犬猫ウサギの私にとって、「犬派 vs 猫派」という分類には無理があった。
「犬派ですか?猫派ですか?突然ですが?」
という質問は、天気の話題に並ぶ会話のテンプレとして長らく君臨してきたが、私のように「どちらとも言えない」「どっちも好き」「気分による」「"突然ですが"という昭和な死語をいまだに使うこと自体あり得ない」と答える人は多いのではないか。
また、自分の性格が「犬っぽい」のか「猫っぽい」のか悩む人、とくにアイデンティティを模索中の若者も多いだろう。
気分や気質がころころ変わる私は、ある時は犬、ある時は猫、またある時はただの馬鹿。みたいに精神状態が変容するため、自己イメージをアニマル化させるプロセスにはいつも悩まされていた。
古いステレオタイプに、「男性 = 犬」「女性 = 猫」というものがあるが、実際には猫科の男性も犬科の女性もいるし、トランスアニマルの人もいる。(世の中のあらゆるステレオタイプは全くの無根拠という訳ではないが、極端で断定的なのは否めない)
人間は矛盾に満ちた生き物だから、大抵の人にはイヌ要素もネコ要素もその他の動物の要素も含んでいると思う。
中には馬顔だけど心はオオカミとか、アヒル顔だけどドナルド・ダック氏には共感できない的な人もいるだろう。
私はADHDとASDが混在した発芽玄米(発達障害という言葉が嫌い)だけど、「犬 = ADHD」「猫 = ASD」というステレオタイプは完全に正しくは無いとしても根拠多めだとは思ってる。
これをさっきの文に当てはめると、「人は誰でもADHD要素とASD要素を多かれ少なかれ持っている」ということになり、『すべての精神疾患は誰にでも当てはまる占いのようなものだから、性急に「私の子、ADHDかも?!」と判断したり、「私はASDだから同情してほしい」と被害妄想的な態度を取るのは避けたほうがいい。私も一時期、そういう人間心理の罠に陥っていた。』みたいに話題が飛んでしまいそうだけど今回は精神疾患の話は控えておこう。
もう一つのステレオタイプ式分別法として、「犬 = 集団、外交的」 「猫 = 個人主義、内向的」というものがあり、これもまた根拠濃いめだけどもちろん例外も多々あるし、混在型も多いだろう。
同様に人間に関しても「私は内向的なサイドバックです」「余は外交官にてあらせられるにて候」のように自分らしくあることは難しく、大抵の人は外交性と内向性、民主主義と利己主義が混在してるのではないだろうか、というより、それこそが「人間であること」の最低条件とさえ思う。
だから「あなたは犬(派)ですか?猫(派)ですか?」の質問は「あなたは人間ですか?」というメタ質問なんだと思う。
「どちらとも言える」 → 人間
「犬(猫)です」 → 人間でもなければ犬(猫)ですらない、血も涙もない冷徹非道なサイコパス
「どっちも嫌い / 興味がない」 → AI
ということになるのだろう
いま一度、自分のアイデンティティを内省してみましょう。
今まで会話で「私は犬派です」と答えた人も、自暴自棄になる必要はありません。ただ自分の中の「猫派エネルギー」に気づいていなかった、または無意識ではなんとなく気づいてたけど自己アイデンティティを守るために封じていたというパターンがほとんどですから。
あなたはどんなタイプの「パラドックス・アニマル」ですかな?
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