【石垣島だより】石垣島の聖地で感じた、風と蝶と、日本人の心の源流
今週の月曜日、石垣島は、海に出るには少し風が強い一日でした。楽しみにしていたSUPの練習は諦め、時々参拝している、名蔵御嶽(なぐらうたき)と、石垣島最高峰である於茂登岳(おもとだけ)の麓に祀られる水の神様(於茂登御主神)にお詣りしてきました。
この二つの聖地は、訪れるたびに、まるで時が止まったかのような清涼な空気に満ちています。現代の喧騒から切り離されたその空間にいると、目には見えない大いなる存在、つまり「神様」の気配を肌で感じ取れるような気がするのです。
不思議なことに、名蔵御嶽は周囲を木々に囲まれた平地にあるにもかかわらず、いつ訪れても心地よい風がそよいでいます。その風に呼応するように、木々の枝や大きなイモの葉がゆらゆらと揺れ動き、まるで聖域全体が静かに呼吸しているかのようです。
一方、山中にある於茂登御主神のあたりでは、季節を問わず、ひらひらと蝶が舞い飛んでいます。まるで神様の使いが、訪れる者を歓迎してくれているかのようです。


こうした体験をするたびに、私は思うのです。沖縄であれ、私が生まれ育った内地であれ、かつての日本人は、自然の精緻な働きの中に神々の存在を感じ取り、それと共に生きてきたのだろう、と。
風のそよぎ、水の流れ、光のきらめき、そして生命の舞い。その一つひとつに神聖さを見出し、畏れ、敬う心。それが私たちの文化の基層をなしているのではないでしょうか。
この感覚は、八重山の文化、特に民謡の世界にも通底しているように感じます。 八重山民謡には、驚くほど多くの恋の歌、愛の歌が存在します。その最高峰とも言われるのが、即興で歌われる「とぅばらーま」です。哀愁を帯びた美しい旋律に乗せて、人々は愛する人への募る想いや、別れの哀しみを切々と歌い上げます。
歴史を紐解けば、琉球王国時代、八重山の人々は首里王府による過酷な人頭税に苦しめられていました。日々の暮らしは厳しく、疲弊していたはずです。しかし、そのような状況下でも、彼らは愛を歌うことをやめませんでした。むしろ、過酷な現実があったからこそ、人を愛し、想い合う気持ちを歌に乗せて、心の繋がりを確かめ合っていたのかもしれません。
これは八重山に限った話ではありません。目を内地に向ければ、『万葉集』や『古今和歌集』にも、身分を問わず多くの人々が詠んだ恋の歌に溢れています。
私たちはいつから、これほど豊かだった愛情表現を、心の奥にしまい込むようになってしまったのでしょうか。近世以降の儒教思想や、明治以降に流入した西洋の近代的価値観(その中にはキリスト教的な倫理観も含まれていたでしょう)の影響で、日本人は愛や恋を素直に語ることを、どこか「はしたないこと」と感じるようになってしまったのかもしれません。
しかし、私たちの社会の根っこには、今もなお、自然の驚異と美しさに神を見出す敬虔な心と、人を愛する気持ちを素直に歌い上げる豊かな文化が、脈々と息づいているはずです。
帰り道、名蔵湾に立ち寄りました。静かな夕暮れの光に照らされた美しい砂浜を眺めながら、今日訪れた聖地で感じた清浄な空気、そして八重山の歌に込められた人々の熱い想いが、この島の美しい自然の中に溶け込んでいるかのように感じられた一日でした。

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