフが、どんな場面で「ヒヤッ」としているか
見えていないものには、手の打ちようがありません。逆に言えば、見えるようにするだけで、現場は少し変わり始めます。次回は、では具体的に「何がものを言うのか」——エビデンスがはっきり示している打ち手を、整理してみたいと思います。
自社の現場で「職員が転んでいないか」、気になった方へ。どこから手をつけるかは、規模や職種によって変わります。状況を聞かせてもらえれば、一緒に考えられるかもしれません。ご相談はXのDMからどうぞ。
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理学療法士/健康経営推進担当 海藤大将
X(旧Twitter):@hir0tas013
医療介護の現場から、健康経営と産業保健の「使えるエビデンス」を発信しています。
参考文献・データ出典
Rakugi et al., 2025|介護老人保健施設3,547施設調査(職員の転倒労災が50代3.8倍・60代9.1倍・70代以上8.8倍/被災者の47%が介護職員・31%が看護師)|日本老年医学会雑誌 https://www.jstage.jst.go.jp/article/geriatrics/62/4/62_62.422/_article/-char/ja/
Hayashi et al., 2023|労働災害34,580件の分析(55歳以上は転倒時の骨折リスク1.684倍)|Public Health https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/36907029/
Matsugaki et al., 2025|医療・小売業の同一平面転倒2,424件(冬季屋外での転倒が最多)|産業衛生学雑誌 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/40930773/
Tsukada & Sakakibara, 2016|家電製造業436名の1年追跡(過去の転倒歴OR5.0・つまずき自覚OR4.0が予測的/客観的身体機能には転倒群と差なし)|Journal of Occupational Health https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/27725487/
Watanabe et al., 2026|日本の縦断研究(喫煙・短時間睡眠・高血圧が転倒リスク↑/適度な運動は保護的)|Journal of Occupational and Environmental Medicine https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/42168814/
Watanabe et al., 2025|航空機製造業労働者249名の3年縦断(閉眼片足立位は加齢で低下/1日1時間以上の歩行習慣が緩和)|Scientific Reports https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/39824961/
川越 隆, 2020|加齢に伴う心身機能の変化(20代前半=100%基準で閉眼片足立ちは50代前半46.3%・60代前半27.6%と急落/開眼は50代前半79.9%と緩やか)|日本転倒予防学会誌 https://doi.org/10.11335/tentouyobou.6.3_9
厚生労働省, 2022|令和4年 国民生活基礎調査(要介護になった原因の第3位が「骨折・転倒」13.0%) https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa22/index.html
厚生労働省, 令和5年|労働災害発生状況の分析等(転倒労災の死傷年千人率は女性0.796>男性0.478/60代前半は女性2.03・男性0.83。中高年齢の女性を中心に対策) https://www.mhlw.go.jp/content/11302000/001099504.pdf
