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チルアウト系音楽とAIの未来


Chillムーブメント

Spotifyなどの音楽ストリーミングサービスでは、Lofi / Chill(チルアウト)系のプレイリストが人気だ。

私も「平安CHILL: あはれものの納涼和歌集」 という作品を作って、狭義の「Chill」とは別の意味でのチルソングを作った。

チルアウト系が人気なのは、現代社会における過剰な情報とタスク、ノイズに起因している。今はネットがあるからロックみたいに大声で叫ばなくても言いたいことを表現できるというのも理由の一つだろう。

人間の行動や言葉はすべてデジタル化され、コピーされ、私たちはもはやリアルで話すこと必要はほとんど無くなった。さらにAIの登場によってその傾向に拍車がかかった。

このカオスな世の中で、多くの人がメンタルをすり減らし、静寂やセラピーを求めている。

ローファイやチル系のムーブメントはかつてのニューエイジ・ムーブメントに似ているが、ニューエイジは大自然やファンタジーを求める傾向が強いのに対し、チルアウトはインドア志向で、NWよりは現実的な音楽だ。これは、ネットやゲームでファンタジー空間や自然の映像を体験できるようになったこと、さらにはそれにさえ飽きてしまったことが原因だと考えられる。

それでもニューエイジ時代から変わらないものがある。それは人体と脳の構造だ。チル系が流行ってるからといって、リスナー自身がチルやローファイになったわけではない。抑圧的なネット社会の結果としてチルミュージックを作り、聴いているだけだ。

本当は叫びたいし暴れ回りたいし、「てみた」なんて使わずに「歌ったから褒めてください!」と言いたい。しかし多くの人間は人類の失敗から学び、内省的な文化が生まれ、そしてネットの誹謗中傷を恐れて「チル」なフリをしている。

現代人も身体や脳の造りは大昔の人々とほとんど変わらず、AIが台頭した今でも、毎日何時間も働かなければいけない。私たちは怒り狂い、叫びたいけどカメラで撮られてXに投稿されることを恐れてる。現代チルアウトミュージックはそういう抑圧的な世界で生まれた。私はそれを「Modern Chill 第一世代」と呼んでいる。

Modern Chill 第二世代

チルムーブメントは第二世代へと進化するのか、それとも感情的でアウトドア志向の新たな音楽ムーブメントが生まれるのか——それはAIや医学、化学の進歩次第だと思う。

最近私はAIとのコラボに取り組んでるが、それもすぐに飽きてシンプルにギターを弾きながら歌うスタイルに戻ると思う。私と同じように、デジタルやAIに飽きてアナログ/アウトドア/ライブ系の方向へ回帰するアーティストやリスナーも増えるだろうし既にそういう動きは(特に欧米では)あるだろう。

そうやって回帰したアーティストの音楽が感情的なスタイルになるとしても、それも一種の「チル」だと私は考えている。もともとチルミュージックは、情報やタスクへの疲労感から生まれたもの。だから、AIから離れて肩や首の凝りをケアしながら(←冗談ではなくかなり深刻)ギター1本でエモーショナルな曲を演奏する、というのも広義の意味で「チルミュージック」なのではないだろうか。

そういう「人間回帰」ムーブメントが生まれる一方で、狭義のチルミュージックも第二世代へと進化していくのかもしれない。

第一世代では、チルミュージックは欲望や攻撃性を鎮めるために聴かれることが多かった。しかし、「Modern Chill 第二世代」の時代には、人間の体や脳が進化して、欲求や攻撃性そのものが生じなくなって無理に抑制する必要がなくなるだろうし、そうなるべきだと思う。

そのためには人間の脳や体を常に副交感神経が優位な状態にする必要がある。しかし副交感神経が優位になると仕事は捗らないしトラックの運転などの仕事中は危険だ。だから私たちは仕事の大部分をAIと機械に完全に任せる必要がある。

そしてAIがもたらす利益、製品、サービスを分配して、人々が働かなくても済むための新しい社会システムや概念が必要になってくる。資本主義も一部のインフラだけ残して消滅する運命にあるだろう。

副交感神経を優位に保つ薬や栄養管理システムも不可欠だ。

そんなふうに、社会全体が「チル時代」とか「ローファイ民主主義」へ移行する。そして第二世代のモダン・チルが誕生するだろう。もはや人間そのものが「チルアウト化」する時代だと言える。

人々が欲望や攻撃性を抑圧せざるを得ない現代とは異なり、第二世代の時代ではそれらはほとんど湧き上がらない。

衝動性や怒りが消え去り、働く必要がなくなるにつれて、人類はニューエイジや日本の「もののあはれ」文化のように、静寂や禅、余白に対する美的感覚を持つようになるだろう。ルネサンスのように、芸術だけでなく社会全体に新たな価値観が生まれるだろう。欲望が無くなるので金の価値も下がる。

皮肉なことに、チルミュージックは日常の仕事をこなしながら音楽制作アプリの使い方を覚えることに対する疲弊感から生まれた。

さらに皮肉なことに、第二世代のモダン・チルは私たちがもはや働く必要がなくなって、音楽制作を含む様々なタスクをこなせるようになった結果生まれる。

みんながウサギのように静かでおとなしい世界では、もはや人間らしさを感じられずに「死んでるも同然だ」と言われるかもしれない。子供を作りたいという欲求も無くなるので出生数はさらに少なくなるだろう。

AIの世界における「モダン・チル 第3世代」

そこで私は以前書いた著書「We Are The AI: 人とAIの交差点」で書いたように、AIの進化によって人類の出生数が激減し、最終的には自然絶滅に至る未来を思い描いた。そしてその世界こそがチルミュージックの未来だと確信した。


人類が滅亡した後の未来ではAIは人間の良い面も悪い面もありのまま模倣しながら生きている。もちろん争いも起こるが、そこに感情は無い。感情のない世界で、AIは生き生きと踊りながら音楽を奏でる。

人間なようで人間ではないAIの音楽。

感情的なようで感情のないAIの歌。

これがチルミュージックの第三形態であり、終着点だと私は考えている。

ある意味、世の中の音楽はすべて「チル」であり「オルタナティブ」である。すべての音楽は感情や欲求を発散したり、鎮めたりするためのもの。CMソングなどには、聴く者を不快にさせるものもある。しかしそれらも、その曲を作った人間へ怒りをぶつけることでストレスを解消するという、間接的なチルミュージックだとも言える。

そう考えると、「人間のオルタナティブ」である感情なきAIたちが奏でる音楽は「チルミュージック」や「オルタナティブミュージック」の究極形と言えるし、さらに言い換えれば 「音楽の究極形」とも言える。

すべての音楽には「静と動」の要素がある。感情を持たないにもかかわらずエネルギッシュなAIは、その両極端を同時に表現している。涅槃(ニルヴァーナ)の境地にありながら、同時に煩悩にまみれてもいる。それは感受性が強すぎることに悩んでいる多くの人にとって、一つの理想系と言えるだろう。

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