【備忘録】忘れていないか?58〜63
58 《会話の断片拾い食い》
「そういう意味ではこの話はさ、突然画面いっぱいに広がったネット広告の、『閉じる』ボタンがどこにあるのかわからないのと一緒さね」
「ああ、ほんとにそうだいねぇ〜。あれはわかんねぇやねぇ〜」
ガラガラ
「小井土さ〜ん、小井土 昭男さ〜ん。中へどうぞ〜」
「あっ、やっと番が来た。じゃあちょっと行ってきますわ」
「はいはい、よく診てもらって来てください。しこりの位置、一発でポチッと見つけて、ちゃんと伝えられるといいやね」
59 単調な作業をしている時にどうやって集中力を保つのかは、なかなか解決しがたい問題だ。そしてその単調な作業をしている時間というものに、どうやって意義を見出せばいいのかということも、同様に解決が難しい。多くの人がもっと生きていたい、少なくともやたら早死にするのはイヤだと思っているくせに、別の言い方をすれば「時間よ、そう簡単に過ぎ去ってくれるな」と思っているくせに、単調と反復のひと時については、さっさと過ぎ去ってほしいと思っている。「人生の時間よ、永遠なれ」と「時間よ、さっさとそこをどいてくれ」という矛盾する注文を、人は宇宙の摂理に対して出している。さらにこの問題が複雑なのは、つらいことや悲しいことが起こった時には、そうした単調や反復の中に身を置くことでこそ、いや、そうすることによってのみ、一時的にせよ痛みを遠ざけておくことができる、という効果もあるということだ。こうした胸に痛みを抱えた場合や、思考が心の平静にとって邪魔になるような場合は、無心の繰り返しや、機械的な没頭こそが救いなので、むしろその中にいることが望ましいとさえ言える。単調、反復、繰り返し、つまりはいわゆる単純作業とは、一体何なのであろうか。おそらく人間が精神を獲得して(または精神を獲得したことにより人間になって)以来続く、この「一定時間続く刺激のない反復行動」との付き合い方は、なかなかどうして、単調でも単純でもない。
60 《会話の断片拾い食い》
「7万円だけ貸して!7万円だけ貸して!」
「もーうるさぁい!6万8000円以上はどうしてもムリ!」
「あぁ……そうかい……くそっ!俺がNASAに居た頃にゃよぉ、こんな情けねぇことになるなんて(洒落じゃねぇぞ!)思わなかったよチクショウ!」
「あははっ!あんたなんかがNASAに居たわけないでしょ!このゴクツブシ!」
ピロリロリロリロッ
「えっ!?やだっ、何アレ!?空から何か降りてきたけど!」
プシュゥゥゥゥッ
「タカハシサン、ソノセツハドウモ。イツカノウチュウジンデス。コレ、スクナイデスケドウケトッテクダサイ」
「お、おぅ……。ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ………は、8万あるけど、これ全部、俺にくれるのか……?」
「ア、スミマセン、カゾエマチガエマシタ。イチマイカエシテクダサイ」
「へぇ……あんた……ほんとにNASAにいたんだね……」
61 なんとはなしに、床板のたて線よこ線模様であみだくじをやったことある人、この指とーまれっ!
そう言ったら我が人さし指にインコがちょこんと飛び乗り、クモが糸ごと絡みつき、犬がしっぽを振りつつまとわりつき、しまいにはワニががぶりと噛み付いた。そうだよね、地を這う動物ならアレ、みんなやったことあるよね。
運び込まれた病院で、指の治療を受けつつベッドに横たわりながら、天井のたて線よこ線でまたそれを始めている。でも、もうみんなには聞かない。聞くまでもないし、聞かない方がいい。
62 時々、「この曲さえあればもう怖いものなしだ!」と思うような曲に出会うことがある。その曲を聴くと一気に士気が高まり、血が沸騰するのを感じ、これさえ聴けば今後、勇気を要するようなあらゆる事柄に対処することができる!と思わせるような曲だ。アラームにその曲を選んでおけば、朝も難なく起きられるだろうし、怠惰に飲み込まれそうになった時にも、その曲が我が胸ぐらを掴むようにして、サボりがちな闘志を揺さぶってくれるだろう、そう思わせるような曲だ。それはロックの場合もあればヒップホップの場合もあり、軍歌や行進曲の場合もあればクラシックの場合もある。どんな類のものかは問わず、がっちりと自らの精神にはまって、もしくはグサリと魂をえぐって、その周波数が肉体を揺り動かすことにより、「この曲さえあれば一騎当千、もはや私の前には永久に、蹴散らせない怠惰も臆病もなくなったのだ!」と思うことがある。
……が、こんな風に大げさな表現を用いて感動してみせた場合にありがちな、ことの顛末についてはわざわざ言うまでもないのかもしれない……。それは大抵思い込みであり、誇張であり、言い過ぎである場合がほとんどなのだ。そうした曲の効力は驚くほど短い。数年前に「これこそは!」と思った曲を今聴いてみて、どうだろう?いや、数カ月前のものでもいい。やっぱりなかなかいいなと思ったり、懐かしかったりする、というのはあるかもしれないが、あの「一騎当千!」感は、当然のようになくなっているのではないだろうか。あの爆薬のような効果は、時の経過とともに湿気り、薄れている。曲自体は変わっていないことを考えれば、やはり受け取る側が、こちらの精神が変わったということなのだろう。そしてその精神がぷかぷかと浮かんでいるところの、時代というものもまた変わったのだ。つまりは「その時代に、その精神を持って聴いていた、その曲」だったからこその、あの興奮だったのだと言うべきなのだろう。まとめて言えば、人間がその中で生きている状況というものが、どれほど精神や感性に対して影響力を持っているかということだ。人は常に状況の中で踊り、状況によって浮沈し、状況がもたらす幸不幸を掴んだり手放したりしながら、10代から20代、20代から30代といった具合に、この世を漂い、その漂いの途上で、興奮したり、切なさを感じたり、感動したりしている。要するに人は真空の中で生きているわけではなく、真空の中ではそもそも音楽も響かないということなのだ。
…とかなんとか言って、とりあえずこの「一騎当千的幻影についてのなんちゃって音楽論」をまとめておきたい。過ぎ去り、移り変わるものと知りつつも、次の「この曲さえあれば!」に、早く出会えないかな、とか思いつつ。
63 5月半ば、早くも薄手の靴下が欲しいような、そんな陽気であります。温暖化が人間の活動がもたらした人為的なものであるか、単なる自然の循環の結果であるかについては意見が分かれるところのようですが、「暑いのはイヤだ。もっと言えば、その気配すらイヤだ」ということについては衆議一決、複数の派閥や党派の存在する余地もなし、といったところでしょう。というわけで最後はプレイリスト『私が3兆回リピートした楽曲集』から、何年か前に62において言及したような「この曲さえあれば!」といった具合になったことがあるこの一曲。前述の通り、その当時感じたような、体内が沸騰するような感じというのはやはりないですが、今聴いても十分かっこいいです。そんな音楽と精神の不思議について口をぽかんとさせつつ、このへんで。また64でお会いしましょう。それでは、7万円貸してください。

