「アートな世の中」という夢
創作の必要性
オレはアーティストとしてよく音楽やアートは必要なのかと考えてきた。
むかし「No Music, No Life」という言葉が流行ったが、他でもなくミュージシャンも含めて、実際には音楽がなくても生きていける人がほとんどだろう。
オレ自身は精神系の症状や気質的に一般的な社会や仕事が本当に無理だった。今も生活保護を受けながら収入の見込みもあんまりない創作を続けてる。
同じように創作自体が新陳代謝になってる人もけっこういるだろうが、全人類の1%にも満たないだろう。
他の人たちが毎日働いてる中、生活保護受けながら音楽創ってると罪悪感が湧いたり「これは仕事なのか?」と疑問になる。
そういう時は、「音楽はセラピーになるし、気持ちを高めたり共感して自分が主人公になった気分になることもある。いわゆる"感情商売"だ」 と言いきかせてきた。
それは事実だけど音楽はもう山ほど存在するのでセラピーや気持ちの高めに関してはわざわざ新しい曲を作る必要はない。
共感に関しては極端な話、モーツァルトは現代のSNS疲れなどの苦悩を知らないので、そういうのはまだ需要がある。しかし音楽じゃなくてSNSやnote記事でも代用がきく。そういう意味では小説やマンガ、映画はまだ受容はあるだろう。
だから仕事や商品としての音楽やアートはもう要らなくなってきてるが、これはもう10年以上前から言われてる。
社会人のアート離れ
ここからは商品やビジネスとしてではなく、心理的な視点からアートの価値について考えていこう。
オレにとって、音楽は収入が得られなくてもセラピーになる。(収入目的で音楽を作って収入が無ければストレスだが)
オレみたいな作曲家じゃなくてもカラオケとか、趣味の楽器とかなら誰でも出来るが、それをやる時間がない人が多いのが現状だ。
昔は真剣に音楽やアートに取り組んでたけど生活に余裕が無くてどうでも良くなったり自暴自棄になってる人も多い。オレも働いてた時はそうだった。
しかしその人たちがアートに対してどうでもよくなってしまった原因が、「アートしてない世の中」にある。特に日本はアートしてない感が強い。
ブラック企業の蔓延やら保険料の搾取やら、いつまでも昭和な風潮やら高齢者と外国人優遇やら。そんな状態ではアートしようがない。他でもなく欧米にあるようなアーティストのための支援もほとんどない。
Appleはデザイナーを重視することで有名だが、日本ではまだまだそういう企業は少ないだろう。製品や建築デザインだけでなく、政治、経済学、医療などあらゆる分野でアーティストは必要な人材だ。
ビジネスアートの限界
仕事以外にも、ネット社会特有の閉塞感とか誹謗中傷の連鎖とか、そういうのもアートへの情熱が枯れた原因だろうが、それも大部分はアートしてない世の中が生んだストレスによるものだ。
小綺麗なオフィスビル街やよく分からないオブジェ、ファッションモール、、そういうのもアートではあるし、綺麗な公園とかに行くとアートな気分になれる。
ただそういうのは「アートしてない世の中」の一部や原因にもなってる。Appleでさえそうだ。日本はよく「見せかけの豊かさ」と揶揄されるが、それに通じるものがある。
アーティスティックな広告。確かにYouTubeのサムネみたいにSEOに媚びて他人の猿真似したような広告に比べればはるかにマシだが、その広告は"効率化すぎる"ブラック労働によって成り立ってる。
AIと創る「アートな世界」
オレが目指すアートな世の中は、「働かなくていい世の中」「仕事のためにアートやデザインをしなくていい世の中」だ。
最近はAIに仕事を奪われるという悲観論とは逆に、AI開発企業が利益を独り占めしなければ人はあんまり働かなくて済むという楽観論もある。
AIがもたらした利益やサービス、製品をベーシックインカム的に支給されるシステムが出来れば人はあんまり働かなくて済む。
そうすれば電車や街中の広告も不要になっていき、景観がよくなる。
「突然ですが!」みたいな昭和な煽り文句のくだらないCMも不要になるし、小遣い稼ぎのためのネット上の低品質コンテンツも減る。
今、YouTubeやSNSでは他人の曲を演奏したり歌って小金を稼ごうとする、自分で曲も作れない、心が欲望に支配されてしまった人間がたくさんいるがそういうこともしなくて済むようになる。
この記事の中身も見ずに「スキ」を付けてくる「アルゴリズムの犬」たちもまた、そういうことをしなくて済むようになる。
そして暇になった人々はアートや演奏を、マーケティング意識を持たずに純粋に楽しむ。
これはルネッサンス的な"逆"産業革命になるだろう。すごいことだ。
AIがもたらしたアートな世の中では、皮肉にもAI音楽は廃れて、SUNOの開発者たちは「オレたちは一体何をやっていたんだろうか…」と言いながらジャズライブを眺めることになるだろう。
仕事や積み立てNISAを人生の目的の大部分としてきた人々の多くは生きる目的を失い、一時的に鬱や統合失調の兆候が出るかもしれない。楽になることで病気になるとはこれもまた皮肉な話だ。
しかしそれも一時的な症状で、アートという生きる目的を見つければ回復するだろう。他でもなく、「それまでの自分がいかに資本主義社会に染まりきっていたのか、狭い世界にいながら世界を知った気でいたんだろうか」という内省をアートするのもいいだろう。
世界はアートなようでアートじゃない。
本当の意味でのアートな世界を創ろう。
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