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「気まぐれベジタリアン」のススメ

何年も前からベジタリアンになろうとしてきたけどその度に挫折してきた。しかし今回「気まぐれなベジタリアンになろう」と決意した。


ベジタリアンになる理由

ベジータになろうとした理由は、自分が基本的に捕食される側だからウサギに共感したことと、単純に動物を殺すのは可哀想だということ、そして調子に乗りすぎた人類と自分への嫌悪感。ベジタリアンになって過去の罪を浄化したいという打算もあった。

子供の頃からときどきウサギモードの時に肉を噛んでると気持ち悪くなる時があった。それでも犬猫モードの時は好き好んで肉や魚を咀嚼してきた。

Uberを配達してると、豚がそのままの姿で吊るされてる中華料理店などに行くことがあり、その度に嫌悪感と吐き気を催していた。食品に動物の死骸の写真を貼ればベジタリアン志願者も増えていただろう。肉の断片では生き物の肉であるという自覚が薄れる。

正直、豚共のことなんざどうでもいい。しかし人間の手で豚を亡き者にするのは金輪際やめてもらう。動物への同情というより、人間に対する嫌悪感が強い。少なくとも豚はエンゲージメントを稼ぐ目的でイイネやスキを付けたりはしない。その一点だけでも人間は消滅したほうがいいと思ってる。

ベジタリアンでいることの難しさ

料理しない人間が日本でベジタリアン生活するのはなかなかハードルが高い。ほとんどの調理済みメニューや弁当には肉や魚が含まれるし、エキスや粉末の形で使われたりする。いざベジータになろうとするといかに動物に依存してきたのか思い知らされる。

めんどくさくて挫折してきたし、過半数の人間はベジタリアンになろうかなど考えもせずにゴキブリみたいにのうのうと生きてることを考えると馬鹿らしくなっていた。本能的に肉や魚を食べたくなることもしょっちゅうあった。

それでも年を追うごとに人間の汚さや自分が人間であることへの嫌悪感が増したのでもう人間を辞めようと思って、40代にしてようやくサイヤ人の仲間になることが出来た。

しかしオレは純粋なウサギではなく犬猫ウサギだし、めんどくさがり屋のADHDなのでついつい肉や魚肉入りのアイテムを買ってしまうだろう。だからビーガンのように徹底したベジタリストにはならずに、妥協した形の「気まぐれベジタリアン」になることにした。

それは草食のネコでもあるし、ときどき凶暴化するウサギでもある。

具体的には肉や魚入りのアイテムを買って、肉魚だけビニール袋に除けてその辺の野良猫に分け与えるというスタイル。そして鶏ガラなどはあまり気にしないで、「作ったやつが悪い。ベジタリアンになるべきか悩みすらしない奴らよりはマシだ」と言い訳をする。

野良猫に対しても気まぐれで、機嫌が良い時だけ優しくする。その方が気まぐれ同士仲良くなれるだろう。境界性パーソナリティ障害が緩和した今でもデレデレした愛情は苦手で裏切りたくなってしまう。

卵と牛乳は感情と痛覚を持たないので問題ない。それでも同じ家畜化された鶏や牛は殺されて食用にされるから、自分だけ卵と牛乳に制限しても無意味だ、家畜産業そのものを否定すべきだとビーガンの人々は言うだろう。それは正しくもあれば、いとおかしくもありけりで、気まぐれでOK。しょせん人間など矛盾した生き物なのだから。

まだ数日しか経ってないけど、タバコと違い中毒性はほぼ無いので続けられるだろう。今日スーパーのパン売り場に行ったらそこでもソーセージやベーコン率が高くてベジタリ向けのパンは少なかった。サンドイッチもハムが挟まれてるパターンが多い。

ジブリとビーガニズム

最近、夏なのもあってスタジオジブリ食品を観てたけどもののけ姫を観てたらベジタリアンになろうという気持ちが強まった。千と千尋の冒頭で、千尋の両親が豚や鳥の丸焼きを食べてるシーンも(コロナ以降は特に)嫌悪感が湧いて反面教師になった。

