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エレナ婦人の教え 第二話「見えてきた日常」第12章~第14章

【創作大賞】応募作品 はじめから読みたい方
エレナ婦人の教え 第一話 第1章~はこちら


第12章 豊かさは自然の中で

秋晴れの少し肌寒くなった休日――。朝から僕は愛車に乗り込んだ。久しぶりに行き慣れた山道を走りたくなったのだ。しばらく走ると、小さな看板が目にとまった。

「田楽屋」

筆で書かれた、その田舎風文字に吸い込まれるように車を停めた。

これほど身近な場所にあったのに、なぜ気づかなかったのだろう……。何度もこの道は通っていたのに。

これまで、あまりにも気ぜわしかった。日々を楽しむ余裕なんてまるでなかった。山道を走っても、対抗車線を走る車のナンバープレート、無味乾燥なアスファルト道路、殺風景にそびえ立つ山々……。それしか目に入らなかった。

意識が変わると目の前の景色が違って観えると聴いていたが、このことだろうか。いままで気づかなかったものが目に入る。

のれんをくぐると、奥の部屋へと通された。そこにはいろりが四つ。その周りを取り囲むように座布団が敷かれていた。靴を脱ぎ、敷居を上がると右手すぐのいろりの前に座った。まもなく店員がやってきて、注文を取ると、串に刺した田楽を炭火のそばに立ててくれた。まるで時間が止まったようだ。

こんなにゆっくりと時間を過ごしたのは、いつのことだろう……。昔の人はこうして一日をふり返っていたのかもしれない。

シンと静まり返ったその山小屋の中で、パチパチと炭の割れる音が響いた。オレンジ色に染まる炎を観ていると、いつしか心のざわつきも静まっていた。冗談ばかり飛ばす店の女性と話していると、仕事の悩みもしばし忘れた。

取りたてのアユは塩だけでうまい。ミソづけしたコンニャク田楽は肉のようだ。丸ごとかぶりつくと、体が芯から喜んだ。

締めの麦飯と味噌汁を食べ終わる頃には、腹が膨れ、日は暮れていた。するとふと、オープンカーのほろを外し、風を切って走りたくなった。こんな気持ちになったのは何年ぶりだろうか。

しかし、つかの間の楽しみも長くは続かなかった。そこにはある選択が待ち受けていた。 

第13章 選択

週末の楽しみを手にしたおかげで、気持ちにゆとりが持てるようになった。ささいなことに動じなくなったのだ。ところが、月曜日の朝、上司から別室にくるよう言われた。

扉を閉め、応接イスに向かい合って座ると、上司はおもむろに口を開いた。

「残念だが、オマエがリストラ候補に上がっているんだ」

寝耳に水だった。

どうせまた仕事のことで文句を言ってくるのだろう――そうタカをくくっていた。だがその予想は見事に外れた。空いた口がふさがらなかった。こちらに口をはさませたくないのか、上司はそのまま話を続けた。

「まじめに働いているのは認める。だがな、会社という所は、同じ仕事をする人間はいらんのだ。文句を言わず黙々と仕事をこなす――そんなヤツが一人いりゃいいんだ。ま、そういうことだから……」

上司は気まずそうな素振りを見せ、形だけのあいさつを苦々しく言った。

チクショウ、そういうことだったのか。「言うことを聞くヤツは残し、邪魔者は去れ――」ということか! 周りは知っていたんだ! どおりでよそよそしかった。だまされたんだ。みんな建前ばかりのウソをつきやがって……。

怒りが込み上げてきた。エレナさんと出逢い、自然の中で過ごした、あの日々は何だったのか。あれは幻想だったんだ。あんなでき過ぎた話元々なかった。みんなウソだったんだ。

チクショウ、チクショウ……

腹わたが煮えくり返った。だが、その想いはおくびにも出さなかった。もう手遅れだ。

「わかりました」

「すまんな」

損な役目だと感じているのか、上司からは慰めのことばはなかった。

ただ、そんな気安めのことばなら聞きたくもない。それならそうとなぜ言わなかったんだ。話す時間なんていくらでもあったじゃないか! なのにいまさら……。そう考えるうち、込み上げる怒りで、腰のあたりがジンジンと痛くなった。

