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【備忘録】忘れちゃうから51〜57

51 「先生、流しそうめんを『汚い』の一言で片付けちゃいけないんですか?」
「そんなことはないよ。君の言う通り、上流の人は一度舐めた箸をそのまま流れに浸すんだから、下流の人にとってはたまったもんじゃない。舐めた箸の間をすり抜けたそうめんの残りカスと、箸から染み出た知らない人のエキスが上流から流れてくるわけで、とっても不潔なんだよ」
「うぅ…ですよねぇ…。そこで僕思ったんですけど、人間の精神もそれと同じじゃありませんか?」
「ほう、というと?」
「つまり日常の中を流れ流されしているうちに、他の人の言葉というそうめんの残りカスや、他人の考え方という舐め散らかされた箸によって、人生の上流においてはまっさらな真水のようだった精神が、下流に行くにつれだんだんと影響を受け、変質していく。もちろん人生の流しそうめんにおいては、途中途中で良き影響というものもあるのでしょうが、かな〜り怪しげな影響というものも、受けたくなくても受けると思うんですよね。なので先生、やっぱりこの流しそうめんも、相当やばくないですか?」
「なるほど、君の言うことももっともだね。それなら試しにちょっと流してみようじゃないか。この精神的流しそうめんに、どれほどの汚染力、影響力があるのかを見極めるためにね」
「え、どうやるんです?」
「いま私たちは『備忘録』の51にいるだろう?だからほれ、52に自分の精神を投げ込んでみるんだ。そして流れて行った先の56あたりですくって回収し、それがどんな風に変質したか観察してみるんだ。そう、ちょうどこんな具合にね」

ざぶん

「あっ、はいっ、先生っ」

ざぶん





52 禿げてしまった場合、それを隠そうとすることだけはしてはならない。隠し方にも色々あるが、特にまずいのは常時帽子をかぶるというやり方だろう。それはハゲを気にしているということの表明であり、ハゲそれ自体よりもまずい。単に禿げているだけなら誰も気にしなかったものを、帽子で隠そうとすることによって、逆に他者の興味を引いてしまうという、最悪な結果になる。さらに言えば衛生的にもよろしくなく、蒸れて細菌が繁殖し、あり得たかもしれない頭髪復活の機会に、文字通り自ら蓋をしてしまうことにもなる。周りの連中がニヤニヤするのはハゲそれ自体ではない。何故ならそんな頭はそこら中にゴロゴロあって別に珍しくもなんともない、恥ずべきものでも何でもないからだ。だが、やたらと隠したがるとなると、せっかく彼を守っていた「そんなのよくある、べつに珍しくもない」という無関心の迷彩が剥がれ、いじわるな連中の目がその帽子に注がれはじめ、薄ら笑いが彼らの口角を歪めだす。つまりは、
「あの下どうなってんだろな?うひひ」
というわけだ。そして風の強いある冬の日。北風が彼の帽子を連れ去ったその時、攻撃者たちはその滑稽さに小躍りするだろう!
「うわ!やっぱり禿げてんじゃん!ひゃはは!」
乾燥した冬の地面の上を風に吹かれてコロコロと転がっていく帽子と、頭を手で隠しながらそれを追いかける彼。薄くなった頭部を帽子で隠し続けるということをしてしまったばかりに、この光景は意地悪な連中にとって末代までの語り草となってしまったのだ。
というわけなので、要約して言えば、禿げても堂々としていなければならない。だったらなんだと構えていなければならない。逆に言えばそうしてさえいれば、禿げていようが散らかっていようが、まったく何ということもない、誰も気にしない、よくある日常の景色の一部に過ぎないのだから。自分がありのままを受け入れてさえいれば、他者も難なく自然と当たり前のこととして、それを受け入れるものなのだ。
だが、しかし。これこそいわゆる「言うは易し」の典型なのだということも、わきまえていなければならないのだろう。そして当事者になってみないとわからない精神の動きもあるのだということも、理解していなければならないのだろう。そうなのだということを「帽子を絶対とらない人」が一定数いるという事実が、教えてくれている。




