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揺れてもいい。くるぶし組の木のポーズ【ヨガで教わったこと】

前回の記事です。まだの方はどうぞ。

久しぶりに、人の言葉ではっとした。

私は体が硬いくせにヨガが好きだ。
月謝を払って毎週通うほど熱心ではないけれど、
都合が合えば単発の講座に申し込んでいる。
そのおかげで、これまでたくさんのインストラクターの方に出会ってきた。

可愛らしい方。
ベテランの風格をまとった方。
にこやかな方。
キリッとした方。

今回の先生は、終始穏やかな笑顔を浮かべながら、
一つひとつの動きを丁寧に説明してくださる方だった。

そして、その先生の何気ないひと言に、私は思わずはっとすることになる。

私がこれまで参加したヨガ教室で、どの先生も必ず口にすることがある。

「呼吸を意識してください」
「気持ちよく伸ばしてください」
「自分の楽な姿勢で大丈夫ですよ」

そんな言葉だ。

ポーズができなくても大丈夫。
できる人はやればいいし、できない人は無理をしなくてもいい。
どの先生もそう言う。

それでも、やっぱり思ってしまうのである。

先生と同じようにやりたい。
周りの人たちと同じくらい深く曲がりたい。
あそこまで手が届いたら気持ちいいだろうな、と。

その日もおなじみの
「木のポーズ」
に入ったとき、先生は言った。

「左足のかかとを右足のくるぶしに添えてください。
 できる人はふくらはぎまで上げてください。
 もっとできる人は太ももまで上げましょう」

はい、くるぶし組である。
私はじっと右足のくるぶしに左足を添えたまま、
その場でバランスを取っていた。

「はい。両手を上に伸ばして、
 大地の気を下から取り入れましょう。
 そして一本の木になったイメージで、ゆっくり呼吸してください」

教室のあちこちで、枝を広げた木々が生まれていく。

私はといえば、木というより風に揺れる草である。
いつ倒れてもおかしくないほど、ふらふらしていた。

すると先生は続けた。

「ぐらついても大丈夫です。
 その揺れも、一本の木に吹く風で揺れる葉のようなものです」

そして、少し間を置いてこう言った。

「すべてがその木を支えるバランスなのです」

その言葉に、私は思わずはっとした。

揺れないことが大事なのだと思っていた。
まっすぐ立てること。
ぶれないこと。
失敗しないこと。
そういうものが
「バランスが取れている状態」
なのだと思っていた。

でも先生は違うと言った。

揺れてもいい。ぐらついてもいい。

それも含めて、その木のバランスなのだと。

風に揺れる葉を、いつか静めることも。
枝を離れた葉を、根元で静かに受け止めることも。
すべては、その木自身なのだ。

途端に、私の木のポーズが
「シャン」
とした。

揺れもぐらつきも、私の一部。
それを含めて、私のバランス。
なんて大きな言葉だろう。
私は木のポーズを続けながら、ひとり感動していた。
これまでの私は、揺れないことが正解だと思っていた。
ぐらつかないことが理想だと思っていた。
でも違ったのだ。

揺れる日もある。
ぐらつく日もある。
それでも私は私のままで立っていていい。

そう思えたら、なんだか急に体が軽くなった。
もう、この言葉を知った私は、どんなポーズも怖くないと思った。

そのまま四つん這いから片手片足を伸ばす
「鳥の犬のポーズ」に入った瞬間、
この日最大の震度がやってきたのだが。

私のポーズは見事なまでにグダグダになった。
足はぷるぷる。
腕はふらふら。
鳥にも犬にもなりきれない、何か別の生き物である。

それでも不思議と恥ずかしくなかった。
いや、少しは恥ずかしかった。
でも、
「これが私なのだ」
そう思えた。

ぐらつくのも私。
バランスを崩すのも私。
そして、何とか立て直そうとしているのも私。

それなら、それでいい。

そんな持論を心の中で唱えながら、
私はどうにか七十分の講座を終えたのである。

家に帰ってからも、先生の言葉が頭から離れなかった。

揺れる私も、ぐらつく私も、全部私。

風に揺れる葉を抱えながら、
それでも一本の木として立っていられるのなら。

それもまた、立派なバランスなのだと思う。


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妃沙 彩未 「続きを読みたい」「また見たい」と思っていただけたことが何より嬉しいです。 いただいたチップは、これからの創作活動に大切に役立てます。