みんな僕が苦手なポストに追いやられたわけを知っていたんだ。だから妙にやさしかったんだ。そう思うと悔しくて仕方なかった。

席に戻った。周りは黙々と仕事をしていた。チラっとこちらを見た者もいたが、そ知らぬフリをしている。時間は午後4時。終業まで1時間。仕事なんか手に付くはずもない。想いはエレナさんに飛んでいた。

彼女ならどう声をかけてくれるのだろう。1時間後、チャイムと同時に職場から飛び出した。急いで携帯を取り出し、エレナさんの番号を押した。慌てていたせいか何度も押し間違い、3度目にようやくつながった。

「あらあなた? お久し振りね……」

僕は今日受けたことの次第を、手短かに話した。さっきまで怒りに震えていたが、エレナさんとつながり、安心したせいか、落ち着いて話せている。

「まぁ……。そんなことがあったの。それはさぞかしきつかったでしょう。

でもそれで良かったのよ。これでようやく踏ん切りがついたじゃない。

いまのあなたなら大丈夫、自分で歩いていけるから。予言しておくわ。これからあなたを応援してくれる人が出てくるはず。あなたにはね、役目があるの」

なんのことか、よくわからなかった。ただ彼女の優しさと心の込もった励ましに、ただただ勇気づけられた。

「週末なら空いているから。また遊びにいらっしゃい」

いつもならこちらからお願いするのに、今日は彼女から誘ってくれた。その心づかいがうれしかった。

週末がくるのが待ち遠しかった。その日のことを考え、つい物思いにふけってしまう。もちろん仕事は手につくはずもなかった。

第14章 必然

こうなってしまっては、もう頼るものはない。開き直るしかない。そう考えるうち、かえってそのほうが楽だと気づいた。自由な身でエレナさんと逢えると思うとひと際うれしかった。カレンにもまた逢える。想像するだけでドキドキした。

マリンブルーのさびしげな瞳で見つめるカレン。彼女のことを想うと嫌なこともしばし忘れた。どこか彼女に惹かれている自分がそこにいた。

週末の土曜、夕方4時にエレナ邸に着いた。呼び鈴を押すとほんのちょっと間があり、扉が開いた。

「お久しぶり。元気だった? どうぞ、お入りになって。カレンはいま出かけているけど」

エレナさんは、にこやかな表情をして招き入れてくれた。カレンと逢えると思い、やけに肩に力が入っていた。けれど、いないとわかると今度は拍子抜けした。勝手なものだ。

「なんとかやっています。でも結局リストラの対象になってしまいました。退職まであと1ヶ月なんです。

会社に行っても誰とも話す気がしないんです。居てもしょうがない気がして……。なのにこれまでと同じように仕事を言いつけられて……。無性に腹が立ちます。人の気持ちを無視しやがってって……」

「そうね、無理もないわ。でも試されているのよ。どこまでふんばれるかってね」

てっきり慰めてくれるものと思っていたが、アテが外れた。僕は、返すことばを失った。

「あなたが聴きたいことが私にはわかるわ。でもいまは教えない。教えたら学びにならないから」

じっと目を見つめながら話す彼女――そのことばに僕は、胸が締め付けられた。 

「ただいまぁ」

沈黙を裂く、さわやかなカレンの声が聴こえた。急に僕の心臓は鼓動を打ちはじめた。

彼女から意識をそらし、気持ちを落ち着かせようとした。だが無駄な抵抗だった。そう考えると、かえって気持ちは高ぶってしまう。

「あら? ヒロきてたのね。さっき、お庭に出てみたらブロッコリーが大きくなっていたの。すごく青々としててね。今日のカレーに合うと思って……」

再会を心待ちにしていたのもつかの間、さりげない彼女の挨拶で、ほっとした。

「ヒロ、この前カレーが好きって言ってたじゃない。今日は腕によりをかけて地中海カレーを作るから、楽しみに待っててね」

「うん」

うまく言えなかった。カレーが好きだと覚えていてくれて嬉しかった。カレンにどこか惹かれている自分がそこにいた。

いつもの白いソファの定位置に腰を沈め、外の景色を見た。すると雲のすき間から射し込む夕陽が観えた。その夕陽が照らすオレンジ色に光る雲を眺めながら、これからの日々に想いをはせた。

(第一話「ふしぎな出逢い」終わり)
第二話「見えてきた日常」第15章につづく 

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