【2拠点生活】【移住】もしかしたら、私は「島に呼ばれた」のかもしれないーー私が石垣島をもう一つの拠点にした理由
旅行者として通っていた石垣島。気がつけば、そこに「もう一つの暮らし」を築く決断をしていました。合理性だけでは説明できない、「島に呼ばれた」経済学者の不思議なご縁の物語です。
プロローグ:すべては一度の旅から始まった
経済学者として合理性を追求する私が、こんな合理性に反するような決断を下すことになるとは、あの頃は夢にも思わなかった。
私が初めて石垣島の土を踏んだのは、2011年の夏。友人との気ままな旅の途中だった。
その旅で目の当たりにしたのは、本土とは全く違う時間が流れる島の習俗。黄泉の国からの使者が家々を訪れる石垣島お盆行事の「アンガマー」、遥か西の国から豊穣をもたらす神様が現れる波照間島の「みるく様」。教科書の中の知識でしかなかった民俗学の世界が、圧倒的なリアリティを持って目の前に広がっていた。
この旅で八重山の自然と文化にすっかり心を奪われた私は、この後十数年にわたり、この島々に通い詰めることになる。まるで、何かに引き寄せられるように。



青い海に魅せられて―ダイビングに明け暮れた日々
東京に戻るやいなや、私はダイビングのライセンスを取得した。頭の中は、あの八重山の海のことでいっぱいだったからだ。ライセンスを取ったばかりの初心者が、いきなり石垣島のボートダイビングに参加するなど、今思えば無謀そのもの。案の定、私は周りのベテランたちの足を引っ張ってばかりだった。
船の上で肩を落とす私に、ショップのオーナーが声をかけてくれた。「明日、うちのベテランを一人、あんたに付けるから」。その言葉がどれほど有難かったことか。翌日、マンツーマンの丁寧な指導を受け、私はようやく海の中を楽しむ余裕を取り戻した。あの時の彼の男気ある配慮がなければ、今の私と島の繋がりは、きっと存在しなかっただろう。
それからコロナ禍が訪れるまで、安い航空券を見つけては年に数回石垣島へ通い、1泊3000円のゲストハウスに泊まり、ひたすら海に潜る日々が続いた。まさにダイビングに始まり、ダイビングに終わる滞在。それだけで、最高に幸せだった。
「これでいいのか?」―旅人から、生活者の視点へ
しかし、そんな日々を何年も繰り返すうちに、ふと疑問が湧いてきた。 「自分は、これだけ島に来ていながら、この島のことを何も知らないのではないか?」
朝7時に宿を出て、夕方5時に戻る。疲れ果てて仮眠をとり、翌朝に備えて早々に眠る。私が知っているのは船の上から見る景色と、海の中の世界だけ。せっかく日本で最も長い航空路線に乗ってここまで来ているのに、これではあまりにもったいない。
ある時、私は意を決して、滞在中に一日だけダイビングをしない日を作ってみた。 レンタカーのハンドルを握り、あてもなく島を走らせる。昼は、観光客のいない集落の食堂で八重山そばをすする。その素朴な出汁の味が、今まで味わったどんなご馳走よりも心に染みた。夜は島の海の幸に舌鼓を打つ。
それは、時間に追われる旅とは全く違う、穏やかで豊かな時間だった。 この日を境に、私の旅のスタイルは変わった。海に潜る時間は少しだけ減らし、代わりに島の人々や文化、風土に触れる時間へと、その重心を移していったのだ。
コロナ禍がくれた時間と、人生の大きな決断
そんな矢先、世界はコロナ禍に突入した。島への渡航が叶わない約3年の月日は、私に自分の人生を深く見つめ直す時間を与えてくれた。
私は大学を早期退職し、東京に「終の棲家」となるマンションを購入した。人生の基盤は固まった。しかし、心の中ではもう一つの想いが燻っていた。 「少なくとも、まだ元気なうちは、東京以外の場所にも身を置く暮らしがしたい」
候補地はいくつかあったが、心の羅針盤が指し示すのは、やはり沖縄、そして石垣島だった。気持ちは石垣島に大きく傾いていたが、なにせ物件が少ない。見つからなければ沖縄本島でも仕方ないか、と考えながら、私はネットで物件を探し始めた。
終の棲家と、もう一つの拠点
石垣島でセカンドハウス用の分譲マンションを手掛けるデベロッパーは、当時は事実上一社に限られていた。その会社が建てた、海に近い築浅の中古マンションが売りに出ていた。しかし、湘南の海辺で育った私には、海に近すぎる立地がどうしても気になった。台風の塩害や風害を考えると、二の足を踏んでしまう。
そんな時、同じデベロッパーが、少し内陸よりの立地で新築マンションを分譲していることに気づいた。スーパーも近く、生活の利便性は高い。ハザードマップを見ても津波のリスクは低い。そして何より、価格が検討していた中古物件とさほど変わらないのだ。
「新築は損だ」という先入観に囚われていた自分に気づき、私はすぐに販売会社に連絡を取った。2022年の春のことだ。 5月、現地でモデルルームを見学した時には、もう大半の部屋は売れてしまっていた。残っていたのは比較的高層の階。私には広すぎる3LDKを除くと、選択肢は一つしかなかった。2LDKで、売れ残っている中で一番安い部屋。それが、今の住まいである8階の部屋だ。
その後の準備は不思議なほどスムーズに進んだ。 家具は送料を考えると、通販より地元の家具店で買う方が合理的だった。エアコンは、沖縄ならではの「ヤモリ対策」が施されたものを現地の量販店で手配した。(ヤモリが室外機に入り込み、基盤をショートさせるのを防ぐためのガードが付いている!)
そして2022年12月9日、私は新しい部屋の鍵を受け取った。リビングに入った瞬間、目に飛び込んできたのは、冬の澄んだ空気の向こうに広がる八重山の美しい海。思わず、声が漏れた。

エピローグ:それは「島に呼ばれた」ということ
具体的な検討を始めてから、わずか半年余りでの入居。この話を石垣島に移住してビジネスを立ち上げて成功している友人に話した時、彼はこう言った。
「それは、島に呼ばれたんだよ。これまで『移住したい』という人をたくさん見てきたけれど、縁のある人は、佐々木さんみたいにトントン拍子で決まる。逆に縁がない人は、何年も『移住したい』と言い続けていても、結局話が進まないんだ」
島に、呼ばれた。 確かに、そんな気がする。
振り返れば、初めて石垣で潜った時のあの親切なダイビングショップのオーナーとの出会いも、コロナ禍が与えてくれた思索の時間も、そして最後に一つだけ残っていたあの部屋も、すべてがこの未来に繋がっていたように思えるのだ。
すべては、ご縁。今は、その言葉の意味を静かに噛み締めている。
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・本だけが友達だった子供時代、信州での素晴らしい大学時代、学者を目指した青春の日々、フィレンツェで受けた衝撃。私の「遠回りの人生」をnoteに書いてみました。
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