宮崎駿という矛盾した人物そのものも反面教師になってる。彼はベジタリアンでは無いみたいだ。(CopilotやGoogleによると、宮崎駿氏がベジタリアンであるという公式見解は無いらしい。)彼も縄文系に多い"肉食ADHD気質"っぽい顔立ちだから肉を好むのだろうし、そんな自分への嫌悪もあるのだろう。

同じくアニメ映画の巨匠ピクサーの代表でもあったスティーブ・ジョブズも動物性タンパク質を本能的に欲するタイプだろうが、彼は一応表向きはベジタリアンだった。そこはアメリカと日本の文化的な差もあるだろう。

普段は内向的なウサギの私も、ジョブズ同様に癇癪持ちで怒りの沸点が低く、ちょっとしたことで怒り狂う凶暴な所や、人間に対してはあまりにも肉食になることがある。そしてそれこそが「気まぐれベジタリアン」の真骨頂でもある。

動物や弱者には優しくしておきながらも、ベジタリアンになろうか悩むことすら無いゴキブリ人間には果てしなく凶暴に牙を剥き、裁きを与える。そういう肉食性のベジタリアンになることは、一部または多くの人間にとってかなり理に適ったことだろう。

シャチのように人間以外には天敵が居なくてのさばってる奴らは共感出来ないので食べてもいいと思ってる。釣り糸に絡まったシャチには同情するけど、それ以外の奴らはどうでもいい。ゼブラフィッシュに喰われて絶滅すればいい。

寿司が食べれなくなるのは残念だし、魚はレアなDHA・EPAが含まれるから最近は知能と思考の劣化を防ぐために煮干しを食べてたからそれが無くなるのはかなり致命的だ。でも海藻類にもDHAやEPAが含まれるらしいから海藻由来のサプリメントが安く手に入るなら導入する。無ければ仕方ないからカタクチイワシだけは取り込ませてもらうしかない。イワシは神だ。イワシがいなければ人類はとっくに滅んでいたに違いない。

少年からヤングへの移行

動物が可哀想だと思う一方で、不安やパニック障害、考えすぎと鬱という人間特有の悩みに悩まされてきた身としては、動物に共感出来ないところもあるし、むしろ一部の人間の方が共感出来る場合もある。数年前はそういう考えから動物は「感謝しながら食べてもいい」という、トリコ(ジャンプで連載していたマンガ)的な価値観を持っていた。

今ではそのトリコやONE PIECEにも共感出来なくなってきてる。それらは基本的に人間や人間という種の存続を基盤としてて、結局は人間主体の都合の良い解釈や言い訳でしかない。

尾田栄一郎氏は「この世が滅んでもオレだけは生き抜く自信がある」的なことを言ってて、オレはそういう「他人を蹴落としてでも生き延びる」的な人生哲学が昔からあんまり好きじゃなかった。そういう生き方をしようと試みたこともあったけど、変にお人好しになりすぎたり変なところで真面目になりすぎちゃったりすぐ弱気になる性格は変えられなかった。負け犬ウサギとなった今ではなおさら好きになれない。

そう言う哲学が昭和でダサいと感じるのは、時代性もあるだろう。人間が利己的に生きてきた結果、人口は爆発し、地球温暖化や水質汚染を招いた。温暖化がかなり露骨になってきたのはつい最近だ。もののけ姫の頃はまだクールでいられた。

日本人よりもデカい声で喋る外国人の存在も、強気な人生哲学への嫌悪感の強化に影響した。彼らがもっとウサギの心や"引き" "侘び寂び"の美学を持っていればもっと穏やかに暮らせたはずだ。

AIの台頭も「人間はもういなくなった方がいい」という思想を強化した。時代が違えば食肉にも人間や人生に対してもまた違う価値観を持っていたかもしれない。

あなたも気まぐれにカスタマイズしたベジタリアンになってみてはどうだろうか。


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