53 
「あの私、詰め将棋アプリに人生救われました!」
「えっ!私はシャワーヘッドに悩みを聞いてもらったら、適切な助言をもらえて前向きになれました!」
「やっぱり、あきらめないで日々がんばっていれば、報われるんですね!」
「ですね!」




54 「これはもうハッキリ言って、少し大きめのスーパーマーケットやホームセンターに付属しているフードコートにいる人種は、本当に『独特』すぎる。もはやあれはあれで一つの民族、一つの文化圏を形成しているようにさえ思える。それほどまでにあの人たちは『独特』であり『特有』『特異』なのだ!ほんの一例に過ぎないが、添加物まみれのインチキたこやきをハフハフしながら、表紙に『美空ひばり』とでかでかと書かれた本の1ページ目を、そう!1ページ目を今まさに開いている!そんなヨレヨレのおじさんがいるかと思えば、少し離れたところには、カピカピになったたい焼きを手に持ったままでかい声で、『自分はここに早く着きすぎた』と電話相手に嘆いている、短パン&ハイソックスのおばさんが。こうした人々がわらわらと寄り集まって、『フードコート人』としか呼びようがないような、それはそれは唯一無二の文化を形成しているわけだが、ここで特筆すべきなのは、彼らはあくまでスーパーマーケットやホームセンターに定住した『フードコート人』なのであって、ショッピングモールなどのフードコートに生息している『フードコート人』とはまた別の種族、また別の文化圏に属する集団だと言えるということだ。両者は単に生息域を異にしているだけではなく、異なる心身の在り方、異なる生態を持っていると言える。さて、これが僕の文化人類学だよ。ねぇ、君どう思う?」

筆者はこの会話を、サービスエリアのフードコートで聞いた。



55
「あの、すみません」
「はい?」
「コボちゃん読んでますか?」
「いいえ、読んでいません」
「全然ですか?」
「はい、全然です」

質問者は天を仰ぎ、嘆息してから言った。
「私はいつになったらこの質問をやめることができるのだろう…」
星がまたたいていた。



56

ずるずる

ずるるるる

「どうだね、君。精神的流しそうめんの味は?上流の51からここまで下ってきたら、やっぱり言葉という麺の残りカスや、考え方という舐め箸での突っつきによって、君の精神に何かしらの汚染や影響がもたらされたんじゃないかね?」

「んー、


(もぐもぐ)


そうですねー、


(もぐもぐ)


強いて言えば、


(ごっくん)


かたくなに帽子をかぶったまま詰将棋アプリをやるっていうのは、フードコートではありがちな光景なのかもしれないけれど、コボちゃんで描くには無理がある。何故ならそうした高度に文化人類学的話題は、朝刊の4コマ漫画には不向きだから、という風に思うようになりました。ま、全部『言うは易く、行うは難し』ですがね」

「うん、君、そうだね」



57 他者からの影響を受けやすい人というのはいるものです。尊敬している人や憧れている人の口調や振る舞い方が、完全に丸写しになってしまっている人の姿などを見ると、クスリとくるというよりもむしろ「わぁ…」と思ってしまうことも。そして何より「わぁ…」なのが、本人がそのことにまるで気付いていないということ。こんな調子で良くも悪くも影響を与え与えられで、今日もこの世は流しそうめんです。そして音楽もまぁそれは強烈に、人間精神に影響を与えるものの一つです。というわけで今回もプレイリスト『私が3兆回リピートした楽曲集』から一曲。特別内容のある曲でもないですが、なんだか春の夜に出歩きたくなる、という流しそうめんエフェクトを精神にもたらす曲です。信号待ちの車中で、窓枠に肘をつき、ずいぶん春っぽくなった街と人を眺めながら聴いてみてください。それではみなさん、今日も明日もずるずる、ずるるるる。









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